暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

戦争を体感する映画【ダンケルク】感想

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 79点

 

 冒頭、少年たちが街中を彷徨っている。街には人っ子1人いない。空からは「降伏せよ」と書かれた紙が降ってくる。少年たちが途方に暮れていると、突然、銃声が響いた。狙撃されているようだ。敵は見えない。ただただ音が聞こえる。少年たちは必死になって逃げるも、1人、また1人と凶弾に倒れていく。必死になって味方のバリケードにたどり着き、奥にさらに逃げていくと、そこは海岸だった。そしてそこには何十人という軍人が、ただただなす術もなく佇んでいたのである。

 

 冒頭からこんな感じです。このように今作は、「戦争を当事者として体験する」映画でした。なので、鑑賞の際には、臨場感を高めるために、IMAXがいいと思います。

 

 ノーランは、我々をこの映画に放り込むために、いくつかの要素を入れて映画を作りました。

 

 1つ目が「俯瞰的視点の排除」です。映画は基本的に、観客が俯瞰してキャラや事件を楽しむものです。本作には、この「俯瞰的視点」が排除され、観客を映画の中に放り込みます。今作は我々に何の情報も与えず、我々をいきなり映画の中に放り込んでいきます。それは文字通りの意味で、観客は登場人物たちが知る以上の状況が分からず、登場人物と共に事態に翻弄されます。

 

 この作り方は臨場感を出すと同時に、上手い作り方でもあります。戦争映画はまず、モノをそろえるのが大変です。しかもこのノーランは「CG嫌い」で、実物を使いたがります。そうなると、製作費は莫大なものになるし、企画自体がオジャンになるかもしれません。しかし、「限られた視点」ならば、限られた物しかいらないわけですから、上手く作れるわけです。

 

 そしてこの「本物を使った」ことも要素の内にあります。2つ目はこれに関連した、「画面の力」です。本作の撮影は65mフィルムとIMAXカメラで撮られているそうです。そこからくる徹底的に決まった画面が、映画に臨場感をもたらしています。

 

 そして3つ目は「音の力」です。本作は、音が映画を支配しています。常に流れる時計の針が進むような音。それが登場人物たちの焦り、不安を表し、我々をその心境に放り込みます。なので、観ている間、常に不安に襲われます。

 

 大きくこの3つの要素によって、今作は「体験映画」として成り立っていると思います。

 

 また、本作は「戦争映画」として特異な作品だと思います。その理由は2つです。1つは「撤退戦」だということ。2つ目は、「戦争の悲惨さを訴える」的な内容でなく、純粋にエンターテイメントだということです。

 戦争映画だと、大抵、結果は勝つか負けるかのどちらかです。勝ってプロパガンダに利用されることもありますし、純粋にアクション娯楽作として描かれることもあります。一方、敗戦を描いて、戦争の矛盾だったりを描くこともあります。このように、戦争映画は、終始イデオロギーとセットで描かれることが多かったと思います。

 

 しかし、今作は撤退戦を描いています。そして、そこには上述のようなイデオロギーがあまり感じられません。あるのは、イデオロギーとは無縁(と個人的には感じた)なダンケルク・スピリットですし、「生き残る」カタルシスです。

 

 ラスト、生き残った少年兵が列車で故郷についたとき、これまで我々の神経を張り詰めさせていた音が止みます。それは戦場から解き放たれた瞬間です。それと共に、国民の「生き残ったこと」に対する祝福があるのです。ここに小さな感動とカタルシスがあります。

 

 今作の白眉は、このように既存の「映画」の概念を崩し、再構築したところにあると思います。そしてそこには、従来の戦争映画とは離れたエンターテイメントがあったと思います。