暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

紛れもなくジョーカーの映画であり、ヴィランの映画でもある【ジョーカー】感想

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99点

 

 

 『アクアマン』、『シャザム!』と、DCEUを見直した途端に傑作、秀作を連発するようになったDC映画。現在、MCUとは違う意味で好調になりつつあるDCが放ったのは、あのバットマンの宿敵にして、アメコミのスーパーヴィランの中でも抜きんでた存在感を持つジョーカーのオリジンでした。

 

ジョーカー[新装版] (ShoPro Books)

ジョーカー[新装版] (ShoPro Books)

 

 

 最初にこの企画を聞いたときはそこまで期待はしていませんでした。というのも、ジョーカーという悪役は正体、動機が共に不明であるからこそ最凶の存在なのであり、そこに具体的なオリジンを加えることは彼の神秘性を損ねることになってしまうのではないかと思ったからです(まぁ今にして思えば、ジャック・ニコルソン版はきちんとオリジンあったね)。しかも、監督は『ハングオーバー!』シリーズのトッド・フィリップス。ちょっと待てと。これまで酔っ払いと下ネタの映画しか撮ってこなかった奴がジョーカーを?これこそ一体どんなジョークなのかと思い、期待値はそこまで高くはありませんでした。

 

 しかし、いざ作品が完成してみれば名だたる映画評論家は絶賛しまくり、終いにはヴェネチア国際映画祭にて最高賞金獅子賞を獲得する始末。こうなればそれまで高くはなかった期待値は俄然上昇し、鑑賞しました。

 

 鑑賞し、衝撃を受けました。本作は間違いなく21世紀最大の問題作であり、最大の劇薬です。1人の心優しい青年、アーサーが狂気に満ちた「ジョーカー」へと変わる話です。そこに込められたメッセージは、「誰でもジョーカーになり得る」ということであり、同時に「誰もが誰かをジョーカーにしうる」という2点です。確かに、本作のようにオリジンを描いてしまっては、上述のようにジョーカーの持つ神秘性が薄まってしまうかもしれません。ただ、私は本作は、上記の2点をしっかりと描いたという点で、まごうことなき「ジョーカーの映画」であり、同時に「ヴィランのオリジン」としてふさわしいと思います。

 

 本作について語るうえで、まずはホアキン・フェニックスの話をしたいと思います。元々演技派として名高い彼ですが、本作では彼の存在感が圧倒的であり、所謂「3人のジョーカー」に匹敵、若しくは凌駕するレベルの演技を見せてくれます。本作の成功の要因はこのホアキン力の賜物だと思います。

 

Joker (Original Soundtrack)

Joker (Original Soundtrack)

 

 

 さて、「ジョーカー」とは、言わずと知れたバットマンの宿敵です。彼は正体は公式には不明であり、動機もありません。あるのはただの破壊衝動で、常に愉快犯的に犯罪を楽しんでいます。これが彼の基本的な設定です。

 

 この設定を基にしつつ、映画版では様々なジョーカーが描かれてきました。中でも今回私が注目したいのは、2008年の傑作『ダークナイト』におけるジョーカー(ヒース・レジャー)です。彼はティム・バートン版『バットマン』におけるジョーカー像とは全く違う、完全無欠なサイコパスとしてジョーカーを演じました。あの作品におけるジョーカーとは、「善」である存在を「悪」に堕落させるべく、様々な揺さぶりをかける存在でした。それに堕ちてしまったのが、ハービー・デントでした。本作は、『ダークナイト』でジョーカーがやっていた「悪」への揺さぶりを、映画そのものがやっているのです。

 

 本作は上述の通り、1人のコメディアン志望の青年が「悪」に堕ちるまでを描きます。その描き方が、非常に「共感できる」内容なのです。少なくとも、私にはそうでした。アーサーは、極貧の家庭に育ち、脳に障害があるために周囲から奇異の目で見られています。特に定職もなく、障害を負っている極貧層というのは、社会にとっては存在しないも同じです。作品には、終始不寛容な空気が充満しています。それは冒頭の看板を追いかけるアーサーを、誰も助けようともしないことからも描かれています。この不寛容な空気のもと、アーサーは福祉を断たれ、職も無くし、周囲からは蔑まされ、家族の記憶も嘘だと分かり、最後の最後にすがった彼女との想い出も幻想だと判明し、その果てに凄惨な事件を犯します。つまり本作は、「無敵の人」の映画なのです。

 

 本作の最大の問題点は、この無敵の人に、一種の共感を抱いてしまう点。個人的な感想になりますが、私は電車内での証券マン殺害のとき、マーレー殺害のときに、カタルシスすら感じてしまいました。特にマーレーのときはその前のやりとりが印象的でした。「あの証券マンは良いよな、クズだったが、死んでもウェインが悲しんでくれた。でも、俺が道端で死んでも皆俺を踏みつけるだけだろ?」とアーサーが述べると、それに対し、マーレーは「正論」をぶつけます。「殺人が許されるわけはない」と。それはその通りです。しかし、アーサーのように、社会からはクズ同然の扱いを受けてきた人間からしてみれば、そんな「恵まれた奴ら」が作ったクソみたいな道徳など、全く関係ないのです。だって、自分はそれに護られたことがないから。自分たちを「落伍者」と言った人間達が述べる道徳など、何の意味も無いのです。私はこのように「共感」をしてしまったので、カタルシスを感じました。同時に、終盤で、アーサーが暴徒の象徴として立ち上がったシーンで、「周りにいる暴徒のうち1人がお前なんだぞ」と突き付けられた気もしました。

 

 つまり本作は、アーサーという「無敵の人」に共感させ、「お前の中にも悪はあるんだぞ」と自覚させに来るという、映画そのものが『ダークナイト』のジョーカーのような映画なのです。私はこの点で、本作をまぎれもない「ジョーカーの映画」だと思います。

 

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 ジョーカーと言えば、バットマンとの鏡像関係も有名です。これは同じく法の外にいる身でありながら、一方はコウモリのコスプレをしてビジランテ活動を行う資産家であり、一方はピエロの恰好をして犯罪を犯す悪という構図から来ていると思います。

 

 本作でもこの鏡像関係は別の箇所で描かれています。それが貧富の格差です。ご存知の通り、ブルース・ウェインは資産家の坊ちゃんであり、富裕層です。しかし、本作におけるジョーカー/アーサーは貧困層。2人の間にはあの門のような埋めがたい隔たりがあります。そして、片方が(一応)ヒーローになり、片方が「悪」になってしまうという構図は面白いです。

 

 この問題を考えるにあたって、日本では今年公開された、好対照な映画があります。『スパイダーマン:スパイダー・バース』です。あの作品のマイルズは富裕層ではないにせよ、お金には困らない家庭に生まれ、自身も才能に溢れ、頭も良く、友だちもいる。アーサーからしてみれば、「それ、1つでいいから俺にくれよ!」と言いたくなるくらいのものです。そんな彼は、仲間にも恵まれ、成長し、スパイダーマンという「ヒーロー」になります。これは全てを失くしたからこそ「悪」になってしまったアーサーとは全く対照的です。アーサーのような人間にとっては、このクソみたいにどうしようもない世界で生きていくためには「自分も気を狂わせる」しかないのです。

 

 

 世の中の「正」の面を受け取ったからこそ「ヒーロー」になれたバットマンと、スパイダーマン。そして反対に、世の中の「負」の面ばかり受け取ったために「悪」になってしまったアーサー/ジョーカー。ここからは、人とはキッカケ次第では正義にも悪にもなるということが分かります。そして、ヒーロー映画では描かれても、「ヒーローが成長するためのダークサイド」的な描かれ方しかしなかったこの要素を、ヴィランの物語としてここまで共感できるものとして描いた本作は、これまでのアメコミヒーロー映画が見せてこなかった側面であり、それ故に、本作は「ヴィランの映画」として完成されていると思います。

 

 以上のような点から、私は本作を、「ジョーカーの映画」としても、「ヴィランの映画」としても、素晴らしい作品だと思います。もちろん、映画として最高なのは当然です。

 

 

本作と正反対と思える映画。

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 バットマン映画。ちょっと変わってるけど。

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人と人を繋ぐ物語【ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝 永遠と自動手記人形】感想

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87点

 

 

 2018年に放送され、(京アニ制作の中でも)驚異的な映像クオリティを見せつけた「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の劇場版作品。私はTVアニメは楽しく見ていたので、その劇場版作品ということならば例え外伝だろうと鑑賞するしかないということで映画館まで観に行った次第です。

 

 実際に鑑賞してみると、話の中身はTVシリーズと同じような『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で、「愛している」についての話でした(TVシリーズならば、第10話が一番近い)。しかし、本作はタイトルに「外伝」と付いているだけあって、そのTVシリーズと同じ内容を別の視点から描いた作品でした。そして、単なるTVアニメのボーナス・トラック的作品ではなく、きちんと「映画」になっていました。

 

 

 本作は2部構成となっています。ヴァイオレットがイザベラと交流を深めていく1部と、その数年後を舞台に、彼女の妹、テイラーがベネディクトと共に郵便配達員について学んでいく2部です。

 

 第1部は、TVシリーズのような、王道の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」です。ヴァイオレットを狂言回しとして、イザベラの「どこにも行けない」という絶望と苦悩を丹念な演出で描き(この辺の演出は本当にさすがだと思う)、最後に彼女の「想い」をヴァイオレットに託すというもの。

 

 第1部を観ていて目を引くのは、その画面クオリティ。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、過去の京アニ作品の中でも群を抜いてプロップが素晴らしかったのですが、本作ではそれがシネスコサイズになる事で、より強調され、画面がTVシリーズより更にリッチになった気がします。

 

 更に、もう1つ目を引くのは、「手を繋ぐ」という演出。本作では、何度かキャラ同士が「手を繋ぐ」シーンが多いです。そこには、「機械なのに暖かい」というヴァイオレットの人間味を意識させる意味もあると思うのですが、それ以上に、人と人の交流、そして、本作の手紙によって人と人を「繋ぐ」ということの隠喩の意味もあるのではないかと思います。

 

 

 その「繋ぐ」点がよりテーマとして前面に出てくるのが、2部。今度は妹のテイラーに話の軸が移ります。ここでスポット・ライトが当たるのが郵便配達員という職業と、ベネディクトです。TVシリーズではヴァイオレットに話の焦点が当たっていたため仕方がないのですが、郵便配達員という職業と、ベネディクトの存在感はほぼ空気でした。しかし、本作では視点をこの郵便配達員に移し、彼ら彼女らが手紙の触媒になって、人と人を繋げているのだということを描きます。ラストで、イザベラの気持ちがテイラーに届き、テイラーの気持ちがイザベラに届いたときの「世界が開けた」演出は素晴らしかった。

 

 彼女たちの絆は永遠であり、それを繋ぐことが、自動手記人形と、郵便配達員の仕事なのだと、しっかりと描いていました。これが最終的にベネディクトの仕事に誇りを持つ話にしているのも良いですね。

 

 最後に。京都アニメーションは現在、歴史的な事件の被害者となってしまいました。これで失ってしまったものは、あまりにも大きすぎます。ここに、被害に遭い、まだ苦しんでいる方々の一刻も早い快復と、亡くなられた方々へのご冥福を祈ります。そして、もし、京都アニメーションが復活するならば、可能な範囲で申し訳ありませんが、支援もしたい。私は待ってます。何年でも。

 

 

1話しかありませんが、TVシリーズの感想です。

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 京アニ作品。

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 傑作映画。

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浮き彫りになる、人間の闇【誰もがそれを知っている】感想

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80点

 

 

 『海辺の生と死』『セールスマン』のアスガー・ファルハディ監督最新作。彼の最新作ならばということでもちろん鑑賞した次第です。

 

 ファルハディ監督は、『セールスマン』において、「妻を襲ったのは誰か」というミステリー的な内容をメインに据えつつも、そこから社会に存在している問題点や、男性が持っているマチズモ的思想を表面化させていました。ファルハディはこのような内容の作品を多く世に送り出しています。

 

 本作もそういった内容が色濃く出ています。本作で描かれるのは誘拐事件。事件を通して、結婚式で集まった親戚一同の中に溜まっていた不満が徐々に表面化していく様を静かに描き出します。

 

 本作は、アルゼンチンで暮らすラウラ(ペネロペ・クルス)が、親戚の結婚式に参加するためにスペインに戻ってくるところから始まります。この冒頭で本作の登場人物をほぼすべて紹介してしまいます。これはさながら『悪い奴ほどよく眠る』や『ゴッドファーザー』のようでした。祝福ムードな結婚式ですが、その間にちょっとずつ、周囲の人間の表情、視線が挟まれます。それらはどれも冷ややかであり、この村全体から見れば、何なら少し浮いてさえいる感じすらあります。ここから、この村、そして家族には不穏な雰囲気が流れていることが分かります。

 

 少しずつしか現れなかったそういった不穏な空気は、事件が起こってから一気に表面化します。パコ(ハビエル・バルデム)は実はラウラの家の召使の子供であり、土地をラウラから買い取り、自分の努力で一大農園にまで育て上げたこと。そして、その成功をラウラの父親は妬んでいること。また、ラウラの夫、アレハンドロ(リカルド・ダリン)はラウラの家族からは「成功している」と思われていたものの、実はもう彼は職を失っていること、そしてそれに劣等感を抱いていること。移民の労働者によって、多くの人が「職を奪われた」と思っていること。等々。事件をきっかけにして、こうしたそれまで誰もが自覚していながらも隠されていたことが表面化するのです。

 

 こうした「誰もが知っていた」ことが表面化しつつも、事件は解決します。ただ、そこはさすがファルハディで、ラストで水によって真っ白になった画面を映して終わらせます。本作で表面化したことは、未だに解決していない。そんなメッセージ性を感じました。

 

 「少女誘拐事件」という非常に入りやすいサスペンスを軸にしつつも、そこから表面化されることをさりげなく描写し、「今」の社会問題を切り取って見せるアスガー・ファルハディ監督、やはり素晴らしい。

 

 

監督作。このブログにあるのはこれだけ。

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 メタファーにまみれた世界を映しつつも、社会問題も描いた作品。

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2019年夏アニメ感想②【ダンベル何キロ持てる?】

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 ダンベル何キロ持てる?と聞かれれば、「ご、5キロ・・・」としか言えない私ですが、実は市営のトレーニングルームで定期的に筋トレはしていまして(民間のジムは高い)。そんな共通点と動画工房制作という2点で視聴を決定しました。

 

 とても心地よいアニメだったと思います。夏アニメの中で、「からかい上手の高木さん2」と並んで、私の心の拠り所となってくれました。

 

 しかし、感想を書くにあたって、大変困ったことになってしまいました。私は本作について、「何故面白いのか?」を全く説明できないのです。ラブコメとかアクションものならば、それについて思ったことを云々書いていれば形になりますし、ストーリーがあるものならば、それについての感想を書けば良い。ただ、問題なのは、本作の目玉が「筋トレ」である点。題材的に地味すぎます。しかも作品全体を貫くストーリーもない。一応、主人公のひびきには「モテたい」という願望はあります。しかしそれは思い出したかのように出てくるだけで、作品全体を引っ張るものではありません。そう、本作は、本当に「女子高生が筋トレしている」だけのアニメなのです。

 

ダンベル何キロ持てる?(1) (裏少年サンデーコミックス)

ダンベル何キロ持てる?(1) (裏少年サンデーコミックス)

 

 

 これでつまらなければ、「題材が地味だったのね」で済むのですが、問題は、本作が「面白い」点。女子高生が筋トレしているだけなのに、ストレス無く見れて、気づいたら終わっている。ここが本当に心地よい。しかも見終わったら劇中でやっていた筋トレをしたくなるという効果もある。さすがは「見るプロテイン」です。つまり本作は、筋トレ促進アニメとしても間違いなく成功しているのです。

 

 何故「筋トレをしているだけ」の地味な絵面な本作がここまで面白いのか。私はこの問いに対して、明快な答えを持っていません。なので、もうそこを考えるのは止めて、本作のどの辺が面白いのかを書き連ねたいと思います。

 

 まずはテンポですよ。本作は「かぐや様は告らせたい」に似ていると思います。本作の構造は、1つの話の中にネタを設定し、そこに筋トレを絡め、その話をテンポよく進め、落ちをつける。「かぐや様~」はこのテンポ感が素晴らしく、サクサクと見ることができました。本作は恋愛頭脳戦が筋トレになっただけで、基本は同じだと思います。で、そこに「筋トレ講座」を話の流れをぶった切る形で毎回挿入させ、作品独特のリズムを作る。この定番を視聴者に慣れさせ、リズムに身を任せていればアニメが終わるのです。このテンポが大切だったのかなぁと。

 

 次に、キャラの魅力はもちろん素晴らしかったです。それだけではなく、随所に出てくるエキセントリックなキャラクターや、アイドル回みたいなトンデモ回もあり、それが作品にとって良い感じのアクセントになっていたと思います。

 

 中でも強烈だったのがOPとED。中毒性のあるもので、インパクトは絶大。アニメスタッフのセンスには脱帽です。

 

 そして筋トレ講座の実用性の高さ。かなり本格的に講座をやっているため、見ているだけでためになる。しかも全て見終えたらキャラのエロまで拝めるとかいう神仕様。何だこりゃ、最高じゃないか。

 

TVアニメ「ダンベル何キロ持てる?」OPテーマ「お願いマッスル」/EDテーマ「マッチョアネーム?」

TVアニメ「ダンベル何キロ持てる?」OPテーマ「お願いマッスル」/EDテーマ「マッチョアネーム?」

 

 

 女子高生のギャグに身を任せていれば、それだけで筋トレの基礎知識が身に付くという「見るプロテイン」である本作。夏アニメの中では、1,2を争うくらいに好きなアニメでした。

 

 

 似た構造ではないかと思った作品。

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  動画工房作品。監督も同じ。

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今年最高のおバカ映画、爆誕!!【映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説】感想

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80点

 

 

 暁なつめ先生原作による、「小説家になろう」発のライトノベル、「この素晴らしい世界に祝福を!」の劇場アニメ作品。私は2016年、17年に放映されたTVアニメは見ており、「嫌いじゃない」と言えるくらいには好きなのでわざわざムビチケまで買って鑑賞した次第です。

 

 本作は、ジャンルとしては異世界転生モノが該当します。「なろう発の異世界転生モノ」と聞けば、「俺TUEEE」系と言われる、現実世界では平々凡々な主人公が異世界でチート能力(ちから)を手に入れ、それを以て無双し、周囲のヒロインたちにモテまくるというありがちなものを連想します。主人公の佐藤カズマは、現実では引きこもりの高校生でしたが、ある日交通事故(笑)に遭い、心臓麻痺で死んでしまいます。そこで女神を自称するアクアに出会い、異世界に転生し、めぐみん、ダグネスといった仲間と出会い、魔王討伐に邁進します。

 

 と、ここまで見ていくと、典型的な異世界転生モノのそれです。しかし本作は、そういった「なろう系」のお約束を茶化し、パロディ化しているギャグ作品なのです。カズマはチート能力を手に入れられるかと思いきや一時の感情でアクアを道連れにし、運以外は平凡と言われます。そして(一応の)ヒロインであるアクアはアホの子であり、自分勝手でトラブルを引き起こす厄介者だし、上級職のめぐみんは1回しか使えない爆裂魔法しか使えないポンコツで、ダグネスは騎士のくせに攻撃は当たらないドМの変態という、「定番」を茶化した奴らばかりです。しかも、冒険に出ようにも金が無いのではじまりの街でずっと金稼ぎをしている始末。しかも出てくるモブはどいつもこいつも日和見主義の俗物ばかり。本作は、こんな奴らが繰り広げるドタバタギャグを描いた異世界日常系作品なのです。

 

 

 そんな作品の劇場版である本作ですが、TVシリーズの良さを盛り込みつつ、劇場版用に絶妙にチューニングされた、最高のおバカ映画でした。全編90分ある本編のうち、前半は基本ギャグです。それはTVシリーズのそれと同じものが延々と繰り広げられます。TVアニメの30分枠で繰り広げられるのならまだテンポも良くて見ていられたのですが、それが映画館で延々繰り広げられると、少し食傷気味になったりはしました。しかし、スタッフもそれを分かっていたのか、そのギャグを劇場版レベルまで上げている箇所がちょいちょい見受けられました。元々TVシリーズから動く箇所は妙に動く作品だったのですが、本作ではそれがさらに顕著になり、若干オーバースペック気味な感じすら受けました。

 

 ただ、このギャグですが、今のポリコレ的な風潮の中では、結構ヤバめな内容があることも事実です。夜這いするかどうかカスマさんが悩んでいるときですが、いくら親の了承があるとはいえ、同意も無くめぐみんを襲うかどうか躊躇するのは、いくらギャグでもヤバいだろと。まぁ、一応その後に恒例の女性キャラからの罵詈雑言が待っているのですが、あそこまでがギャグですからね。こういうギャグを扱っている作品が受けているという現象から考えるに、やっぱり日本って、ガラパゴスなんだなぁと思ったりしました。

 

『映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説』テーマソング 「1ミリ Symphony」

『映画 この素晴らしい世界に祝福を! 紅伝説』テーマソング 「1ミリ Symphony」

 

 

 しかし、本作の素晴らしいというか、スタッフの意気込みを感じる点は、本作を単なる「ファン向けのボーナス作品」に終わらせず、1本の「映画」として成立させようとしていることです。上述のオーバースペックな作画もそうですが、レギュラー全員登場のお祭り感とか、終盤の大迫力な演出、そして岩浪義和さんも力を入れたという音響は素晴らしかったです。あのシーンはぜひ劇場で観てほしいと思います。

 

 そして、何より、映画の冒頭とラストを対比させ、きちんと1つのテーマを語っている点。それはめぐみんの爆裂魔法の肯定です。冒頭とラストで爆裂魔法を炸裂させ、それに対するカズマの対応の変化で語っているのです。そう考えると、散々ギャグとして消化されてきたあの名乗りも自身の肯定に感じられ、少し心動くという不思議。そしてこれは、TVの続篇としてもきちんと機能していて、この肯定が、「この素晴らしい世界に祝福を!」という、異世界転生モノのパロディ作品の肯定にも繋がると思うのです。この辺は文句なしです。

 

 このように、1本の映画として、めぐみんの成長を描き、そして尚且つ、TVアニメ作品の続篇としても素晴らしいものだと思います。

 

 

なろう発アニメ。

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 深夜アニメの劇場版

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2019年秋アニメ視聴予定作品一覧

 早いもので、2019年も夏アニメが終わりを迎えようとしています。そして1つの終わりは、1つの始まりということで、秋アニメが始まります。というわけで、毎期恒例、新作アニメの視聴予定一覧です。

 

 今回は前回までとは仕様を変え、夏アニメの現在の視聴状況を書き、その後に新作アニメの視聴予定作品を挙げていきたいと思います。そしてその新作のあげ方も、日付とタイトルのみというシンプルなものにしたいと思っています。何故かというと、視聴状況を書くのは、報告の意味があります。そしてリンク張るのを止めるのは、ぶっちゃけ、いちいち張るのめんどくさくなったから。では、行ってみましょう。

 

視聴中作品

2019年春アニメ

「キャロル&チューズデイ」

鬼滅の刃

 

2019年夏アニメ

からかい上手の高木さん2」→全話視聴終了

ダンベル何キロ持てる?」→全話視聴終了

コップクラフト」→全話視聴終了

「ロードエルメロイⅡ世の事件簿-魔眼蒐集列車 Grace note-」→全話視聴終了

「荒ぶる季節の乙女どもよ。」

「炎々の消防隊」

ヴィンランド・サガ

 

HDに溜まっている作品(視聴する気はあります)

「彼方のアストラ」

「ギヴン」 

 

視聴を止めた作品

「かつて神だった獣たちへ」

「女子高生の無駄遣い」

「ありふれた職業で世界最強」

 

 

 今期はこんな感じです。さて、次は秋アニメの視聴予定作品の一覧です。

 

 

2019年秋アニメ

10月3日

「放課後サイコロ倶楽部」

 今期の癒し枠として視聴します。

 

10月5日

ぼくたちは勉強ができない(第2期)」

 1期を見たので、義務として視聴。

 

Fate/Grand Order-絶対魔獣戦線バビロニア-」

  「FGO」はやってないのですが、普通にクオリティ高そうなので楽しみ。

 

10月6日

「アフリカのサラリーマン」

 今期の癒し枠を期待して視聴します。 

 

10月9日

「本好きの下克上」

 監督がTwitterでツイートしていたのを見て、そんなら見るかと。

 

「BEASTERS」

 「宝石の国」のオレンジ制作だし、原作も好きなので。

 

10月10日

「星合の空」

 赤根和樹監督のオリジナル作ということで。

 

「ノーガンズ・ライフ」

 原作は1巻だけ読みました。「良いマッドハウス」であることを期待します。

 

無限の住人~IMMORTAL~」

  Amazon Primeで配信と特殊な形態ですが、原作が原作なのでそこは少しだけ期待しています。

 

10月11日

「歌舞伎町シャーロック」

 Production.I.Gのオリジナル作ということでとりあえず視聴。

 

10月14日

「SUPER SHIRO」

  TVアニメではないけど、「SUPER SHIRO」はサイエンスSARU、湯浅政明最新作ということで期待。見逃さないようにしないとな。

 

10月17日

PSYCHO-PASS サイコパス3」

 直近の3作は観ていないニワカですが、それ以外は追っているので、義務として。

 

 以上になります。今期も良いアニメに出会えることを願います。

2019年夏アニメ感想①【からかい上手の高木さん2】

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 からかい上手の高木さんと、健全な男子中学生西片の、からかい勝負という名のイチャつきぶりを眺めるという、幸せな気分にしかなれないアニメが帰ってきました。私は原作は未読なのですが、昨年放送された1期は、当時荒んでいた私の心を癒してくれた作品であり、大変気に入っていました。そんな作品の続篇ということで、そりゃ視聴決定ですよ。

 

 今思えば、昨年の1期は、非常にオーソドックスな内容だったのかなと思います。私は原作を読んでいない分際なのですが、本作の軸は高木さんと西片のからかい勝負という名のイチャコラにあるわけです。高木さんという絶対的な美少女が(好意込みの)からかいを西片に行い、それを中学生男子特有のリアクションで受ける。この構図を楽しむのが、本作だと思います。後はまぁ、それっぽい頭脳戦はありますが、それは高木さんがどれだけ西片より上手なのかを示す事にしかなっていません。1期は、この点をしっかりと見せていたと思います。

 

 

 翻ってこの2期は、より2人の関係を深める方に話の軸を持ってきています。それは、全12話かけて、高木さんと西片の距離を(物理的、少しだけ精神的に)ゼロセンチメートルにするという内容です。

 

 そう考えると、本作には「距離」にまつわる話が多いことに気付きます。まずは第1話の最初のエピソード、「教科書」では、教科書を忘れた西片が、高木さんの提案で机を並べて教科書を見せてもらいます。ここで机を並べた時、2人の距離が物理的に縮まるのです。そして、その後の話でも、2人を並んで捉えたカットが多いです。そしてそれらはほとんどに微妙な距離があります。この2人の距離は様々なもので表されます。例えば、第9話の「メール」では、離れていても何となくやり取りする2人の姿が映されます。

 

 そしてそれらの距離は、一瞬だけ変化を見せます。それが7話の林間学校と、8話の「宝くじ」、9話の「お悩み」です。7話では、「一緒に踊った2人は結ばれる」というキャンプファイアーで、互いを意識しながらも結局は踊れなかった2人が描かれます。この少し開いた「距離」の後に、2人で星を見るというイベントが発生するのです。そこでは、2人の距離は縮まり、まさに「ゼロセンチメートル」です。そして8話「お悩み」では悩みを抱えている高木さんに対し、西片がちょっとした優しさを見せ、ちょっとだけ高木さんを意識してみせます。しかし、ここで重要なのが、2人の距離は以前のままだということです。そこに来て9話の「宝探し」では、2人でイヤホンを聞くというこれまた別の意味での「ゼロセンチメートル」が描かれます。

 

 

 正直、あそこまでやられれば、「もうくっつけよ・・・」と思わずにはいられませんが、この2人の関係性は、中々変化しません。具体的に言えば、高木さんのアプローチを西片が照れからかわしているのですが。

 

 この2人の関係が最も強く出ている点が、「手を握る」ということです。劇中、何回か高木さんは西片に手を握ろうとさせます。それは第1話の「水切り」から始まっています。あのエピソードで、西片は事故的に高木さんの手を握りました。そしてそれから何度も高木さんは西片に手を握らせようとからかいます。しかし、西片は照れから自ら握ろうとはせず、握っても勝負の一環としてです。この「手を握れるけど、握ろうとしない」という点は、くっつきそうで中々くっつかない2人を象徴しているようです。

 

 そうして、付かず離れずを繰り返してきた2人の関係が前進するのが最終話「夏祭り」です。最初こそ2人で祭りを楽しんでいましたが、最後に西片は高木さんを見失い、完全に「離れて」しまいます。そして、西片は遂に自分から能動的に高木さんを探しに行くのです。そうして再び巡り合った2人は、遂に、本当の意味で「手を繋ぎ」ます。ここで、本作が1話の「事故的に手を繋ぐ」から最終話の「自分から手を繋ぐ」に至るまでの、2人の手の距離がゼロセンチメートルになるまでの話だったことが分かるのです。

 

 高木さんはもちろんですが、西片や、もちろんサブキャラクターも魅力的で、スタッフの愛と気合が伝わってくる作品でした。作品の魅力を存分に出したという点で、本作は非常に魅力的なアニメだったと思います。

 

 

1話だけですが、前作の感想です。

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