暇人の感想日記

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紛れもなくジョーカーの映画であり、ヴィランの映画でもある【ジョーカー】感想

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99点

 

 

 『アクアマン』、『シャザム!』と、DCEUを見直した途端に傑作、秀作を連発するようになったDC映画。現在、MCUとは違う意味で好調になりつつあるDCが放ったのは、あのバットマンの宿敵にして、アメコミのスーパーヴィランの中でも抜きんでた存在感を持つジョーカーのオリジンでした。

 

ジョーカー[新装版] (ShoPro Books)

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 最初にこの企画を聞いたときはそこまで期待はしていませんでした。というのも、ジョーカーという悪役は正体、動機が共に不明であるからこそ最凶の存在なのであり、そこに具体的なオリジンを加えることは彼の神秘性を損ねることになってしまうのではないかと思ったからです(まぁ今にして思えば、ジャック・ニコルソン版はきちんとオリジンあったね)。しかも、監督は『ハングオーバー!』シリーズのトッド・フィリップス。ちょっと待てと。これまで酔っ払いと下ネタの映画しか撮ってこなかった奴がジョーカーを?これこそ一体どんなジョークなのかと思い、期待値はそこまで高くはありませんでした。

 

 しかし、いざ作品が完成してみれば名だたる映画評論家は絶賛しまくり、終いにはヴェネチア国際映画祭にて最高賞金獅子賞を獲得する始末。こうなればそれまで高くはなかった期待値は俄然上昇し、鑑賞しました。

 

 鑑賞し、衝撃を受けました。本作は間違いなく21世紀最大の問題作であり、最大の劇薬です。1人の心優しい青年、アーサーが狂気に満ちた「ジョーカー」へと変わる話です。そこに込められたメッセージは、「誰でもジョーカーになり得る」ということであり、同時に「誰もが誰かをジョーカーにしうる」という2点です。確かに、本作のようにオリジンを描いてしまっては、上述のようにジョーカーの持つ神秘性が薄まってしまうかもしれません。ただ、私は本作は、上記の2点をしっかりと描いたという点で、まごうことなき「ジョーカーの映画」であり、同時に「ヴィランのオリジン」としてふさわしいと思います。

 

 本作について語るうえで、まずはホアキン・フェニックスの話をしたいと思います。元々演技派として名高い彼ですが、本作では彼の存在感が圧倒的であり、所謂「3人のジョーカー」に匹敵、若しくは凌駕するレベルの演技を見せてくれます。本作の成功の要因はこのホアキン力の賜物だと思います。

 

Joker (Original Soundtrack)

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 さて、「ジョーカー」とは、言わずと知れたバットマンの宿敵です。彼は正体は公式には不明であり、動機もありません。あるのはただの破壊衝動で、常に愉快犯的に犯罪を楽しんでいます。これが彼の基本的な設定です。

 

 この設定を基にしつつ、映画版では様々なジョーカーが描かれてきました。中でも今回私が注目したいのは、2008年の傑作『ダークナイト』におけるジョーカー(ヒース・レジャー)です。彼はティム・バートン版『バットマン』におけるジョーカー像とは全く違う、完全無欠なサイコパスとしてジョーカーを演じました。あの作品におけるジョーカーとは、「善」である存在を「悪」に堕落させるべく、様々な揺さぶりをかける存在でした。それに堕ちてしまったのが、ハービー・デントでした。本作は、『ダークナイト』でジョーカーがやっていた「悪」への揺さぶりを、映画そのものがやっているのです。

 

 本作は上述の通り、1人のコメディアン志望の青年が「悪」に堕ちるまでを描きます。その描き方が、非常に「共感できる」内容なのです。少なくとも、私にはそうでした。アーサーは、極貧の家庭に育ち、脳に障害があるために周囲から奇異の目で見られています。特に定職もなく、障害を負っている極貧層というのは、社会にとっては存在しないも同じです。作品には、終始不寛容な空気が充満しています。それは冒頭の看板を追いかけるアーサーを、誰も助けようともしないことからも描かれています。この不寛容な空気のもと、アーサーは福祉を断たれ、職も無くし、周囲からは蔑まされ、家族の記憶も嘘だと分かり、最後の最後にすがった彼女との想い出も幻想だと判明し、その果てに凄惨な事件を犯します。つまり本作は、「無敵の人」の映画なのです。

 

 本作の最大の問題点は、この無敵の人に、一種の共感を抱いてしまう点。個人的な感想になりますが、私は電車内での証券マン殺害のとき、マーレー殺害のときに、カタルシスすら感じてしまいました。特にマーレーのときはその前のやりとりが印象的でした。「あの証券マンは良いよな、クズだったが、死んでもウェインが悲しんでくれた。でも、俺が道端で死んでも皆俺を踏みつけるだけだろ?」とアーサーが述べると、それに対し、マーレーは「正論」をぶつけます。「殺人が許されるわけはない」と。それはその通りです。しかし、アーサーのように、社会からはクズ同然の扱いを受けてきた人間からしてみれば、そんな「恵まれた奴ら」が作ったクソみたいな道徳など、全く関係ないのです。だって、自分はそれに護られたことがないから。自分たちを「落伍者」と言った人間達が述べる道徳など、何の意味も無いのです。私はこのように「共感」をしてしまったので、カタルシスを感じました。同時に、終盤で、アーサーが暴徒の象徴として立ち上がったシーンで、「周りにいる暴徒のうち1人がお前なんだぞ」と突き付けられた気もしました。

 

 つまり本作は、アーサーという「無敵の人」に共感させ、「お前の中にも悪はあるんだぞ」と自覚させに来るという、映画そのものが『ダークナイト』のジョーカーのような映画なのです。私はこの点で、本作をまぎれもない「ジョーカーの映画」だと思います。

 

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 ジョーカーと言えば、バットマンとの鏡像関係も有名です。これは同じく法の外にいる身でありながら、一方はコウモリのコスプレをしてビジランテ活動を行う資産家であり、一方はピエロの恰好をして犯罪を犯す悪という構図から来ていると思います。

 

 本作でもこの鏡像関係は別の箇所で描かれています。それが貧富の格差です。ご存知の通り、ブルース・ウェインは資産家の坊ちゃんであり、富裕層です。しかし、本作におけるジョーカー/アーサーは貧困層。2人の間にはあの門のような埋めがたい隔たりがあります。そして、片方が(一応)ヒーローになり、片方が「悪」になってしまうという構図は面白いです。

 

 この問題を考えるにあたって、日本では今年公開された、好対照な映画があります。『スパイダーマン:スパイダー・バース』です。あの作品のマイルズは富裕層ではないにせよ、お金には困らない家庭に生まれ、自身も才能に溢れ、頭も良く、友だちもいる。アーサーからしてみれば、「それ、1つでいいから俺にくれよ!」と言いたくなるくらいのものです。そんな彼は、仲間にも恵まれ、成長し、スパイダーマンという「ヒーロー」になります。これは全てを失くしたからこそ「悪」になってしまったアーサーとは全く対照的です。アーサーのような人間にとっては、このクソみたいにどうしようもない世界で生きていくためには「自分も気を狂わせる」しかないのです。

 

 

 世の中の「正」の面を受け取ったからこそ「ヒーロー」になれたバットマンと、スパイダーマン。そして反対に、世の中の「負」の面ばかり受け取ったために「悪」になってしまったアーサー/ジョーカー。ここからは、人とはキッカケ次第では正義にも悪にもなるということが分かります。そして、ヒーロー映画では描かれても、「ヒーローが成長するためのダークサイド」的な描かれ方しかしなかったこの要素を、ヴィランの物語としてここまで共感できるものとして描いた本作は、これまでのアメコミヒーロー映画が見せてこなかった側面であり、それ故に、本作は「ヴィランの映画」として完成されていると思います。

 

 以上のような点から、私は本作を、「ジョーカーの映画」としても、「ヴィランの映画」としても、素晴らしい作品だと思います。もちろん、映画として最高なのは当然です。

 

 

本作と正反対と思える映画。

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 バットマン映画。ちょっと変わってるけど。

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