暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

世界が持つ二面性【アス】感想 ※ネタバレあり

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93点

 

 

 前作『ゲット・アウト』が低予算ながらサプライズ・ヒットを飛ばし、更にはアカデミー賞脚本賞を獲得してみせた新進気鋭の監督、ジョーダン・ピール。今や映画界で最も注目されているであろう彼の、監督第2作です。私は前作『ゲット・アウト』は観ていて、大変楽しめましたし、こういう才能ある監督の作品をリアルタイムで追っていけることは今に生きている人間の特権だろうと思ったので、今回鑑賞した次第です。

 

 鑑賞してみると、後半は前作にもあったトンデモ展開が世界規模で繰り広げられるので、そこが気になると微妙な感じになります。しかし、前半のホラー展開は完璧であり、後半のトンデモも作品のメッセージの具現化として受け入れることができなくもないので、私は総合的には大変楽しめました。

 

 

 序盤からもうセンス抜群で最高です。冒頭は幸せな家庭を築いているウィルソン一家が映されます。そこからは、彼らの幸せな日常が続きます。それは一点の曇りもない理想の家庭です。しかし、そこには終始、どこか落ち着かない不穏な空気が漂っています。アデレードは常に「何か」に脅えているのです。そしてその不穏な空気と恐怖が「自分たち自身」として現れ、現実となってしまったとき、最悪の悪夢が襲います。家に押し入られてからの展開は若干『ファニー・ゲーム』っぽい感じです。

 

 ミヒャエル・ハネケは、『ファニー・ゲーム』に関して、「憤慨させるために作った」と言っています。確かに、家にいきなり見知らぬ人間が押し入ってきて、支配し、暴力を振るうという展開は、誰もが恐怖している事です。監督のジョーダン・ピールは、裕福な家庭に生まれながらも、幼い頃は「自分と同じ顔を持つ人間に生活を乗っ取られるのではないか?」という恐怖を常に感じていたと言います。本作はその恐怖に加えて、それを行うのが「自分とそっくり」なドッペルゲンガーであるという不気味さまで加わっているわけです。しかも撮影監督はM・ナイト・シャマラン、デビット・ロバート・ミッチェル作品を手掛けたマイケル・ジオラキス。これで怖くないわけはない。

 

 このドッペルゲンガーが襲ってくるというストーリーには、もちろん監督の意図が表れています。それは作中で何度か示される二面性。具体的には、貧困と人間、そしてアメリカという巨大国家です。

 

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 ドッペルゲンガー達は、裕福な自分たちが、「貧困になった場合」の存在であり、「今、裕福な暮らしをしている自分たちがいる一方で、貧困にあえいでいる人たちがいる」という二面性を象徴する存在でもあります。冒頭に映されるのは、TVに流れるチャリティーイベント、「ハンズ・アクロス・アメリカ」です。ウィルソン一家のドッペルゲンガー達は、このイベントよろしく、手を繋いで現れます。それはまるで、「自分たちを救ってくれなかった」裕福な人間達への復讐の意志表示のようです。こうして観ると、本作は、「持たざる者たち」として仕組まれた人間が、「持てる者」へ復讐する話と言えます。

 

 このような「乗っ取り」に対して、ウィルソン一家は血みどろの戦いを繰り広げます。この点は実を言うと痛快に感じてしまうところです。特にゾーラがゴルフクラブを握った時の興奮は半端ない。しかし、ここでもう1つの二面性が明らかにされます。それは、「人間は自分の生活を護るためなら、何だってする」ということ。ドッペルゲンガーの撃退は観ていて痛快ですが、状況を考えれば、貧困層の革命を富裕層が力によって封じ込めているわけですし。まぁ、この点は襲ってきたアイツらが悪いんですけど、しかし、これによって、上述の構造が鮮明になり、この世界の二面性が明らかにされます。

 

 ラストにはここまでぼかし気味だった、アデレードの正体が明らかになり、正体を察したジェイソンがお面を被ります。そこから、私は非常に奇妙な気持ちに襲われました。つまり、「もうこの家族は、乗っ取られているのでは?」という不安感です。これはジョーダン・ピールが子どもの頃に感じていた恐怖そのままなのだと思います。

 

 本作には欠点もあります。後半の展開が世界規模になっているからトンデモ感が強調されてしまったとか、全体的に「メッセージありき」で映画が作られているため、示唆的過ぎるなどです。しかし、本作は『ゲット・アウト』と比べて、格段に洗練さているため、そこまで気にはならず、楽しむことができました。

 

 

監督前作。こちらも面白かったです。

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 撮影監督が同じ。

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寓意性に富む秀作【ディリリとパリの時間旅行】感想

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80点

 

 

 『プリンス&プリンセス』「キリクと魔女』などを制作した、フランスのアニメーション界の巨匠、ミッシェル・オスロ。彼の最新作です。都内の映画館に行くと度々目にしましたし、そういえばミッシェル・オスロ監督の作品は観たことがないので、新作で観たい映画が無いことも重なり、今回鑑賞した次第です。

 

 鑑賞して驚くのはそのアニメーション。キャラクターのデザインが、日本的な手描き全開で、情報量が多いアニメーションではなく、かと言ってディズニー、ピクサーのような極めて精巧なCGと言うわけでもなく、フラットで、光と影もなく、極端なまでに簡略化されています。それは動きも同じで、本作の中のキャラクターの動きは、上記2つと比べると、非常に簡単な動きしかしません。そしてさらに驚くべきはその背景。何と、実際のパリの写真を使っているのです。つまり本作は、実際のパリの写真を背景に、簡略化されたキャラクターが活躍するというものになっているのです。

 

 日本、ディズニー、ピクサーのアニメーションに観慣れている身としては、最初は戸惑います。しかし、鑑賞するにしたがってこの違和感は薄れていき、途中からはすっかりキャラクターを実際に「生きた」存在として、感情移入して観てしまっているのです。監督はこのようなことを言っています。「リアルな3Dは夢を見ることができない」と。「リアル」を追求するのではなく、アニメーションとして、敢えて簡略化したキャラクターデザインを用いることで、観客に想像の余地を残し、それが逆説的に彼らを「生きた」存在にしているということですか。

 

 現在、NHKでは「なつぞら」が放送中ですが、確かに、あの時代の東映動画の作品は、簡略化されたデザインでした。そしてそれ故に、多彩な動きができ、生命を宿らせることができていたと思います。ならば、本作は、由緒正しい意味での、「アニメーション」なのかなと思います。

 

「なつぞら」のアニメーション資料集[オープニングタイトル編](小冊子)
 

 

 ストーリーも非常に簡単なもので、ディリリという才女が、パリにはびこる「男性支配団」に仲間と共に立ち向かうというもの。鑑賞していて、主人公が少女である点、物語が非常に寓意性に富んでいる点で、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出しました。

 

 本作の男性支配団とは、読んで字の如し、男性優位思想のメタファーです。それが象徴的に出ているのが、女性を小さい頃から「椅子」として教育している点。昔より、どの国でも、女性の役割は家事とか育児であり、男性を支えるものであるとされていました。今では大分風向きは変わってきましたが、根強く残っている考え方だと思います。本作の「椅子」は、こういった「女性は男性を支えるものである」ことを社会ぐるみで教育しようとしたことのメタファーなのでしょう。だから、一度掴まったディリリが、自らの意志で脱出する姿に胸をうたれるわけです。

 

 本作はそこに明確に「ノン」と言うわけです。そしてその代わりに子供たちに教えるべきは何か?まで示しています。劇中では、数多くの文化、芸術の偉人が出てきます。そしてディリリは、彼ら彼女らの名前をメモをし、記憶していきます。子どもには可能性があり、そんな彼ら彼女らに対して教えるべきは、男尊女卑思想ではなく、豊かな文化なのだ、と言っているのです。

 

キリクと魔女 [DVD]

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 以上のように、非常に知的なメッセージ性を持っている作品ですが、作品全体の知性も素晴らしいと思います。作中の敵対構造を単純に「男VS女」にせず、男性支配団の連中を「哀れな思想に憑りつかれた人」とし、ディリリに協力的な男性も多く登場させてバランスをとっています。中でも印象的なのはルブフ。最初こそ、ディリリを「豚」などと呼び、女性の下で働くことに不満を覚えていましたが、男性支配団の思想を知るや明確に反対の意思表示をし、ディリリに協力します。このようなことを、「バランスとり」としてやっているのではなく、自然な流れでやってのけている点は素晴らしいなと。

 

 また、実際のパリの写真を使うことで、この問題が「今」と地続きであることを強調していますし、観客をベル・エポックの時代のパリにタイムスリップさせることに成功しています。時間旅行をしていたのは、観客だったのね。この辺も知的だなぁと。

 

 以上のように、簡素なアニメーションとストーリーにより、現代にも通じることを見事に描き切った作品でした。さらに、最近の情報過多な作品に慣れ切った私としては、「アニメーションって、こんなに簡素で良いんだ」と思わせられる作品でした。

 

 

寓意的なアニメーション作品。

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 日本代表で。

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物語の中で、彼らは生き続けている。タランティーノの愛に泣きました【ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド】感想

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95点

 

 

 クエンティン・タランティーノ監督、通算9作目(『キル・ビル』を2作で1作とカウントした場合)の作品。告白しますと、実は私はタランティーノ作品はそこまで映画館で観たことはありません。観たことがあるのはまさかの『ジャンゴ 繋がれざる者』1作のみ。『ヘイトフル・エイト』のときは、映画にどっぷり浸かる前の時期だったこともあり、スルーしちゃったんですよね。そんなわけで、本作は私が映画に浸かってから初めて映画館で鑑賞するタランティーノ作品なわけです。なので、どうせならとまだ観ていなかった過去作を全て鑑賞して、本作を鑑賞した次第です。


 本作を観て驚くことは、ストーリーが無いこと。予告でも言われている、ラスト13分で起こる事件以外は、リックとクリフ、そしてシャロンのハリウッドでの日常を映しているだけで、ヤマもオチもありません。本作では、この点で3者3様の生活を同時進行的に見せるという、タランティーノの脚本力が発揮されています。

 

 
 このリックとクリフ、そしてシャロンをそれぞれ演じるレオ、ブラピ、マーゴット・ロビーが素晴らしい。レオは「旬が過ぎたスター」という自虐ネタとも見えなくもない役をヘタレ感満載で好演していました。個人的に、悲願のアカデミー賞を獲得したせいか、演技にそこまで力が入ってない感じがして、そこも感慨深かったなぁと。また、ブラピは冴えない日々を送っていながらも、リックと支えるスタントマン、クリフを好演。本作イチのイケメンであり、彼の役柄では、ここ数年ではベスト級のカッコよさでした。さらに、近年活躍が目覚ましいマーゴット・ロビーは、素の顔が本物のシャロン・テートに似ていることもあり、見事にシャロン・テートを演じ、彼女を「生きた」存在にしています。

 このような非常に魅力的な人物が日常を過ごしているので、ストーリーに起伏が無くても、寧ろそれが功を奏し、「何時間でも観ていたい」と思わせてくれる作品になっていました。しかし、そこはやっぱりタランティーノですから。もちろんそれだけではなく、本作にはタランティーノの「願い」と「愛」が込められていて、私はそこに涙しました。


 その「願い」とは、シャロン・テートを「生きた」存在にすること。各種インタビューでもタランティーノは語っているのですが、シャロン・テートという女優は、女優としてではなく、マンソン事件の被害者として、若しくはロマン・ポランスキーの妻としてしか認識されていません。私もそうでした。タランティーノはこの点を踏まえて、映画の中で、マンソン事件を回避させ、彼女が生存したifルートを作り出します。そして同時に、シャロンの日常を描くことで、彼女を1人の役者として観客の頭の中に刻み込ませ、物語の中で「生」を与えたのです。

 

文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)

文庫 ファミリー上: シャロン・テート殺人事件 (草思社文庫)

 

 
 そしてこの点はリックとクリフにも当てはまります。それがタランティーノの愛です。リックとクリフは架空の人物ですが、もし実在していたとしても、確実に映画の歴史には残らなかったでしょう。少なくとも私のような若輩者は全く知らない、それこそ、タランティーノレベルの人間しか知らない映画人だったと思います。そしてそのような人間は、大勢いたのです。本作は、そんな「歴史に埋もれてしまった」映画人達をも我々観客の中に「生きた」存在として残す映画でした。


 特に感動的なのが、終盤での、マンソン・ファミリーの心変わりのシーン。あそこは、犯行直前にリックが彼らにクレームをつけたことから始まります。そして、リックを認識したファミリーの1人はリックの存在を知っていて、彼が主演したTVドラマのファンだったことが明らかになります。リックは「もうどうしようもないよ、俺のことなんて誰も覚えてないしさ」と言いますが、覚えている人間がいたのです。しかも、それが歴史を変えるきっかけになるのです。これは泣けますよ。そしてファミリー襲撃事件では、「危ないことを引き受ける」スタント・ダブルであるクリフがファミリー撃退を引き受けます。こうしてファミリーは撃退され、シャロン邸の門をくぐったのは、リックでした。


 この「歴史に埋もれた人々を救済する」点は、タランティーノの経歴を辿れば、至極自然な着地で、同時に集大成にふさわしいものです。彼は自身の作品で、彼が愛した、歴史に埋もれてしまったB級、C級の映画たちをサンプリングした作品ばかり作っていました。そんな彼が一応の「引退作」として制作した本作は、B級、C級、そして歴史に埋もれてしまった映画そのものの話でした。彼の幕引きとしては、これ以上のものはありません。


 リック・ダルトン、クリフ・ブース、シャロン・テート、そして、本作に出てきた全てのハリウッド映画人たち。彼らはまさに本作の中で生きていたし、これからも物語の中で生き続けていくのだろう。そんなことを考えた作品でした。

 

 

タランティーノ出世作

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 LA映画繋がり。

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事なかれ主義は破滅への第1歩【隣の影】感想

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87点

 

 

 アイスランド発の映画。ぴあの水先案内で私が信頼している案内人が推薦していたので興味が湧きました。ただ、公開規模が小さいということがあり、時間の関係で中々観に行けず、公開からしばらく経ってしまったのですが、夏休み中にちょうど観られるタイミングができたので、鑑賞した次第です。

 

 本作は、我々も日常的に暮らしているような平凡な住宅地を舞台にしたご近所トラブル映画で、非常に小規模な作品です。しかし、それであるが故に本作で起きていることが他人事のように感じられず、観ている間、終始緊張しっぱなしで、胃がヒリヒリと痛む作品でした。

 

 全ては、隣の家から「邪魔だから木を少しだけ切ってほしい」とお願いされていた家族が、中々要求に応じなかったことが発端です。この木がある家には老夫婦が住んでいて、途中から主人公である次男が帰ってきます。この次男は元カノとのSEX映像を使って自慰をしていたところを奥さんに見つかってしまって、家を追い出されていて、緊急避難として実家に戻ってきているのです。この自慰がバレるシーンに代表されるように、本作には、笑いに至るまでそこかしこに監督の意地悪な性根が見えています。

 

 最初こそ、些細なことでした。普通の大人ならば、ここは大人の対応をしましょうやと、話し合って妥協点を見出すはずです。しかし、木を植えている隣家、特に老婦人は違いました。長男が失踪していることで「これ以上何も失いたくない」と思っているのか、頑なに隣家の要求を拒みます。そしてある日、家の車がパンクしたことを機に、隣家への疑いを強めていくのです。ちなみに、このパンクは最後に至るまで誰の仕業かは分かりません。ここも不気味な点です。それはエスカレートしていき、家に監視カメラを設置し、庭を荒らすなど、隣家への嫌がらせを強めていきます。そして「猫が消えた」ことで、老婦人は人間としての一線を越えます。この行いにはドン引きしました。これにより、まだ大人で、老婦人への横暴にもイライラを募らせつつも、耐えていた隣家も報復をし、そこからはもう取り返しのつかない大惨事を生みます。

 

 何故こんなことになったのか?それは簡単で、互いが互いのエゴを剥き出しにたから。それは彼らと対比的に描かれる主人公とその奥さんによって強調されます。彼らは、紆余曲折ありましたが、きちんと互いに理解をし、「大人の対応」をするのです。まぁ、この和解の後に惨劇が起こってしまうので、監督は意地が悪すぎるなと。

 

 そして、もう1つの問題点があって、それは老夫婦の夫です。彼は明らかにおかしくなっていっている老婦人に対して、特に何をするでもなく、ひたすらに事なかれ主義を貫きます。ようやく行動をしたと思ったらまさかの逆ギレで、惨劇を広げてしまいます。彼は別に分かっていないわけではありません。劇中では、「話し合いをしなければならない」と主人公にアドバイスをします。そう、彼は「分かっているくせに行動していない」という一番たちが悪い人間なのです。だからこそ、最後の惨劇の責任転嫁をすることでしか自分を正当化できないのです。

 

 ラストの「帰還」も含めて、極めて露悪的で、意地の悪い映画でした。そのヒリヒリ感が最高であったのですけど。

 

 

正反対の日常礼賛映画。

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 同じく隣人映画。

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【本屋が好きという話】

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 私は読書を趣味としています。読む冊数は少ないと思いますが、本を読むのは楽しい。その理由については以前、別の記事で書きました。

 

 しかし私は、本と同じくらいに、本屋に行く事が好きです。本を買うならAmazonとか通販があるじゃないか、と思われるかと思います。確かにそうです。ただ「買う」だけならばネット通販だけでいい。ただ私は、本を買うときは可能な限り実際に本屋へ足を運ぶようにしています。それには気に入らない状態の本を買いたくないというのもあるのだけど、それ以上に私は、本屋という空間が好きなのです。

 

inosuken.hatenablog.com

 

 まず、見渡す限り本しかないという室内の状況が良い。個人的には精神的にとても落ち着きます。これには図書館も該当しています。そしてこの大量の本の中から、目当ての本を見つけるまでが楽しいのです。確かに、通販ならば探している本を1発で見つけることが可能です。しかし、本屋の中で探すということは、(検索機を使わない限り)中々見つからないものです。普通の人ならばイライラが募るかと思いますが、私の場合はワクワクします。何故ならその捜索の過程で、私にとって、ノーマークだった本を多く見つけることができるからです。「今、世の中ではこんな本が出てるのか」と世の中の潮流を知ることができますし、稀なケースですが、購入に至ることもあります(=ジャケ買い)そしてその本が良書の場合、得した気分になったりします。

 

 また、本屋毎の陳列も見所の1つ。各々がそこで働いている店員さんの創意工夫を凝らして作り上げている本棚は、書店毎にバリエーションがあって、それを見ているだけでも楽しかったりします。しかも、その陳列には、その書店や出版社が、今推したい本が強調されるものになっているので、この分かりやすさも良い。

 

 そしてそういう本を実際に手に取ってみる。ここがとても重要で、装丁や紙に表れる作り手達の気合いの入りようが本の重みとともに伝わってくるわけです。このような作り手達の気合いは、ネットの画面越しでは伝わりづらいものだと思います。つまり、本屋に足を伸ばすと、ネットでは伝わりにくい生の情報が伝わってくるわけです。

 

 まぁここまで色々書きましたけど、要は本が好きなんですね、私は。だから本屋に行って、実際に本をこの手に取ることに楽しみを見出だしているのでしょう。だから、本屋が潰れると私困るんですよね。実際に触れなくなるから。本屋で本を買う1番の理由はこれ。それでは。

NETFLIXアニメ【ULTRAMAN】感想

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 「ウルトラマン」に関しては、私はそこまで熱心に追っているわけではありません。平成生まれである私にとっては、「ウルトラマン」とは平成の三巨人であり、昭和のシリーズで曲がりなりにもきちんと見たのは「ウルトラマン」と続く「ウルトラセブン」くらいです。しかも、平成のウルトラシリーズですら、「ネクサス」で止まっていて、それ以降は全く見ていません。

 

 そんな私が何故本作を視聴しようと思ったのかというと、それは純粋に、監督がファンである神山健治さんだったから。しかも共同で同じく監督を務めるのは『APPLE SEED』の荒牧伸志さんで、制作はProduction.I.G。これ程私の中でストライクな要素が並べば、視聴したくなるもんです。見たのは大分前ですけど、「ウルトラマン」も見ているし、今回視聴した次第です。

 

 簡単に結論を書くと、とても面白かったです。「ウルトラマンがM78星雲に帰った後の世界」という設定でありながら、きちんと「今の時代のヒーローもの」として作られていたと思います。

 

ULTRAMAN1(ヒーローズコミックス)

ULTRAMAN1(ヒーローズコミックス)

 

 

 「ウルトラマン」では、ウルトラマンという存在は日米安保の比喩であり、最後の敵であるゼットンを科特隊が自力で倒すことが日本の独立と重ねられていた、という話は有名だと思います。その点で言えば、本作の科特隊は自分達の技術力であそこまでの兵器を作れたわけですから、「その後」の世界としては妥当なところだなぁと思いました。

 

 本作は「ウルトラマン」の続編でありながら、決定的に違う点があります。それは、ウルトラマンに変身する人間が巨大化しないという点。その代わりとして、アイアンマンよろしくスーツを装着して戦います。この設定の変更により、本作はその通りヒーロー達の等身大のドラマを描いていました。私は最近のウルトラシリーズを見ていないのですが、ヒーロー達、特に主人公が悩み、成長し、「ヒーロー」になっていくという内容は、どことなく「平成仮面ライダー」を彷彿とさせます。今のウルトラマンもそうなのかな。

 

 とにかく、本作で描かれていたことは、主人公、進次郎がウルトラマンとして「戦う意義」を見つけるまでを描いていました。進次郎は、最初は生まれ持った超パワーを持て余しているだけで、戦う理由も承認欲求でした。そんな彼が様々なウルトラマンと出会い、宇宙人との戦いの中で自らの戦う理由を見つけるという話は、少なくとも初代ウルトラマンには見られなかった内容で、近年のヒーローものの定番なのではないかと思います。この点で、私は、本作はより現代的なヒーロー物語になっているなと思いました。

 

 

 ストーリー以外で注目されるのは、3DCGである点。本作のウルトラマンはメタリックな装備なので、3DCGにしたことにより、その硬さの質感がよく出ていました。また、モーション・キャプチャーを採用しており、基本的に動きがリアル寄りです。それはアクション・シーンでも同じで、戦闘スタイルが現実の動きに即した体術のようなものが基本です。この点は、元々が特撮であるということを鑑みれば、納得のいくものでした。しかし、一から十までそうなのではなく、アニメーターが描いたというアニメ的なダイナミックなものもあります。それに加えて、3DCGを最大限活かしたカメラワークも上手く使えています。つまり、本作は3DCG的な強みと、アニメーション的な強みが上手く融合している作品と言えます。

 

 未完の作品ということで、確かにストーリー的には消化不良な点もあります。しかし、本作では進次郎が「ウルトラマン」として自覚を持ち、ヒーローになるまでを描いていました。これはこれで、「ヒーローのオリジン」の物語としてまとまりがいいので、私は先日制作が発表された2期に期待したいと思います。

 

 

 同じく特撮作品のアニメ化作品。

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 同じようなヒーロー。

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自分を解放するミュージカル【ダンス・ウィズ・ミー】感想

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76点

 

 

 矢口史靖監督最新作。私は矢口監督の作品は映画をよく観るようになる前から観ていて、そのおかげで『ロボジー』以外は監督作は全て観ています。平均して面白い作品を送り出してくれている方なのですが、直近の2本は個人的にはどストライクに素晴らしい作品だったので、より期待値は高まるというものです。

 

 鑑賞してみると、直近の2作ほど「素晴らしい!」とは思わなかったものの、まぁ料金分の面白さはあったかなぁと思えるくらいには楽しめました。

 

 本作は「ミュージカル映画」と謳っていますが、その内実は少し違っていて、正確には「メタ・ミュージカル」と言った方が正しいのではないかと思います。ミュージカル映画を観ていて、誰もが「変じゃね」と思う、「突然踊りだす」という映画的な演出を、もし現実でやったら?ということを実践しているからです。

 

 ミュージカルというのは、そもそも非常に映画的なジャンルだと思います。劇中の登場人物の心情を歌とシンクロさせ、心の解放を踊りで表現しています。だから劇中の踊りは基本的には心情表現であり、現実に起こっている事ではありません。しかし、普通のドラマをやっていると思ったら急に主人公が歌い出し、周りもノリノリであるため、そこに乗れない人がいるのも分かります。普通に考えたらおかしいし。

 

 本作はそこに切り込んでいるわけです。主人公の静香(三吉彩花)が躍り出す理由を「催眠術のせい」にして、ミュージカルの違和感を無くしています。この最初に踊りだすまでの仕込みが非常に丁寧で、それ故に最初に踊る(=盛大にやらかす)シーンが映えます。しかし、実際に踊るのは現実であるため、周囲からは奇異の目で見られるし、踊った後に壊したものとかを弁償しなければならなくなるのです。ここには、我々が感じた、上述のような違和感に対する監督の意見が見えます。「こうだよね」みたいな。

 

 序盤こそ、このようなメタ・ミュージカルを見せてくれ、大変楽しめるのですが、後半のロード・ムービーの下りからちょっと失速してくるのは事実。メタ・ミュージカルもそこまで、いや、全然機能してないし。

 

 このロード・ムービーから、矢口監督の考え方のようなものが見えてくる気がします。要するに、「都会嫌い」であり、そこから離れることによる、自分自身の解放です。本作をよく観ると、最初のシーンから、静香が一流企業で「自分を偽って」働いていることが、説明ではないそれとない仕草で分かります。彼女は催眠術のせいで高級マンションの家具一式を無くし、千絵(やしろ優)とのロード・ムービーになってからは、スマホを無くします。こうして、都会的な文明の利器、ステータスを全て失い、田舎に行くことで次第にしがらみから自分を「解放」していくのです。思えば、監督の直近の2作『WOOD JOB!』と『サバイバル・ファミリー』もそんな話でした。まぁ正直、『寅さん』かよ!と言いたくなりますが。

 

 ただ、こうした「ステータスを取っ払って、素の自分のまま生きよう」という上述の展開が、そのまま「心の解放」であるミュージカルと重ねられているのはさすがの上手さだと思うし、何より、主演の三吉彩花さんが素晴らしすぎました。めっちゃ美人じゃん。他にも、ムロツヨシムロツヨシ感とか、やしろ優さんの好演(カップ焼きそばのシーン最高でした)とか、役者も素晴らしく、また、ミュージカルも序盤ならば最高であるため、楽しめたのだと思います。