暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

戦争モノ×ゾンビが生んだ悪魔合体作品【オーヴァーロード】感想

f:id:inosuken:20190530224249j:plain

 

78点

 

 

 実は私、本作に関しては油断してました。映画秘宝を読んで存在は知っていたのですが、公開日までは気を払っていなかったため、公開初週に観る時間があったにも関わらず、鑑賞しなかったのです。なので、2週目で慌てて鑑賞しました。

 

 戦争ものとゾンビを掛け合わせるという、設定を聞くだけでB級感がありますが、本作は制作費もB級。つまり、本作は真のB級映画な訳ですが、実際に鑑賞してみると、これが中々面白く、思いがけない良作でした。

 

 

 本作は、戦争ものとして、パラシュート降下作戦から始まります。まずここでの臨場感が半端ではありません。大音量で鳴るヘリのプロペラの音と、敵の爆撃音が休みなく続き、攻撃されたときのパニックや、パラシュートの降下を近くで撮って、降下する一部始終を「体験」させる下りは本当に恐ろしいものでした。本作はここで、観客を一気に映画の中に引きずり込みます。降下した後も隣で喋っていた奴が突然地雷で吹っ飛んだり、敵の強襲に遭ったり、片時も気を抜けない展開が続きます。このように、序盤は完全に戦争ものになっています。

 

 しかし、村である家に匿われてからジャンルはホラーになります。ここでも振り向き様の恐怖演出とか、観客の不意を上手くついたビックリ演出とか、中々のものを見せてくれます。ここは伏線を張るシーンなのですが、この恐怖演出のおかげで、全く中だるみを感じません。

 

 その後も、潜入作戦や拷問により、じわじわと謎が明らかにされていき、全てが判明した後半から、本作は遂にゾンビものになります。ここからは恐怖もひったくれもなく、作戦遂行のために立ちはだかるゾンビどもと人間の死闘が始まるのです。まぁ、予算の都合か、2体だけですけど。ただ、1体1体との戦闘をしっかり見せてくれるので、満足度は高いです。

 

 このゾンビとの対決の何が良いかというと、「ちゃんとバカっぽいところ」です。普通にシネコンでかかる映画で、「血清を2本打ったスーパーゾンビと戦う」など、実に中学生的発想で、単純に観てて楽しい。しかもラストは同じくゾンビになった味方がタイマンをはるという、お約束を裏切らない作りも嫌いじゃないです。

 

映画秘宝 2019年 07 月号 [雑誌]

映画秘宝 2019年 07 月号 [雑誌]

 

 

 このように、本作は、映画の中でジャンルを横断している訳ですが、実のところ、全体としては「戦争もの」として1本筋が通っています。全体の目的は「塔を破壊せよ」ですし、お決まりの良いシーンもありますし、いがみ合っていた奴らが友情を育む話もあります。この筋によって、本作はただの詰め合わせな映画ではなくなっていると思います。

 

 また、本作を観て面白いと感じた点は、因果応報についてです。よく観ていると、本作では、暴力を振るった人間は、それとほぼ同等のしっぺ返しを食らっているのです。ナチスの将校を拷問した人はひどい目に遭うし、そもそもそのナチスの将校も前のシーンでかなりえげつないことをやろうとしましたし、恐らくやっていたのでしょう。実験を行っていた人間もだいたい死にます。なので、人間に対しては非暴力を通した主人公が最後まで生き残るのは道理だと思います。

 

 このように、本作は、多くのジャンルを横断している作品ですが、戦争ものとして筋が通っており、また、1つ1つのクオリティが中々高いことで、破綻せずまとまっている作品でした。良作。

 

 戦争ものの映画です。サム・ペキンパー節も炸裂。

inosuken.hatenablog.com

 

 ゾンビものの傑作。

inosuken.hatenablog.com

 

2019年冬アニメ感想⑦【ケムリクサ】

f:id:inosuken:20190518094123j:plain

 

 

 2017年に「けものフレンズ」を発表し、彗星のごとく現れたアニメーション監督、たつき。「けものフレンズ2」を降板させられた彼が次に放った作品が、本作です。始まる前はよく分からない内容でしたが、あのたつき監督が制作するわけですから、見ないわけにはいきません。監督は1発当てた次の作品が勝負という風潮もあるので、果たして「けものフレンズ」の成功はまぐれだったのか実力だったのか、見定める意味も兼ねて視聴しました。

 

 全話視聴したうえで結論を先に述べてしまえば、私はたつき監督の実力は「本物」と言っていいのではないか思います(←偉そう)。つまり、本作はちゃんと面白かったのです。内容は要するに「再び出会うまでの物語」だし、「好き」についての話でした。

 

 

 ただ、第1話を見たときは「何これ?」を首を傾げました。最初に出てきたりん、りつ、りなの3人は得体のしれない化け物と戦っているし、りなは死んだかと思ったら複数人いて元気にしているし、こいつらの話なのかと思っていたら突然わかばが流されてくるし、しかもわかばの見た目は完全に人間なのに、「ヒトじゃない」と断定するし、かと思ったら1話の最後でりんとわかばにフラグが立つしで、何が何やらさっぱりわからなかったからです。しかし、内容は分からないながらも、他の作品との連想はできました。この1話って、「けものフレンズ」の1話とそっくりなのです。それから一行が旅に出るところも似通っています。

 

 分からないだらけの1話でしたが、本作は同時に、視聴者に大変優しいアニメでもあります。情報の出し方が自然なのです。というのは、わかばは世界について何の知識も有しておらず、我々視聴者と同じ視点に立っているのです。故に、りん達がわかばに用語や世界のルールを説明することで、無理なく視聴者に設定を理解させています。本作はこの辺が徹底されていて、世界の謎はわかばを通して明かされていきます。1話で謎だらけだった世界の謎が少しずつ、断片的に明らかにされていき、11話でそれら全てがつながったときは、その構成力に舌を巻きました。全てが分かった後のあのエンディングは非常にずるく、ちょっと泣けてしまいますね。

 

TVアニメ「ケムリクサ」エンディングテーマ『INDETERMINATE UNIVERSE』

TVアニメ「ケムリクサ」エンディングテーマ『INDETERMINATE UNIVERSE』

 

 

 本作にはわかばの他にもう1人主人公がいます。それが、りんです。世界の謎を明らかにする役目がわかばならば、本作の持つテーマを体現するのが彼女です。彼女は戦闘に長けていて、「皆を守る」ことに使命感を抱いています。しかし、そのために自分を殺し、りなやりつのような「好き」がありません。本作はそんなりんが自分の「好き」を見つけるまでの物語でもあります。まぁ、1話でフラグが立ったことからも分かるように、それはわかばなんですけどね。

 

 他の姉妹の話によれば、りんは昔は違う性格だったようです。では何故あのような性格になったのかと言えば、それは世界が過酷だから。その過酷な世界で生きていくために、りんは戦闘に特化し、「好き」を見つける余裕が無いのです。一方、りつとりなには、「好き」があります。だからか、彼女たちはよく笑顔を見せたりしています。この2人(本当はもっといるけど、便宜上2人にします)の姿から、「過酷な世界でも、好きなことがあれば、生きる希望になる」というテーマが見えてきます。だからりんが自分の「好き」に気づいたとき、壁が壊れ、楽園とも言える世界が見えたのかなぁと思います。「好き」に気づけば、明日が開けるということのメタファー的な意味合いで。

 

 この「好き」に気付くまでの物語は、もう1つ別の意味が備わっていると思います。それが最初にも書いた「もう1度出会うまでの物語」です。りんたちはリリの分身であり、りんはリリと同じく、わかばへの「好き」という気持ちを抱いています。リリは1度、自らの過ちでワカバを死に至らしめてしまいますが、リリの「好き」と同じ気持ちを抱いたりんがわかばと出会い、自分の「好き」の気持ちに気付くことで、リリが望んだ「もう1度ワカバと出会う」ことが実現したように思えたのです。これは『君の名は』ですよ。ものすごくキッチュですけど。この意味で、本作は壮大なラブストーリーと言えなくもない、のかな?少なくとも私は感動しました。全話通して、非常に面白いアニメだったと思います。

王道は外しながらも、まっとうな青春映画【劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~】感想

f:id:inosuken:20190526131230j:plain

 

80点

 

 

 武田綾乃先生による同名小説のアニメ化作品。TVアニメは2015年から放送され、現在2シーズンを数えています。映画はこのTVシリーズをまとめた総集編が2本と、外伝作品『リズと青い鳥』が1本あります。私は何だかんだで総集編以外は観ているので、完全新作となれば観るしかなく、今回鑑賞した次第です。

 

 

 鑑賞して強く感じたのは、本作はTVアニメ3期への布石なのだということでした。ただ、それでも中途半端になることなく、1本の青春映画として結構いい感じにまとめている点は、さすが京アニです。そして、こういう内容だからこそ映画にした意味があると思いましたし、このメディア展開は京アニだからこそできるのかも、とも考えました。

 

 本作は、「王道」を外している作品だと思います。というのは、本作は主人公の北宇治高校吹奏楽部が敗北する作品だから。普通のこの手の作品は、自分たちの努力が報われ勝ち進み、優勝なり何なり、輝かしい栄誉を掴んで終わります。そうしないと話が盛り上がりませんからね。この点で、TVアニメ1,2期はまさしく王道をいっている作品だと思いました。

 

 普通の作品はここで終わります。漫画になりますが、「SLAM DUNK」にしても、「アイシールド21」にしても、主人公たちの最初の1年間だけを描いています。しかし、私は常々考えていました。「1年目で栄光を掴んだとしても、2年目以降はどうなるのだろう」と。先輩はいないし、同じような成績は残せないのではないかと。本作は、そこをやっている作品でした。

 

SLAM DUNK 新装再編版 1 (愛蔵版コミックス)

SLAM DUNK 新装再編版 1 (愛蔵版コミックス)

 

 

 思えば、結末の布石は最初から張られていました。久美子が見ていたTVです。あそこで映っていたのは、ちょうど1年前の自分たちです。そして、久美子の台詞は、昨年、北宇治に敗れた全国常連校が思っていたことと同じだと思います。つまり、この時点で、本作は「敗北の物語」であることが示されていたわけです。

 

 では、本作では何が重要視されているのかというと、それは北宇治吹奏楽部の青春を切り取るという点。中盤で奏が問いかける「努力に意味なんてあるんですか?」に対し、久美子が応えるシーンがありますが、ここが重要なのだと思います。つまり、「努力しても結果は出ないかもしれないけど、その努力はなくならない」という。本作はこの北宇治吹奏楽部の努力を切り取ることに注力していると思います。だからこその、度々挟まれるスマホ映像なのかなと。

 

 そして、この努力の過程を描いたことで、本作にはもう1つの意味が生まれていると思います。それが「久美子の物語」の仕切り直しです。劇中でも台詞でありますが、久美子の、そして本シリーズのスタートは、久美子が中学時代、ダメ金で「悔しい」と思えなかったことでした。翻って、本作は努力の過程を映した上で、久美子に中学時代と同じ体験をさせます。ここで、久美子の気持ちが対比されるのです。最初は悔しいと思えなかったけど、今回はどうだったのか。それは映画を観れば一目瞭然でしょう。これによって、次の3年目が、気持ちを仕切り直した久美子の物語として描かれるのだろうと思われます。

 

 

 そして、このような「仕切り直し」、「敗北の物語」である本作だからこそ、映画にする意味があると思うのです。それは単純に長さの問題で、TVシリーズならば1クールかけてじっくり描けるのですが、まぁその結果がこれでは視聴者もうんざりするかもしれません。しかし、本作のように映画ならば、100分ちょっとで一気に見せられるし、途中で見ることを止められません。もしここを計算して映画にしたのだとしたら、かなり上手い戦略だなと思いますね。

 

 ただ、それにより、総集編感が出てしまい、展開がやや駆け足な点は否めず、また、おそらく次へ持越しとなった設定もありますし、新たに生まれた伏線もあります。このせいで、やっぱり布石な感じはしてしまいます。しかし、それを差し引いても、本作は先述のように1本の映画としてまとまっていると私は思います。

 

 他にも、やっぱり最後の演奏シーンは凄かったとか、『リズと青い鳥』のその先が描かれていて泣きそうになったとか、後輩たちと久美子の絡みは観ていて面白かったとか、良い点はたくさんありました。TVアニメ3期、待ってます。

 

 

外伝作。傑作でした。

inosuken.hatenablog.com

 

 京アニのTVアニメ作品。こっちも面白かったです。まぁ完全に弓道版『Free!』なわけだけど。

inosuken.hatenablog.com

 

 

『ゴジラ』の精神を受け継いだハリウッド版【GODZILLA(2014年)】感想

f:id:inosuken:20190530223125j:plain

 

77点

 

 

 2014年に公開されたハリウッド版ゴジラ。今年の5月末にハリウッド版『三大怪獣 地球最大の決戦』と言える『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が公開されるので、復習の意味で鑑賞しました。

 

 ハリウッド版『GODZILLA』と言えば、エメリッヒが作ったイグアナもどきがありますが、酷評され、ファンの中には存在そのものを認めていない人もいます。『FINAL WARS』でも「マグロばっかり食ってるダメなやつ」とネタにもされていました。私も酷評組の1人です。アレの何が駄目だったのかと言うと、ゴジラを単なる「モンスター」として描いていたから。本多猪四郎監督が1954年に製作した『ゴジラ』を観れば分かるように、ゴジラは生命体というよりも、「それ以上の何か」であり、それは「戦争そのもの」だったり、「日本軍の英霊」だったり、「東日本大震災」だったり、時代に応じて様々に内包する意味を変えてきました。だからゴジラはミサイルぐらいでは死なないのです。本作のゴジラは、まずこの点をクリアできています。

 

 

 本作には日本の『ゴジラ』シリーズ、そして『ゴジラ(1954年版)』へのオマージュが多々見受けられます。例えば、誰もが感じたであろう「最初の1時間ほど、ゴジラが出てこない」という映画全体の構成を挙げることができます。「ゴジラ(1954年版)」でも、最初はゴジラが出てこず、「存在」が示唆されるのみでした(本多猪四郎監督は、そこら辺をかなり意識的にやっていた模様)。

 

 本作は、ゴジラの「出方」がとても良い。夜中という暗闇の中で、ライトや、ミサイルなどの小さな光でちょっとずつ姿を見せていき、最後に仰ぎ見るようなアングルで全体像が「出現」し、咆哮したその時、最高に興奮しました。闇を最大限に使った、素晴らしいシーンだったと思います。個人的には、名著「本多猪四郎 無冠の巨匠」に載っていた「ヌッと出る」をきちんとやっている気がします。

 

 また、本作の素晴らしい点としては、「視点」も挙げることができます。本作は、基本的にカメラの視点の高さが「人間目線」なのです(ゴジラ目線になっても、それはだいたいヘリの視点だったりする)。これにより、よりゴジラの巨大さを感じ、恐怖感を煽られます。

 

 『ゴジラ(1954年版)』は、香山滋が盛り込んだ「進んだ科学の力が、人間を滅ぼしてしまうのではないのか?」という内容を含んだものだったと思います。本作でもこの点は継承されていて、物語は原子力発電所から始まり、そこから生まれたムートーという怪獣が出てきます。ただ、基本的に、人間に危害を加えるのはムートーなので、本作では、コイツこそ、「科学のしっぺ返し」を体現している存在であり、「ゴジラ(1954年版)」でいうところのゴジラ的なポジションと言えます。

 

ゴジラ

ゴジラ

 

 

 では、ゴジラはどうなのかといえば、本作では自然界の怒りを体現した存在であり、地球の調和を乱そうとする物を排除する存在なのだそう。「モンスターではない」点はまさしくゴジラですが、この設定で我々が最初に思い出してしまうのは『平成ガメラ』のガメラでしょう。

 

 ただ、ここには別の見方をすることができます。「人間の科学が生んだ怪獣VSゴジラ」という構図は、製作にも携わっている坂野義光監督作『ゴジラ対ヘドラ』を彷彿とさせます。しかもムートーもしっかり2体いるし。空も飛ぶし。何か確信犯な感じがしますね。つまり、本作は、ハリウッド版『ゴジラ対ヘドラ』と言えなくもない・・・のか?ちょっと自信がないです。すいません。

 

 このように本作は、ゴジラの芯となる部分もしっかりとやっていると思うし、オマージュもそこかしこに感じる作品でした。確かに、夜のシーンが多くて観にくいとか、人間ドラマが若干弱かったりとか、思うところが無いわけではないですが、全体的には楽しめましたよ。

 

 

こちらも怪獣が出てくる映画。

inosuken.hatenablog.com

 

 アニメ版。

inosuken.hatenablog.com

 

 

「異常なこと」を普通に描くことの怖さ【ザ・バニシング-消失-】感想 ※ネタバレあり

f:id:inosuken:20190517215250j:plain

 

87点

 

 

 1988年に制作されながらも、30年近く劇場公開されなかったという伝説の作品。私も本作の存在を知ったのは最近で、いくらキューブリックが「史上最も恐ろしい」と言っていたとしても、正直言って最初は観る気がありませんでした。しかし、NHKラジオ「すっぴん」において、高橋ヨシキさんが絶賛されていたので、時間もある事だし鑑賞した次第です。

 

高橋ヨシキのシネマストリップ 戦慄のディストピア編

高橋ヨシキのシネマストリップ 戦慄のディストピア編

 

 

 キューブリックが「史上最も恐ろしい映画だ」とまで評した本作ですが、実は本作はそこまで「怖くは」ありません。しかし、その点こそが、本作を最も「怖い」そして、「恐ろしい」映画としている所以でもあります。それは主に犯人像に現れています。普通、この手の作品では、犯人は最後の方までわからず、この犯人探しと、失踪=誘拐した動機が作品のクライマックスになると思います。ですが、本作に関しては、そこをいきなり打ち破ります。開始30分ほどで「犯人側」の物語が描かれてしまうのです。実際の犯行シーンは最初は描かれないのですが、観ていくと、「あ、コイツが犯人だわ」と一発で分かってしまいます。

 

 「いや、犯人を描くのならば、その犯人の怖さで映画を盛り上げるのでは?」と思われるかもしれませんが、問題なのは、この犯人の描き方がいたって「普通」であることです。確かにこの犯人は犯行の計画を練り、周到に準備を重ねていきます。しかし、その様を「普通に」撮っているのです。例えば、(おそらく)監禁場所に使うであろう小屋から、大声を出しても近隣に声が聞こえないかどうかの実験や、クロロホルムで人間を眠らせる時間の実験をしているシーンを、非常に牧歌的に描き、何故だか観客ものほほんとした気分にさせてしまいます。しかも、いざ計画を実行しようとしても全く上手くいかず、知り合いに声をかけてしまって「サービスエリアとかの方がいいわよ」とアドバイスされてしまう始末。正直、こういったトライ&エラーを繰り返している様にはちょっとした親近感すら感じさせてくれます。

 

 このように、ひたすら「普通」な人間である犯人ですが、ちょっと考えれば、これが如何に異常なことかが分かります。普通、映画の中で犯人やサイコパスを描く時は、そういうふうに演出しています。本作はそれを絶対にしません。どこまで行っても犯人は「普通」に描かれているのです。

 

サイコ [Blu-ray]

サイコ [Blu-ray]

 

 

 しかし、それで犯人が「普通」な人間なのかと言えば決してそんなことはなく、とんでもないサイコパスです。どうサイコパスなのか。それは、「好奇心」で犯罪を犯しているから。誰もが一度は思ったことがあると思います。「危険なことをしたらどうなるのだろうか」と。常人はそこで倫理観が働きますから、基本的にそんなことはしません。犯人のように、愛する妻子がいる身ならなおさらです。しかし、この犯人は「やってしまう」のです。好奇心で誘拐事件を思いつき、計画を立て、実行しようとする。本作はその様を「普通に」描いているのです。これは「異常」を「異常」として描いた『サイコ』より恐ろしい点だと思います。

 

 本作をさらに不気味なものにしている点は、「運命」の存在です。先述のように、犯人の計画は全く上手くいきません。しかし、様々な偶然が重なりあって、計画が遂行されてしまいます。そして、最後に主人公を追い込むのも、失踪した彼女との想い出です。それらが1つになった時、誰もが絶望の淵に叩き込まれるあのラストへと繋がっていきます。2人はこのサイコパスに殺される「運命」にあった。そうとしか思えないエンディングでした。映画そのものが2人を殺そうとしている気がしました。

 

 ラストで、2人が埋まっているであろう場所が映され、その上で遊んでいる子供たちを見つめている犯人の姿は、「恐ろしいことをしているのに平然としている」という本作の本質を体現したシーンで、実に嫌な気持ちになりましたよ。

 

 

サイコパスが犯人の映画。ですが、本作とは全く違う作品だと思います。

inosuken.hatenablog.com

 

 こちらも猟奇的事件を扱った映画。

inosuken.hatenablog.com

 

 

ヒーローのオリジンとして、家族の物語として素晴らしい【シャザム!】感想

f:id:inosuken:20190506164658j:plain

 

82点

 

 

 『アクアマン』で興行的にも批評的にも大成功を収め、一気に信頼を回復した感があるDC映画。次に放ったのは、「見た目は大人!中身は子ども!」という、日本の国民的名探偵を彷彿とさせる奇抜なヒーロー、シャザムでした。予告を観る限りはすこぶる愉快そうな内容でしたし、結構楽しみにしていました。

 

 鑑賞してビックリしたのが、本作がただのコメディではなく、ヒーローのオリジンとして、そして、今流行りの「疑似家族」を形成する話だったということです。しかも予告通り笑えるシーンもしっかりあるので、かなり楽しむことができました。

 

シャザム! :魔法の守護者(THE NEW 52! ) (DC)

シャザム! :魔法の守護者(THE NEW 52! ) (DC)

 

 

 本作の主人公はビリー・バットソン。彼は孤児であり、幼いころに母親にはぐれ、そのまま置いて行かれてしまったという過去があります。そのため、今でも母親を探し続けていて、里親に馴染もうとせず、何度も脱走を繰り返しています。そんな感じなので、次の里親であるバスケス夫妻とグループ・ホームにいる子供たちにも全く心を開こうとはしません。

 

 そんな彼ですが、いっぱしの正義感を以て同居中のフレディを助けた帰りの電車の中、謎の神殿に連れていかれ、これまた謎の爺さんに意味不明な呪文を言わされ、全身赤タイツの大人の姿になり、超パワーを得てしまいます。書いていると馬鹿みたいですが、本当だから仕方がない。かくして超パワーを得たビリーは、ヒーロー稼業に精を出す・・・と思ったが、そんなことはなかった。いくら体が大人になり、超パワーを手に入れたといっても、頭の中身はガキのまま。多感な男子が大人の外見を手に入れたとして、まず何をやるか。そりゃ「大人の特権」ビールを飲む!ストリップ・バーに行く!これでしょう。彼にとって、ヒーロー活動は割とどうでもよく、予告の強盗退治もコンビニに偶然居合わせた関係で仕方なくだし、実弾が効かないとなると大はしゃぎして、「もっとやって!」と言う始末。見た目がスーパーマンのパチモンみたいなだけに、余計にどうしようもなさを感じられます。

 

 ビリーのサイドキック(相棒)となるのがフレディ。彼はヒーローに憧れているオタクで、真偽が定かでない「スーパーマンにあたった銃弾」を大切にしています。彼がヒーローに憧れているのは、自身の体のことが影響しています。だからこそ、彼は超パワーが目の前に現れたとき、ビリー以上に大はしゃぎし、マネージャーとして活躍していきます。そして、それ故にラストで得た力に意味があるのですが。この時、超パワーの試行錯誤を動画に撮り、Youtubeにアップして知名度を得るというのは非常に現代的ですね(世界観はDCEUの中の1つなので、ヒーローの存在自体は認識されている)。しかし、だからこそ超パワーを「正しく使わない」ビリーに対し、本気で怒りもするのです。

 

 本作では、音楽、映画などが多く引用されています。その中でも注目すべきは、『ロッキー』についてでしょう。劇中の舞台は『ロッキー』と同じフィラデルフィアであり、劇中でも『ロッキー3』の名曲「Eye of the Tiger」が流れます。柳下毅一郎氏もパンフで書かれていた通り、『ロッキー』シリーズも各々が絆を結んでいく物語でした。本作でも、ビリーはフレディや、バスケス家の人間と絆を深めていくという点で共通しています。「昔の家族」とけじめをつけ、「今の家族」を選んだフレディ。彼はその時、遂に他者のためにその力を使います。

 

アイ・オブ・ザ・タイガー

アイ・オブ・ザ・タイガー

 

 

 本作の敵はドクター・シヴァナ。演じるのはギンティ小林さんより「ブリティッシュハゲ」と命名されたマーク・ストロング。本作でシヴァナは、「シャザムになれなかった男」であり、徹底してビリーと対極の存在として描かれます。力に憑りつかれ、家族を否定し、力を1人で独占しています(親を殺すシーンは、完全にホラーのそれ)。要はアメコミ映画が大好きな「主人公のダークサイド」なわけです。「家族を否定した男」に、ビリーは新しい家族と共に立ち向かい、打ち克ちます。これにより、本作が「疑似家族映画」として素晴らしいものになっていると思います。

 

 また、フレディがいじめられっ子であり、今回の件で居場所を見つけ、ビリーと共に成長するという点は、どこか『グーニーズ』的な感じがします。

 

 このように、本作は笑えて泣けて、アツくなるという、吹き替え監修をした映画監督が撮った映画『銀魂』のキャッチ・コピーをそのまま使えるほどに(しかもあっちより断然面白い)楽しめる作品でした。親子で観ても全然いいよ。

 

 

同じくDC映画で、素晴らしい作品。

inosuken.hatenablog.com

 

同じような雰囲気を持つ作品。役者も同じ。

inosuken.hatenablog.com

 

2019年冬アニメ感想⑥【臨死!江古田ちゃん】

f:id:inosuken:20190518093741j:plain

 

 

 「2019年冬アニメ視聴予定作品一覧」に載っていなかったことからわかるとおり、本作は最初は見るつもりはありませんでした。では何故見ようと思ったのかというと、例によってアトロクの「今期注目アニメ」で取り上げられていたから。1つのアニメ作品の中で、毎話監督やスタッフを変えて放送するというスタイルに興味を抱いたからです。

 

 「毎回監督やスタッフを変える」という形態は、私が覚えている限りでは「迷い猫オーバーラン!」があると思います。後は、似た形態だと、ボンズが制作した「スペース・ダンディ」を思い出します。私の勝手な意見なのですが、こういった制作体制をとっている作品は、その回によって監督の個性が色濃く出るため、各回がバラエティに富むというメリットがあります。そしてそれによって、監督毎に個性を比べたりするという楽しみも生まれます。しかし、この形態は必然的に独立性が出るため、ストーリー性のない「1話完結」な作品がベストであると思います。この点で、「スペース・ダンディ」は一連の流れっぽいものがあるにはあるのですが、大したものではなく、1話完結のオムニバス的な内容であったため、上手くいっていました。最後とか超適当だったし。

 

 本作も、原作が4コマ漫画であるという関係で、この形態にバッチリハマる要素はあったと思います。しかも参加されている方々は杉井ギザブロー大地丙太郎高橋大輔森本晃司、長濱博史、等々、伝説級のスタッフが揃っています。これは気になります。

 

 

 そしてこのバラエティ豊かな並びの通り、各回も非常にバラエティに富んでいます。1話の大地丙太郎監督では、彼らしい軽快なテンポで見せたり(ある意味、これが一番オーソドックスだったかも)、続く杉井ギザブローは江古田ちゃんをさらに掘り下げ、米たにヨシトモ回では(確か)1カットで江古田ちゃんとゴキブリとの対決を描いたり、高橋大輔回では、どことなく「ボトムズ」っぽい感じがしたります。しかし、そうかと思ったら小島正幸回ではかなり「今風」なキャラデザと演出で江古田ちゃんと友人を描いたりしていて、「やっぱり世代によってこういうコンテとか演出って変わるんだなぁ」と妙に勉強になったりしました。

 

 各回5分で非常に見やすく、監督の演出の色の違いを知る意味でも結構楽しめ、ちょっと勉強にもなった作品でした。今は「スペシャル」だと監督と江古田ちゃん役の声優さんのトーク付きという大変豪華なものも放送されていますね。