暇人の感想日記

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困ったことがあったら、風に向かって寅さんを呼べばいい【男はつらいよ 50 お帰り、寅さん】感想

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75点

 

 

 1969年に第1作目が公開され、1995年まで制作、公開された誇張無しの国民的映画シリーズ、『男はつらいよ』。本作は、その幻に終わった50作目の作品です。私は実は学生時代にこのシリーズにハマったことがありまして、これまでの49作全てを鑑賞済みです。まさかリアルタイムでこのシリーズの最新作を観ることができるとはという驚きと一種の感慨を以て大晦日に鑑賞してきました。

 

 鑑賞してみて感じたことは、本作は山田洋次なりの『男はつらいよ』シリーズ全体の幕引き映画だということです。現在の映像に過去の映像を挿入することで、「寅さんの不在」を我々に印象付け、それと同時にこれまでシリーズを追ってきた観客に対する山田監督のメッセージが込められている作品でした。

 

男はつらいよ HDリマスター版(第1作)

男はつらいよ HDリマスター版(第1作)

  • 発売日: 2014/12/17
  • メディア: Prime Video
 

 

 本作を観て覚えるのは「違和感」です。まず冒頭。恒例の夢シークエンスの後にかかるあの主題歌を歌っているのは渥美清・・・ではなく、桑田佳祐。我々にはあの主題歌は渥美清の声で刷り込まれているので、凄まじい違和感なのです。そして続いて変わり果てた柴又。くるま屋はカフェになり、裏のタコ社長の工場はマンションになり、御前様は笹野高史になり、当然おいちゃん、おばちゃんはおらず、いるのは老いたさくらと博のみ。そして本編もシリーズらしくなく、全く笑えません。

 

 そしてその光景に愕然としていると、不意に挿入される過去作の映像。そこには我々が知っている、あの四角い顔が出てきます。寅さんです。やはり渥美清さんの存在感と演技は絶品であり、あの過去の映像シークエンスだけは面白く、笑わせてくれます。「ああ、やっぱり『男はつらいよ』はこうでなきゃ」と思った矢先、映像は現実に戻ります。そこは笑いがない空間です。

 

 本作はこの「違和感」をかなり意図的にやっています。現在は笑いが無く、過去の映像には笑いがあります。この違いは何なのかと言えば、渥美清の存在です。『男はつらいよ』は渥美清で持っているシリーズである、とはよく言われることですが、それは何故なのかというと、山田洋次監督の作家として本質的な点に関わってきます。ぷらすとの「山田洋次を語る」で得た知識なのですが、彼は喜劇の監督と見られていますけど、本当は生真面目で、本質的には暗い作品が多いらしいのです。だから平凡な役者を使うとその平凡さが出てしまい、面白くない作品になってしまいます。その点を一身に補ってくれたのが、渥美清の存在だったのです。『男はつらいよ』は彼が主演をしていたからこそ喜劇になったし、国民的なシリーズになったのだと思います。本作はこの渥美清の不在を逆手に取り、過去作の映像を用いることで「違和感」を作り出しています。

 

 

 この違和感により、我々はこう思い知らされるのです。「もう寅さんはいないんだ」と。だからこそ、あの笑いに満ちた過去が切なく感じられます。そしてそれ故に、満男は観客と気持ちを共有した存在として物語をリードしていきます。「ここに叔父さんがいてくれたら」。満男の、そしておそらくは観客全員の思いに対し、本作はこう答えます。「寅さんは、あなたの心の中にいる」と。今はもういないけど、これまでシリーズを観てきた人には、彼の記憶が生きている。だから困ったことがあったら、風に向かって彼の名を呼べばいいのです。そうして記憶の中に留めておくことで、寅さんは生き続けるし、現実に生きる私たちを助けてくれるのだと、本作は言います。そう考えると、満男が小説を書くというあのラストは、寅さんを世の中に別の形で「生かそう」としたのだと解釈できます。そしてこれは、寅さんを「フィクション」の存在にまで持っていくということで、山田監督が観客を『男はつらいよ』というフィクションから、現実へと帰したともとれると思います。

 

 以上のように本作は、観客を『男はつらいよ』という長いフィクションから現実に帰還させた監督なりの「幕引き映画」であったと思います。良い悪いは別にして、50作という壮大な物語を締めくくったという点で、感慨深くなる作品でした。

 

 

 現代の労働者はこんなにつらいんだよ、寅さん。

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 シリーズ完結作&冬興行を争った仲。

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