暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

神的な視点から描かれる「共生」の話【羊の木】感想

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78点

 

 吉田大八監督の最新作。吉田監督の作品はとりあえず観に行くようにしています(昨年の『美しい星』は時間が無くて観られなかった。残念)。しかし、今回は時間も何とか確保できまして、鑑賞してきました。

 吉田大八監督の作品を観ていくと、1つの共通するテーマがあります。それは、「信じる」ことの肯定だと思います。『桐島、部活やめるってよ』では夢を信じる若者を肯定し、『クヒオ大佐』では嘘を信じる女性を肯定したと思います。

 本作は「元受刑者を信じ、受け入れて生活できるのか」というものです。故に、「信じること」を描いてきた吉田監督にとって、本作はまさにうってつけの内容であったと思います。

 本作はキャッチコピーや宣伝を見る限りでは、普通のサスペンス、もしくは人間ドラマです。確かに、内容はそうです。ですが、さすがは吉田大八。ただのサスペンスにはしておらず、後半は一気に観念的な内容になり、物語的に「飛躍」しています。なので、観終わった時の感想としては、「変な映画だなぁ」という印象が強いです。

 前半は非常にオーソドックスなサスペンスです。まず受刑者6人の登場のさせ方が非常に上手い。月末との絡みで六者六葉の違いを見せたり、食事のとり方などからそれぞれの違いやちょっとした背景を観客にすっと理解させています。そして受刑者の生活を描きつつ、個別としては福元と大野のような「受容」の物語を展開させていきます。

 この「異物」が入ってくる感じが端的に表されているのの1つとして、月末のバンドメンバーに宮越が入ってくるところですかね。そういえばあのバンドも文の奏でるギターがノイズになって、鬱屈感を表していたような。

 「何だこれ、普通に良い話じゃんか」と思ったのも束の間。今度はそれまでと真逆の「信じられなくなる」描写が始まります。具体的には宮越にある人物が接触してきてからですね。あのシーンから、それまで問題ないと思えていた宮越を、ヤバい奴としてしか見れなくなります。その演出に一役買っていたのが「闇」。文との待ち合わせとか、月末との会話シーンとか、とにかく宮越は闇の中にいます。まるで、「得体の知れない何か」になってしまったように。

 このように、本作は我々に向かって、キャッチコピーの通り、「信じるか?疑うか?」を問いかけてくるのです。吉田大八監督はパンフレットで、受刑者たちを「究極の他者=あらゆる他者の暗喩(移民とか、普通の隣人)」として描くことで、近い将来起こるであろう「他者との共生」を描いたと述べています。確かに、本作はまさしく「共生の話」と言えると思います。

 さて、本作を語るうえで重要なのが「のろろ様」。島の中心にいる守り神です。伝承では、「やってきたときは悪人だったけど村人の抵抗で改心し、以後は守り神になった」とのこと。これは受刑者たちの話と重なっています。彼らも「殺人」という罪を犯してきた悪人なのですから。ですが、この街で生活し、ひょっとしたら更生してのろろ様のように根を下ろすかもしれません。

 しかし、本作の一連の騒動を観ると、どうもこののろろ様の力が働いている気がしてならないのです。のろろ様が定住者を選別して、あんなことが起こった(ようにも)見えます。

 ここまで考えると、タイトルの「羊の木」にも個人的な解釈ができます。ラストの芽から、定住できる人はできる(芽を出せる)し、できない人は無理。ってことですかね。そしてそのためには、「相手を信じる」という大野や福元に起こったことが必要なのだと思います。