暇人の感想日記

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メタファーにまみれた「曖昧な世界」で生きる。【バーニング 劇場版】感想

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93点

 

 

 韓国を代表する監督であるイ・チャンドン。『ポエトリー アグネスの詩』から実に8年振りの監督作です。原作はまさかの村上春樹の短編「納屋を焼く」。恥ずかしい話、私はイ・チャンドン監督の作品を観たことがなかったので、この新作を機に観ておこうと思い、原作の「納屋を焼く」を読んでから鑑賞した次第です。

 

 観終わってみると、あの抽象的な原作からよくもこんな映画を作れたなと思わせられ、イ・チャンドンの実力に感服させられました。

 

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 原作は、読んだ方ならば分かると思うのですが、かなり抽象的で、内容についてはいくらでも解釈ができるものでした。本作はこの原作を基にして、イ・チャンドン監督自身の解釈と、現在の韓国が抱える社会問題を描いていきながらも、原作が持っていた抽象性は失っていないという作品でした。

 

 原作との最大の違いは主人公・ジョンスです。原作では村上春樹自身がモデルと思しき小説家で、雰囲気も相変わらずの村上春樹主人公です。ですが、映画版のジョンスはその逆。大学は出たけれど、定職に就けず、アルバイトで何とか暮らしているフリーターで、「小説家志望」なくせに何か小説を書いている気配がない。中盤、一瞬何か書いているシーンがありますが、あれ嘆願書でした。しかも両親は父親は傷害罪で実刑判決を受け、母親は昔に蒸発、さらに多分童貞と、とにかく徹底して、「何もない」男です。この主人公への共感度は半端じゃなかったですね。

 

 そんな彼の前に、自分を幼馴染と言っている女性が現れ、しかも彼女は自分に対してまんざらでもない感じ。「俺の人生、何も良いことなかったけど、こっから良い事あるんじゃないか?」と思ったのも束の間。彼女が旅行先で出会った男、ベンが現れます。

 

 このベンは、ジョンスと真逆で、「何でも持っている」男です。イケメンで金持ちで性格良くて仕事も上手くいっている(っぽい)。およそ、ジョンスみたいな男が張り合おうとしてはいけない人物です。

 

 この「持てる者」と「持たざる者」の格差の描き方が本当にえげつない。住んでいる環境が天と地だし、乗っている車も違う。そして、「持たざる者」は「持てる者」への劣等感に苛まれています。ヘミを車で送る下りの共感度は異常です。

 

螢・納屋を焼く・その他の短編 (新潮文庫)

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 そして、この「持てる者」と「持たざる者」の関係は、そのまま本作の要素と被ります。本作では、原作とは違い、「ベンがヘミを殺した」説を結構強力に主張していて、その理由は「この世にはいらないビニールハウスが多すぎるんだ」というもの。「いらないビニールハウス」。これは、「存在してもしなくても変わらない存在」であり、それはそのままジョンスにも当てはまると解釈できます。彼は何も持たず、消えたところで悲しむ人間などいない、「無敵の人」です。本作は、こういった「見過ごされている人々」へフォーカスが当たっています。

 

 この主人公以外にも、この要素は散りばめられています。井戸や、ヘミの記憶、姿を見せない猫等々。ヘミは、パントマイムでこう言いました。「無いことを忘れるの」と。そのヘミは消失し、主人公はその姿を追い求めます。色んな意味で。ただ、追い求めていくと、世界そのものが曖昧になっていきます。主人公は「小説が書けない。何を書けばいいか分からないから」と言います。この曖昧な世界の中で、彼自身も迷っているのです。しかし、ラストで彼は明確な意思を以て、小説を書き始めます。そしてそこから、登場人物に寄っていたカメラが引いて、「世界」そのものを映します。これは、私には「何も持っていなかった男が、自らの使命を自覚し、世界を生きていく決意をした瞬間」に思えました。

 

 「世界」にとって意味がなかった存在が、自らの意志でその「世界」で使命を果たそうと生きる決意をする。これは我々にとっても変わらないことですし、それを描いている(と私は思う)イ・チャンドン、優しくも、恐ろしい監督です。