暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

4月に見た新作映画の感想②

 4月に見た新作映画の感想その2です。後半8本分の感想です。

 

No.37『トリとロキタ』 87点

 ダルデンヌ兄弟の新作は、祖国を追われ、ベルギーへ渡るも、過酷な生活を送っているトリとロキタという2人の子どもの話。映画そのものは非常に静かで、劇伴はなく、演技も初心者を起用している。しかし、そこから、ダルデンヌ兄弟の怒りが感じられる力作だった。

 トリとロキタは、完全に「詰んで」いる。トリはビザが発行されていて、学校にも通えてはいる。しかし、ロキタ以外に頼れる人間はいない。ロキタはビザが下りず、トリの姉と偽り、何とかビザを発行してもらおうとする。彼女は祖国の家族に仕送りをしなければならないが、渡航の仲介業者、麻薬販売の仲介など、あらゆる存在から搾取されまくる。ダルデンヌ兄弟の、彼女を追い詰め、あの凄惨な結末へ追いやった原因は、彼女を搾取していた「全て」だという怒りを感じる。そしてそれが極限までそぎ落とされた演出で描かれるので、「映画」の中ではなく、「現実」を地続きの出来事として観客に突き付けられる。そしてこれは、全世界で起こっているわけで、辛い気持ちになる映画です。

 

No.38『ハロウィン THE END』 55点

 『ハロウィン』サーガの完結篇ではあるものの、実に変化球な1作。やりたいことは分かるし、前作『KILLS』からの連続性を考えると、「理解はできる」映画ではある。しかし、『ハロウィン』でこれを見たかったのか?と聞かれれば、「コレジャナイ」と断言してしまう、そんな映画。

 前作『KILLS』で「恐怖の象徴」にまでなってしまったブギーマンですが、本作の「恐怖」はハドンフィールドそのもの。この街に残る「悪意」が、コーリーという青年を如何に追い詰め、「ブギーマン」にしてしまったのかを描いていきます。ローリーはコーリーと対比されることで、自身の傷を癒し、恐怖を克服していく姿が強調されます。また、ハドンフィールド全体を現実世界と置き換えることもできます。

 試みはよく分かります。しかし、これは『ハロウィン』でやることか?とも思います。ブギーマンが背景になり、もはやスラッシャー映画ではないし、別の映画になっている。最後にローリーとブギーマンの一騎打ちがありはしますが、それまでのコーリーの物語から急に入るので、唐突な感じは否めない。正直、90分くらいまでは、「俺が今見ているのは、『ハロウィン』なんだよな・・・」と困惑しながら見ていました。

 

No.39『劇場版 名探偵コナン 黒鉄の魚影』 78点

 最近のコナン映画は、作りが圧倒的にキャラに偏っていて、もはやミステリ要素などはキャラを動かすための要素に過ぎない。前作『ハロウィンの花嫁』はこのバランスが意外と良かったのだけど、本作は100億突破をガチで目指す!ということで、「キャラ」に全振り。黒の組織、そして、灰原に大フィーチャーした作品でした。

 黒の組織が無能なのはいつものことですが、本作では、前述のとおり、「キャラを魅力的に動かすための駒」でしかないため、無能っぷりに拍車がかかっていますし、話がご都合主義を通り越し、荒唐無稽。原作でもだいぶぞんざいな感じになっているコナンの正体がばれる/ばれないについても、作中でも屈指の危機に陥るのですが、コナンが関知しない間にジンニキとベルモットが処理してくれた!っていう。いいのかそれで。

 しかしその分、キャラは魅力的。各キャラにちゃんと見せ場を用意している交通整理ぶりは、さすが、「相棒」のTVSP回などで手腕を発揮した櫻井武晴さんという感じです。中でも大フィーチャーされている灰原に関しては、彼女の想いの落としどころが完璧すぎて、ラスト20分が本当にヤバかった。つまりはコ哀映画として完璧すぎた。コ哀の過剰供給でファンは死ぬ。これが見れただけで、本作には大きな価値があると思う。ミステリ映画としては酷いです。

 

No.40『聖地には蜘蛛が巣を張る』 92点

 聖地マシュハドで起こった娼婦連続殺人事件、と聞けば、連想されるのは『羊たちの沈黙』や『セブン』のようなシリアルキラーもの。しかし、本作は、その事件を追う女性記者を通して、ミソジニーにまみれた世界を描き出す。本作はイランの話として描かれているが、どこの世界でも通じる話であると思う。

 本作は、従来のシアルキラーものとは一線を画していると思う。何故なら、かなり早い段階で、犯人が分かってしまうから。本作は、犯人と、事件を追う女性記者を交互に描く。本作で主題となっているのは、上述のように、ミソジニーに塗れた世界を描き出すことにある。そこで重要なのが、本作が女性記者を主演にしているという点。女性が男性の権力者と張り合っている姿は確かに頼もしく、カッコいいものではある。しかし、女性であるがゆえに、理不尽な差別には遭うし、街中で歩いているとき、権力者である男性と2人きりで部屋の中にいるときなど、常に緊張が画面に張り付いている。冒頭で、マシュハドをロング・ショットで捉えたショットが入りますが、あそこに象徴されている通り、あの街そのものが、女性を捕らえる「蜘蛛の巣」のようなのである。

 その「蜘蛛の巣」に捕らえられるのは、女性だけではありません。男性もそうで、犯人を通し、ミッション型の殺人が起こる過程、そして、被害者に対する差別的思想が描かれる。そして後半、如何にミソジニー的な思想が次世代に受け継がれてしまうのか、が克明になる。子供でさえ、ミソジニーという「蜘蛛の巣」に捕らえられているのだと捉えることもできます。

 日本でも、あそこまで露骨な差別はないにしても、ミソジニーは蔓延しているわけですし、程度を変えて、本作で描かれている思想は世界各国であるわけで、イランの中の話、で終わらせてはいけないのだと思う。

 

No.41『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』 80点

 ここまで傷つきやすい人を描いた映画、今まで無かったと思う。本作に出てくる登場人物は、白城を除いて、皆傷つきやすい。七森はアロマンティックだけど、自身が男性であることで女性を傷つけているのではないかと恐れているし、麦戸は後半とある理由から引きこもりになる。他にも、ぬいサーの人間は日々傷ついていて、それをぬいぐるみに喋っている。

 自分の存在や言動が他者を傷つけてしまうという恐れを抱き、そこに上手く折り合いをつけられない人間は確かに存在している。こういう人たちの悩みというのは、時折、「弱さ」とか「情けなさ」「コミュニケーション不足」みたいなところに繋がれがちで、認められにくい。キャッチコピーのように、「全然大丈夫じゃない」のである。多分、この映画を見て、彼ら彼女らの悩みが全く理解できない人間もいると思う。だから本作は、間違いなくマイノリティの話なんだと思う。

 映画は、何かしらの「回答」をくれる。「正しさ」を描いてくれるものだけど、果たして同じ局面に出くわしたとき、映画が示してくれた正しさを実践できるのか、まったく自信はない人もいると思う。そして、麦戸のように自己嫌悪に陥る。本作は、そういった点を責めることなく、肯定して見せる。映画って、そう言えば多様な人間を描けるものだよな、などと思った。

 

No.42『ヴィレッジ』 70点

 排他的な村を寓話として描き、日本の閉塞感を示して見せる。藤井道人監督の欠点(だと思っている)として、全ての映画がテーマありきで作られているところがあり、それ故に映画のキャラが記号的に見える、というのがある。それが最も酷く出たのが『新聞記者』だと思っているわけだけど、本作に関しては能の邯鄲の枕がモチーフになっていることもあり、全編「寓話」として見ることができるため、そこまで気にはならなかった。

 藤井監督は「居場所」を求める人間を描き続けている人で、本作もそう。横浜流星は村の中に居場所がなかったのを、黒木華の協力もあって、居場所を獲得する。『ヤクザと家族』も社会に居場所がないヤクザを描いていて、『新聞記者』も松坂桃李が自分の居場所を模索する話だった。これは今の日本社会に、「居場所」が全くないという閉塞感の関連していると思う。本作に関して言えば、横浜流星が居場所を獲得するも、そこから新たな地獄が始まる。終始陰鬱とした展開で、臭いものには蓋をしまり、どんどん堕ちていく。良かったのは、終盤で横浜流星古田新太に向かって「この村はクソ」とはっきり言ったこと。排他的で、どうしようもない。もはや変えることができないクソな環境。それを認めて、一気にぶっ壊すしかないのかもしれないと思える。

 ラストは『ヤクザと家族』を同じで、円環の中から解き放たれた人物が村から出ていく。『ヤクザと家族』では「次の世代に託す」というプラスの意味にとれたけど、本作に関して言えば、「もうここ(村=日本)から降りるしかない」という意味にもとれる。それだけ監督がこの社会に絶望してんのか、と思った。まぁ分からんでもないけど。

 

No.43『レッド・ロケット』 90点

 本作のマイキーは信じがたいカス人間で、自己中だし、他者を利用することしか考えていない(しかも都合が悪くなるとバックレる)。いちいち過去の武勇伝を語ってきて、ウザいし、うるさい。その上、マチズモ的な悪い点がてんこ盛り。挙句の果てには女子高生に手を出し、ポルノスターとして売り出そうともする。自分が成功することしか考えておらず、他者のことなどお構いなし。ハッキリ言って関わりたくない。しかし、サイモン・レックスの驚異的演技力によって、このカスが妙に可笑しみのある存在として描かれる。でも、渥美清演じる寅さんみたいではなく、カス行為をカス行為としてちゃんと描き、我々をドン引きさせるという、絶妙なバランスになっている。余談ですが、ポスターに使われているシーンは、本編屈指のカスシーンで、見てて笑っていいのか迷って爆笑した。

 しかし、我々がマイキーをカスとして遠目で見ていられるかと言えばそうではなく、本作はテキサスに(そして世界中に形を変えて)確実にいるであろう人間の話だと思う。16mmフィルムでゲリラ的に撮影したという映像や、地元の素人を起用したキャスティングからも、「本物感」が漂っている。しかもこいつら全員ダメな奴ら。こんな奴らの日常を切り取った映画でのためか、映画そのものもダラダラしている。でもこれが何かいい。「ダメな人たちをちゃんと捉える」点も、ショーン・ベイカー感ある。

 このリアリティ溢れる本作の中で、唯一超常的なのがストロベリー。意図的だと思うけど、マイキーにめちゃくちゃ都合のいい存在として描かれている。マイキーの言い寄り方とか、キモすぎだと思うけど引かないし、マイキーの無茶な夢に付き合ってくれる。住んでる家も、マイキーの家と比べると妙にファンタジックだし。個人的には、これがマイキーの悲哀を増幅させていたと思う。彼のような男性は、ああいうイマジナリーな存在がないとやっていけないんだなぁみたいな。だから、ラストのあれば幻影だと思ってます。

 

No.44『ザ・スーパーマリオブラザーズ』 82点

こちらの記事で感想書いてます。

inosuken.hatenablog.com

 

以上です。