暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

女性の人生の物語【ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語】感想

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語

 

87点

 

 

 ルイーザ・メイ・オルコット原作による、19世紀後半のアメリカを舞台に、ピューリタンである4姉妹の反省を綴った古典「若草物語」。これまでにも幾度となく映画化された古典を、『レディ・バード』のグレタ・ガーウィグが映画化。主演は同じく『レディ・バード』で主演を務めたシアーシャ・ローナン。2019年度のアカデミー賞では作品賞を始めとして、6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞しました。アカデミー賞にノミネートされたとあってはそれは観ないわけにもいかず、鑑賞した次第です。

 
 映画は冒頭が大切であるとは常識ですけど、本作の冒頭は、扉の前に佇み、小説家として未来へ進もうとするジョーの後ろ姿です。これが象徴しているように、本作は未来へ進もうとする4姉妹の物語でした。グレタ・ガーウィグは、前作の『レディ・バード』でも半自伝的な内容として、1人の少女が自立した1人の人間になるまで(=半生)を描いていました。この点で本作は、『レディ・バード』と明確に繋がってる作品で、内容的には、レディ・バードが自己を獲得して、社会に出た後の物語とも言えます(演じてるのも̪シアーシャ・ローナンですし)。違う点があるとすれば、『レディ・バード』は1人の半生だったのに対し、本作は4姉妹の4者4様の人生を描いたという点です。

 

レディ・バード [Blu-ray]

レディ・バード [Blu-ray]

  • 発売日: 2019/07/03
  • メディア: Blu-ray
 

 

 本作は2つの時間軸を並行して描いています。1つは4姉妹が成人し、それぞれ別の人生を歩み始めた「現在」、そしてもう1つは4姉妹が一緒に過ごした「過去」です。基本的に4姉妹全員が揃って楽しくやっている過去は全体的に暖色系の色で撮られていて、ノスタルジーを掻き立てられるものになっています。実際、過去で4姉妹+ローリーがわちゃわちゃやっている姿は観ていてとても面白いですし、会話のリズムがよく、本当に楽しそうなんです。撮影では実際に監督がタクトを執って会話の演出をしたらしく、そのおかげもあると思います。
 
 翻って、「現在」は全体的に寒色系で撮られていて、人生の苦境に立たされ、苦労している姿が描かれています。これは楽しかった「過去」と並行して語られることで、「現在」の自分は「過去」に思い描いていたような自分になれているのか、思い通りに人生を生きているのか、という迷いや苦悩をより際立たせています。
 
 4姉妹の生き方というのは女性の多様な生き方を描いていると思っていて、長女のメグは結婚して、家庭を築きたいと思っていて、四女のエイミーはマーチおばさんに思考が近く、現実主義者。三女のエリザベスは体が弱いながらも姉妹を繋ぐ存在で、ジョーは小説家を夢見る女性です。このうち、エイミーとメグは彼女らなりの人生を歩んでいますけど、ジョーは迷走中。ローリーの求愛を蹴って、都会に出たけど上手くいかず、帰ってきたら三女が亡くなってローリーもエイミーと一緒になった。つまり、ジョーは才能はあるけれど、孤独になってしまうのです。「愛」が無いと。だから、ラストでそれを自分でつかみ取った姿が凄く良いわけです。

 

若草物語 1&2

若草物語 1&2

 

 

 本作は「女性の人生の物語」です。だから4姉妹それぞれの人生をフラットに見せたし、男性は脇役。そして、それ故に、ラストで「著作権を渡さない」のだと思います。あのシーンは凄く良くて、というのも、これまでの物語が収められているあの本を渡さないということは、「これは私たちの物語だから」と宣言しているような気がしたからです。しかもその時に編集長に向かって反論しているんですよね。当時は「女性の物語は売れない」と言われていた時代で、そんな時代に反論して、本を自分たちの物語として出版する。そしてこれが多くの女性に力を与えてきたわけで、そういう意味では、この結末は、非常に現代的なものだなと思いました。
 
 他にも、美術が素晴らしかったのはもちろんなのですけど、役者が皆素晴らしかったです。4姉妹はもちろんですけど、みんな会話が活き活きしていて、本当に輝いて観える。これは女優でもあるグレタ・ガーウィグの演出力の賜物でしょうね。しかし、中でも一番素晴らしかったのはティモシー・シャラメですよ。失恋してダメ人間になってる姿が本当に最高で、でもダメ人間なのに美しさが損なわれておらず、寧ろ耽美的ですらあるという・・・。本当に奴は俺と同じ人種なのか?いや、違うのだろう。総じて、「現代版の古典文学映画」として、これ以上は無い作品でした。
 
 

 ガーウィグ監督作。

inosuken.hatenablog.com

 

 これも人生の話だね。

inosuken.hatenablog.com

 

「一生懸命になる」事は素晴らしい【のぼる小寺さん】感想

のぼる小寺さん

 
72点
 
 
 「good!アフタヌーン」にて連載されていた、珈琲先生原作のちょっと変わったスポーツ青春漫画が原作の青春映画。監督は『ロボコン』などの古厩智之さんで、脚本は『リズと青い鳥』や『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』等、アニメ作品を多く執筆している吉田玲子さん。私は例によって直前まで存在は知らず、公開前からSNSを中心にして話題になっていたことで知り、今年は日本映画をなるべく観たいと思っているため、鑑賞しました。
 
 本作は「小寺さん」というボルダリングを懸命に頑張っている女子生徒を中心にして、彼女に感化された人たちが「何かに一生懸命になる」作品です。そこに結果を伴うことは重要ではありません。小寺さんのように、目の前の「壁」に向かって頑張る姿こそ素晴らしいと、本作は、「何かに夢中になる」ことを全力で肯定してくれる作品なのです。だから、本作が絶賛される理由は納得です。

 

ロボコン

ロボコン

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 この点で、本作とは好対照をなす作品があります。それは同じく青春映画であり、個人的には傑作だと思っている『桐島、部活やめるってよ』です。この作品と本作は、いくつかの点で相似点があり、同時に決定的に違う点があります。まず、同じ点では、「誰か1人に周囲の人間が影響を受ける」こと、「何かに夢中になれる」ことこそが最も大切なであり、そこに意味や結果はないのだというテーマです。しかし、この相似点は、『桐島』とは表裏一体の関係です。
 
 『桐島』では、「桐島」という「イケてる奴」の究極みたいな存在にすがることで自身の存在意義を見出していた奴らが、桐島が部活を辞めたことで存在意義を見出せなくなり、右往左往することで、桐島など関係なく、「好きなこと」をやっている前田君を始めとする映画部の尊さが出てくる作品でした。しかし、本作では、「中心」にいる小寺さんはどちらかと言えば前田君よりの人間で、ボルダリングに夢中になっています。そんな彼女を中心となって周りが照射され、一生懸命になる姿を全肯定して描き、「一生懸命になる事は素晴らしい」と謳っているのです。これは、『桐島』でそこまで描かれていなかった存在である、「頑張っても駄目な人もいるんだよ」と言った、バドミントン部の彼女や、バレー部の彼とかを救済する話なのです。つまり、本作は『桐島』の逆パターン映画であり、同時に同種の映画でもあるのです。
 
 本作がこのような作品であるため、小寺さんを「見る」シーンが印象的でもあります。そしてそれは映画内の登場人物だけではなく、我々観客にも言えることです。本作は、登場人物が小寺さんを見ているであろう主観ショットが頻発し、観客にも、「頑張っている」小寺さんの姿を見て、影響を受ける登場人物たちと同じ気持ちを抱かせているのです。この点で、本作は観客巻き込み型映画でもあります。劇中の台詞でもありましたが、「一生懸命」になれば、結果はついてこないかもしれないけど、何かは変わるんです。それらは無駄にはならないのです。そんなことを、本作は我々観客にも伝えようとしています。
 ただ、内容的にはとても良い事を描いている作品だと思ったのですけど、イマイチ乗り切れなかったのも事実です。それは単純に比較対象が『桐島』だったからってのもあるのですけど、それ以上に私の学生時代に関係しています。私は学生時代は帰宅部で、「頑張らなかった」奴なんですよね。そんな俺が「頑張っている」ことが素晴らしいと謳う本作を観てしまうと、どうにも申し訳ない気持ちになるんです。「あぁ、俺、頑張らなかったなぁ」って。まぁ、頑張るほど好きなこともなかったってのもあるんですけど、それにしても、頑張ってる人間を横で見ているくらいだったので。「頑張ってることは素晴らしい」って、そりゃそうだけど、じゃあ頑張らなかった俺の学生時代って、何なんだろうなって思ってしまいました。すいませんね、何か。
 
 

凄い作品だとは思うけど【ダークナイト(IMAXリバイバル上映)】感想

ダークナイト

 
78点
 
 
 クリストファー・ノーランの大出世作。公開時には全世界から大絶賛が相次ぎ、その頃から「歴史的な傑作」とまで言われていた作品です。影響は絶大で、ノーランは本作で「『メメント』の一発屋」から、一気に「巨匠」の領域まで行った感がありますし、本作以後、「アメコミ映画」の在り方まで変えました。私の世代的には、本作からノーランに入った人間が多いと思います。私も高校生の時にBlu-rayで観て、その時は「凄い映画だなぁ」と思った記憶があります。今回、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が滞ってしまいスクリーンに空きがでたこと、そして9月18日に公開される『TENET』に合わせて、まさかのIMAXでのリバイバル上映が決定。初めて映画館で鑑賞しました。
 
 鑑賞してみると、実のところ、そこまで最高な気分にはなりませんでした。寧ろ、「あれ?こんなに粗がある作品だったけ?」と思ってしまったくらいで、少し驚きです。また、ノーランの他の作品も鑑賞してみると、本作はかなり奇跡的なマジックが重なり合ってできた作品であるということも分かりました。もちろん素晴らしい点はあるのですけど、気になる点もあったということで、その辺を書いていきたいと思います。

 

メメント [Blu-ray]

メメント [Blu-ray]

  • 発売日: 2010/12/22
  • メディア: Blu-ray
 

 

 まず素晴らしかったのは、ヒース・レジャー演じるジョーカーです。基本的に本作は彼で持ってる作品で、彼が出ているシーンは全てが良く、一挙手一投足が素晴らしい。彼の役割も「人間の善悪を揺さぶる」というもので、これはアラン・ムーア著の「キリングジョーク」のようだと思いました。彼はバットマンやデントとは違い、ルール無用の存在で、抽象的で、正体不明。「善悪を揺さぶる」概念のような存在で、だからこそ最強なのです。そしてこのようなテーマを扱っているが故に、「ダークナイト・トリロジー」の特徴である「リアル化」にも意味が生まれてきます。「映画内のこと」が「リアル化」によって、「現実」にいる我々とも共有され、我々の倫理観をも揺さぶってくるからです。これをさらに突き詰めたのが『ジョーカー』だと思うんですよね。
 
 そしてもう1つは「ゴッサムシティを主役にした」ことです。上述のように、本作のメインは「ジョーカーのゲームに、ゴッサムの市民はどう反応するのか」です。つまり、主役はバットマンでも、ジョーカーでもなく、市民なのですよね。これを最大限に活かすのに貢献しているのが、IMAXカメラです。ここぞというときにIMAXになるのですけど、空撮とかはバシッと街全体を見せます。これで「ゴッサム」という街が印象付けられ、本作に「特別な感じ」を抱かせます。
 
 更に素晴らしい点は、「バットマン」という作品を、『ヒート』のようなクライム・アクションにした点です。ノーラン自身が「参考にした」と言っているように、本作はバットマンとジョーカーの一騎討の話であり、実際に取調室でのシーンは『ヒート』でのアル・パチーノロバート・デ・ニーロみたいでした。というか、ノーランって、デビュー作の『フォロウィング』とか、『インソムニア』、『プレステージ』で、こういう「男と男の一騎討」みたいな作品を作ってるんですよね。本作はノーランがこれまで作ってきたこの手の作品の自己アップデート版なのだと思います。

 

ヒート 製作20周年記念版(2枚組) [Blu-ray]
 

 

 ただ、本作には気になる点もあって、まずは脚本ですよ。上映時間です。150分は長すぎ。後、ジョーカーのゲームがあまりにも上手くいきすぎだってことと、話の筋が回りくどいと感じました。更に、デントが悪墜ちする下りも唐突だったし、全体的に、「やりたいことをブチ込むための話作り」をしてんなぁってのが見えてしまいました。
 
 でも、これ、ノーラン作品の中ではどれも抱えている問題なんですよね。少なくとも本作以前は。それでも本作が素晴らしいと思えるのは、やはりテーマ的なものと、IMAXカメラという撮影、そしてヒース・レジャーが上手くはまったからなのかなと思います。この辺がマジックで、次の『ライジング』ではこれがかかっていなかった感があります(私は擁護したい派なんだけど)。以上ですかね。
 
 

 ノーラン作品たち。

inosuken.hatenablog.com

inosuken.hatenablog.com

 

我々を「不寛容」から解き放つ【その手に触れるまで】感想

その手に触れるまで

 
89点
 
 
 『少年と自転車』、『午後8時の訪問者』などの、ダルデンヌ兄弟最新作。実は私、本作が初のダルデンヌ兄弟作品です。ダルデンヌ兄弟の作品は前から観てみたいと思っていましたし、本作に関しても絶賛評を目にしたので、鑑賞しました。
 
 ダルデンヌ兄弟が今回題材としたのは、イスラム教の過激な思想に傾倒してしまった少年の姿でした。この手の作品だと、思想を「矯正」することを主眼としそうなものなのですけど、本作に関しては少し違いました。本作は、アメッド少年という、ただのゲーム好きの少年が如何にして過激な、排外的な思想にのめり込んだのかを、アメッドに寄り添う形で見せていく作品で、アメッド少年はもちろん、我々観客すらも「不寛容な思想」から解放させていく作品でした。
 
 「過激な思想に傾倒した人」と言えば、どこか「特別な人」と見てしまうことがあります。あくまでも、自分たちには関係ないと。しかし、本作で描かれているアメッド少年は、過激な思想に傾倒する前はただのゲーム好きな少年でした。そんな彼の姿を、本作では淡々と追っていきます。本作では、アメッド少年を「間違った存在」として断罪しません。あくまでもアメッド少年に寄り添っています。

 

少年と自転車 [DVD]

少年と自転車 [DVD]

  • 発売日: 2015/05/20
  • メディア: DVD
 

 

 彼が思想にハマる要素は複雑で、色々な理由がありますが、1つには幼く、未熟故の偏狭な世界観があります。13歳ですから、まだ世の中のことを知らないのは当然なのですが、それ故にネットにある伝道師動画を信じ、悪徳な伝道師に騙され、世界の見方をそれだけに固定させ、犯罪に走ってしまう。そして、自分が正しいと思っているから、他人に価値観を押し付け、それを悪いことだとは微塵も思わず、寧ろそれによって疎外感を強めていく(ルイーズの下りとか)という負のスパイラル。これは、イスラムの過激思想に限らず、世の中の排外的な思想や運動全体に繋がってくると思います。つまり、世の中を単純化し、「1つの正しい考え」に固執し、それ以外を拒絶するという。
 
 「固定」と言えば、本作のアメッド少年は、眼鏡をかけていて、犯罪に及ぶとき、それを固定しています。私にはそれが、彼の「偏狭な世界観」を表現しているように思えました。だからこそ、最後で転落して、眼鏡を失くしたとき、彼は初めて、世界を「自分の目で」見たのかもしれないと思いました。ならば、彼の本当の更生は、ここから始まるのだと思います。
 
 このように、本作は、1人の少年の姿を、断罪するのでも、批判的に描くのでもなく、淡々と描いた作品でした。そして、その姿を描くことで、不寛容な姿勢を生む構造を分析し、我々観客を不寛容から解き放つ作品だったと思います。
 
 

 不寛容つながり。

inosuken.hatenablog.com

 

 こちらは差別の歴史かなぁ。

inosuken.hatenablog.com

 

この世界への、怒りの表明【レ・ミゼラブル】感想

レ・ミゼラブル

 
94点
 
 
 昨年、カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞を『パラサイト 半地下の家族』と争い、アカデミー賞の国際長篇映画賞にノミネートされた作品。監督はフランスの若手であるラジ・リ監督。スパイク・リーが絶賛した映画であることと、上述のような実績から、興味はあったのですがなかなか時間が合わず、公開から3カ月近くたった6月にようやく鑑賞できました。
 
 タイトルの「レ・ミゼラブル」とは、もちろんヴィクトル・ユゴーの古典が元ネタです。作中でも、舞台が同じくモンフェルメイユですし、内容も「少年がちいさな盗みを働いたことがきっかけ」や、「警官に執拗に追い回される」という点で共通しています。そして内容自体も、「ミゼラブル」、つまり、「無情」なものでした。
 
 どう「無情」なのかと言えば、それは現代でも、階級の違いや人種の違いによって不信感や差別、偏見がまだ起こっているという点です。アメリカではジョージ・フロイトさんが不適切な拘束で死亡させられ抗議の声が高まり、BLM運動がここにきてまた大きくなってきています。本作の最後の行動のきっかけは警官の誤射であり、その映像を巡るやりとりがあるなど、現実世界とのリンクが凄いです。アメリカは多民族国家であり、人種間の差別や偏見が未だに無くならないわけですけど、それは世界的に見ても同じで、本作ではフランスにおける現状を描き出しています。
 本作はラジ・リ監督がドキュメンタリー畑出身ということもあり、ドキュメンタリー的な、そこに住んでいる人々をそのままの姿で捉えたような撮り方をしてます。後半30分くらいで一気に物語が動き出すのですが、それまではそこで生きている人々の中にある、爆発寸前の不信感や、怒りに満ちた日常を浮き彫りにしていきます。住民側にも社会階層や人種、宗教間で分断がありますし、中でも酷いのが警察。一番ひどいのが白人警官のクリスで、横暴な取り調べを強行し、器物破損、暴力を振りかざし、本作のヘイトを一身に集めています。
 
 これでは普通の善悪二元論的な作品(虐げられる市民VS悪徳警官)になりそうなところを、本作はそうしていません。悪徳警官であるクリスは、家庭では良き父、夫であるという姿が映されます。まぁ、あのシーンがあることで示されるのは、差別や横暴をしている人間は、「悪人」なのではなく、「普通の人である」という点だと思うのですが。さらに、新人のステファンという、第3者視点を用意し、彼が2人に働きかけることで、彼らの正義感に問いかけ、そして客観的に映画を観させてくれるようになっています。

 

ドゥ・ザ・ライト・シング (字幕版)

ドゥ・ザ・ライト・シング (字幕版)

  • 発売日: 2014/01/01
  • メディア: Prime Video
 

 

 宣伝でも言われているラスト30分ですが、そこで行われていることは、言ってしまえば暴動です。しかし、それまで散々警官の横暴を見せられているため、あの暴動は抑圧されていた側(=檻に入れられていたライオン)のどうしようもない社会、大人への意思表示と抵抗の形であり、同時に怒りの表明でもあります。この点で、本作はフランス版、そして現代版の『ドゥ・ザ・ライト・シング』であると思えるのです。ただ、問題なのは、あの作品は今から30年くらい前の映画だということです。現在でも、世界では分断がより可視化され、進んでいます。そここそが、「ミゼラブル(=無情)」な点だと思います。
 
 「レ・ミゼラブル」は、人類の希望の書とも言われています。本作の冒頭にあったような、2018年WCでフランスが優勝した瞬間のあのときのように、本来は皆は1つになる事も出来るのです。そこは希望なのかもしれませんが、そこに至るまではまだ遠い。本作と、そして世界で起こっていることを見るに、そう思わざるを得ませんでした。日本だって、見えていないだけで、こうした不満や怒りはそこかしこにあると思います。だからこそ、ラストの問いかけについて考えることはとても大切なのだと思います。
 
 

30年くらい前の映画だけど、内容の相似ぶりが凄い。

inosuken.hatenablog.com

 

 これも分断の映画。

inosuken.hatenablog.com

 

社会への告発【ルース・エドガー】感想

ルース・エドガー

 
88点
 
 
 「リスペクタビリティ・ポリティクス」という言葉があります。これは、「差別されないように模範的な行動をとる」ことを意味しています。近年、マイノリティへの差別・偏見を助長しないための配慮が盛んに行われ、BLM運動などからも、この風潮はさらに強まっています。そんな中で本作は、サスペンスという体裁を借り、「差別を克服する」ことはもちろん、克服しようとしている過程で生じている新たな問題(リスペクタビリティ・ポリティクス)に焦点を当てた良作でした。監督は『クローバーフィールドパラドックス』のジュリアス・オナー。例によって、存在を知ったのは公開直前で、前評判が良かったので鑑賞しました。

 

 

 本作のメインは、ルースとウィルソン先生という、2人の黒人の対立です。この対立から、現在のアメリカはもちろん、世界が抱えている問題を炙り出します。まず、ルースは「完璧な存在」です。文武両道で、裕福な白人家庭に引き取られ、過去のPTSDを克服し、将来を嘱望されているという、絵に描いたような完璧っぷり。しかし、彼がウィルソン先生に投稿した論文がきっかけで彼への疑念が生まれ、周囲を巻き込んでウィルソン先生と対峙していきます。本作が「サスペンス」であるのはまさしくこの点で、ルースの本心が分からない態度が輪をかけて、「優秀な学生が、実はソシオパスではないのか?」と観客は疑ってしまうのです。
 
 そしてこの視点を共有しているのが、ウィルソン先生と、ルースの両親、特にナオミ・ワッツ演じるエイミーです。ウィルソン先生を演じるのがこれまで「良い黒人」を演じてきたオクタヴィア・スペンサーであるという点も興味深い点で、「成功した黒人女性」という彼女のイメージが上手く役にハマっているのと、彼女自身の演技力で多面的な人物として描かれていました。彼女は「マイノリティの成功者」であり、それ故に苦労を知っています。だからデショーンも退学させたし、ルースを追い詰めようとします。彼女も、リスペクタビリティ・ポリティクスに囚われている人物と言えるのです。「成功者」であるが故に失敗を許さない彼女と、「成功が約束された者」であるけれども、この社会のおかしさに気がつき始めているルース。この2人を通して、世代間の対立が浮かび上がってきます。
 
 そして、そこにさらに「裕福な白人家庭」のエイミーの視点も組み込まれていきます。エイミーを演じているのはナオミ・ワッツで、夫役はティム・ロスという、『ファニーゲーム U.S.A』の夫婦なんですよね・・・ってのはどうでもいいとして、ルースの行動から、彼らの「リベラルな」価値観が揺さぶられていきます。ルースの行動から来る矛盾を上手く説明できないし、疑念は深まっていくばかりです。しかもエイミーは子どもが持てなかったらしき点も描かれていたりして、より複雑さが増してきます。つまり、ルースへの気持ちは、母親としての愛情なのか、リベラルな思想への執着なのか、裕福な白人家庭という罪悪感からなのか、もしくは全てなのか、分からなくなってくるのです。だから、最後に全てを知り、「共犯者」となった上で「母親」であろうとした姿が本当に切ない。

 

ファニーゲーム U.S.A. [DVD]

ファニーゲーム U.S.A. [DVD]

  • 発売日: 2009/06/26
  • メディア: DVD
 

 

 ただ、重要なのは、本作では具体的な「敵」はいないということ。問題なのは、どうしてこのような社会になってしまったのかということ。長い歴史が醸成してしまった差別や偏見の問題を克服しようとしたとき、新たな問題が別の形として生まれてきてしまっているという点を描いた作品なのです。「自由」であるためには、失敗は許されず、突出していなければならない。ラストのルースの疾走は、この窮屈な社会から逃げ出そうとしているように思えました。
 
 以上のように本作は、まさに「今」差別や偏見を克服しようとしている社会で起きている問題を真正面から捉えた、誠実な作品だったと思います。日本がポリティカル・コレクトネスがそこまで浸透していないうちから「行き過ぎたポリコレ」を問題視しているうちに、海外ではこういう映画を作っているんだなぁとも思いました。
 
 

2020年夏アニメ感想①【GREAT PRETENDER】 ※ネタバレあり

f:id:inosuken:20200823142228p:plain

 
☆☆☆☆(4.4/5.0)
 
 
 +Ultra枠の作品。『スティング』や、同じくフジテレビで放送されていたTVドラマ「コンフィデンスマンJP」と同じく、騙し合いを描いたコン・ゲームです。制作は「進撃の巨人」や「恋は雨上がりのように」のWIT STUDIO。監督は「鬼灯の冷徹」や「君の届け」の鏑木ひろさんで、キャラクターデザインはメインキャラは「新世紀エヴァンゲリオン」の貞本義行さん。そして何と言っても、脚本は「リーガルハイ」や「コンフィデンスマンJP」など、これまで実写作品を手掛けてきた古沢良太さんです。古沢さんの作品はとりあえずチェックするくらいにはファンですし、制作は信頼のWIT STUDIO。ここまで要素が揃えば「見る」以外の選択肢は無いので、NETFLIXにて先行配信で視聴しました。先行配信でも、まだCase4が配信されていないので厳密には終わっていない作品なのですが、今書かないと内容を忘れそうなので、とりあえずCase1~3の内容で感想を書いていきたいと思います。

 

コンフィデンスマンJP DVD-BOX

コンフィデンスマンJP DVD-BOX

  • 発売日: 2018/09/19
  • メディア: DVD
 

 

 Case1は、「どんでん返し」のサプライズの数は一番多い話。というのも、このCaseの中心人物は主人公のエダマメであるため。視聴者と同じく、ローランたちへの知識がゼロの状態であるため、次から次へと起こるどんでん返しに驚くことができるのです。ここではローラン達のメンバー紹介を兼ねているため、エダマメは何回も騙され、そして騙されるたびにローラン達の組織の全貌が分かってくるという作りになっています。まぁそれ故に後出しじゃんけん感が出てしまってはいますし、最後の方に至っては免疫が出てきて、だいたい予想がついてしまいますが。ちなみに一番驚き、満足度が高いのは第1話です。こういうのは最初が一番騙しやすいですからね。余談ですが、『スティング』だって、最初に一番騙されました。
 
 以上のように、Case1は「初見」であることを最大限に活かしてサプライズを用意しまくった回でした。しかし、Case2、3ではもうメンバーが分かっているので、同じようなどんでん返しは使えません。なので、Case2、3では『スティング』と同じように、「ケイパーもの」として、そしてキャラの面白さで見せていきます。具体的に言えば、メンバーと共に相手を騙すためにどのように準備して、成功へと導くのか、という下りを描いていきます。ただ、このケイパーものとしての内容は、作劇上仕方ないのでしょうけど、「しっかりと事前準備をした結果」というよりは、かなり運に頼った展開が多かったり、キャラが勝手な行動をしたりして、結果的には上手くいくのですけど、全体的には偶然に頼りすぎな印象です。特にCase3のシンシアとか、アレは危険すぎる行動だったなぁとか、Case2のアビーも、克服したから良いですが、あそこまで不安定で大丈夫なのかなとは思いました。しかし、キャラ回としては良くまとまっているなと思えるため、Case1とはまた違ったカタルシスがあります。
 そして本作はサプライズにプラスして、Case1毎にメインキャラそれぞれに焦点をあて、深掘りしていく構成をとっています。具体的には、Case1はエダマメ、Case2はアビーで、Case3はシンシアです。そして未だ配信も放送もされていないCase4では、ローランになると思われます。共通しているのは、Case毎に各キャラが自分の人生に1つの区切りをつける話だということです。エダマメは彼の過去から犯罪に走ってしまった過去を清算し、アビーは彼女の戦場でのトラウマと憎しみの克服、そしてシンシアは因縁の相手を騙し、元彼との関係に区切りをつけます。
 
 面白いなと思ったのは、エダマメとシンシアのエピソードです。両者とも、元は善良な「一般市民」であったのが、エダマメは父親が犯罪者だから定職にも就けず、母親が死んでしまったことで真の犯罪者になってしまいます。そしてシンシアは、彼女自身がというより、彼の元彼が生活と若干の承認欲求のために犯罪に走り、人生を棒に振ります。しかし、エダマメも元彼も、彼らがしてきたことが誰かを不幸にしていることを認識し、何とかそれを清算しようとするのです。シンシアはその清算に手を貸した感じです。このキャラ回が積み重ねられるため、見進めるごとにキャラに愛着が湧き、彼ら彼女らの活躍がもっと見たくなるあたりはさすがだなと思います。
 
 主題は「信用詐欺師」であるにもかかわらず、ドラマ的には、このように、「社会からあぶれてしまった人間の物語」なわけです。そして彼ら彼女らが、社会で悪事を以て「信用」を得て、荒稼ぎしている奴らを「騙して」、成敗する。本作にはそのような痛快さがあります。エダマメはまだ「善」の側につきたくてフワフワしている、視聴者に近い存在です。彼の物語はまだはっきり終わってはいませんし、ノーランの物語もまだ描かれていません。本作がどのような終わらせ方をするのか、そして何より、もっと彼らの活躍が見たいので、Case4はよ。
 

【Case4を見て】

 Case3までは楽しんで見ていましたが、Case4を見て、ちょっとどうなんだと思ってしまいました。確かに、話そのものは本作自体が本命を狙うための大仕掛けであり、全ての伏線が一気に回収されるものでした。そして同時に、本作に対して批評的な視線を加えて、本作にあった引っ掛かりを前面に押し出してきます。だから、エダマメの最後の台詞は本筋とは別の意味で痛快でした。
 
 しかし、そこからの処理が問題で、エダマメはやっぱり騙すことに協力してしまうんですよね。表明した怒りはそのままで。これ、父親がしたこととかは何も清算されていないし、エダマメにとっては嫌な話でしかないのではないでしょうか。何か、「良い話」感を出してましたけど、社会的には父親は犯罪者のままですし、母親は(多分真相を知っていたとはいえ)、結局父親の我儘に付き合って死んでいったわけですから。さらに、これまで騙してきた人間達とも仲良くなってるってどういうことだ。仲良くなって一緒にビジネスをしたからって、禍根が消えるわけではないだろう。あそこまでエダマメに言わせるなら、ローラン達に何かしらの報いはあっても良かったんじゃないかな。と、Case4を見て、少しモヤッとしてしまい、評価が下がりました。あ、でも「嫌な話を嫌な話として終わらせる」ということはある意味で誠実な態度ではあるのかな。