暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

【電子書籍に手を出したという話】

 電子書籍に手を出した。本と言えば紙こそが至高であり、電子書籍は本屋を潰す脅威であると考えていた紙至上主義者であった俺が何故電子に手を出したのか。それはとても簡単である。漫画の買い過ぎである。現在進行形で20作品くらい集めていて、しかも過去に買って取っておいている漫画もある。だから本棚がパンクした。ドラえもんみたいに四次元ポケットの中に収納できたりすればいいんだろうけど俺が生きているのはあいにく三次元なので限界が来たのだ。これまではBOOKOFFに売るなりして騙し騙しやってきたのだが、もうごまかせない。まだ欲しい本あるし。そして俺の手元には政府から支給された10万円がある・・・。と、いうことで俺は自身の信条を捻じ曲げ、2020年の8月にiPadを購入。電子に手を出したのである。
 
 iPadは10.2インチを買った。値段と大きさ的にiPad miniとKindleと悩んだのだけど、敢えて10.2インチを買った。選択理由はいくつかあるが、大きいのは漫画の見開きである。漫画には2ページにわたって見開きが存在するわけで、開いたときのインパクトはとても重要である。miniやKindleのように1ページでしか表示できないのでは見開きのインパクトが無くなるし、たとえ横にしても結局は文庫本レベルの大きさしかないので迫力は半減。10.2インチならばジャンプコミックスくらいの大きさはあるため、問題なくカバーできる。しかもそこそこ画面が大きいのでネットフリックスやアマゾンプライムも楽しめるし、何より安い。一石三鳥だと思ったのだ。
 
 早速買って設定を完了させ、ジャンプ+をインストール。中にあった漫画を読んでみた。なるほど思っていたより読みやすい。アマゾンでKindleから漫画を買って読んでみた。サクサクページ移動ができて読みやすい。しかも1クリックで全巻大人買いもできる。少々重いのが問題点ではあるが、ジャンプコミックスの見開きくらいの大きさが担保されているので文句は言えない。おかげで「ベルセルク」を初めてしっかりと全部読めたし(マンガPark&電子書籍)、ジャンプ+にて「ドラゴンボール」も読み返せた。もちろん電子書籍を買っても部屋の中のスペースはとらない。なるほど、これは大変良いものだ。しかもPCと違って気軽に起動できるので動画も観やすい。ハッキリ言って、非常に便利である。俺は現在、毎日iPadを開き、漫画を読み、動画を見ている状態である。完全にiPad人間になってしまった。
 
 しかし、iPad人間になったからこそ分かることもある。紙の良さにも気づけたのだ。まず、電子だと所有欲が全く満たせないという問題がある。「本を買う」という行為は①書店に行き、②買う本を選定し、③レジに持っていき、④落ち着いた場所でビニールを取り、⑤読む。という行為全般によって初めて完成される。読むまでが買う行為なのだ。しかし、電子書籍というのは前述のとおり1クリックで①~④の行為が消え、すぐ⑤である。何と味気ないのか。しかも、部屋に買った本が積み上がっていかない。故に、「買った」という欲を満たせないのである。「スペースがなくなりつつあるから電子に手を出した」とか言っといて自分でも大分めんどくせえなと思うが、だって思ってしまったんだもの。仕方ないじゃん。
 
 また、読み返しやすいというのも紙のメリットだった。電子は戻りたいページにすぐに戻ることができない。紙ならば感覚でペラペラめくれば戻れるけど、電子にはその感覚が無いのだ。だから電子で特定のページに戻ろうとすると、栞を挟んだりしてない限り、連続でタップする必要があってこれが中々に面倒。後は「終わり」が見えないことも問題の1つ。紙だと厚みで残りのページが分かるけど、電子だと数字でしか表示されないので感覚で分かり辛い。そう、とにかく電子は「感覚」の面が弱小すぎるのである。そりゃ電子なんだからそうかと言われればそうなんだけど。
 
 何か電子書籍の話というよりかはiPadの感想になっちまった。電子と紙。相反する2つだけれど、使ってみて便利不便があるものだと実感した。やはり紙も捨てがたいのだが、それだと俺がiPadを買った第一目的「本を置く場所が無いけど買いたい」が満たされない。これはもう慣れるしかない。とりあえず、これまで紙で買ってたシリーズは紙のまま買い続けて、新しくそろえるシリーズは電子にしようと思う。こうやって棲み分けをしてこれからも漫画を買っていきたいと思う所存である。とりあえずiPadは使ってて楽しいということは事実である。俺も電子人間になれるよう精進していこう。

この社会からの解放の物語【ウルフウォーカー】感想

ウルフウォーカー

 
91点
 
 
 『ブレッドウィナー』、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』などのアニメーション作品群で、世界トップレベルのアニメーションスタジオとなったカートゥーンサルーン制作の作品。本作は『ブレンダンとケルズの秘密』から始まる「ケルト三部作」の最終作となります。アニメーションとして素晴らしいものを送り出してくれているカートゥーンサルーンの最新作となれば観ないという理由はなく、鑑賞してきました。
 
 本作の中心は、「解放」だと思います。本作に登場する人間は、人間が生み出した社会に囚われています。ロビンは人間社会の中にある抑圧に囚われ、その父親のグッドフェローもそうです。
 
 #MeToo運動以降、フェミニズム的な視点をより強く持った作品が多く登場してきました。本作にもその視点はあります。本作はボーイ・ミーツ・ガールではなく、ガール・ミーツ・ガールのシスターフッドものだということです。ロビンとメーヴという正反対の2人が出会い、友情を深め、相対していた自然と人間の壁を乗り越える物語です。その過程で、人間社会の閉塞感や、自然と人間の対立が描かれます。要はシスターフッド版『もののけ姫』なわけですけど、イングランドアイルランドの関係を考えると、その隠喩でもあるのかなと深読みします。
 
 本作の素晴らしい点は、人間社会の抑圧が、「女性にとって生きにくい」だけではなく、男性にとっても生きにくい社会であると描いている点です。それを体現してくれる存在が2人いて、先述のグッドフェローと護国卿です。護国卿は狼を狩るために「強くあろう」とし、そこから疑心暗鬼が生まれて、「強い自分」を維持させるために抑圧的な政策を行います。そしてグッドフェローはその被害者となります。動機は「ロビンを護りたい」だけなのですが、だからこそ護国卿に逆らえない。男性も、自ら生み出した社会によって抑圧されているのです。
 
 翻って、狼たちや、彼ら彼女らの「森」は、「自由」な場所として描かれています。メーヴはロビンとは対照的な野生児ですし、この自由さはビジュアル的にもアニメーションの動き的にも表現されています。ビジュアル的には、自然と街との対比を、自然は色々な形の造形物を入れたのに対し、街は角ばったデザインのものを採用することで表現しています。また、動きに関しては全体的に素晴らしいのですけど、特に素晴らしかったのは中盤、ロビンがウルフウォーカーとなってメーヴと共に森の中を疾走するシーン。これまでロビンは、人間の街の中で非常に窮屈な想いをしていることを見せられていたため、あのシーンの開放感とカタルシスは最高でした。しかもこのシーンは映像的にも主観映像とか使ってて凝っていたのも良いのです。こうした閉塞した空間から、ラストで文字通り「脱出」したことは、「どこへでも生きていける」という非常に前向きなメッセージだと思いました。
 
 最後に、本作はアニメーションとしても素晴らしく、奥行きとか空間の使い方とか、『かぐや姫の物語』を彷彿とさせる船の使い方とか、感情表現が非常に豊かでした。後、画面が本当に眼福であったとも思います。エンタメ性も高く、本当に楽しんで観ることができましたね。
 

 

カートゥーンサルーンの新作。

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 台湾でできた映画。

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ランボーはロッキーとは違った意味で「アメリカ」なのかもしれない【ランボー ラスト・ブラッド】感想

ランボー ラスト・ブラッド
 
77点
 
 
 1982年に公開され、そこから約40年の間シリーズが制作され続けてきた、主演のスタローンにとって『ロッキー』と並ぶ代表作である『ランボー』シリーズ。本作は長きに渡った本シリーズの完結篇となります。正直、前作の『最後の戦場』でかなり綺麗に終わっていたものを何故、今蘇らせたのかよく分からなかったのですけど、そこはやっぱり、スタローンですから。お金のために甦らせるなんてことはしないでしょうし、何か考えがあるのだろう、ひょっとして、これまでやむなく力を行使するだけだった彼が、愛する者を「護る」ために力を使う的な話になるのでは、などと適当な妄想をして鑑賞した次第です。
 
 鑑賞してとにかくビックリしたのが、本作で完結篇とは思えないレベルで救われない結末にしていた点です。『最後の戦場』であそこまで綺麗に、しかもハッピーエンドに近い終わり方をしていたにもかかわらず、それを一気にぶっ壊してしまった内容に唖然としました。そこまでやらんでもいいだろう、と。ぶっちゃけ私はランボーには幸せになってほしかったのですけど、この結末から本作の意義について考えてみました。
 
 『ランボー』シリーズというのは、『ロッキー』とは対照的なシリーズだと思っています。『ロッキー』はアメリカン・ドリームの体現者として、スタローンの実人生を重ねながら、アメリカの「光」を描いてきたと思います。しかし、『ランボー』シリーズは1作目の時点でベトナム帰還兵の話で、しかもその内容が「ベトナム帰還兵のやり場のない怒りの表明」でした。『怒りの脱出』と『怒りのアフガン』ではアメリカ万歳的な方向に舵を切りましたけど、『最後の戦場』ではそこで描いた暴力に自ら落とし前をつけてみせ、尚且つ「テロとの戦い」の時代を描いてみせました。
 
 ここで大切なのはランボーはずっとベトナムの傷を引きずっている点。彼には平穏な暮らしなど望むべくもなく、常に戦場でこそ活き活きとしてしまうのです。これはもちろん、アメリカがベトナム戦争で負った傷そのものであり、それは未だに癒えていない。本作でも、一見普通に暮らしていると思わせておいて、実は地下にバカでかい洞窟を掘っていたり、PTSD用の薬を飲んでいたり、全然ベトナムから解放されていないことが明らかになります。この「傷を隠して普通に暮らしている」という点は、アメリカそのもののような気もしました。
 
 さて、そんな未だに傷が癒えないランボーですが、本作はこれまでのシリーズとは少し毛色が違います。一番違う点は、ランボーの戦う動機です。これまで彼は、受動的に戦場に行っていたのですけど、本作では、メキシコの麻薬カルテルに愛する娘同然の存在を殺され、完全にその復讐のためにその力を使います。ここでメキシコを完全に悪の巣窟みたいに描いているという点については、ぐうの音も出ないということは言っておきます。ただ、ここで大切だと感じるのは、平穏な場所ですら、本作で戦場にしてしまったという点です。この辺はアメリカという世界各国を戦場にしてきた国の隠喩があったような気がします。しかし、そこには物凄い虚しさがありました。戦い続けてきた結果、ランボーは何も手に入れられなかったのです。これはロッキーとは対照的で、どこまで行っても、戦場という暴力の中で生きるしかない彼の運命には、アメリカが引き起こしてきた傷は一生癒えないのだと示しているようです。
 
 また、戦場のスケールも、「個人の復讐」というスケール感に合ったものになっています。これについては、パンフレットでもスタローンや監督が言及していて、「原点回帰」を目指したそうです。まぁ正直言って、本作は原点回帰というよりは、一種「ビジランテもの」に近い内容になっていたように思えるわけですが。アクションに関しては、ランボーが怒りにまかせて自前の殺人ピタゴラスイッチを用いて敵を過剰なグロさで以て惨殺していく様は凄く面白かったものの、最後のあの焼け野原を見てしまうと、清々しい気持ちにはなれません。これは上述のことと併せて考えてみると、意図的なものだったのではないのかなと思います。
 
 以上のように、本作の結末に関しては、言いたいことは多くあるものの、ランボーアメリカそのものと置き換えて見ると、不本意ながらもまだ納得できる内容だった・・・のか・・・?と思いました。
 
 

 シリーズの簡単な感想。

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クリード』2作の感想。

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2020年春アニメ感想⑥【富豪刑事 Balance:UNLIMITED】

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☆☆★(2.8/5)
 
 
 今期は、①4月に放送開始されたものの延期して夏に仕切り直して放送された作品と、②4月放送予定だったものの7月に放送開始そのものが延期された作品の2種類があるため、①に関しては「春アニメ」として、②に関しては「夏アニメ」としてカウントします。
 
 
 筒井康隆先生原作のアニメ化作品。過去に深キョン主演でドラマ化されましたが、アニメ化は本作が初。監督は「ソードアートオンライン」や『HALLO WORLD』の伊藤智彦さんで、脚本は「うさぎドロップ」や「はねバド!」などの岸本卓さん、キャラクターデザインは「青の祓魔師」などの佐々木啓悟さん。制作はA-1 Pictures。とりあえず筒井康隆の作品のアニメ化という時点で興味はありましたし、それがノイタミナ枠で放送されるとあれば期待値はまた上がるというわけで、視聴を決定しました。
 
 本作の最大の特徴にして面白い点は、「とにかく金を使いまくる」の1点。普通の刑事ドラマならば地道な捜査とアクションで済ませてしまいそうなところを、主人公の神戸が、自分の会社の金を湯水のように使い、ハリウッド大作かインドのアクション大作映画か!と言いたくなるレベルの一大スペクタクルでもって事件を解決してしまいます。金にものを言わせたガジェットも素晴らしい(ブラックパンサーの臆面もないパクリもある)。しかも彼はヒュスクという社会のあらゆるネットワークに侵入できるチートAIを持っているので、出来ないことがなく、その圧倒的な力を行使するバカバカしさ、言い換えれば清々しさがあります。また、各話の最後に使用した全額が分かり、毎回数十億かかっていたりすることがトンデモ感を加速させています。

 

 本作はこの辺をかなり割り切って作っていて、それはとてもよろしいと思いました。こういうトンデモバカな作品は嫌いではないです。ただ、それ以外の点はどうかといえば、「普通」の一言でした。本作は財閥の御曹司であり、金の力で全てを解決する神戸(大貫勇輔さんの好演もあって、「周囲とは違う存在」感が強かった)と、正義感が強い刑事、加藤のバディものとしての側面があって、この2人が互いを信頼していく過程はそれなりに描けていて、最後には加藤の真っ直ぐな正義こそ、悪を倒すことができるのだぜ的な結論に向かったのだと思います。また、最後の事件も、一大財閥の陰謀を暴くという、良い意味で普通の刑事ドラマのような内容だったと思います。

 

 この神戸という男の目的は、最初から母親の事件を解決することです。そしてそのために警察になったというのが動機です。私は視聴を始めたときから、「こんな金を持ってる奴が刑事になるなんて、絶対「金では手に入らない何か」を求めているんだろうなぁ」と思って見ていました。なので、正直言って、この動機には結構肩透かしでした。「普通じゃん!」って。というか、あれだけの権限と金があれば別にならなくても良かったんじゃねと思います。劇中で警察であることが活きたことってほぼないし。それならば、それこそ原作通り「父親から譲り受けた巨万の富を罪滅ぼしのために使いまくる」という設定にした方が良かったような。
 
 このように、本作は「金を使う」という設定が物語やテーマとあまり絡んでおらず、キャッチーな設定止まりになってしまっています。そして後に残ったものは、ありきたりな「刑事ドラマ」的な内容でした。上手くいけば面白くなりそうなものを、ちょっと勿体ない作品になってしまったなと思います。
 

 

伊藤監督作品。 

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 筒井康隆作品。こちらは大傑作。

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2020年夏アニメ感想④【Re;ゼロから始める異世界生活 2nd Season(第1クール)】

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☆☆☆★(3.6/5)

 

 

 今期は、①4月に放送開始されたものの延期して夏に仕切り直して放送された作品と、②4月放送予定だったものの7月に放送開始そのものが延期された作品の2種類があるため、①に関しては「春アニメ」として、②に関しては「夏アニメ」としてカウントします。

 

 MF文庫Jから発行されている大人気シリーズの第2期。第1期は2016年に放送され、その面白さから大ヒット。現在のMF文庫Jを代表する作品になりました。制作は1期から引き続いてWHITE FOX。以前より「はたらく魔王さま!」や「少女終末旅行」など良作を生み出してきた会社です。私は1期から見ており、原作は買っていないのですけど、そりゃ続きは気になっていたので今回視聴した次第です。
 
 「リゼロ」という作品の最大の特徴は、スバルさんの「死に戻り」の能力です。これは要するにタイムリープ能力で、スバルさんが死亡すると発動し、「セーブポイント」まで戻るというもの。これはゲームっぽいといえばそうですし、それこそアドベンチャーゲームにおけるifルートやBADエンドルートの作りをそのまま作劇に利用したとも言えます。
 本作のスバルさんは若干運動神経がいいだけでその他は「死に戻り」以外の能力がない凡人です。そんな彼が、「死に戻り」を繰り返し、数多ある世界で失敗を繰り返し(BADエンド)、そこから学び、強敵を倒していく、というのが本シリーズの基本的な作りです。これは2016年くらいには流行っていた所謂「異世界転生」ものと言われるジャンルとは全く別の語り口でした。あの手の作品は、現実世界ではうだつが上がらなかったものの、異世界に転生したら大活躍。主人公が無双するかヒロイン相手にマウンティングするかして事件を大体解決してしまいますけど、スバルさんは違います。第1期の白鯨戦で顕著なのですが、最終的にスバルさんは多くの人から尊敬を得ます。しかし、その過程で何回も死に、恥をさらし、騙されました。そしてそこから学んだことで白鯨とベテルギウスを打ち倒したのです。こういった「最初から強い」のではなく、過去に何回も失敗したことから得た経験から強くなる、という作劇が「真逆」であると思う理由です。そしてだからこそ、スバルさんを全く甘やかしていないのも好印象でした。
 
 さて、ここから第2シリーズの話に入りますが、第2シリーズで私が良かったと思った点は2つです。1つは、スバルさんの過去が明らかになったこと。もう1つは第1シリーズから顕著だった「スバルの命は投げ捨てるもの」という考えを諭してくれる内容だったからです。
 1つ目ですが、これは第1シリーズからあった不満でした。スバルさんは口では「何もしてこなかった」と語りましたが、具体的に描かれているわけではありませんでした。だから、「話単位でのスバルの成長」は見ることは出来ても、シリーズ通しての「スバルの成長」をあまり実感することができませんでした。しかし、本作はそこをしっかりと描いてくれました。それが第5話で、スバルさんの過去を具体的に描いてくれ、第1シリーズの物語が遡って深みが増したと思います。後、引きこもりの心情がなかなかリアルでした。そしてそれが、第2シリーズ全体のテーマにも繋がっていきます。それが2つ目です。
 
 5話で明らかになったスバルさんの過去によって、彼が自分の価値を低く見積もっていることが分かり、それ故に半ば自暴自棄になって「死に戻り」を駆使していることが浮き彫りになりました。それは自己犠牲と言えば聞こえはいいですが、要するに「自分等どうなってもいい」という周囲の人間の気持ちなど全く無視した、独りよがりの考えです。これを諭すのが、第2シリーズのテーマです。これは第1シリーズのスバルさんの覚悟を引っくり返すことであるし、「独りよがりの考えを諭す」という点では「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」の展開を彷彿とさせます。こういう展開は流行りなのかな。だからこそ、最終話ではオットーがスバルさんをぶん殴って協力させろと凄んだわけですね。スバルさんに必要なのは、「抱え込むこと」ではなくて、「協力を仰ぐこと」なのです。これは、本作ではレムがいなくなったことで頼れる存在がいなくなった点が大きいわけですが。
 
 話自体は途中で終わっているため、このくらいしか感想を書けませんけど、ここからスバルさんがどう盛り返すのか。そして、ロズワールの狙いは何なのか、どうなるかは楽しみですね。
 

TVドラマ「相棒」の歴代相棒と作風の変遷

はじめに

 今年も10月から新シリーズが始まりました、TVドラマ「相棒」。TVドラマは今年で20周年を迎え、それでも視聴率は好調を維持。未だ衰えることを知らない驚異的なドラマシリーズです。私はSeason7から視聴を始めた人間なので、もう12年の付き合いになります。このブログではそこまで話題にはしていないのですけど、以前書いた脚本家の変遷をまとめた記事を書いたことがあります。こちらはどうも好評をいただいており、未だに読まれているようです。感謝。ちなみにこの記事なのですが、今シーズンで、また新しい脚本体制がハッキリすると思うので更新しようと思っています。
 
 さて、今回は久しぶりの「相棒」関連の記事になります。まだ書いていない新作映画とかアニメの感想記事が溜まっているのですけど、現在新シリーズが放送中ということで、この機を逃すと執筆が1年後に伸びそうなので、「思い立ったが吉日」ということで書くことにしました。
 
 その内容は、「歴代相棒の変遷」です。TVドラマは今年で20年なので、テコ入れも必要ということで、相棒はこれまでに3回変わり、現在の冠城亘で、4人を数えます。俳優との不仲だなんだと週刊誌では騒がれていますが、(寺脇康文はマジかもしれませんが)、実際のところは長期シリーズにするためのテコ入れが主な理由です。そしてそれは結構上手くいっており、各相棒のキャラ立ちの良さや、それによって右京さんとの関係性が変化し、シリーズに新鮮さを加えてきました。今回の記事では、この相棒の変遷を各相棒ごとに書いていき、相棒の特徴や、それに伴って変化した、作風について書いてみたいと思います。そしてその際、各相棒ごとにある、「右京の正義の暴走」エピソードに注目したいと思います。亀山で言うところの「裏切者」であり、このエピソードにおける相棒の立ち位置が、各相棒のスタンスを表していると思うので。
 

初代:亀山薫

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 言わずと知れた杉下右京にとって、最高の「相棒」。初登場はPre Seasonの第1話。性格は肉体派でお人好し、ちょっとバカな熱血漢でした。右京さんは現在以上に冷静な、半分機械みたいな人間だったので、完全に正反対の人間です。完全に水と油の2人ですが、亀山は右京から警察官としての自覚と正義を学び、右京は融通の利かない自身の思考を補ってくれる存在として、互いに認め合い、抜群のコンビネーションを発揮するようになります。その様はまさしく「相棒」であり、退場から12年経った今でも、ファンからは「杉下右京最高の相棒」と認知されています。
 
 基本的に亀山が相棒だった頃は話はバリエーションも豊富で、オーソドックスな殺人事件だけではなく、亀山のトラブル体質と友人運のなさが原因で持ってきた事件を右京さんが解決する、という流れも多かったです。それが「相棒」という作品の幅の広さに繋がっていきました。つまりは話の窓口が多かったんですね。また、亀山が馬鹿であるということと、寺脇康文さんの演技によって、コミカルな側面も強調され、それもドラマの厚みに貢献していたと思います。
 
 注目するエピソードは「裏切者」です。脚本は櫻井武晴。S5を代表する傑作エピソードです。こちらではあくまでも真実を追求し、法の下に犯人を裁こうとする右京と、恩師が事件の隠蔽に関わっていたことで苦悩する亀山の姿が描かれます。この話では亀山が「警察官である」ことから恩師を説得し、隠蔽を明るみにします。ここでは、「法の下に裁こうとする右京」と、亀山の「警察官として、人として」という人情的な面がしっかりと出て、それが上手く融和した、2人にとってピッタリのエピソードでした。そしてこれはS7の「最後の砦」に繋がり、亀山は「右京さんに付いていく」とまで言うようになります。2人が信頼し合った関係であると言えるエピソードです。
 
 結論としては、亀山は杉下右京にとって足りないものを補うまさしく「相棒」であり、2人が上手く融和していた時期と言えます。また、亀山という入り口がいることで事件と人間関係にもバリエーションが生まれ、ドラマに厚みが出ていたと思います。
 

2代目:神戸尊

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 不動と思われた亀山から交代した2代目相棒。初登場はS7の第19話。性格は亀山と正反対のクールで冷静な人物。登場時は完全にただの及川光博でしたが、太田愛さんと櫻井武晴さんの尽力でアツい側面も持ち合わせたキャラになり、人気を獲得しました。彼が失敗していたら相棒というシリーズは終わっていたことを考えると、彼が果たした役割は大きいと言えます。ちなみに、右京の「相棒」だった時期は3年でしたが、度々ゲスト出演もしており、「出演期間」で言えば歴代No.1です。
 
 神戸尊というキャラクターは魅力的でしたが、話のバリエーションは少なくなってしまった印象です。というのも、神戸は私生活が謎であるため、人間関係もそこまで分からず(元カノは出てきたけど)、事件の入り口は「事件現場に特命係が押し掛ける」ばかりになります。また、亀山期にはあった「ジャーナリズム視点」も無くなってしまったことも問題でした。
 
 ただ、最初のうちは、既に完成された「相棒」ワールドの中に神戸が入ることで起こる反応は面白かったです。右京さんはめちゃくちゃ邪険に扱うしイヤミも言うし、捜一トリオは「ソン」とかいう間抜けな渾名をつけるし、大河内さんの視線が気になったと、亀山期では見られなかったキャラの面を見られました。
 
 そんな神戸ですが、注目するエピソードは「暴発」。脚本は櫻井武晴。亀山の「裏切者」は2人がしっかりと信頼し合っていたことを象徴するエピソードでしたが、こちらは亀山と神戸の違いが決定的になるエピソードでした。右京の正義の暴走を、神戸が被害者の遺志を汲んで止めるという内容です。最後まで平行線をたどった2人の姿は衝撃でした。こちらではっきりしたことは、「神戸は時には自身の正義のために右京と対立する」ということでした。「ストッパー」という意味では亀山も担なっていましたが、亀山が人情的な側面でストッパーというよりも調整役だったのに対し、神戸は決定的に対立する路線をとります。そしてこれはS10最終話「罪と罰」につながります。
 
 結論としては、神戸は亀山とは決定的に「違う」相棒として上手くいったキャラであり、亀山とは違った意味で、「相棒」だったと思います。ただし、ドラマの窓口は少なくなり、やや単調さが出てしまったかなと思います。
 

3代目:甲斐亨

 

 歴代最年少相棒。愛称はカイト。初登場はS11の第1話。性格は亀山と神戸の中間とも言うべきもので、熱血漢的な側面もあれば、神戸的な知的な側面も見せます。登場してすぐは年齢的な関係から成長物語的な側面が強く、調子に乗るも失敗を繰り返したりしていました。右京さんはカイトを父親的な目で見ることが多くなり、亀山とも、神戸とも違う態度を見せました。設定的には亀山と同じように恋人がいたり、父親との確執もあるなど、ここから新しく「相棒」を始めようという意志を感じました。
 
 しかしこのカイト、歴代相棒の中でも最も不遇な相棒と言えます。それにはいくつか理由があるのですが、1つ目は、「キャラの薄さ」です。先ほど「亀山と神戸の中間」と書きましたが、それ故にどっちつかずのキャラになってしまいました。そして、「成長物語」的な側面はS11で終わってしまい、後はもう何か、「右京さんの傍にいるだけ」な存在になってしまいました。S13で米沢さんが彼のことを「杉下警部の右腕」と言いましたが、そうなんです。「相棒」ではなくて「右腕」なんですよね。
 
 2つ目は「贔屓にしてくれる脚本家の不在」です。神戸には太田愛櫻井武晴がいましたが、カイトには2人にあたる脚本家が真野勝成さん1人しかいませんでした。しかも初参加はS12で、本格的にメインになったのが卒業シーズンのS13からだったので、遅すぎました。これによって、神戸とは真逆の「成宮寛貴さんの演技で何とか持ってる」存在となってしまいます。
 
 そしてこれに加えてついてなかったのが、制作陣が最も調子に乗ってる時期に相棒になってしまったこと。この時期は制作陣の「水谷豊さえいれば相棒は続けられる」という驕り(これに該当する発言は劇場版Ⅱのムックで輿水さんと松本元Pが言及)が見えて、それがカイトの掘り下げのなさに繋がってしまった印象です。そしてそれは、「ダークナイト」の大失敗に繋がります。「成長物語」の帰結としてはありだとは思いますが、もっと他の脚本家と連携とれよっていう。しかも悦子さんも現在に至るまで放置だし・・・。でもこれは成宮さんの事情もあるかなぁ。
 
 注目するエピソードは「最後の告白」。脚本家は金井寛。私の中では「劣化櫻井武晴」という印象の彼ですが、内容もものすごくゆるい「裏切者」です。亀山のように2人が対等になって融和するのでも、神戸のように対立するのでもなく、カイトが右京さんの「正義」に何とな~く取り込まれてしまいます。でも、これは右京さんの忠犬になってしまったカイトには合っている結末だったとは思います。
 
 結論として、カイトは恵まれない相棒だったかなと思いました。成宮さんの演技は素晴らしかっただけに、大変惜しい。ドラマの窓口も広がらず、単調さにも拍車がかかってしまいました。
 

4代目:冠城亘

 

 4代目はまさかの反町隆史。初登場はS14の第1話。法務省から出向してきたキャリアという、これまでにない相棒。スペックは歴代相棒の中でも最強クラスで、右京と対等にディスカッションは出来るわ、咄嗟の判断で捜査対象を味方につけるわ、最後の防衛線として右京さんの逃げ道を用意するわと大活躍。S14の頃はトリックスター的な立ち位置で、右京さんすら利用して真相を解明しようとしたり、右京さんの動きを見るために法を犯したりしました。S14はこのトリックスターぶりが素晴らしく、これまでにない新鮮さがありました。警官になってからも機転の冴えは健在で、右京さんといるだけではない、先代3人のいずれとも違う魅力を出しています。ちなみに、相棒の期間は今年で7年目に入り、歴代最長まで王手をかけています。
 
 この頃は旧体制とキャラクターに加え、青木や益子、花の里の刷新、衣笠副総監、そしてジャーナリズム枠である風間楓子といった新キャラや、新脚本家を投入。新体制を着々と作っていきました。特に風間楓子の存在は素晴らしく、彼女の存在のおかげでドラマの面白さや窓口がぐっと広がりました。それだけに、彼女の不在は本当に惜しい。
 
 注目するエピソードに関しては、様々あるのですが、一番それっぽいのは「或る相棒の死」。脚本家は真野勝成。冠城の危険性と実力がハッキリした作品で、初期冠城を代表する作品になりました。警官になってからは「悪魔の証明」ですかね。歴代相棒ができなかった、右京さんへのハッキリとした敵意を見せ、2人の緊張関係は続いていると言える話でした。「100%の女」はノーカン。ただ、それ以降はそれなりに息の合ったコンビネーションを見せています。
 
 冠城に関してはまだ相棒として在任しているため結論は出せませんが、冠城は未だにトリックスター的な面を持っており、これまでとはまた違った相棒と言えます。ドラマの幅も、登場人物を増やし、そこの窓口を増やすことで幅を持たせています。また、冠城は「真相解明のためには手段を選ばない」という右京さんと同じタイプの人間であるため、櫻井武晴さんに冠城版の「裏切者」を書いてほしいです。多分凄いものができると思うんだよなぁ。個人的な好みで言えば亀山の次に好きな相棒だったりするので、ずっと続いてほしいなと思っています。
 

最後に

 以上が、私の歴代相棒に対する考えです。4人それぞれにいい面があり、ドラマの内容自体も変化していきました。それが「相棒」が長く続いている要因だと思います。脚本家の記事でも書きましたけど、もう相棒はずっと冠城で良いので、可能な限り続けてください。

煉獄さんが見せた人間讃歌と、受け継がれる意志【劇場版 鬼滅の刃 無限列車編】感想

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87点
 
 

はじめに

 昨年放送されたTVアニメの効果により、現在、空前の大ブームを起こしている「鬼滅の刃」の劇場版作品。制作はTVアニメから継続して安心と信頼のufotable。私はTVアニメは放送当時見ており、最初こそ「あんま面白くねぇな」と思っていたのですが、那田蜘蛛山篇から徐々にハマっていき、TVアニメが終わって劇場版の公開が告知された頃には「これは絶対に観に行こう」と思えるくらいには好きになっていました。
 
 正直、TVアニメを見ていた時には本作のことを「根強いファンに何年も強く深く愛される作品だな」と思っていて、おそらく制作側もそう思っていたと思うのです。だからTVアニメで掴んだファンを劇場に呼び込もうとTVアニメはクリフハンガー的に終わらせ、ファンのために細く長く続けていこうとしていたのかなと思っていました。しかし、現実は違いました。このクリフハンガーによって続きが気になったファンが映画より先に原作購入に殺到し、サブスクの普及も相まってファン層が拡大。TVアニメ放送終了時には1200万部だった発行部数はあれよあれよという間に1億部にまで伸び、「ONE PIECE」が保持していた記録を次々と打ち破っていきました。そして企業はこぞってコラボし、ニュースでも取り上げられ、「鬼滅の刃」を見ない日はないというくらいのまさしく社会現象となりました。

 

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

鬼滅の刃 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

 そんな最高の状況で公開された本作は、海外の大作映画が公開延期されたことで生じたスクリーンの空白を占拠したことも相まって、公開3日で46億円というまさしく桁違いのヒットを記録(そして今週末の数字を見るに、史上最速で100億突破は確実)。多くのファンが劇場に詰め掛け、久しぶりに満席の映画館で映画を観ました。ということで前置きが長くなってしまいましたが、私も公開してすぐに観に行った次第で、これから感想を書きます。

 

「映画」にふさわしい「アクション」と、映画としての問題点

 本作に関しては、とにかくアニメーションのクオリティが高いということです。まずはやはりアクションです。ufotableと言えばアクションと言っても過言ではなく、TVアニメから「劇場版レベル」のクオリティを作り出していました。劇場版ということならば、今年最終章が公開された『Fate/stay night Heaven's Feel』シリーズでも異次元のアクションを作り出していましたが、本作でもエフェクトをバリバリに使った超ド級のアクションは健在です。そしてそのアクションが、TVアニメ版からアップデートされていて、きちんとスクリーンに堪えるものになっているのも素晴らしいなと。列車内のアクションもそうなのですが、やはり素晴らしかったのはラストの上弦の参と煉獄さんの戦いでした。縦横無尽に動きまくるバトルはやはりスクリーンでは映えます。
 
 また、本作そのものが映画にするにふさわしい題材だったかなとも思います。それは本作の舞台が「列車」に限定されているためです。「列車と映画」とは、バスター・キートンに代表的されるように、古来より組み合わされてきたものです(列車ではないですが、近年では『マッドマックス 怒りのデスロード』を思い出しました)。映画というのはアクションであって、2時間という決められた時間を連続して体感させる映画と、常に動いている列車というのは相性がいいのです。本作でも列車が動いていること、そして厭夢が繰り出す攻撃によって次々にアクションが生まれ、飽きさせない作りになってはいます。しかし、この映画という時間の使い方が上手くできていない点があるのも確かです。

 

キートンの大列車追跡(字幕版)

キートンの大列車追跡(字幕版)

  • 発売日: 2020/06/18
  • メディア: Prime Video
 

 

 それは、本作の中盤で出てくる「夢」のシークエンス。炭治郎たちが4者4様の夢に囚われる下りが描かれるのですが、これによって本作の中で描かれる時間がここだけ止まってしまい、これが上述の映画的な時間の使い方を阻害しているのです。これが漫画ならば良かったと思います。漫画は読者側に時間の主導権があるため、のってくれば自分のスピードで速く読めるからです。対して、映画の時間の主導権は映画にあります。自分のスピードで進められない。だからこそ面白いのですが、本作は漫画ならば許容されていたもたつきをそのまま映画にしてしまっているため、そこだけ時間の流れが遅くなり、結果として映画としての時間の流れが阻害されていると感じました。
 
 また、それ以外にも、TVアニメからの継続で、モノローグと台詞の多様もなされ、それがアクション毎に挟まれるためにアクションのテンポが阻害されている面もあります。まぁこれは「鬼滅の刃」という作品そのものがモノローグの多様やキャラクターがベラベラ心情を語る漫画であり、ufotableが「原作を尊重」した結果であるため致し方ない側面もありますが。なので、一介の映画ファンが本作を観ると辟易するのはよく分かります。
 

人間讃歌

 本作のテーマについても、興味深い点があります。私は「鬼滅の刃」という作品は悲劇だと思っていて、鬼というのは元人間が様々な理由から鬼無辻によって鬼に「なった」若しくは「させられた」存在で、TVアニメでは鬼の最期に人間の頃の記憶が描かれ、単なる悪役ではない、奥行きのある存在として描かれていました。つまり、本作は本来ならば戦い合うはずのない者たちが殺し合いをさせられているのです。この要素は先行作品では様々なものに用いられていますけど、漫画では「ジョジョの奇妙な冒険」の第1部と第3部、ディオとその一味を彷彿とさせられました。そしてここまで考えると、本作のテーマも浮かんできます。それは「ジョジョ」と同じく、「人間賛歌」です。

 

 本作では、まず冒頭でお館様の語りが入ります。それは「人の意志は、決して消えることはない」的な意味合いだったと思います。そして本作はそれでテーマが貫徹されている。本作で重要なテーマは「夢」です。厭夢は「心地のいい夢」に人間を浸らせる能力を持っています。人間はその夢に浸りたいのだとして。しかし炭治郎はその夢から脱出し、「現実」に立ち向かい、辛い夢を見させられても、「俺の家族がそんなこと言うわけないだろ!」と吹っ切ってみせ、炭治郎の意志の強さが感じられます。また、炭治郎が厭夢に勝てたのは1人だけの力ではありませんでした。戦いの後に厭夢が思っていたように、猪之助がいて、禰豆子がいて、善逸がいて、そして煉獄さんがいたからこそ勝てたのです。対する厭夢は1人でした。「人間は力を合わせることができる」ということだと思います。
 そしてもう1つは、最後の煉獄さんと上弦の参との戦いのときです。敵は老いることを嫌い、鬼になりました。そんな彼は煉獄さんの強さに惚れ、「鬼になれ」と誘います。「鬼になればずっと若く、全盛期でいられる」と。これに対し、煉獄さんは「老いることも含めて、人間は素晴らしい」とし、決してその誘いには乗らず、自分の意志を貫き、ギリギリのところまで追いつめます。これはつまり「試合に勝ったが勝負に負けた」ということであり、「決して鬼にならなかった」ことこそが煉獄さん、そして人間にとっての「勝利」なのです。そしてその意志は炭治郎たちに受け継がれていくのです。何かこの辺も「ジョジョ」っぽい。
 
 私の感想は以上です。映画にふさわしい題材でしたし、アクションもやっぱり素晴らしい。そしてテーマ的にも1本の筋が通っています。なので基本的には満足度は高めなのですが、やっぱり中盤の夢シークエンスはちょっといただけなかったなと思います。とりあえず2期待ってます(原作買うかは微妙)。
 

 

TVアニメの感想

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 ufotable日常芝居の頂点。

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