暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

良い点もあるが、致命的な演出の弱さが問題「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-(2023年版)」の感想

 

はじめに

 週刊少年ジャンプにて、1994年から1999年にかけて連載されていた原作をTVアニメ化。1996年から放送されたTVアニメ(以後、平成版)の続編ではなく、東京編から仕切り直してアニメ化されており、スタッフ、キャストは総入れ替えとなっている。制作は「はねバド!」や「東京卍リベンジャーズ」のライデンフィルム。監督は「ストレイク・ザ・ブラッド」の山本秀世、キャラクターデザインを「輪るピングドラム」などの西位輝美、シリーズ構成を倉田英之と黒崎薫が務める。尚、原作者の和月伸宏は監修としてガッツリ関わっている。
 
 私はリアルタイム世代ではないが、原作は大好きで、完全版で全巻揃えているし、CSでアニメシリーズは全て見ている(そう、あのとんでもない「新京都篇」も見ている)。そんな私なので、再アニメ化の報を聞いたときは純粋に嬉しかった。スタッフ総入れ替えで、しかも制作をライデンフィルムに変更して「東京編」から作り直すと聞いたときは少し不安にもなった。しかし、和月先生の全面監修があり、アニプレックスもかなり気合を入れてプロモーションしてるし、ライデンフィルムは凡庸な作品も多いけど、「はねバド!」と「よふかしのうた」、「無限の住人-IMMORTAL-」は良かったし、それに最近のジャンプアニメの勢いもあるので、一応期待はしていた。
 
 しかし、全話見終えた私の率直な感想を述べると、「特別酷いわけでもないが、特筆するほど良いわけでもない(微妙とも言う)」であった。原作者自らが監修したという原作の再構成は悪くないし、新キャストも熱演している。アクションも頑張っている。しかし、演出が圧倒的に弱く、実に味気ない出来になってしまっているのだ。この思いを誰かと共有したい・・・と思ってネットを漁ってても誰も話題にしてない。リアルでも見てる人がいない(話題作だけ見てる友人に話を振ったら、「え!?今、るろ剣やってるの!?」って反応で泣いた)。これはもう、私が記事を書くしかない!という使命感に駆られ、本記事を執筆した次第。ということで、本記事では、本作の「るろうに剣心」という作品のなかでの立ち位置を述べたうえで、良かった点、悪かった点を検討したいと考えている。
 

本作の立ち位置

 本作は、原作で言うところの東京編~京都編序盤(第一幕~第五十七幕)に、2012年に週刊少年ジャンプにて掲載された「第零幕」を加えて構成されている。連載と同時並行で放送されていた平成版はアニメオリジナルエピソードが多く、原作のエピソードでも大胆な改変が加えられていたが、本作は基本的に原作に忠実。ただし、本作は前述の通り、和月先生自らが監修して原作の補完、再構成を行っている。
 
 「るろうに剣心」はこれまで様々な媒体で展開されており、当然それぞれに独自のアレンジが加えられている。また、「第零幕」や志々雄の過去編である「裏幕」、セルフリメイク作である「キネマ版」など、和月先生自らが執筆したものもある。これらについて、和月先生は対談で「マルチバース」を例えに出し、全てがパラレルワールドで存在している、としている。この点で、本作は「るろうに剣心」の「2度目のアニメ化」であると同時に、「アニメ るろうに剣心-令和版-」とも言える、また新たな「マルチバース」に位置する作品なのだと思う(だから後年、『スパイダーバース』ならぬ『るろ剣バース』が作られる可能性も微レ存。いや、多分ない)。つまり本作は、厳密に言えば、「原作準拠」のアニメ化ではないのである。
 

良かった点

 本作の良かった点としては、まず、和月先生自らが監修した「原作の再構築」だと思う。原作の補完はもちろん、2-3話(原作二~四幕)のように大胆に構成を変えているところがあり、後年考えた設定なども盛り込まれていて、これまでのメディアミックスの設定を統合しようとしたことが伺える。また、再構成されたことで、週刊連載故にページ数の関係で描けなかった点や和月先生自身が描写不足と感じていた(であろう)点も補完され、逆に不要と感じた点は削られている。この取捨選択により、「るろうに剣心」が持つテーマが見えやすくなっていると思った。
 
 「るろうに剣心」という作品は、緋村剣心が人斬りと流浪人の狭間で揺れ動きながらも、「不殺」の信念のもと目の前に映る人々を護る物語で、その両者の危うさが常に描かれている。剣心が戦うのは、刃衛は自身のあり得たかもしれない未来であり、蒼紫は幕末の亡霊であり、雷十太では「強さ」に焦点が当てられていた。そして、満を持して出てくる斎藤との闘いで、自身の中の人斬りを自覚し、薫のもとを去っていく、という構成は、1つの結末としてとてもよくまとまっているし、よりくっきりしたと思う。
 
 また、アクションも頑張っている。そりゃ「鬼滅」や「呪術」のようなものを期待すると大きな肩透かしをくらうが、これに関してはあちらがおかしいのであり、TVアニメのアクションなどはこのくらいだろう。・・・うん、そう!このくらい!!特に、斬左編と黒笠編のアクションは中々良かったのではないだろうか。斎藤との闘いについては、正直、平成版とは勝負になっていないが・・・。細かいことを書くと、本作では剣戟の音が結構凝っていたりする。
 

悪い点

 以上、2点が本作の良い点。そしてここからは、「悪い点」である。本作に関しては、とにかく演出である。全体的に実に味気ない。ここからは、原作と、京都編の序盤に関しては平成版との比較をしつつ、検証していきたい。尚、ここからは内容が内容なので、個人的な感想がかなり入ってくるので、異論がある人もいると思うが、ご容赦願いたい。
 
 本作を見ていて感じるのは、どこか事務的な感じだ。普通、アニメなり映画なりを見ていれば、キャラに感情移入し、ストーリーに心を揺さぶられたりするもので、演出は視聴者をそう誘導する役割がある。本作に関してはあまりそれがなく、ストーリーだけが淡々と進んでいく。私はこの「誘導」が上手くいっていない印象を受けた。具体的に見ていく。
 

演出の弱さ(「十~十三話」を参考に)

 まず、第十話「動く理由」。終盤の恵を救出に行く直前のやり取り。友人を殺されたことで恵を助けることを拒んでいた左之助が、剣心に諭され彼女の救出を決める重要なシーン。左之助の心境の変化を十分描けていないと感じた。それは単純で、剣心に諭された後の左之助の表情のカット。原作では、背景を飛ばして左之助自身の色を消して表現していたが、本作では1カット、ハッとした表情を入れただけ。これでは「意味」は通じるが、視聴者に納得させるくらいのインパクトは無いと感じた。
 
 また、第十三話の「死闘の果て」で、恵が自死を決意し、左之助に止められる下り。剣心たちが入ってくる→恵が自死を決意の流れも今いち汲み取りづらくなっている。原作ではこの間に恵の表情を1コマ入れて、それによって、恵が安堵しつつも、剣心たちを危険にさらしたことを自覚したということを理解させる構成になっていたが、本作では恵の表情をカット。原作にあったこの流れが消えてしまった。後、同じく十三話の観柳への剣心怒りの一撃も、少し引いたカットでやってしまっていて、迫力がなく、「ちょっと強く殴っただけ」という印象になっている(平成版では背景を飛ばして、「特殊な一撃」を強調していた)。
 
 具体的には上記2点を挙げたが、本作は全体的に、キャラの表情のカットが入ったほうが良いと思われる個所で入っていなかったり、そうでなくても全体的に間が無かったり、もう1つ外連味を加えてもいいのでは?と思われたりして、原作にあった面白さが損なわれている。
 

平成版との比較(二十二話~二十四話)

 極めつけは第二十二話~二十四話。平成版でも傑作と言われているエピソードであるが、こちらに関しては、始めにも書いたが、比較するのも不憫になるレベルの差である。しかし、同じく「原作に準拠している」という点で、両者を比較することで、本作に足りない点が見えてくる。ここでは、剣心と斎藤の激闘を中心にして比較したい。
 
 平成版では、剣心が抜刀斎に戻っていく過程が丁寧に描写されている。髪がほどける、瞳の色が変わるなどの画的な描写を積み重ね、BGMがそれを盛り上げる。そして剣心の「次は貴様の首を飛ばす」という台詞でかかる予告編のBGM。あれで、もう取り返しのつかないところまで来てしまった、という悲壮感と、バトルものの高揚感を同時に感じられる。実に見事である。
 
 本作ではどうか。剣心が抜刀斎に立ち戻っていく過程は描かれはするものの、画的な変更点は剣心の目が微妙に鋭くなったのと、後は斉藤壮馬さんの熱演くらいで、平成版のように濃密な描写はされていない。つまり、また「意味は分かるが、納得はできない」という状態である。
 
 また、二十四話の薫との別れについても、平成版とは雲泥の差がある。平成版はそもそも、原作からアニメにするにあたって、原作から描写を追加し、薫の心情を丁寧に描いている。そしてクラシックをBGMにしたあの美しい別れに繋がり、我々の感情を掻き立てる。何度見ても見事だと思う。平成版は全体的に、漫画からアニメにするにあたり、どのようにすれば原作のエッセンスを表現できるのか、を十分に検討した形跡がある。
 
 しかし、本作は、そもそも原作通りではあるものの、薫の心情の積み重ねがまるでできておらず、しかもBGMに主題歌をかけるという、申し訳ないが、あまりにも愚かしい演出がなされている。馬鹿か。
 
 他にも、平成版で斎藤が神谷道場に入るシーンで「敷居をまたぐ」ことが強調されていたのに対し、本作ではそういうカットがまるで無いから「侵入」感が無いとか、左之助との闘いで斎藤はしゃがんでいるが、仕込み刀を背中に隠してるのにどうやってるんだとか(平成版では中腰)、つーか、斎藤の牙突、柄尻持ってないじゃん!とか、剣心が自分を殴って流浪人に戻るシーンも、合間に薫たちや、拳のカットとかを入れた方がいいのに(平成版では入れていた)、割ってないから今いち伝わりづらいとか、時代考証とかは頑張っているのだろうが、それ以外の、根本的な、演出的なところが全然弱い。
 

悪い点 総括

 演出とは、視聴者を誘導することである。そのために、カットとカットをどう繋げるか、そして、BGMや色彩、カメラワーク、アニメーターによる作画を如何に行うかを計算し、組み立てていくものだと思う。平成版はこの点がかなり周到に行われていた。しかし、本作は、上述のように、漫画をアニメにするにあたり平成版ほど考慮を重ねた様子があまりうかがえず、結果、描かれることが「情報」でしかなくなっている。本来は、そこにキャラクターの感情の変化などを汲み取らせるために、合間にカットを繋ぐ、エフェクトなり音楽なりを加えるなどするものだが、本作は悪い意味で「情報」として必要なカット、演出のみで、それ故に「淡々としている」という印象になってしまうのだと思う。
 
 また、ライデンフィルムの地力の面でもキツかったのだろうと思える箇所がある。本作では監督の方針で日常のシーンではカットをあまり割っていないのだが、レイアウトが凡庸で、キャラも基本的に立って会話してるだけだったり、作画的にも平凡なものが多く、結果、演出の弱さを助長する結果になっている。敢えてラーメンに例えるならば、平成版は様々なトッピングを施した濃厚こってりラーメンで、本作は「るろうに剣心」という商品の名前は分かるが、トッピングはなされておらず、しかも大して味がしない薄味ラーメンという感じである。
 

終わりに

 以上、拙いながら、2023年版の「るろうに剣心」についての考察を行った。既に京都編のアニメ化が決定しているわけだが、過度な期待はしない。東京編でこの程度ならば、京都編もたかが知れている。いちおう見るが、平成版でも傑作である京都編に並ぶのは不可能だろう。というか、京都編は平成版と比べて、「原作準拠」という最大のアドバンテージが無くなってしまうので、より比べられてしまうと思う。この言葉を撤回させてほしいと思っているが、繰り返すが、期待はしない。以上である。
 
参考記事