暇人の感想日記

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ジェームズ・ボンドの物語の完結【007 ノー・タイム・トゥ・ダイ】感想

007/ノー・タイム・トゥ・ダイ

 
77点
 
 
 2006年の『カジノ・ロワイヤル』から15年。結果的にボンド就任期間としては歴代最長となったダニエル・クレイグの、最後の『007』です。おそらく、新型コロナウイルスの影響をモロにくらってしまった作品で、本当なら昨年の2月14日に全世界公開されるはずだったのに、延期に延期を重ね、ようやく公開されました。この期間、実に1年8カ月。その間映画館には本作の予告が流れまくっており、もう何か、映画泥棒クラスに馴染みが深い作品になってしまいました。私はクレイグ・ボンド世代なので、彼の最終作は見逃す手はない、ということで鑑賞しました。
 
 ダニエル・クレイグの『007』は、『007』という作品を脱構築してきた異色のシリーズでした。それまで映画化権を取得できていなかった「カジノ・ロワイヤル」の原作映画化権を取得できたことで、「全てを最初から作り直す」ことができたため、『カジノ・ロワイヤル』ではこれまでのボンド像とはかけ離れた、荒々しい姿を披露。『ボーン』シリーズを彷彿とさせるようなアクションで、ジェームズ・ボンドのオリジンを描いてみせました。直後のストーリーである『慰めの報酬』を挟み、シリーズ最大の衝撃作、『スカイフォール』を発表。「007」を『007』で語ってみせた本作により、見事にボンドの再定義を行いました。続く『スペクター』では、権利関係で出演させることができなかった敵、スペクターを出し、『スカイフォール』とは違った、従来の『007』に近い内容の作品を生み出しました。
 『スペクター』から本作までの6年間で、時代は大きく変わりました。映画界では、ハーヴェイ・ワインシュタインの性的暴行の告発に端を発した「#MeToo」運動の盛り上がりと、それに伴う女性の地位向上。『007』は時代との戦いの歴史だったとは言っても、作品のコンセプト的には真逆だと思うのです。そんな中公開されるという本作は、どんな内容を見せてくれるのか、と、結構期待して観たんです。私は。
 
 「ダニエル・クレイグボンドの集大成」としてどうだったのかというと、色々な側面があるとは思うのですが、まずはボンド像です。これは、『慰めの報酬』までの荒々しい雰囲気と、『スカイフォール』以降のスマートな感じを上手く融合できていたと思っていて、特に素晴らしいなと感じたのは、クレイグ・ボンドに圧倒的に欠けていたユーモアを発したりとかした点ですね。基本クレイグ・ボンドは真面目一辺倒で、いつも相対化されていた印象なので。また、画面のルックに関してはサム・メンデスのものを継承し、特に冒頭のイタリアを広角レンズで捉えたショットは全てが素晴らしかったです。さらに、アクションは前半の『ボーン』シリーズのような肉体を駆使したものと、後半の秘密兵器を使い分け、上手く同居を図っています。やはり白眉は冒頭のイタリアになるのですけど、バイクアクションと、アストン・マーティンに乗ってからの機銃掃射の素晴らしさたるや、です。また、中盤のキューバでのアクションや、後半のワンシーン・ワンショットなど、非常に目を見張るアクションが多かった印象です。
 
 また、話そのものも、従来の、他の『007』シリーズでは行われてこなかった、「ジェームズ・ボンド」個人を掘り下げた内容になっていました。先述の通り、クレイグ・ボンドは、「007」というアイコンの塊みたいな存在を再定義し、代わりに「ジェームズ・ボンド」という個人を掘り下げたシリーズでした。その最終作として、本作のボンドは、「国」のためではなく、「ジェームズ・ボンド個人」として行動します。「007」という殺しの許可証は「ただの数字」とされ、女性が大活躍します。余談ですが、アナ・デ・アルマス演じるパロマは最高でした。10分しか登場してないのに完璧に魅了されました。その結末は、彼の死となるのですが、「個人の人生を全うする」という、クレイグ・ボンドの結末に沿っているといえばいるのかもしれません。
 以上のように、良い点もあるし(特にOPまでは100点)、狙いは分かります。しかし、不満点も多いのです。まずは何と言っても脚本ですよ。本作は上映時間が164分という、シリーズでも最長のもの。製作側は「ボンドの活躍を濃密に描く」と言っている記事を見ましたけど、要はこれ、「必要な段取りを踏んだから」以上の理由は無いんですよね。クレイグ・ボンドのシリーズに出てきたキャラを一通り登場させ、その上で、「シリーズの総括」としてこれまでの「伏線」らしきものを回収していく、という段取りを踏んでいただけなんですよ。だからあんなに長くなったし、作品のテンションを後半になると維持できていない。
 
 それで面白くなればまだ良いし、本当の意味でクレイグ・ボンドの総決算になるならそれはそれで良かったんです。しかし、本作の内容は、結局は『スカイフォール』であり、その先の『スペクター』なんですよね。敵であるサフィンは何度観たか分からない「鏡像関係」で(能面をつけているという点でも、それは意識的だと思う)、それ以上でも以下でもない薄い悪役。何がしたいのかよく分からないし、やりたいことも台詞で説明するだけというね(製作上の問題もあったのかもしれませんが)。まぁ一応、今回の敵は「こうなるかもしれなかったジェームズ・ボンド」であり、『スカイフォール』は「こうなるかもしれなかった007」であったことを考えれば納得はできるんですけど、にしても、もうちょっと何がしたいとのかとか描こうよって言う。しかも、「ジェームズ・ボンドとして生きる」って言う点では、『スペクター』でその結末に達しているため、蛇足感は否めません。後、ラストのウエットさはちょっと引いた。
 
 また、これは本作というよりも『クレイグ・ボンド』全体に言えることなのですけど、このシリーズは特段意味付けがされていない、フラットな『007』を描かなかったよな、という点も不満です。どの作品でも相対化とか内省的な話はするのですが、それを経て、ベテランとなった彼の活躍を描くことがありませんでした。一番惜しかったのは『スペクター』だと思うのですが、これは非常に惜しいことに、クリストフ・ヴァルツに「鏡像関係」の意味を持たせてしまったため、やっぱり話の方向性が内省的な方へ触れてしまいました。意欲的な試みが多く、面白いシリーズではありましたが、内省的な話を多くやりすぎてしまい、真の意味で「今の時代の『007』」を作れなかったなという印象です。
 まとめますと、私は本作に関しては、「ジェームズ・ボンド版『スカイフォール』がやりたかったのかな」という狙いは汲むのですけど、そのために脚本が段取り臭いのが気になるのと、それなら『スペクター』で終わりでよかったんじゃね、と思います。ただし、アクションは見応えがあり、冒頭は100点ですし、劇中でも何度か印象的なアクションがありました。また、ボンド像に関しても、前半と後半の融合が上手くなされていたと思います。さらに、シリーズ全体の不満として、「全盛期のボンドを描いてくれなかった」という点があります。ただ、この点については本作は惜しいところまではいっていて、上述の良い点もあるため、「最終作」という触れ込みでなければ、ひょっとしたらこの望みを叶えてくれたかもしれないです。