暇人の感想日記

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2021年春アニメ感想⑤【ゾンビランドサガ リベンジ】

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☆☆☆☆(4.2/5)
 
 
 2018年に放送されるや、「ゾンビがアイドル」というぶっ飛んだ設定ながら正統派アイドルアニメとしての出来の良さとコメディとしての面白さ、そして宮野真守という要素がハマって大ヒットを記録した「ゾンビランドサガ」の続篇。本作は、続篇でありますが、それ以上に、「アイドルアニメ」という作品そのものについてもう1歩踏み込んだ視点があった作品でした。
 
 「アイドル」というのは「偶像」です。ファンは「作り出された」偶像であるアイドルを応援し、元気をもらいます。本作のフランシュシュはゾンビィです。既に死んでしまい、正体を知られたら大変なことになってしまいます。だから、人前に出るときはメイクをし、「生者(便宜上こう言います)」の仮面を被るのです。1期から、この構造が「アイドル」という存在そのものを表した重要なメタファーとなっていました。
 
 本作が他のアイドルアニメと一線を画している点は、「ファンの存在」だと思います。例として「ラブライブ!」を出すのですが、あの作品はμ's9人の物語であり、彼女たちの成長は描かれるのですが、ファンの存在はほとんど描かれませんでした。本シリーズも、1期は彼女らがフランシュシュとして成り上がってゆく過程を描いていたため、この「偶像性」は保持されたまま物語は終わってしまいました。しかし、続篇である本作は、ファンを始めとした、応援する/されるという関係性の変化が重要な要素となっています。顕著なのが第7話で、ファンの舞々が加入するというトンデモ展開が起こります。彼女にはフランシュシュがゾンビィであると知られてしまうのですが、それでも彼女はフランシュシュを応援し続けると言いました。また、避難所でのミニライブでも、自前の仮面が剝がれ、素顔を晒してしまいます。しかしそれでも、観客は応援し続けました。これは、前述の「偶像性の崩壊」だと思っていて、偶像が崩壊したとしても応援し続けてくれるファンの存在により、ファンとの関係が一方通行ではなく、相互的なものになったのだと思いました。
 1期において、フランシュシュは巽幸太郎の意志のもと、「佐賀を盛り上げる」ために活動してきました。しかし、本作では、まずこの関係性が変化していき、フランシュシュの面々は巽幸太郎の関与しないところで自分たちで決め、行動します。特に終盤で起こる大災害における彼女たちの行動は、巽幸太郎の指示ではなく、彼女たちの独断でした。ここに、フランシュシュと、巽幸太郎の関係性が一方方向ではなく、相互的な関係となっていると思います。そしてこれは、1期から続く、フランシュシュの成長物語としても綺麗なものです。この成長のおかげか、本作では巽幸太郎の出番が減少し、彼がはっちゃけるのが減りました。これで少しコメディ要素が薄くなってしまったというのがありますが、話の展開的に、これは仕方のない事だったのかなと思います。
 
 ラストライブは、応援する/される関係性の変化の最終地点だと思っていて、フランシュシュの面々が、打ちのめされている佐賀県のためにラストライブをするわけです。そこには、自分たちのリベンジという以上に、「佐賀」そのものを元気にしたいという思いがあります。それはそのまま、我々視聴者にも向かってくる思いで、それを意識したのか、ラストライブは、カメラワークとかが完全に「ライブ」っぽいものでした。今の世情を考えると、このアニメそのものが佐賀を、そして世界を応援しようとしているような気がして、少し泣けてきました。
 

 

そういえばコラボしてましたね。アメリカのゾンビランド

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 MAPPA制作の大ヒット作。

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