87点
塩田武士さん原作の同名小説を映画化した作品。主演の速水役は、当て書きしたという大泉洋。監督は傑作『桐島、部活やめるってよ』、『羊の木』などの吉田大八監督。私にとっては吉田大八監督が監督をするということで無条件で鑑賞候補に入ります。吉田監督は原作の翻案の達人であり、原作を読んだ上で観るとより楽しめるということで、原作を読んだ上で鑑賞した次第です。
原作「騙し絵の牙」は正直言って物足りない作品でした。全6章+プロローグ&エピローグから成り立っているのですが、6章までは速水が出版会社内の権力闘争に板挟みになりつつ、自分の雑誌を護ろうと奔走する姿を描いており、どことなく横山秀夫の小説に近い雰囲気の作品でした。私はタイトル的にコン・ゲーム的なものを期待していたので肩透かしで、でもまぁこれはこれで面白いか、と思いながら読んでいたのですけど、エピローグで、急に「速水の正体」が特に何の脈絡もなく語られ、タイトルが回収されてしまったのです。そのあまりにも急な方向転換には唖然としましたし、どんでん返しとしても上手くないなと思い、ちょっと期待外れな作品でした。
だからこそ、映画を観て驚きました。映画は、私が小説に期待した通りの作品になっていたからです。映画本編は、出版会社内の権力抗争とキャラの名前を除き、ストーリーは全く別物になっていて、純粋なコン・ゲームとなっております。しかし、それでも原作にあった骨子の部分は吉田大八監督流のアレンジを加えた上で残してあるという、素晴らしい換骨奪胎だったからです。
吉田監督はインタビューにて、本作を「『仁義なき戦い』みたいにしたかった」と語っています。それを読むと、多彩な登場人物が自らの利権や権力のために奔走し、蹴落としていくという姿は、なるほど、確かに『仁義なき戦い』です。『仁義なき戦い』ではヤクザ同士の抗争はそのまま戦争のメタファーとなっていましたが、本作におけるコン・ゲームは会社を舞台にしてはいますが、業界全体を舞台に進んでいる寓話としての側面を持っています。そこで大きく取り上げられるのは、「新しい時代」VS「古い時代」であり、急激に変化し続けている出版業界の隠喩です。吉田大八監督は『桐島』等でも見せたように、限定空間における寓話が得意な方で、それが今回も炸裂しているというわけです。
映画で驚くべきは、その編集速度です。とてつもない登場人物が出てくる作品なのですが、小林聡美さんによる相関関係説明や、芸達者な方々が多く出ている点、そしてそれらを裁く編集により、小難しい話を見事に整理してみせています。特に編集は凄まじく、基本的に食い気味なくらいポンポン進みます。そして一瞬、スッと止まる。この緩急がとても良いです。
映画における速水は「掴みどころのない存在」として機能しており、原作におけるような組織内での相克や中間管理職の悲哀みたいなものは特に感じられません。「根はフリーなの」の言葉通り、「よく分からない存在」として会社の中を引っ掻き回します。それはさながら、『用心棒』における桑畑三十郎のようです(映画そのものの構造も似てる)。
そして、原作より大きく膨らんだ存在が、高野というキャラです。松岡茉優さんがこれまた素晴らしく演じているのですが、原作では1脇役キャラだったものを、速水と対等な存在として描き直したのです。彼女は実家が街の本屋で、本が心底好きな存在です。しかも大御所の作家に女性観の古さを指摘するという「新しい時代」の代表的な側面も付与されています。序盤こそ、まだ新米の彼女が速水というよく分からない存在にフックアップされ、速水の型破りなやり方に振り回されるという割かし王道なバディものとして進んでいきます。しかし、中盤以降、2人の関係は徐々にズレていって、最終的に速水VS高野という構図にまで持って行かれるのです。この構図まで進んだとき、速水と高野の立ち位置が原作とは逆になっています。原作ではどこまでも紙を護ろうとした速水でしたが、映画では「新しい時代」と手を組み、古いものを押しのけていきます。しかし、高野はその速水の目論見を喝破し、原作で速水が行った、「会社の外で新規の事業を始める」ということを高野が行っているのです。そしてその対立が原作にもあったエピローグの翻案にもなっているという見事なものです。
そして、本作はどこまでも吉田大八監督作です。本作に出てくる人間は、「本」というものを護ろうとしています。高野は言わずもがなですし、速水も、東松も、です。本というのは、読者に夢を提供します。吉田監督は、「夢を求める者」を描いてきました。本作では、登場人物全員が本という夢、フィクションを求めている人間達であり、この点において、本作は紛れもない「吉田大八監督作」だと思うのです。以上のように、本作は原作小説を見事に換骨奪胎し、エンタメ作品に、そして「吉田大八監督作品」に仕上げてみせた良作でした。