96点
巨匠、マーティン・スコセッシが、共にハリウッドをのし上がったロバート・デ・ニーロと『カジノ』以来、24年振りにタッグを組んだギャング映画。本作のトピックはそれだけではなく、共演にはデ・ニーロと同じくスコセッシ組のジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル、そしてスコセッシ組初参加の名優、アル・パチーノが参戦と、まるで70年代~80年代のギャング映画のような顔ぶれであることです。NETFLIX独占配信とのことでしたが、この度映画館で上映が決定したということで、鑑賞してきました。
本作の上映時間は209分と大変長く、これが鑑賞の際のハードルを上げてしまっていると思います。私もかなり気合いを入れて臨みました。しかし、実際に鑑賞してみると、1シーン毎の画面の密度が半端ではなく、退屈することなく観ることが出来ました。こんなシーンを何てことないように撮れてしまうスコセッシの職人技にただただ感服です。
本作のストーリーには、大きく2つの側面があると思っています。1つはギャング映画としての側面。2つ目はフランク・シーランという人物が、裏世界から見たアメリカ現代史の側面です。そしてその2つの側面から、個人の人生と懺悔についての物語を描き出した作品でした。
本作がギャング映画の総決算的作品と言われるのはよく分かります。まず座組がそうですよね。ストーリーも一介の人間が裏世界でのし上がっていくという、王道のもの。一番連想されるのは1990年の『グッドフェローズ』です。それ以外にも、劇中のレストランでの暗殺は『ゴッドファーザー』を連想させます。しかも暗殺シーンについても、プロフェッショナルなものなので画的には地味になってしまいがちなものをカメラワークでカットを割らずに見せていたり、工夫もされています。
そしてそのようなギャング映画としての形式を借りながら、裏世界から見たアメリカ現代史を描き出していきます。なので、一種の大河ドラマ的な内容になっています。この辺も『グッドフェローズ』っぽいです。
ただ、『グッドフェローズ』とは決定的に違う点があります。それは映画のテンポです。『グッドフェローズ』は約30年間のマフィアの抗争を超スピードで描いた作品でしたが、こちらはほぼ同じ年月の出来事を『グッドフェローズ』より1時間超長い時間で描いています。しかも役者も皆老人。CGI処理しているけど、動きまでは若者になれませんでした。それ故に、若干スローテンポになっています。ただ、それでも映画そのものが弛緩しているとかはなく、シーランがのし上がっていく大半のパートは躍動感に満ちています。これはスコセッシの力もそうですが、やはり役者の存在感と演技力のなせる業なのかなぁと思います。
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この若干のスローテンポこそが大切だと思っていて、本作は、要は「老人の映画」なのだと思います。もう全盛期は過ぎ、人生の終わりを迎えようとしている人間の物語です。だからこそのキャストなのです。ロバート・デ・ニーロ、アル・パチーノ、ジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテル。彼らはスコセッシと同じ時代を駆け抜け、もう人生の終わりが近づいてきています。そんな彼らを、スコセッシが撮るという、彼らの役者人生と被る内容の作品なのです。そしてそれはストーリーにも表れていて、躍動感に満ちていた前半(=全盛期)と比べ、シーランが逮捕されてからは停滞気味になります。まるで、「終わりを迎えるだけ」な人生そのもののように。
シーランは暗殺者としての仕事を請け負い、裏世界でのし上がりました。しかし、ギャングに身を任せた結果、人生の終わりを迎える年齢になった時には、家族を失い、友人も失い、頼れる兄貴分にも先立たれ、1人になってしまいました。序盤でシーランがモノローグで言っていた「自分で進んで墓穴を掘る人間の気持ちは分からんな」という台詞がラスト、人生の終焉を迎えたころになって自身に跳ね返ってくるのです。これが彼の人生の結果なのです。ラストのわずかに開いたドアの間から見えるシーランの姿は、これまでの人生全てが虚しく感じられるような、寂寥感がありました。
激動の時代を駆け抜けた者たちを躍動感を以て描く前半と、人生の終焉に差し掛かり、停滞する後半に分けて、流されるまま罪を重ねてきた人間を描いた本作は、スコセッシにとって、ギャング映画として、そして彼のもう1つのテーマである「信仰と懺悔」の映画であると思います。それを同じ世代の役者と共に制作したという点で、本作は彼の1つの集大成なのかもしれないなと思いました。
こちらも人生の終焉についての映画。
こっちも老人の映画。