72点
アクション映画ではありますが、人生や死生観についての映画でもあります。
コン・ユ演じるギホンは、余命僅か。対して、人類初のクローンとして作られたソボクは、「死なない」存在。前半はこの2人が心を通わせてゆくロード・ムービーとして作られています。ここで重要なのは、ギホンは余命僅かなので、自身の命を長らえさせるためにソボクを護衛しているということです。ソボクはソボクで生きる意味が分からないため、ギホンに「何故生きるのか」という問いかけをしていきます。この問いかけによって、自分の人生を見つめ直したギホンが、利他的な行動に出るのが本作のクライマックスです。
この背景にあるのは、大企業と体制側の利己的な行為です。あの社長はソボクという個人を蔑ろにし、永遠の命を得ようとしていました。ここに、企業や体制など、大きな組織が個人の尊厳を踏みにじるという、現実の社会でも起こっている構造が見られます。そして、ギホンも「体制側」でした。体制につき、大切な人を売り、その後は犬として後悔しながら生活をするしかなかったのです。しかし、演じているのがコン・ユですから。最後には覚醒します。韓国映画には、最近増えている過去の民主化運動を題材にした作品などのように、「一市民の目覚め」が重要な要素となっている作品が多いですが、本作にもこの構造があるわけです。そしてコン・ユはこの手の主人公を演じ続けた俳優でもあります。
そしてこれは、人生観と死生観に繋がってゆきます。つまり、人間の人生とは、「何をなしたか」である、ということ。ギホンは余命僅かではありましたが、最後の最後に覚醒して為すべきことを為します。ソボクは短い人生ではありましたが、一時の自由を得ることができました。監督は、本作の撮影の前に親類を癌で亡くしたそうです。そこから構想が始まったそう。短い人生においても、何を為したのか、何をすれば「生きた」と言えるのか。こういう監督の思いが、本作にはあると思います。