暇人の感想日記

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ランボーはロッキーとは違った意味で「アメリカ」なのかもしれない【ランボー ラスト・ブラッド】感想

ランボー ラスト・ブラッド
 
77点
 
 
 1982年に公開され、そこから約40年の間シリーズが制作され続けてきた、主演のスタローンにとって『ロッキー』と並ぶ代表作である『ランボー』シリーズ。本作は長きに渡った本シリーズの完結篇となります。正直、前作の『最後の戦場』でかなり綺麗に終わっていたものを何故、今蘇らせたのかよく分からなかったのですけど、そこはやっぱり、スタローンですから。お金のために甦らせるなんてことはしないでしょうし、何か考えがあるのだろう、ひょっとして、これまでやむなく力を行使するだけだった彼が、愛する者を「護る」ために力を使う的な話になるのでは、などと適当な妄想をして鑑賞した次第です。
 
 鑑賞してとにかくビックリしたのが、本作で完結篇とは思えないレベルで救われない結末にしていた点です。『最後の戦場』であそこまで綺麗に、しかもハッピーエンドに近い終わり方をしていたにもかかわらず、それを一気にぶっ壊してしまった内容に唖然としました。そこまでやらんでもいいだろう、と。ぶっちゃけ私はランボーには幸せになってほしかったのですけど、この結末から本作の意義について考えてみました。
 
 『ランボー』シリーズというのは、『ロッキー』とは対照的なシリーズだと思っています。『ロッキー』はアメリカン・ドリームの体現者として、スタローンの実人生を重ねながら、アメリカの「光」を描いてきたと思います。しかし、『ランボー』シリーズは1作目の時点でベトナム帰還兵の話で、しかもその内容が「ベトナム帰還兵のやり場のない怒りの表明」でした。『怒りの脱出』と『怒りのアフガン』ではアメリカ万歳的な方向に舵を切りましたけど、『最後の戦場』ではそこで描いた暴力に自ら落とし前をつけてみせ、尚且つ「テロとの戦い」の時代を描いてみせました。
 
 ここで大切なのはランボーはずっとベトナムの傷を引きずっている点。彼には平穏な暮らしなど望むべくもなく、常に戦場でこそ活き活きとしてしまうのです。これはもちろん、アメリカがベトナム戦争で負った傷そのものであり、それは未だに癒えていない。本作でも、一見普通に暮らしていると思わせておいて、実は地下にバカでかい洞窟を掘っていたり、PTSD用の薬を飲んでいたり、全然ベトナムから解放されていないことが明らかになります。この「傷を隠して普通に暮らしている」という点は、アメリカそのもののような気もしました。
 
 さて、そんな未だに傷が癒えないランボーですが、本作はこれまでのシリーズとは少し毛色が違います。一番違う点は、ランボーの戦う動機です。これまで彼は、受動的に戦場に行っていたのですけど、本作では、メキシコの麻薬カルテルに愛する娘同然の存在を殺され、完全にその復讐のためにその力を使います。ここでメキシコを完全に悪の巣窟みたいに描いているという点については、ぐうの音も出ないということは言っておきます。ただ、ここで大切だと感じるのは、平穏な場所ですら、本作で戦場にしてしまったという点です。この辺はアメリカという世界各国を戦場にしてきた国の隠喩があったような気がします。しかし、そこには物凄い虚しさがありました。戦い続けてきた結果、ランボーは何も手に入れられなかったのです。これはロッキーとは対照的で、どこまで行っても、戦場という暴力の中で生きるしかない彼の運命には、アメリカが引き起こしてきた傷は一生癒えないのだと示しているようです。
 
 また、戦場のスケールも、「個人の復讐」というスケール感に合ったものになっています。これについては、パンフレットでもスタローンや監督が言及していて、「原点回帰」を目指したそうです。まぁ正直言って、本作は原点回帰というよりは、一種「ビジランテもの」に近い内容になっていたように思えるわけですが。アクションに関しては、ランボーが怒りにまかせて自前の殺人ピタゴラスイッチを用いて敵を過剰なグロさで以て惨殺していく様は凄く面白かったものの、最後のあの焼け野原を見てしまうと、清々しい気持ちにはなれません。これは上述のことと併せて考えてみると、意図的なものだったのではないのかなと思います。
 
 以上のように、本作の結末に関しては、言いたいことは多くあるものの、ランボーアメリカそのものと置き換えて見ると、不本意ながらもまだ納得できる内容だった・・・のか・・・?と思いました。
 
 

 シリーズの簡単な感想。

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クリード』2作の感想。

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