暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

遺言の補足【クライ・マッチョ】

77点
 
 今年、御年92歳になるクリント・イーストウッド。彼の監督デビュー50周年にして、40本目となる本作は、1976年にN・リチャード・ナッシュが出版した小説を映画化した作品。イーストウッドが58歳のときに初めて企画が持ち込まれたものの一旦は流れ、その後、監督と主演俳優を変えて企画は転々とし、33年後の2021年、イーストウッドに一周回って戻ってきて今回の映画化に至ったという経緯があります。
 
 アメリカ、テキサス。ロデオ界のスターだったマイクは落馬事故以来、数々の試練を乗り越えながら、孤独な独り暮らしをおくっていた。そんなある日、元雇い主から、別れた妻に引き取られている十代の息子ラフォをメキシコから連れ戻すという依頼を受ける。犯罪スレスレの誘拐の仕事。それでも、元雇い主に恩義があるマイクは引き受けた。男遊びに夢中な母に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリとともにストリートで生きていたラフォはマイクとともに米国境への旅を始める。そんな彼らに迫るメキシコ警察や、ラフォの母が放った追手。先に進むべきか、留まるべきか?少年とともに、今マイクは人生の岐路に立たされる・・・。
 イーストウッドは、新作で自身のイメージを解体してきた人物です。『許されざる者』ではかつて西部劇のスターであったイーストウッド自身が、「西部劇」というジャンル自体を批評的に解体してみせました。その16年後に撮った『グラン・トリノ』では、アメリカという国をモン族の移民に任せ、自身が死ぬことで決着をつけてみせました。この点で『グラン・トリノ』は、『ダーティハリー』の脱構築であり、同時に俳優としてのイーストウッドの遺言的映画でした。そして2018年の『運び屋』では、過去の輝かしい栄光を持ちながらも、家族を蔑ろにしていたという、イーストウッド本人のような老人、アールを演じ、自分の人生に決着をつけてみせました。
 
 以上のように、過去の作品で自身を解体してきたのがイーストウッドです。あらすじから分かる通り、本作は、「子どもと老人の交流と意思の継承」という点では、『グラン・トリノ』を彷彿とさせますし、『運び屋』とは「過去の栄光」という点が共通しています。そして、イーストウッド演じるマイクは元ロデオスターで、西部劇を彷彿とさせる出で立ちです。移動は車ですが。つまり本作は、これまでのイーストウッドのキャリアを総括してみせた内容なわけです。そしてここに加え、本作は、これらの「遺作」たちに「1つだけ補足があるんぢゃ」という感じで作られた作品でした。
 
 ただ、本作には『許されざる者』や『グラン・トリノ』のような堅苦しさというか、生真面目さはなく、『運び屋』にあったような、非常に「軽い」映画です。撮り方には全く気負いを感じず、ストーリーも飄々としています。とにかく「気が抜けた」映画なのです。
 『グラン・トリノ』では、イーストウッド演じるコワルスキーは、モン族の少年、タオに「男」としての修行を施します。タオはコワルスキーの「男」教育を受け、彼からグラン・トリノを受け継ぎます。それは『ダーティハリー』的な「強さ=マッチョ」があったと思います。しかし、時代は変わりました。「マッチョ」なだけが強さだけではありません。本作の少年、ラフォは、「マッチョ」に憧れています。今回、マイクは、そんな彼を諭す側に回ります。この点が、イーストウッド自身が、自身の作品で見せてきた「マッチョ」に対する「補足」なのだろうと思います。
 
 さらに、『グラン・トリノ』では自らが死ぬことでしか決着をつけられなかったイーストウッドですが、本作では自分の新しい「家」を見つけ、女性と生活を始めます。居場所を無くしていた彼が、アメリカという国の外で居場所を見つける。『運び屋』では「老いを恐れるな」と言っていましたが、本作でも、彼の人生への前向きさを感じました。