暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

誰かに手を差しのべ、寄り添うことの大切さ【映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ】感想

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80点

 

 

 11月8日。映画ファン的には、今年の注目作の1つ『ターミネーター/ニューフェイト』が公開されました。楽しみにしていたのは映画ファンだけではなかったようで、普段あまり映画を観ない層の観客も動員し、その週の興行収入ランキングで見事1位を獲得しました。

 

 しかし、その週末の話題は別の作品が完全に持っていきました。それが本作です。作中のすみっコ達のようにひっそりと公開されてみれば、その外見からは想像もできなかったメッセージ性を含んだ作品としてTwitterで感想が出回り、「奈須きのこが脚本やってる」とか「子ども向け作品を観に行ったかと思ったら『攻殻機動隊』だった」とか大層な言われようをされました。私はすみっコぐらしについてはまるで知らなかったので、当然本作の存在も話題になるまで知りませんでした。

 

 

 しかし、話題になれば観たくなるのが人間。子どもの邪魔になっては悪いので、仕事帰りに鑑賞してきました。ちなみに、このときの劇場内は親子連れと私のような映画ファンらしき1人客(男)とで二極化されており、それはとても異様な光景でした。

 

 鑑賞してみると、なるほどと思いました。純度100%の子ども向け作品でした。しかし、それはつまらないこととイコールではありません。誰かが言いましたが、子ども向けと子供騙しは違います。本作は「すみっコぐらし」の設定を上手く使い、人間にとって、とても大切なことを真摯に訴えた作品です。ここを子供騙しにしていないから、大人にも十分響くメッセージを含んでいるのだと思います。

 

 本作は子ども向けであるため、全体的に分かりやすく作ってあります。井ノ原快彦さんのナレーションで進み、キャラ紹介、キャラの考えていること、今何を目指しているのか、を説明してくれます。このイノッチの声が凄く良くて、何かこう、とても安心できます。

 

 また、すみっコ達もイノッチのナレーション以外に結構個性的な動きをしています。台詞がない彼ら彼女らですが、こうした動きから「何を考えているのか」という深読みをすることが出来ますし、それが各々のキャラの差別化になっています。

 

 本作で重要なのは、すみっコという点。彼ら彼女らは所謂「余り物」であり、社会的、存在意義的にはあまり必要とされていない存在です。だから隅っこが落ち着くんですね。本作の肝は、このすみっコ達が、自分が何者か分からないひよこと出会い、寄り添うことです。

 

 

 本作を観て、現在大ヒット中の映画『ジョーカー』を思い出した方も多いと思います。私もそうでした。あの作品は、社会の隅にいるアーサーが、全てから見捨てられて「悪」になる作品でした。本作のひよこは、終盤に明かされる正体により、『ジョーカー』におけるアーサーと言える存在だということが分かります。ただ、アーサーと違うのは、ひよこには自分に寄り添ってくれるすみっコ達がいたこと。すみっコ達と絵本の世界を冒険し、鬼とか狼とか色々な存在に出会い、友情を育みました。「自分は誰かから必要とされている」ことさえ分かれば、人は前向きに生きていけるのです。場所があれば、こんなに嬉しいことはないのです。

 

 また、ラストでこれまで出会ってきたキャラが総出で助けてくれるのも素晴らしいなと思います。私はここに、「他者と交流を持てば、助けてくれる」というメッセージを観ました。しかも鬼に関しては、「桃太郎」の世界なのに倒さないで話し合いで説得した上で結んだ関係性だったので、より素晴らしいなと。

 

 人が人に対して、手を差し伸べることを忘れかけている現在。「誰からも必要とされていない」存在にも手を差し伸べ、寄り添うことの大切さを描いた本作は、今だからこそ子どもに、そして観客に伝えるべき作品であると思います。

 

 

本作とは根底は同じながらも、結果は全く違うという作品。

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 同じく「子供向け」作品。こっちも素晴らしいぞ。

inosuken.hatenablog.com

 

女優への畏敬の念【真実】感想

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79点

 

 

 昨年、『万引き家族』で日本人としては21年振りにカンヌ国際映画祭最高賞、パルム・ドールを受賞した是枝裕和監督。映画も大ヒットを記録し、質的、興行的にも大成功を収めた彼が次に放った作品は、カトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュイーサン・ホークという名優と共に撮った、フランス映画でした。私としても是枝監督の作品は必ず観るようにしていますし、何と言ってもガラパゴス化が著しい日本映画界で、自ら海外に打って出て、海外の名優と共に映画を作る。これを聞いただけで俄然期待値は高まりますし、応援したくなります。なので、台風が迫ってきている公開初日に鑑賞してきました。

 

 ・・・のはいいのですが、劇場に行って愕然としました。観客が全然入っていなかったのです。私が観たのは台風が迫っている日だったので、その時はそのせいかなと思ったのですが、週末の興行ランキングにも入っていない始末。オイオイオイオイオイオイオイオイと、「密漁海岸」の岸辺露伴ばりに突っ込みたくなります。皆『万引き家族』観たんじゃねーのかよ。やっぱ賞効果だったのかと悲しくなりました。しかし、そんなことは気にせず、私個人の感想を書きたいと思います。

 

岸辺露伴は動かない (ジャンプコミックス)

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 鑑賞前はその座組から、いくら是枝監督でもどうなるか全く予想ができなかった本作。予告を観ていると、自伝を出したのを機に、大女優一家の隠された「真実」が明らかになる、みたいな、サスペンスを想像していました。観てみると、だいたいは合っていました。ストーリーが進むにつれて、家族の仲にある確執が浮き出てくるという『歩いても 歩いても』的な恐ろしさは健在です。しかし、本作は基本的にはコメディ映画であり、ちょっとだけライトな、いつもの是枝作品でした。だから観ていると、カトリーヌ・ドヌーヴ樹木希林に見えてくるし、イーサン・ホーク阿部寛に見えてきます。

 

 本作を観ていて面白いなと思った点は、映画の中にいくつかの層がある点。それらが本作をより深く、重層的なものにしているなぁと思いました。

 

 1つ目の層は、本編と、ファビエンヌが出演している劇中劇。宇宙に行って歳をとらない母親と、地球に残り、歳をとっていく娘という、『インターステラー』のような話なのですが、ここで描かれることが、ファビエンヌと娘のリュミールの関係を表すものになっています。「歳をとらない母親」と「歳をとる娘」という設定はずっと子供のように我儘ばっかり言ってるファビエンヌと、それに振り回されているリュミールに重なり、立ち位置が逆転していくところ、そして2人が和解する点も劇中劇と重ね合わされて語られています。

 

 

 もう1つの層は、ファビエンヌと、演じているカトリーヌ・ドヌーヴです。ファビエンヌは、観れば観るほど生き様がカトリーヌ・ドヌーヴそのものです。最近BSで放送されていた本作の制作ドキュメンタリーを見てみると、よりそれが分かります。そして是枝監督のインタビューを聴いたり読んだりすると、あの劇中劇の様子にはかなり本作の撮影状況が反映されている模様。つまり本作は、家族の物語であると同時に、カトリーヌ・ドヌーヴという女優そのものを撮った作品でもあるのです。この2つを同時にこなしてしまう監督の手腕には脱帽しました。

 

 いつも通りの「家族の物語」でありながら、女優への畏敬の念まで見事に映像化してみせた是枝監督。日本での興行は不振ですが、評価は高い模様。このまま突っ走ってくれることを期待しています。

 

 

監督前作。パルム・ドール受賞作。

inosuken.hatenablog.com

 

 監督作。

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ギャング達の栄光と落日、そして懺悔の物語【アイリッシュマン】感想

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96点

 

 

 巨匠、マーティン・スコセッシが、共にハリウッドをのし上がったロバート・デ・ニーロと『カジノ』以来、24年振りにタッグを組んだギャング映画。本作のトピックはそれだけではなく、共演にはデ・ニーロと同じくスコセッシ組のジョー・ペシハーヴェイ・カイテル、そしてスコセッシ組初参加の名優、アル・パチーノが参戦と、まるで70年代~80年代のギャング映画のような顔ぶれであることです。NETFLIX独占配信とのことでしたが、この度映画館で上映が決定したということで、鑑賞してきました。

 

 本作の上映時間は209分と大変長く、これが鑑賞の際のハードルを上げてしまっていると思います。私もかなり気合いを入れて臨みました。しかし、実際に鑑賞してみると、1シーン毎の画面の密度が半端ではなく、退屈することなく観ることが出来ました。こんなシーンを何てことないように撮れてしまうスコセッシの職人技にただただ感服です。

 

 本作のストーリーには、大きく2つの側面があると思っています。1つはギャング映画としての側面。2つ目はフランク・シーランという人物が、裏世界から見たアメリカ現代史の側面です。そしてその2つの側面から、個人の人生と懺悔についての物語を描き出した作品でした。

 

アイリッシュマン(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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 本作がギャング映画の総決算的作品と言われるのはよく分かります。まず座組がそうですよね。ストーリーも一介の人間が裏世界でのし上がっていくという、王道のもの。一番連想されるのは1990年の『グッドフェローズ』です。それ以外にも、劇中のレストランでの暗殺は『ゴッドファーザー』を連想させます。しかも暗殺シーンについても、プロフェッショナルなものなので画的には地味になってしまいがちなものをカメラワークでカットを割らずに見せていたり、工夫もされています。

 

 そしてそのようなギャング映画としての形式を借りながら、裏世界から見たアメリカ現代史を描き出していきます。なので、一種の大河ドラマ的な内容になっています。この辺も『グッドフェローズ』っぽいです。

 

 ただ、『グッドフェローズ』とは決定的に違う点があります。それは映画のテンポです。『グッドフェローズ』は約30年間のマフィアの抗争を超スピードで描いた作品でしたが、こちらはほぼ同じ年月の出来事を『グッドフェローズ』より1時間超長い時間で描いています。しかも役者も皆老人。CGI処理しているけど、動きまでは若者になれませんでした。それ故に、若干スローテンポになっています。ただ、それでも映画そのものが弛緩しているとかはなく、シーランがのし上がっていく大半のパートは躍動感に満ちています。これはスコセッシの力もそうですが、やはり役者の存在感と演技力のなせる業なのかなぁと思います。

 

 

 この若干のスローテンポこそが大切だと思っていて、本作は、要は「老人の映画」なのだと思います。もう全盛期は過ぎ、人生の終わりを迎えようとしている人間の物語です。だからこそのキャストなのです。ロバート・デ・ニーロアル・パチーノジョー・ペシハーヴェイ・カイテル。彼らはスコセッシと同じ時代を駆け抜け、もう人生の終わりが近づいてきています。そんな彼らを、スコセッシが撮るという、彼らの役者人生と被る内容の作品なのです。そしてそれはストーリーにも表れていて、躍動感に満ちていた前半(=全盛期)と比べ、シーランが逮捕されてからは停滞気味になります。まるで、「終わりを迎えるだけ」な人生そのもののように。

 

 シーランは暗殺者としての仕事を請け負い、裏世界でのし上がりました。しかし、ギャングに身を任せた結果、人生の終わりを迎える年齢になった時には、家族を失い、友人も失い、頼れる兄貴分にも先立たれ、1人になってしまいました。序盤でシーランがモノローグで言っていた「自分で進んで墓穴を掘る人間の気持ちは分からんな」という台詞がラスト、人生の終焉を迎えたころになって自身に跳ね返ってくるのです。これが彼の人生の結果なのです。ラストのわずかに開いたドアの間から見えるシーランの姿は、これまでの人生全てが虚しく感じられるような、寂寥感がありました。

 

 激動の時代を駆け抜けた者たちを躍動感を以て描く前半と、人生の終焉に差し掛かり、停滞する後半に分けて、流されるまま罪を重ねてきた人間を描いた本作は、スコセッシにとって、ギャング映画として、そして彼のもう1つのテーマである「信仰と懺悔」の映画であると思います。それを同じ世代の役者と共に制作したという点で、本作は彼の1つの集大成なのかもしれないなと思いました。

 

 

こちらも人生の終焉についての映画。

inosuken.hatenablog.com

 

 こっちも老人の映画。

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ラストで台無し【スペシャルアクターズ】感想 ※ネタバレあり

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53点

 

 

 昨年、『カメラを止めるな!』の大ヒットにより、一躍時の人となった上田慎一郎監督。おそらく、今映画界で最も次の作品が待ち望まれている彼の最新作です。私も突如として現れたこの監督の作品は、同じ時代を生きている者として出来るだけ追っていこうと思っており、この度鑑賞した次第です。

 

 しかし、鑑賞してみると、少しイマイチに感じてしまう作品でした。確かに、前半に感じたつまらなさは中盤のどんでん返しでチャラになりましたし、『スティング』のようなケイパーものの作りも良い。しかし、ラストの大どんでん返しで全てが茶番に思えてしまうという作品でした。

 

スティング [Blu-ray]

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 本作について調べてみると、前作『カメラを止めるな!』と非常に近い作品であることが分かります。役者はほとんどの方が無名、若しくは初挑戦である点、そして役者を魅力的に撮っている点、おそらく低予算である点、どちらも「フィクションの力」を扱っている点、最初がつまらない点、そしてどちらも大どんでん返しがウリである点。こうなると二番煎じ感が出てきそうなものですが、本作はそれに陥っていません。それは本作が『カメラを止めるな!』とはジャンルが少し違うためだと思います。

 

 本作は、『スティング』のようなケイパーものと言えます。「スペシャルアクターズ」の業務内容や、あっと驚くどんでん返し、そして圧倒的な力を持っている相手をこちらのチームワークと知恵で騙して壊滅させる、というストーリーはそのまま当てはまります。

 

 監督の前作『カメラを止めるな!』と本作が違う点はまさしくここだと思います。どちらもどんでん返しを作品の重要な要素としていましたが、あちらは映画製作の裏側を描くことで作品そのものの内容をがらりと変えてしまう作品だったのに対し、本作は(少なくとも中盤までは)ケイパーものというジャンルの範疇のどんでん返しだったと思います。

 

 本作は、主人公、和人の自己実現とちょっとした成長の話です。彼は子どもの頃に見ていた「レスキューマン」という特撮ヒーローものの大ファンで、その影響で役者をしています。だからこそ最後でレスキューマンになって大立ち回りをする(と言う大芝居)展開は彼の自己実現がなされた瞬間であり、同時に、「信じる」ことで過去のトラウマを取り払った瞬間でもあるので、感動的なのです。

 

 

 そしてここで重要なのが、この大芝居で崩壊させるのが、「信仰」をビジネスにしている悪徳新興宗教である点。そう、本作は、芝居という人々に「本物である」と思わせるもので、「信仰」を食い物にしている連中を打ち倒すという話なのです。このあたりの「フィクションについての物語」については、『カメラを止めるな!』と同じものを感じます。つまり本作は、「フィクションで救われた人」の話なのです。

 

 ここまでは良いんです。最初こそはつまらないなと思いましたが、中盤の展開で盛り返しましたし、痛快な内容でした。ただ、だからこそラストはいただけません。ラストはこれまでの話が全て弟が和人のためにやった「大芝居」だったことが判明します。これは作品の構造そのものを覆すまさに「大どんでん返し」ですが、これにより私には、本作そのものが茶番に思えてしまいました。これが弟が和人のいない場所で暴露するとかならまだ良かったのですが、発見するのが和人なので、これまでのことが全て無駄になってしまう気がします。

 

 また、あのラストを観て思い出したのが、映画秘宝柳下毅一郎さんが言っていた「どんでん返しをされるたびに、映画の独自の飛躍がなくなっていく」という『カメ止め』評。私は『カメ止め』ではそこまで感じなかったのですが、本作ではこの言葉がしっくりきました。せっかく「悪徳新興宗教を打ち倒す」という痛快な、フィクションでしかできないようなことをやったのに、それを全て「嘘でした」と言ってしまうというのは、映画そのものが矮小化されてしまった気がします。

 

 以上のように、ラストまでは楽しめました。次作、待ってます。

 

 

 監督前作。こっちは好き。

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 ダメダメケイパーもの。

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真実を伝える姿を描き出す【プライベート・ウォー】感想

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78点

 

 

 実在した戦場ジャーナリスト、メリー・コルヴィンの生涯を映画化した本作。監督は『カルテル・ランド』『ラッカは静かに虐殺されている』などのドキュメンタリーで知られるマシュー・ハイネマン町山智浩さんがたまむすびで紹介していたので興味が湧き、鑑賞しました。

 

 現在、世の中のジャーナリズムは変革を迫られています。インターネット、そしてSNSが誕生し、誰でも情報を発信でき、世界中の情報を瞬時に手に入れることができるようになりました。情報にもスピードが必要になってきたのです。これに打撃を受けたのは新聞各社。スピードだけではネットには適わないので、どんどん部数を落としています。しかし、ネットの情報には信憑性が薄いというのも事実。誰でも情報を発信できるようになってしまったため、新聞各社のように裏取りをしないでそのまま情報を流してしまい、嘘の情報、つまりフェイクニュースが拡散されてしまう事態も生み出しています。

 

 戦場という世界でも最も危険な場所に行き、取材をして、そこに確かにある真実を伝えようとしたメリーコルヴィン。本作は、彼女を描くということは、このジャーナリズム、そして情報というものが軽くなってしまった現代においては、必然だったのだろうと思わせる内容の作品でした。

 

 

 監督は前2作で異なる戦場をドキュメンタリーとして制作しましたが、本作では、新聞記者の立場の変遷を、時代を順番に見せて映していきます。メリーが目を失ったときは「アメリカ人記者だ」と言っても爆撃を食らい、最後の戦場では「記者が狙われている」とまで言われます。メリーは、そしてジャーナリストは時代が変わるにつれて、どんどん追い込まれていくのです。

 

 本作はそのようなジャーナリストの変遷とともに、メリーの人生を描きます。戦場シーンもかなりの緊迫感。それはさながらドキュメンタリーのようで、彼女が何に苦しみ、戦い、戦場に行っていたのかを丁寧に映し出していきます。そこでの彼女は英雄ではなく、アル中でPTSDに苦しむ1人の女性です。この「彼女の真実の姿を伝える」ことそのものが、フェイクニュースが蔓延する現代において、「真実を伝える」事と重なり、本作の目指そうとしているところが分かります。

 

 何故彼女は戦場に行くのか。その理由は名誉でも金でもなく、伝えなければならないことがそこにあるから。だから彼女は戦場に行き、取材をし、声にならない人の声を届けるのです。そんなジャーナリズムの矜持を見せつけてくる作品でした。「自己責任」とか「マスゴミ」とか軽々しく言う人間は(マスゴミに関しては言いたくなる気持ちは分からないでもない)、須らく観るべきだと思います。

 

 

一応、ジャーナリズム繋がりということで。言いたいことがないわけじゃない。

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 こちらもジャーナリズム。こっちは素晴らしかった。

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完全なる「焼き直し」で、シリーズの限界が露呈した作品【ターミネーター:ニューフェイト】感想

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65点

 

 

 権利関係の問題で、『ターミネーター2(以降、『T2』)』以降、制作からは離れていたジェームズ・キャメロンが復帰し、あの傑作『T2』の「正当な続篇」として公開された本作。『T2』が公開されたのは今から28年前ということと、『T2』で上手く物語が終わっていたことを考えれば本作を作る意味はあるのかなと思いました。しかし、今から16年前に公開された「『T2』の続篇」である『ターミネーター3(以降『T3』)』をクソミソにけなし、『ターミネーター/新起動』を「これこそが私にとっての『ターミネーター3』だ」と明言したキャメロンが、それら全てを「無かったこと」にしてまで作り上げた本作はどのようなものになるのか、興味が湧いて鑑賞しました。

 

 結論から述べると、本作は微妙でした。普通のアクション映画としては中々でしたが、内容は良くも悪くも1作目と2作目の焼き直し作品であり、シリーズの「語り直し」的作品でした。ただ、それ故にシリーズの持つ限界が表面化してしまい、同時に過去2作の素晴らしさが際立ってしまう作品だったと思います。

 

 

 この『ターミネーター』シリーズの弱点とは、『T1』と『T2』で、それぞれ別個に話が完全に終わっている点です。それ故に、直接の続篇を作ろうとすれば、過去作の否定か、リメイクからしか入れず、『T3』のような作品が生まれるわけです。そしてそれ以外でやろうとすれば、『T4』のような未来の話か、『新起動』のようなリブートしかあり得ないのです。これは『T2』も例外ではなく、あの作品も『T1』の内容を反転させた、事実上のリメイクとなっています。それでも『T2』が突出して素晴らしいのは、「審判の日を回避する」というハッピーエンドを用意できたこと、当時最先端の映像技術と、それらを上手くまとめたキャメロン監督の卓越した演出手腕の賜物でしょう。

 

 「『T2』の正当な続篇」と銘打っている本作も、凄まじい既視感に満ちています。話の流れは『T1』を軸にして、『T2』の要素を補強として入れ込んだという感じで、内容以外にも過去の名シーンの再現がとても多く、「ターミネーターベスト盤」といった感じです。故に本作は、上述のカテゴリーに当てはめるならば、「リメイク」に該当すると思います。

 

 しかし、本作はただのリメイクではなく、シリーズそのものを現代的にアップデートした「語り直し」の映画です。基本的に本作の内容は、過去作の「焼き直し」ですが、中身は所々違います。まずは、本作のサラ・コナー的な役割であるダニー。本作は彼女の成長物語です。これは『T1』も同じですが、重要なのは彼女の存在意義。サラ・コナーの場合は彼女よりも、彼女が生むはずのジョン・コナーの方が大切な存在でした。しかし、今考えれば、これはかなりひどい考え。要はサラ・コナーを「ジョンを産む」存在としか観ていないのですから。本作ではその辺はアップデートされていて、ダニーそのものが大切な存在となっています。

 

 

 また、ダニーの成長ぶりも良くて、ラストでターミネーターを倒す下りは、「何者でもない少女が、立ち向かう意志を持った」ということであり、昨今流行りの「強い女性」をストーリー的にも自然に見せていました。「護られていた存在が、護る側になる」というのは『T1』と同じですが、本作では、それを女性同士にすることでアップデートしています。ラストの車も「乗せてもらう」のではなく、「誰かを導く」ことの隠喩だと思います。

 

 また、本作の「敵」も言いたいことはあるけど、現代的になっていると思います。AIの暴走であり、人と人を分断させる存在というのは言うまでもなくトランプ大統領以降、世界に蔓延しつつある情勢を背景にしてでしょうし、それに対して、メキシコ人、白人、強化人間、ターミネーターが力を合わせて戦うというのは、分断に対する抗いとして映ります。

 

 つまり本作は、やっていることは1,2作目と同じなのですが、中身は現代的にアップデートされていて、新3部作という構想も相まって、『ターミネーター』という作品そのものの語り直し的な意味合いが強くなっているのです。

 

 コレ自体はいいです。ただ、本作は脚本にだいぶ穴がある気がします。まず冒頭のアレですが、スカイネットの未来は回避したはずなのに、何でターミネーターがいるのでしょうか。これは監督のティム・ミラーが本作を「ジョン・コナーの物語ではなく、サラ・コナーの物語にしたい」という想いからくる処置だと思いますが、にしたって矛盾がある気が・・・。俺の鑑賞不足かな。後、新たな敵についても、「人類を襲う理由」が明確に語られていないのも気になりました。多分スカイネットと同じなんだと思うけど。というか、敵を倒す方法が『T3』と同じだし、敵も「スカイネットの代わりがそれ?」って感じなので、『T3』でよかったんじゃね?って思いがあります。キャメロン、『T3』をあんだけディスってたのに・・・。

 

ターミネーター3 [Blu-ray]

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 後、全体的に「見せ場のための展開」が多かった気がしていて、注目の「I`ll be back」だって、シーン自体は最高で、気分も上がったんですけど、無理矢理感が結構あったし、弟の自己犠牲もとってつけた感が凄かったです。

 

 他にもT‐800が何の説明もなく良い奴になってたのも気になる。これは『T2』的ではありますが、過程がなくこれでは納得できん。後は彼の能力の都合が良すぎるとかサラ・コナーの活動内容とか色々適当すぎて、突っ込みたいところはありますよ。誰が脚本やってるのかと思って調べたら『バットマンVSスーパーマン』のデヴィット・S・ゴイヤー。なるほどね。 このグズグズのせいで、『T1』と『T2』がどれだけ良くできていたのかが分かってしまいます。

 

 ただ、良いところも実はあって、サラ・コナーです。「口の悪い婆さん」がハマりまくってて、めっちゃカッコよかった。最後まで観られたのは彼女の存在がとても大きいと思います。また、新キャラのマッケンジーデイビスも素晴らしかった。鎖を使って戦う下りはやっぱりカッコよかった。

 

 このように、「語り直しとしてのリメイク」ならば中々面白いと思いますが、如何せん脚本がグズグズなので、総合的には微妙という結論に落ち着きました。3部作構想ということで、新しい事は次作以降に出てくるのでしょうが、興行的には今のところ大コケみたいです。次作が作られる「未来」はやってくるのでしょうか・・・。

 

 

 続篇でありながら、こちらは大ヒットしました。そういえばこの作品が公開された年は『ターミネーター:新起動』も公開されましたね・・・。

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 てらさわホーク氏の名著。過去4作の批評も載っています。

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あの原作をよく見事に「映画」にした!【蜜蜂と遠雷】感想

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95点

 

 

 原作既読。それ故に映画化を知ったときは戸惑いました。「出来るわけがない」と。原作を読んだ方ならば分かると思いますが、本作は非常に映像化しにくい作品であり、ハードルは相当高いのです。普通ならばスルー案件なのですが、監督は2017年に『愚行録』を発表した石川慶。私は『愚行録』は観られなかったのですが、中々に評判がよく、彼の存在は気になっていたため、いいタイミングなので鑑賞した次第です。

 

 原作者の恩田陸先生は、本作について、「小説でしかできないことを書きたい」と思って執筆したそうです。そしてそれは見事に成功しており、原作は「文字で音楽を再現する」というとてつもないことを成し遂げているのです。しかし、だからこそ「映画」にするのは困難を極めることは容易に想像できました。映画にするということは、音楽についても具体的な「音」がついてしまうこと。小説では、確かにとてつもない技量は必要ですが、描写さえキッチリとできていれば、その音楽の素晴らしさは描けます。しかし、実際に映像にし、音楽に音がついてしまうと、原作にあるような「人の心を感動させる音楽」を作ることは至難の業です。

 

 だからこそ、私は本作を鑑賞して、心の底から感心しました。本作は、この「音楽」についての原作をしっかりと「映画」にしているのです。

 

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

 

 

 本作を映画化するにあたり、最大の問題点は風間塵の存在です。メインの他の3人はまだ何とかなるでしょう。しかし、本作のキーパーソンである風間塵は、「劇薬」と称され、彼の音楽は聴いた人間の反応を、激賞と嫌悪に真っ二つに分けてしまいます。そしてこの音楽の神に愛された少年の演奏を聴き、栄伝亜夜は覚醒していくという作品の構造上、彼の演奏を説得力のあるものにしなければならないのです。

 

 本作はこの難題に対し、役者のリアクションと見事な編集によって原作を「映画」にしています。本作は原作から演奏シーンを抜き取り、大きな見せ場を2つ用意しています。1つは宮沢賢治の「春と修羅」のカデンツァ、もう1つは本選です。そこでの彼の演奏に対し、それを聴いた審査員等は、微動だにせず、恐怖すら感じた表情を見せています。そして、塵の演奏シーンでは、彼だけは変なアングルで捉えたショットを連発し、それをやはり少し変わった編集で映しているため、彼だけが他3人とは異質な存在であると印象付けられています。さらに、風間塵から受け取った「ギフト」により、「覚醒」する亜夜も、松岡茉優さんが彼女の演技力と衣装で完璧に表現していました。つまり、音楽の力に映画的な説得力が加えられているのです。舌を巻きました。

 

 そしてそれ以外の面でも本作は凡百の邦画とは一線を画しています。まずはキャスティング。本作は原作のイメージから連想されるキャラに沿ったピアニストがまず選ばれ、そこからキャスティングがなされていったそう。そして、「春と修羅」のカデンツァはガチな作曲家が「原作通り」に手掛けています。つまり本作は、本当に「音楽ファースト」の映画なのです。

 

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集+1(完全盤)(8CD)

『蜜蜂と遠雷』ピアノ全集+1(完全盤)(8CD)

 

 

 また、音楽以外のキャスティングも素晴らしいです。本作で覚醒する栄伝亜夜には、役者として天賦の才を持つ松岡茉優さん、「凡人」代表の明石には松坂桃李、そしてマサルには「俺はガンダムで行く」の森崎ウィン。このマサルのような役には人気や実力はあるもののネイティブな英語は話せない役者さんが無理矢理演じ、そこに違和感を覚えてしまうことが多い中、彼のような本当に日本語も英語もペラペラの方が演じることで、凄く自然に勝るという役を体現していたと思います。そしてやはり一番難易度が高い風間塵も、新星の鈴鹿央士という垢のついてない役者が演じることで、嘘臭さが全くない。

 

 この4人以外にも良かったのは、マサルの師匠。邦画の外国人は何故か安く観えてしまうことが多い中、この方は存在感もあり、これまた嘘臭さが無い。パンフレットを読んだら、どうやらポーランドの有名な役者さんだそうです。

 

 本作は、「音楽の映画」です。4人の才能を持った演奏家たちがそれぞれの想いを持ち、影響し合い、作り上げられています。それがラストの栄伝亜夜の覚醒であり、カタルシスなのです。つまり本作は、全ての要素が絡み合い、映画という芸術を作り上げた協奏曲そのものだと言えると思います。この意味で、私は本作を「音楽の映画」として素晴らしいと感じます。

 

 

森崎ウィン出演映画。

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 松岡茉優さん無双映画。

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 松坂桃李無双映画。

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