暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

映画の歴史と活動弁士への賛歌【カツベン!】感想

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70点

 

 

 周防正行監督作。無声映画時代、まだ日本映画界に「活動弁士」なる存在がいた時代の物語。私は周防監督の作品はそんなに観ているわけではなくて、鑑賞したのは『それでもボクはやってない』と『Shall we ダンス?』のみ。しかもDVD。日本を代表するベテラン監督であることは間違いなく、一度映画館で観てみたいなと思っていたところに本作が公開されたので、鑑賞しました。鑑賞したのは12月なのですが、感想書くのが延びまくってここまで来てしまいました。なので、あっさり目な感想になります。

 

 本作は主人公である染谷が弁士として成長する姿を描いた喜劇です。話の作りはこれまで「偽物」としてしか活躍してこなかった染谷が幾多の経験を経て本物の弁士になるまでを描いたものです。これまで「代理」で「真似」しかできなかった彼が、ラストで正に己の「弁士」としての実力のみでお客さんを沸かしたシーンにはそれはグッときましたよ。

 

 また、「弁士」という存在についても、永瀬正敏演じる山岡の疑問を入れることで、少し批評的に見ています。ここで一旦「弁士っていらなくね?」と思わせることで、ラストで染谷が弁ずるシーンの素晴らしさが映え、同時に「活動弁士」という存在そのものの肯定にも繋がります。

 

活動弁士の映画史 映画伝来からデジタルまで

活動弁士の映画史 映画伝来からデジタルまで

  • 作者:高槻真樹
  • 発売日: 2019/12/13
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 本作は喜劇なのですが、その内容が良い意味で古臭い。本当に一昔前の「喜劇」をやっているのです。笑いにはスラップスティックなものが多く、それをやるのが竹中直人さんや渡辺えりさんなどのベテラン勢なので安定の面白さを見せてくれます。しかもラストもドタバタ劇だし、あのオチもよくあるものです。これは舞台が大正時代ということで、周防監督が意図的にやっている事だと思っていて、本当に一昔前の映画を観ている気分にさせられます。

 

 そして本作は映画館で観るべき作品でもあります。というのも、劇中で上映されている無声映画を画面いっぱいに移し、それに弁士が声を当てるという、要は昔ながらの活動写真そのままを体験できる演出が施されているから。映画の歴史を、映画館で活写する。この演出だけで、本作の粋な点が出ています。

 

 以上の点で良いなと思った点もあるのですけど、問題点があるのも事実。それは全体的に冗長だという点。1つ1つのエピソードが長く、緩慢で、そのゆったりさが気になりました。でもこれも「昔の映画の再現」という点で、監督の意図なのかもしれませんが。

 

 

 往年の名作ということで。

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想ってくれる人がいれば、「幸せ」は傍にある【幸福路のチー】感想

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93点

 

 

 台湾発の長編アニメーション映画。公開前から各方面で話題沸騰の作品でしたので、興味はありました。しかし、上映館と時間の折り合いがつかず、結局公開年の2019年のうちに鑑賞することはできませんでした。年が明け、ようやく観られるようになったので、1月に鑑賞してきました。

 

 本作は祖母の葬式のために帰省してきたチーが、自らの幼年期を思い出すという構成をとっています。そして、彼女の人生と並行して、台湾の激動の歴史が語られます。この点は2016年の日本の映画『この世界の片隅に』を彷彿とさせます。

 

 本作はこのチーが本当に、自分にとっての「幸せ」に気付くまでを描きます。小さい頃は色んな夢を持っていて、向こうの世界に憧れていた彼女でしたが(チーの少女時代がノスタルジーたっぷりに描かれているのが素晴らしい)、成長して働き始め、キャリアウーマンとしてアメリカに渡って働くうちに自分の幸せを見失ってしまいます。仕事に成功し、アメリカに渡り、現地の男性と結婚する。この如何にもな「成功した女性」の条件を満たした女性であるチーが「幸せ」を見失っているという描き方は、#MeToo以後の女性の生き方というか、社会的な立場の流れを汲んだものだと思います。この点で本作は、非常に現代的な物語でもあると思います。

 

おもひでぽろぽろ [Blu-ray]

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  • 発売日: 2012/12/05
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 この女性の自立的な側面から見ると、ベティの存在も大切だと思っていて、彼女は所謂、チーより先に「幸せ」を見つけた女性です。そんな彼女と交流することも、チーにとって気付きを得るきっかけになります。

 

 本作のアニメーションに関しては、白眉はやはりチーが子どもの頃に夢想する夢でしょう。子どもらしい自由奔放な妄想を同じく自由なアニメーションで表現しています。面白いのは、この夢想は子どもの頃にしか描かれず、大人になり、「小さい頃の自分が思い描いていた自分」になれていなくなると、途端になくなってしまう点。子どもから大人へ成長するとともに、「夢」がなくなっていくのが如実に分かります。この点は『おもひでぽろぽろ』的です。

 

 子どもの頃に描いていた「夢」は働いて、向こうの世界に行って、王子様と一緒になる事だった。でも、成長し、現実を知り、表面上はその通りになっても、「幸せ」からどんどん遠くなっていく。そこで彼女は家族と接し、ベティとの交流を通し、「幸せ」の在り処は「自分を想ってくれる人がいる場所にある」と気付くのです。型通りの「幸せ」ではなく、本当の意味での幸せに気付くまで、そしてそれを自分の子供に与えてやるまでの物語が、本作だったと思うのです。

 

 

 似たような作品。

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 外国のアニメ映画。こっちは世知辛い。

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2019年秋アニメ感想⑤【Fate/Grand Order-絶対魔獣戦線バビロニア-】

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☆☆(2.3/5)

 

 

 おそらく、ソシャゲ界の王、ともいえる人気を誇るゲーム、「Fate/Grand Order」。本作はその満を持してのアニメ化作品となります。私は原作ゲームは未プレイなのですが、「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」のCMで流れた予告が素晴らしいクオリティだったため、視聴を決めました。

 

 「絶対魔獣戦線バビロニア」というサブタイトルから何となく察していましたが、本作は「FGO」を最初からアニメ化したわけではなく、内容は第1部のシナリオ「第七特異点 絶対魔獣戦線 バビロニア」を元にした内容だそう。なので、TV放送版は初回から「これまでの経過ありき」で物語が進み、用語の説明などは特になされず、初見は完全に置いて行く構成をとっています。

 

 そんな内容なのになぜ私が最後まで視聴できたのかというと、理由は2つあります。まずはNETFLIXで見ていたこともあって、偶然、配信限定の「プロローグ(という名の30分で分かる「FGO」)」を見たことが大きいです。この話のおかげで、比較的スムーズに話には入っていけました。

 

 

 次に、これが一番重要かつ本作の最大の評価ポイントなのですが、作画が素晴らしかったから。特に圧巻なのがアクションの演出。アクションディレクターに河野恵美、林勇雄といった「アイマス」陣に加え、大島塔也を投入、しかも作監は高瀬智幸さんや山口晋さんらで、さらにさらに絵コンテでは重要なところで温泉中也などを呼び、加えてキャラの心情演出では高雄統子を呼ぶという完璧采配ぶり。私でも知っているアニメーター、演出家の方がこれだけ参加されているなんて、CloverWorksというかアニプレックスが総力を結集しているのが分かります。 

 

 こんな方々が作っているので、アクションシーンは本当に眼福もの。空間を自由に飛び回って動いて各所から攻撃するとか、体術の細かな動きとか、キャラクターのスピード感とか、とにかく動きが多彩で素晴らしい。また、「音」の演出も気合が入っていて、マシュが使用している盾に攻撃が当たったときや、宝具を使ったとき、音と実際に見えている光に時間差があったり、かなり細かく調整されています。実はイヤホンをして見ていたので、この点は強く感じることができました。

 

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 以上のように、アクション周りは本当に文句無しなのですけど、本作には致命的にダメだった点があります。脚本です。本作は全体的に非常に表面的で、かつ「ゲーム感」が強く出てしまっている作品になっています。

 

 まず、「ゲーム感」についてですが、本作では主人公の藤丸が何故かあのギルガメッシュにあっさりと気に入られ、ゲームにありがちな「おつかいイベント」を頼まれます。ゲームならばいいのですけど、本作はこのおつかい感をそのままアニメ化していて、悪い意味で「ゲームにあったイベントなんだろうなぁ」と思ってしまう回が何度かありました。また、本作のストーリー全体についても、「条件をいくつかクリアしたらら中ボス戦」というこれまたゲーム的シナリオをそのままアニメにしているような感じでした。特に3女神同盟の下りはそのあたりが顕著です。

 

 そして「表面的」な点について。3女神同盟を攻略する下りも何だか微妙で、「あれ?これ結構簡単じゃね?」と思えてしまうのです。基本的に困難っぽい状況や条件を作り出すのですけど、相手側がやけに友好的だったり(太陽の女神や冥界の女神とか)、敵対していても主人公補正で味方に引き入れられたり、こちら側に相手を倒す切り札的存在がいたり、条件が簡単にクリアできるように環境が整えられていたりしているのです。

 

 ラスボスになるとさすがに絶望要素てんこ盛りでムリゲー感が出て良かったし、ラスボスへの対処法も「なるほど」と思えるものでした。ですが、(これは私の理解不足かもしれませんが)、終盤でいきなりこれまでの味方とかチョイ役で出てきた人物が特にこれと言った理由もなく強キャラになって帰ってきたり、冥界へ落とすための準備もあっさり解決するし、やっぱり都合がいい。つまり何が言いたいかと言うと、とにかく「主人公にとって有利になるような状況がある程度できている」んです。しかもその理由が特に論理立てて理解できないので、イマイチ乗ることができないし、「既に与えられた十分すぎるくらい強力なカードで対処した」くらいにしか思えず、物語的な積み重ねも、「苦労」も表面的に感じられてしまいました。

 

Fate/Grand Order Original Soundtrack IV(初回仕様限定盤)

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 また、何より問題だと感じたのは主人公の藤丸立香です。ゲームだと台詞がほぼないキャラだそうで、本作ではそんなキャラを無理やり肉付けしたせいか、申し訳ないのですが、私の印象は「大したことしてないのにやたら言うことはデカい」イライラするキャラでした。主人公補正が凄まじく、すぐにキャラに信頼され、フラグを立てまくり、その人間的魅力で女神たちを落として(この表現で合ってると思う)いきます。戦いにおいても基本的においしいとこどりで、戦いの後にそれっぽいことを言ってそれっぽい雰囲気を出してしまえます。これは本作を「表面的」と感じてしまう要因の1つです。

 

 でもよくよく考えるとコイツ、言ってるだけで特に何もしていないのです。これはマスターという性質上仕方がない点ではありますけど、本家の方では士郎さんは彼の偽善性を追求されたりして、その上で彼の「理想」を追い求めていましたけど、藤丸には特にそういうの無いんですよね。自分の理想ばっかり言って、それが大体肯定される。追及されてもそんなに否定はされないという甘い仕様。だから余計に腹立つのかな。まぁ、これは「藤丸立香の物語」ではないから致し方ないことではあります。

 

 まとめますと、私にとって本作は、「アクションは素晴らしいけど、主人公に都合のいい展開が続くシナリオに萎えた」作品でした。好きな方すみません。

 

 

 「Fate」スピン・オフ。

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 「Fate」のパロディ作品。こちらは傑作。

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崩壊しかけた家族の再生【ひとよ】感想

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80点

 

 

 白石和彌監督作品。私は白石監督の作品は基本的には追っていこうと思っているので、鑑賞しました。11月に観たのに感想を書くのがこんなに遅くなってしまいました。これもひとえに私の怠慢が原因です。なので、感想はあっさり目になります。

 

 本作は最近世界で流行り、日本のお家芸である「家族」の物語です。現在の潮流は『万引き家族』のように血縁で繋がってない人々が疑似的な繋がりを以て家族になるという物語です。しかし、本作は逆を行きます。家族が本来持っている、「血縁」で繋がっているが故に陥ってしまう苦しみを描くのです。

 

 本作に出てくる家族は、皆が「ひとよ」に囚われています。その1つとして出ているのが父親からのDVの被害で、長男の大樹は吃音から来る屈折した感情から父親と同じように暴力を振るい(ここで奥さんが理解しようとしているのが辛い)、長女の園子は父親のようなDV男とばかり付き合っている模様。そして次男の雄二は、一番遠く離れていて、最も客観的に見ているようなふりをしつつも、一番囚われている人物です。この幼年期のトラウマが大人になっても影響しているという点は、同年公開された『IT』と共通のテーマです。

 

 また、この家族の関係性が凝縮されているのが食卓のシーンで、これが本当に素晴らしい。家族が集まって最初に食事をするシーンでのあのバラバラっぷりとか、次々に家族がいなくなっていく食卓とか、あの場所だけで関係性の移り変わりを描いています。

 

 関係性が崩壊しても、赤の他人ならば、縁は切れるかもしれない。けど、家族ならば崩壊してもまた集まってしまう。血が繋がっているから。そんな中でも家族はやり取りを重ね、ラストで、子どものときに捕まえられなかった母親を兄妹全員で捕まえに行く。対照的に描かれている佐々木蔵之介演じる男が、「血」で繋がっているが故に息子を悪の道には知らせてしまった描写がある分、「繋がり」をギリギリで保ったあの家族には、一筋の救いがあるように思えました。

 

 本作では、本質的には問題は何も解決していません。寧ろこれからです。しかし、崩壊していた家族が母親という劇薬でもう一度再生への足掛かりを得たともいえる作品で、少しだけ希望が見えました。

 

 

白石監督作。こちらも素晴らしかったです。

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 白石監督のアウトロー映画。

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シンジが見つけた、他者への希望【新世紀エヴァンゲリオン劇場版 AIR/まごころを、君に】感想

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95点

 

 

 2020年6月。『Q』から実に8年、『序』から数えると実に13年の歳月を経て、遂に『エヴァンゲリヲン新劇場版』が完結する・・・はずでした。皆さんご存知の通り、新型コロナウイルスの影響で公開が延期され、再び我々エヴァファンはエヴァへ飢えを感じるようになりました。私も『エヴァ』には衝撃を受けたクチで、もちろん『シン・エヴァ』も観るつもりでした。なので、その復習として、TVシリーズ、『DEATH(TRUE)2』、そしてこの旧劇を鑑賞した次第です。本当はTVシリーズの感想も書きたかったのですが、十数年ぶりに見返してみると、中3のときには気付かなかった驚異的な情報量に圧倒され、とても全体を2000~3000字で書けない(というか、1話ごとにこれくらい必要)と思い断念。旧劇だけでもと思い、この記事を書くことにしました。

 

 

 

【第25話「AIR」感想】

 TVアニメ第弐拾五話「終わる世界」をベースに、「終わる世界」では排除されていたドラマとアクションを加味してリメイク(?)した作品。つまりはひたすら補完された世界での登場人物のモノローグばかり描かれていた「終わる世界」の「表面」の話。

 

 TVシリーズは第3使徒サキエルから第17使徒ダブリス(=渚カヲル)までの戦いを描いていましたが、全ての使徒を倒した後の最後の敵はやはり人間(=18番目の使徒)。本作では陸上自衛隊とNERVの戦い(というより、一方的な虐殺)が苛烈な死を以て描かれます。このNERVの人間を根こそぎ殺すという描写には、私は2つの見方できると思います。1つは「エヴァ」を作ることに疲れた庵野監督がその怨念を「お前らの好きだったもの、全部ぶっ殺してやるよ!」とばかりにぶつけたもの、2つ目はTVシリーズで描かれた「ディスコミュニケーションの極致」としての虐殺です。劇中では問答無用にNERVの人間が殺されていきますから。

 

 これは互いを拒絶しあった使徒ととの戦いと同じ光景だと思います。人間だとより生々しくなるだけで、描かれていることはこれまでの「対使徒戦」と同じなのです。碇シンジは劇中、何度か「何で戦うんだろ」と疑問を呈していましたが、上の大人たちは「襲ってくるから戦う」と使徒を拒絶し、シンジらチルドレン達を戦わせ続けました。「相手のことを知ろうともせず、邪魔だから攻撃する」この点で私は劇場版の虐殺はこれまでの使徒との戦いと同じだと思うのです。「戦争は自衛から始まる」とは森達也さんの著作にもあった言葉ですけど、本作で描かれた使徒との戦いはまさに「ディスコミュニケーションの果て」としての戦闘だったのです。「新世紀エヴァンゲリオン」はコミュニケーションの話でしたが、それがここでも立ち上がってくるのです。

 

 

 この「コミュニケーション」というテーマにおいて、1人、前向きな結論を出したキャラクターがいます。葛城ミサトです。彼女は、TVシリーズではおどけた明るいお姉さんキャラを作りながらも、結局は他のキャラと同じで、その姿は人と上手くコミュニケーションをとるための処世術でしかありませんでした。その点は「終わる世界」で追及されていました。しかし、本作で彼女は、シンジに対し、「他人だからなんだ」と一喝。本当の意味でシンジと向き合おうとします。他人だろうが真剣に相手に向き合えば関係は結べる。これは「新世紀エヴァンゲリオン」という作品の1つの結論だと思います。

 

 また、本作において素晴らしい点は、何と言ってもアクション。「ママ」の存在を感じ取ったアスカが弐号機を覚醒させ、陸上自衛隊、そして量産型エヴァと繰り広げる闘いは純粋に素晴らしい。それまで一方的にNERVが陸自に虐殺されるシーンが続いていたため、このシーンにはちょっとしたカタルシスすらあります。

 

 また、これはこの「AIR」だけでなく、「まこころを、君に」にも言えることなのですが、とにかくファンが「見たくないもの」を見せてくる。アスカの最後もそうですし、「まごころを、君に」の綾波レイもそうですし、上述のNERV虐殺シーンもそうだし、シンジがずっと蚊帳の外で何もしないのも多分そう。これも庵野監督の呪詛の念を感じます。まぁこの点は「エヴァ」という作品がポスト・ロボットアニメ的な作品だからというのもありますが。

 

 ラストで弐号機の無残な姿を見たシンジは絶叫、遂に精神崩壊寸前まで行きます。その彼が人類の未来を背負い、結論を出すのは次回、「まごころを、君に」になります。

 

 

【第26話「まごころを、君に」感想】

 陸自のNERV虐殺、エヴァ初号機の覚醒、シンジの絶望を見せた「AIR」から一転、もう1つの最終話である本作は、シンジの、そして庵野監督の自意識と他人への自問自答を描きます。

 

 本作を観返してようやく理解したのは、「新世紀エヴァンゲリオン」という作品はコミュニケーションの作品だという点です。人間ドラマもそうでしたが、使徒との戦いに関してもそうでした。ミサトの解説にもありましたが、使徒とはアダムから生まれたもう1つの可能性であり、人間とは拒絶し合う関係でした。その「心の壁」を可視化したのがATフィールドだったのです。これは第弐拾四話でカヲル君が言ってました。

 

 このATフィールドの設定は、作品の根幹にまで通じる重要な要素です。ATフィールドは使徒との戦いで絶対防御のバリア的な役割を果たしましたけど、本作では綾波レイの口から、ATフィールドがあるから人は人の形を保てると言及されます。つまり、使徒との戦いのように、人と人が触れ合うと互いを傷つける。しかし、その拒絶の壁があるからこそ、他者が生まれ、自己を認識できる。それが人間であり、不完全な存在である理由でした。だからゼーレは人類を単一の個体として進化させ、この「欠けた心」を補完すべく人類補完計画を進めていたのです。その補完された世界は人と人の境界が曖昧であり、「個」がない世界。誰も傷つかないけど、誰もいない世界でした。「自分を傷つける他者」に脅えていたシンジは、この世界にて「他者がいなければ自己はいない」という実存的な答えに辿り着き、「他者がいる世界」を望みます。

 

 この世界において、「他者」の代表がアスカでした。補完された世界の中で、ずっとシンジを拒絶してきた人物であり、同時にシンジが最もすがった人物でした。だからラストで2人だけで海岸に打ち上げられたのだと思います。しかし、その後のシンジの行動は、また「傷つける」ことでした。そしてアスカはシンジの頬に手を添え(若干、優しげに見える)、「気持ち悪い」と言い放つのです。これは個人の解釈になりますが、これは「拒絶」と少しだけの優しさがあったと思います。つまり、「人間は互いを拒絶し、傷つけるしかないけど、それでも完全に自分を嫌いにはならない」的な意味なのかなと。そしてこれは庵野監督自身の所信表明でもあると思います。シンジの精神世界で、レイとカヲルは言いました。「人は分かり合えるかもしれない」と。これが第26話、そして「新世紀エヴァンゲリオン」という作品のテーマ的な帰結だと思います。だよね?

 

 

 また、このシンジの葛藤を観ているともう1つ見えてくるものがあります。それはアンチ・オタク的な考えです。本作の実写パートで、観客を映し、「気持ち、いいの?」と字幕が流れます。そして、「僕の現実はどこ?」と聞いたシンジにレイは言います。「それは、夢の終わりよ」と。要は「気持ちのいいアニメの世界に籠ってばっかいないで現実を生きろ」ってことです。いい年して学校という安全な空間で敵のいない世界を満喫している奴らを描いたアニメばっかり見ている私のような人間には耳が痛い話です。

 

 ただこれ、現代の世界に目をやると、アニメだけではなく、世界中でいろんな人に言えることだとも思います。ネットが本格的に普及し、SNSが出てきて、自分に都合のいい事実だけを切り張りして世界を見られるようになった今の世界は、本作で庵野監督が言った「気持ちのいい世界」そのものです。Twitterでは今でもこの独自の気持ちのいい世界に浸った人同士が罵詈雑言を言いまくり、対立しています(まぁ、実はこれ、私にも言えるんですけど)。そこでは「個」の意見よりも全体の意見というか、ムードみたいなものが優先され、「補完された世界」を連想させますってのは言いすぎでしょうかね。

 

 シンジは他者の恐怖を抱えながらも、もう1度他者と向き合うことを選び、「現実」に帰ってきました。それは「母親からの自立」でもあります。シンジは最初から最後まで、そしてこれからも母親に見守られながら生きていきます。しかし、エヴァ初号機(=母親)の胎内で戦うのではなく、母親と別れ(母に、さようなら)、自立した人間として立つことを選びます。この母との決別をしたという点では、シンジはゲンドウ(=父)を越えたのかもしれません。

 

 以上のように、本作は今観返しても十分刺激的で、満足のいくものでした。私ももう少し向き合わないとな、なんて思ってしまうのは、やはり「気持ち悪い」ですね。

 

 

セカイ系作品。

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 セカイ系の作品最新版兼ポジティブ版。

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 『シン』の感想です。

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主張は大いに買うけど、ちょっと苦手な映画【わたしは光をにぎっている】感想

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75点

 

 

 中川龍太郎監督に関しては、以前より名前だけは知っていました。というのも、監督の前作、『四月の永い夢』が公開されたとき、公式Twitterにフォローされたから。広報活動の一環だということは認識しつつも、フォローされたら妙に嬉しくなったので、鑑賞しようとは思っていました。しかし時間が取れず上映期間が終了してしまい、結局観れずじまい。ちょっと悪いことをしたかなと思ったので、上映規模が拡大した本作を鑑賞することにした次第です。

 

 監督はパンフレットで、本作を「10年後には存在しないかもしれない場所や人々の姿を残したい」という思いを念頭に置いて制作したと述べています。鑑賞すれば分かると思いますが、本作はそのままの内容になっており、半分ドキュメンタリーのような作品だなと思いました。

 

 本作の中心は松本穂香演じる澪の成長物語です。慣れない都会に出てきて、自分を出せない彼女が銭湯で働き、その中で自分の居場所を獲得していく物語です。そしてその過程で、周囲の人々の暮らしを描きます。この「周囲の街の人」というのがまず驚きで、実際の人を映しているのです。そして彼ら彼女らはとても暖かい。光石研さん演じる銭湯の番頭もつっけんどんながらも何だかんだ澪のことは気にかけています(要はツンデレ)。冒頭で澪に無関心だったスーパーの店長や、クレームを入れるおばさん、余裕の無さそうな店員と比べれば、天と地です。

 

 そんな温かい彼ら彼女、そして澪が手に入れた居場所を、都市開発が奪っていきます。それは主には2020年の東京オリンピック(結局延期になったけど)であり、それ以外の開発でもあります。つまり本作は、「古くからある場所が都市開発やその他の理由からどんどんなくなっている」という、1970年代くらいから山田洋次がずっと描いてきたことをやっているわけです。しかもそこにいる人たちは優しいという『男はつらいよ』的なオマケまでついている。今でも全く問題が変わっていないんだなと思わせられました。

 

男はつらいよ HDリマスター版(第1作)

男はつらいよ HDリマスター版(第1作)

  • 発売日: 2014/12/17
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 本作で救いがある点は、そういう人たちがその場所で培ったことは消えないと言い切った点。それこそがタイトルの意味なので、たとえ踏みにじられても、そこでの記憶や思いという光は生き続ける。それは絶対に無駄にはならない。それこそが本作で描いたことだったと思うのです。こう考えれば、澪を社会では馴染めない人間であり、そんな人間を受け入れる社会であったあの空間を大切にすることの重要さも描いていると思います。

 

 描いていることは素晴らしいし、監督の技量も分かります。しかし、私は本作が苦手です。何というか、ショットやシーンから、監督のドヤ顔が伝わってくるのです。本作は撮影が非常に美しく、私のような人間の目から見ても良いなと思えるシーンがいくつもあります。しかし、それが鼻につく。監督の「どう、俺、こういうショットできるんだぜ」「どう、美しいでしょ」というのがチラつくのです。もちろん本人はそんなこと思っていないと思うのですけど、私が勝手にそう思ってしまうというだけです。加えて、内容もぶっちゃけドキュメンタリーで良いような気がしないでもないものの気がして、そこまで乗れなかったです。後は物語の構造が完全に『男はつらいよ』的なのはどうなんだろうね。良い映画だとは思います。

 

 

失われた場所にいる人間が、失われた人間を思い出す映画。

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 別の意味で美しい映画。

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『イップ・マン 完結』公開直前!【イップ・マン】シリーズ4作の感想

 5月公開(されるかどうか大分怪しくなってきましたが)予定のドニー・イェン主演の完結作の予習として鑑賞。公開を信じて、シリーズ4作の感想を簡単に書きたいと思います。

 

 

『イップ・マン 序章』

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78点

 

 とにかく武術の面でも役者としてもドニー・インの独壇場です。高潔なイップマンの姿には憧れるし、華麗なアクションには惚れ惚れします。そのアクションは非常にスタイリッシュ。繰り出される詠春拳ドニー・イェンの身体能力もあって速く、華麗。本当に達人が戦っているようにしか見えない。

 

 第2次大戦中が舞台ということがあり、必然的に敵は日本軍。しかし観てみるとそこまで描写が露骨ではなく、嫌な部分は佐藤大佐役の渋谷天馬さんが一手に引き受けて好演されていて(ビジュアルも『ティファニーで朝食を』みたいな「典型的な偏った日本人像」だし)、池内博之さんが演じる役は非道な点もあれど、「武人」として中々筋が通った人物として描かれていました。おそらくかなり配慮してくれていると思う。しかし、作中の描写には同じ日本人として何だか申し訳ない気持ちになったのも事実。

 

 ストーリーは無駄な点もあれど、おそらく「中国人にとって理想的な人物」であるイップマンが自分たちを虐げていた日本軍に武術で打ち克ち、中国人の誇りを護るという、つまりは「虐げられていた者が一矢報いる」話で、シンプルで観やすい。敵が日本軍でなければもっと爽快感を味わえたかと思います。それは仕方がないにせよ。

 

 

『イップ・マン 葉問』

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87点


 本作の大筋はぶっちゃけ敵がイギリスになっただけで1作目『序章』と全く同じ。虐げられていた者が一矢報いる話。他の作品に例えれば『ロッキーⅣ 炎の友情』そのまんま。それはすなわちベタながら燃える作品だということです。

 

 本作を観れば、『序章』から続くこのシリーズの違う側面が見えてきます。それは本シリーズが1840年のアヘン戦争以降、世界中から食い物にされてきた中国が『燃えよドラゴン』で一矢報いるまでの話だということです。本作の「敵」はイギリス。イギリスは本作の舞台である香港を統治していました。そんな奴らにイップマンが武術で勝つ。中国の悲惨な歴史を見れば、これが中国にとっての誇りを護る戦いとして一貫していることが分かります。つまり、この流れで観れば、1作目の敵が日本だったのは、何もこの映画が「反日」だからではなく、必然的にそうなってしまっただけなのです。

 

 そしてもう1つ気になったのが敵側の描写。本作のイギリス側の描写は、前作の日本軍のそれと比べれば、かなり露骨に「悪」です。本作を観ることで、前作がかなり配慮してくれていることが分かりました。おそらく日本とは関係悪化が懸念されるからだろうなぁ。

 

 最後に、ドニー・イェンのアクションが素晴らしいのは当然なのですが、前作と比べて戦いにバリエーションが増えていると感じました。特に素晴らしかったのがサモ・ハン・キンポーとの一騎打ち。キンポー自身が歴戦の役者なので、迫力と貫禄が段違いでした。後はボクシングとの異種格闘技戦か。

 

 

『イップ・マン 継承』

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85点

 

 全2作とは結構趣が異なる。「虐げられていた者たちが一矢報いる」的な内容ではなく、どちらかと言えばイップマンの周囲の物語で、話の規模は小さい。それでも際立つのは本作のアクションシーンのバリエーションの豊富さ。マイク・タイソンとの3分間勝負、エレベーターでのムエタイ使いとの戦い、そしてラストの詠春拳後継者勝負。どれもが創意工夫に富み、カメラワークとか素晴らしい。

 

 そしてイップマンの物語として、一区切りする話でもある。これまで支えてくれた奥さんとの別れ、そして、詠春拳の使い手として成長する物語。タイトルの「継承」は邦題なのだけれど、劇中のイップマンの「子ども達は今の大人を見ている。我々は正しい行いをしなければ(うろ覚え)」という台詞がそうなのかなと。つまり、イップマンの「理想の中国人」の意志の継承。さらに、マックス・チャン演じるティンチへの「継承」でもあるのかもしれないと思いました。

 

 

『イップ・マン外伝 マスターZ』

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82点

 

詠春拳、チョン・ティンチ」

 

 本作の主人公は前作で葉門と詠春拳の正統な伝承者をかけて戦った男、チョン・ティンチ。彼が失意のうちから武術の誇りに目覚め、再び立ち上がるまでを描きます。

 

 本作はとにかく面子の豪華さに圧倒されます。マックス・チャンの脇にはデイヴ・バウディスタ、ミシェル・ヨー、そして特別出演でトニー・ジャーが出演。現代、そしてレジェンドのアクションスターが揃い踏みです。彼らの多彩なアクションを観るだけで本作はもとがとれます。バウディスタはシリーズ恒例の異種格闘技戦の面白さ、ミシェル・ヨーはもちろんソード・アクション、そしてトニー・ジャーはスピード感ある格闘。場所も繁華街の看板を使ったものとか工夫が効いているものもあります。そしてそれらを映すカメラワークがこれまたいいのです。ユエン・ウーピンの実力が分かります。そしてシリーズ通して観ると、アクション演出の進化もよく分かります。

 

 そしてティンチの覚醒の下りも非常に胸アツ。自身の成り上がりのための道具ではなく、誰かを護るため、正しきことをするためにその拳を振るう。それに気づいた彼の姿はとてもカッコいいのです。そして彼が息子持ちであることも効いていて、この覚醒が息子にとっての「ヒーロー」になるという意味にもなるのですのも燃えるポイント。この点はティンチのキャラ的には素晴らしい見せ場だと思います。

 

 以上、『イップ・マン』シリーズの感想でした。完結編、楽しみにしてますよ!