暇人の感想日記

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不確かな世界の中で、確かに「本物」と言えたもの【万引き家族】感想

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98点

 

・はじめに

 是枝裕和監督最新作。公開直前にカンヌ国際映画祭最高賞パルム・ドール賞を受賞したことで話題となりました。また、日本人監督として21年ぶりの快挙であることから、この手のアート作品としては2週連続興行収入第1位という異例の大ヒットを飛ばしています。このような華やかな面がある一方、「万引きでつながっている家族」という題材から批判の声も上がっています。私は、是枝さんの作品ならば基本的に観に行くようにしていますので、パルム・ドール受賞前から楽しみにしていました。

 

 感想を簡潔に書いておくと、本作は、是枝監督の集大成的な作品だと感じました。同時にこれまでの彼の作品とは少し違い、彼の「感情」が見えてくる作品でもあったと思います。

 

 

・『万引き家族』と『誰も知らない』

 本作には、是枝監督の過去作の要素がまんべんなく盛り込まれています。彼がこれまで描いてきた「家族」という共同体の定義を揺さぶることは相変わらずですし、『そして父になる』のような「父親になろうとする男の話」でもあります。さらには、『三度目の殺人』のような「社会そのものへの疑問」の要素も入っていると思います。

 

 ただ、私が本作を観て最も類似していると感じた作品は、2004年公開の『誰も知らない』でした。この作品は親に捨てられた子供たちが自分たちだけで生きていく姿を描いたものでした。この作品を象徴しているシーンとして、「人混みの中を、身なりが汚い子供歩いているのに、誰も気にとめない」というものがあります。『誰も知らない』というタイトルを象徴するシーンです。

 

 本作の家族も、この作品の子供たちのように、「社会から認識されていない」存在なのです。だから住んでいる家もマンションの間にポツンとあるだけなのですね。そしてそれは冒頭から既に示されています。鮮やかな連携プレイで見事万引きを成功させた治と祥太。治は店員の視界を塞ぐために置いたかごを放置して帰っていきます。そしてかごは誰からも気にかけられることなく放置される。このかごこそ、本作の「万引き家族」の象徴なのだと思います。かごの中に入った商品は治が「無作為に選んで」入れたもの。それらが1つの空間に詰め込まれているのは、あの家族とそっくりです。本作は、社会という海の中で、身を寄せ合って生きていた家族の話なのです。

 

 

・絆

 本作は、これまでの是枝作品と同じく、「絆」の物語です。作中の家族は社会的には普通な血縁ではなく、もっと利己的な理由で繋がっています。「祖母」の初枝の家に皆が集まっているのは彼女が持つ年金が目当てだからです。そして治と信代はある犯罪によって繋がっています。そして亜紀は初枝とは関係はありますが、血縁的な繋がりはありません。さらにそこに子どもの祥太とりんが加わっています。

 

 また、彼らはお互いに素性を明かしていません。作中でも何度か言及されるように、「偽物」で彼らの家族はできています。作中に何度か登場する「空っぽの家」が印象的です。では、なぜ彼らが「家族」でいられるかと言えば、利害が一致しているからです。

 

 このように、彼らは世間一般で言うところの「家族」ではありません。でも、観ていると彼らは非常に楽しそうに暮らしています。役者陣が皆さん演技とは思えない自然な演技をされていて、「本物の家族の生活」を観ている感じが増します。そしてそれ故に妙に感情移入してしまいます。

 

 しかし、その一方、彼らと対比されるように映される「血で繋がった」家族にはどこか問題が見えます。ここから、是枝さんが問うてきた「血の繋がりだけが家族を作り得るのか」という疑問が見えます。

 

 ただ、「じゃあ主人公家族は完璧な家族なのか?」と問われれば、「そんなことはない」と言えます。万引きは犯罪ですし、そもそもあの家に人が集まっているのは初枝の年金が目当てだし、その初枝も元夫の家族に対して恐ろしい復讐をしています。しかも上述のように皆が秘密を持っています。彼らも完璧ではないのです。しかし、それは彼らだけではなく、普通の家庭にも言えるのではないでしょうか。上述の家庭のように、どのような家族にも秘密があります。主人公の家族はそれをより「犯罪」という大げさなものにしただけなのです。余談ですが、このような命題は『東京物語』を始めとした小津安二郎作品を彷彿とさせます。

 

 

・是枝監督らしからぬ「怒り」

 これまで是枝監督は、作品の中で己の感情を出すことはあまりなかったと思います。語っているテーマはあれど、あくまでクールに映画を作っていたと思います。ですが、本作には、これまでの是枝作品とは違い、監督の怒りが明確に表れています。それが取り調べのシーンです。あのシーンは、信代と治が観客と対峙されるようにできていて、社会の「良心」代表の刑事たちが投げかける質問も我々「大衆」が考えるものです。それは清々しいほどの「正論」です。何も間違っちゃいない。彼らのような「間違った」存在は、このような「正論」には立ち向かえないのです。だから信代は、「何だろうね?」としか言えないのです。

 

 ここで、我々はどうにも居心地の悪さを覚えます。それもそのはずで、あのシーンで真に監督から責められているのは我々観客なわけです。「何故、ここまで経済的に弱い人をこんなに執拗に叩くのですか?」と。以前にも、貧困家庭の女子高生が、Twitterにちょっと高い定食を撮ってツイートしただけで大炎上しました。世の中にはもっと悪いことをしている人間がいるのに、何故そういう人間は叩かれず、こんな弱い人間ばかりが叩かれるのか。監督は、事前にあの家族に感情移入させることで、「あなた方がやっていることはこういうことですよ」と我々に突き付けてきます。

 

 

罪と罰

 こう書くと、「犯罪を肯定するのか」という意見が出てきます。ですが、本作を観た方なら誰でもわかると思いますが、本作は「生活が貧しければ犯罪してもOK」という映画では断じてありません。その証拠に、本作には万引きの「被害」の結末がきちんと描かれますし、ラストで犯罪に対する罰もきちんと描かれます。

 

 また、上述のように、この家族も理想化された存在ではなく、欠点だらけのダメ人間集団です。特に治ですね。祥太に「学校行くのは家で勉強できない奴ら」と嘘を吹き込み、犯罪に加担させるなど、やっていることは完全に虐待です。ですが、祥太は万引きを「犯罪」だと認識し、治を「ダメな父親」と認識して乗り越えていくのです。祥太が疑問を抱いてから、治や信代が妙に小悪党っぽくなったのは気のせいではず。これによって、きちんと万引きを「犯罪」として描けていると思います。しかも、これによって、本作は「犯罪をしているダメな父親を乗り越える」という「親離れ」の要素も入ってくるのです。

 

 家族が解体された後、りんは虐待していた親の元に戻り、祥太は施設に入ります。そして、罪を犯した者は罰を受けます。最後に映されるのは、祥太と治の別れ、冒頭と同じ場所で遊んでいるりん。そして彼女がどこかを見ているシーンで映画は終わっています。私はここから、この社会に対する希望を感じました。つまり、「血とか決まった繋がりではなくても、外の世界には、それ以外の方法で繋がれる人間がいるのだ」ということです。確かに、本作で描かれた社会は冷たくて、不透明です。ですが、その中にも、スイミーのように身を寄せ合える仲間が確かに存在しているのではないのでしょうか。そんな人たちと出会えれば、この社会を生きていけるのではないか。そう思えました。

 

 

・おわりに

 このように、本作は、社会の中で身を寄せ合って生きていた家族を描いた作品です。決して「万引き推進映画」ではありません。強いて言うなら、上述の人たちの「絆」の物語です。この不透明で灰色な世界の中で、真実として確かにあったと思うのは、彼らの絆だと思うからです。