暇人の感想日記

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見事な完結篇にして、優しいおとぎ話【劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン】感想

劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン

 
92点
 
 
 2018年の1月から3月にかけて放送され、昨年の9月には外伝も公開された「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の完全新作劇場版にして完結篇。制作はもちろん京都アニメーション。元々今年の1月公開だったのですが、あの事件と新型コロナウイルスの影響で公開が2度延期され、9月にようやっと公開される運びになりました。正直、私は公開には1年ほどかかるだろうと踏んでいたので、年内に公開してくださったスタッフの皆様には感謝しかありません。とりあえず原作は読んでいないのですけどアニメシリーズは全て追っているので、鑑賞しました。
 
 TVシリーズは「武器」として使われ、心を失くしていたヴァイオレットが、ギルベルトが遺した「あいしてる」の意味を探す物語でした。そのためにヴァイオレットは他者の手紙を代筆する自動手記人形の仕事に就き、様々な人と触れ合い、手紙を書き、そこに込められた想いを見つけ、「心」を獲得していきました。「武器」ではなく、「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」という個人として、「何にでもなれる」と述べた9話で、一応の決着を見たと思います。
 
 『外伝』においては、このシリーズが持っていた「想いを伝える」ことをもう一度描き、同時にTVシリーズでは描写不足だった配達員にフィーチャーしてみせたまさしく外伝と呼ぶにふさわしい、本編の補完的な内容でした。詳しくは感想書きましたので、そっち読んでください(投げやり)。

 

 

 そして公開された本作は、TVシリーズ、『外伝』を含め、包括し、まとめ上げた見事な完結篇だったと思います。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」個人の人生の物語の締めくくりとしてもそうですし、時代の変遷を描いた大河としても、「あいしてる」を探す物語の完結篇としても見事だったと思います。
 
 本シリーズのメインテーマとして、「想いを伝える」ということがあったと思います。そしてその手段として「手紙」がありました。本作で何を「伝える」のかと言うと、ヴァイオレットが見つけた、「あいしてる」という気持ちです。本作は、これをギルベルトに伝える愛の物語です。この点で、本作においては、「距離」が強調されています。それは物理的な距離もそうですが、心情的な距離を表現するために「扉越しの会話」というオーソドックスな演出も見せてくれます。「あいしてる」を見つけたヴァイオレットですが、それを伝えるべきギルベルトとの間には、長い距離があるのです。
 
 そしてこの「距離」の最たるものが「海」だと思います。本作で海は何度も出てきて、重要な要素となっています。そしてヴァイオレットとギルベルトが住んでいる場所は、海で隔てられています。これが最も遠い距離だと思います。そして同時に、この「海」というものは、もう1つの意味も持っていると考えていて、それが「死者が眠る場所」ということです。冒頭と中盤で出てきたように、海ではかつての戦争で亡くなった人を悼む催しが開かれています。これによって、物理的な距離以上に、「死」という乗り越えられない距離が2人を隔てているのです。つまり本作において「海」とは、「物理的な距離」と、「死」という心情的な距離の2つの役割があるのかなと思いました。ただ、これが一気に反転するのがラストなのですけど、それは後で書きます。
 そしてもう1つ印象に残ったのが「不在」の演出。劇中では、何度かヴァイオレットの隣がぽっかりと空いたシーンがあり、それはシネスコのスクリーンを一杯に使って演出されていました。これはヴァイオレットの心が未だに埋まらないことも示していると思います。
 
 そして、ここで視点をもう1つ増やします、ホッジンズです。彼はヴァイオレットを娘のように思っていて、常に気にかけています。なので、彼の隣には常にヴァイオレットがいるのですが、本作はヴァイオレットが彼の隣からいなくなる物語でもあります。それがもう1つの「隣」であり、本作は、ホッジンズの「子離れ」的な話でもあるのです。そして同時に彼は、観客と視点を同化した存在だと思っていて、彼の隣からヴァイオレットがいなくなることに、かなりの喪失感を覚えます。だから花火の時は凄く切なくなる。そしてホッジンズの隣から離れたラストシーンでは、指を繋いで、2人一緒に画面に収まっているのです。この上なく幸せそうな感じで。
 
 「距離」と「不在」という遠すぎる間を繋ぐのは、本作の最重要テーマ、「手紙」です。遠すぎた2人の心を繋ぐのはヴァイオレットが最後に書いた手紙であり、それが「みちしるべ」をBGMにして一気に感情を高め、ラストの超エモーショナル大展開に繋がってくるのです。あのシーンでは「手紙」で伝えた想いと、物理的に2人は近づき、「海」で抱擁します。ここで「死」と「距離」という隔てるだけだった「海」は、2人を繋ぐ中間として機能します。それはさながら、「生命の海」のごとく、「愛」を生む場所となったのかもしれません。全て憶測です。あのシーンは本当に一大スペクタクルだったと思います。
 最後に、本作の構造について。これまで触れてきませんでしたが、本作には2つの時系列があります。ヴァイオレットたちがいる「現在」と、10話に出てきたアンの孫であるデイジーがヴァイオレットの足跡をたどる「未来」です。ぶっちゃけ、デイジー篇は「現在」と言った方がいいのですけど、敢えてこう分けます。デイジーが「過去の出来事」としてヴァイオレットの足跡をたどることで、本作そのものを「御伽噺」化させています。ヴァイオレットの物語を「幸せに暮らしましたとさ」という物語として総括させているのです。
 
 そしてこの物語は、アンへのあの手紙から始まりました。デイジーはヴァイオレットの足跡をたどり、最後に手紙で想いを伝えます。手紙を出すのに使った切手にはヴァイオレットの姿があり、彼女は、まだ人々の想いを伝えているのだと示します。時代が変わっても、変わらないものはあって、それは人の気持ちや想いで、それを伝えあって、人は生きていて、歴史を作っている。そしてその傍らにはヴァイオレットの姿があるのだという、見事な締め括りでした。感無量です。
 
 

 外伝とTV(1話)の感想です。

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