暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

社会への告発【ルース・エドガー】感想

ルース・エドガー

 
88点
 
 
 「リスペクタビリティ・ポリティクス」という言葉があります。これは、「差別されないように模範的な行動をとる」ことを意味しています。近年、マイノリティへの差別・偏見を助長しないための配慮が盛んに行われ、BLM運動などからも、この風潮はさらに強まっています。そんな中で本作は、サスペンスという体裁を借り、「差別を克服する」ことはもちろん、克服しようとしている過程で生じている新たな問題(リスペクタビリティ・ポリティクス)に焦点を当てた良作でした。監督は『クローバーフィールドパラドックス』のジュリアス・オナー。例によって、存在を知ったのは公開直前で、前評判が良かったので鑑賞しました。

 

 

 本作のメインは、ルースとウィルソン先生という、2人の黒人の対立です。この対立から、現在のアメリカはもちろん、世界が抱えている問題を炙り出します。まず、ルースは「完璧な存在」です。文武両道で、裕福な白人家庭に引き取られ、過去のPTSDを克服し、将来を嘱望されているという、絵に描いたような完璧っぷり。しかし、彼がウィルソン先生に投稿した論文がきっかけで彼への疑念が生まれ、周囲を巻き込んでウィルソン先生と対峙していきます。本作が「サスペンス」であるのはまさしくこの点で、ルースの本心が分からない態度が輪をかけて、「優秀な学生が、実はソシオパスではないのか?」と観客は疑ってしまうのです。
 
 そしてこの視点を共有しているのが、ウィルソン先生と、ルースの両親、特にナオミ・ワッツ演じるエイミーです。ウィルソン先生を演じるのがこれまで「良い黒人」を演じてきたオクタヴィア・スペンサーであるという点も興味深い点で、「成功した黒人女性」という彼女のイメージが上手く役にハマっているのと、彼女自身の演技力で多面的な人物として描かれていました。彼女は「マイノリティの成功者」であり、それ故に苦労を知っています。だからデショーンも退学させたし、ルースを追い詰めようとします。彼女も、リスペクタビリティ・ポリティクスに囚われている人物と言えるのです。「成功者」であるが故に失敗を許さない彼女と、「成功が約束された者」であるけれども、この社会のおかしさに気がつき始めているルース。この2人を通して、世代間の対立が浮かび上がってきます。
 
 そして、そこにさらに「裕福な白人家庭」のエイミーの視点も組み込まれていきます。エイミーを演じているのはナオミ・ワッツで、夫役はティム・ロスという、『ファニーゲーム U.S.A』の夫婦なんですよね・・・ってのはどうでもいいとして、ルースの行動から、彼らの「リベラルな」価値観が揺さぶられていきます。ルースの行動から来る矛盾を上手く説明できないし、疑念は深まっていくばかりです。しかもエイミーは子どもが持てなかったらしき点も描かれていたりして、より複雑さが増してきます。つまり、ルースへの気持ちは、母親としての愛情なのか、リベラルな思想への執着なのか、裕福な白人家庭という罪悪感からなのか、もしくは全てなのか、分からなくなってくるのです。だから、最後に全てを知り、「共犯者」となった上で「母親」であろうとした姿が本当に切ない。

 

ファニーゲーム U.S.A. [DVD]

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  • 発売日: 2009/06/26
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 ただ、重要なのは、本作では具体的な「敵」はいないということ。問題なのは、どうしてこのような社会になってしまったのかということ。長い歴史が醸成してしまった差別や偏見の問題を克服しようとしたとき、新たな問題が別の形として生まれてきてしまっているという点を描いた作品なのです。「自由」であるためには、失敗は許されず、突出していなければならない。ラストのルースの疾走は、この窮屈な社会から逃げ出そうとしているように思えました。
 
 以上のように本作は、まさに「今」差別や偏見を克服しようとしている社会で起きている問題を真正面から捉えた、誠実な作品だったと思います。日本がポリティカル・コレクトネスがそこまで浸透していないうちから「行き過ぎたポリコレ」を問題視しているうちに、海外ではこういう映画を作っているんだなぁとも思いました。