暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

2021年新作映画感想集①

はじめに

 新作映画の感想がまったく追いついていません。今年に入って鑑賞した新作映画は現状94本なんですが、その中で感想を書けたのは僅か30本。少ない!つまり、未執筆作品があと64本あるんです。多い!もちろん、意図的に感想を書かなかったわけではないんです。鑑賞した映画は全て感想を残しておきたいと思っているのですが、如何せん時間がない。仕事が忙しくなり、映画を追うのに精一杯なのです。そこで考えました。もう仕方がないから、短文感想をまとめてしまおうという。映画の感想には、長文を書けるくらい「書きたいこと」がある作品と、面白かったけど、「書くことが少なくなりそうな作品」があります。この記事では、何回かに分け、後者の作品たちを一気に書いてしまおうと思ったわけです。手抜きって言われても別にいい!

 

『AWAKE』

AWAKE

82点

 1本目。2015年の電王戦に着想を得たという本作。観て驚いたのが、吉沢亮と言う俳優の表現力でした。彼のことは「仮面ライダーフォーゼ」の頃から知っていて、『銀魂』「なつぞら」と、成長過程をずっと追っている俳優なのですけど、あそこまでとは。本作における彼は、「イケメン」では断じてない。完全な「オタク」なのです。ずっと俯いてて挙動不審なところとか、熱中した時の一心不乱な感じ(瞳の開き方が凄い)、テンパったときの動きとか。更にそこに、挫折した将棋への執着と言える情熱すら感じさせる。しかも服装も「お前、それユニクロとかで特に考えず買っただろ」と言えるような感じで大変素晴らしい(ただそんな感じでも吉沢亮なので、スーツになるとオーラが滲み出てしまうけど)。

 本作は、そんな吉沢亮が挫折を経験し、AIという熱中できるものを見つけ、それに奮闘していくという青春物語でもあります。若葉竜也演じるライバルが将棋界を駆けあがってゆく姿と並行して描かれ、「挫折した男」VS「自分の打ち負かした将棋界の新星」という、結構燃える話でもあります。これ、将棋に限らず、誰にでもある青春物語ですよね。語り口も端的で、対局してるシーンでも、解説や役者の演技で場面ごとの緊張感を盛り上げてて、この点でも新人ながら監督は確かな演出力を持っていると言えるかなと思います。

 

 

『新 感染半島 ファイナル・ステージ』

新感染半島 ファイナル・ステージ

77点

 2017年に公開された大傑作ゾンビ映画、『新感染 ファイナル・エクスプレス』の続篇。と言っても、設定的な繋がりがあるだけで、登場人物も内容も一新されています。前作は、新幹線という限定された空間をフルに活かし、パニック時の人間の集団心理の恐ろしさ、それでも人の心を持って戦う人間の尊厳を描いていました。本作でも、「爆走アクション」という点は共通しており、いちばん近いのは『マッドマックス 怒りのデスロード』でしょう。ポスト・アポカリプスだし。しかし、こちらの作品は平原のカーチェイスでしたが、本作は荒廃した市街地でのカーチェイス。倒壊した建物などがギミックとして働き、アクションの面白さを盛り上げています。

 このアクションが全面的に押し出される冒頭30分は最高で、前作よりもさらにエンタメに振り切った作品だなと認識できました。しかし、そこからは展開的に間延びしていき、特に酷いなと感じたのがラストで、「山崎貴ですか?」と言いたくなるくらいクドい「泣かせ」演出が起こり、しかもそれがスローモーションなもので、非常に鈍重に感じられました。

 コロナ禍に公開されたことを考えると、本作の序盤で描かれた、半島からやってきた人間に対する差別的な扱いは全く他人事とは思えませんでしたし、こう考えると、本作には地獄と化した半島は、弱者が搾取され続ける構造のメタファー、と捉えられなくもないです。そこに一撃を加え、脱出を図るのが女性という点も、『怒りのデスロード』だなと思いました。

 

前作感想。

inosuken.hatenablog.com

 

 

『ヤクザと家族 The Family』

ヤクザと家族 The Family

70点

 藤井監督らしい、「居場所」の映画だなと思った。本作の綾野剛は、居場所がなく、だからこそ舘ひろし演じるヤクザに入り、「家族」となる。しかし、時代は変わり、ヤクザになってしまったからこそ、社会に「居場所」を無くしてしまう、という悲劇に見舞われる。本作において、ヤクザは徹底的に虐げられる存在で、社会は一切彼らを救わない。しかし、ヤクザになる前、社会は、そもそも彼らを救おうとしていたのか?という疑問も残る。

 2016年公開のドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』において、映し出されていたヤクザは、カメラに向かってこう言いました。「社会に復帰したとして、誰が自分たちを受け入れてくれる?」と。そして自分たちは、「社会から捨てられたところを、組長に拾ってもらった」とも言っています。ヤクザの世界は、我々「一般人」の常識が通用しない世界。ハッキリ言って超怖いんだけども、そこで生きさせるように仕向けたのは、我々なのではないか?とも思えてしまうのです。ただ、ヤクザに酷い目に合わせられた人とかもいるわけで、ただ「可哀そうな存在」として描くのもどうかとは思うけれども(という、本作の主張とは真逆の感想)。

 本作は、かつて隆盛を極めた東映ヤクザ映画の鎮魂歌的な側面を持っています。ヤクザがファンタジーとはいえ、存在できた時代から時は流れ、暴対法が成立し、どんどん追い込まれていくヤクザ。現在、ヤクザ映画を撮るとしたら、このような描き方になるのだという、「現代のヤクザ映画」が本作です。

 本作で描いていること、提起している問題は、『ヤクザと憲法』と同じで、「ヤクザに人権はあるのか?」です。本作は、最初と最後が同じというブックエンドの構造になっているのですが、その先がある。ここが重要だと思っていて、「閉じてしまった」ヤクザの物語より先に、新しい世代の物語がある。平成から令和へ時代は変わり、ヤクザを見捨てた社会(セーフティーネットくらいは用意すべきだとは思う)ではなく、そこからより良い社会を作り出さなければならない。それを次の世代に託して、本作は終わります。そしてそれを成すのは、本作を観た我々なんだろうなと思います。

 

 

藤井道人監督作。

inosuken.hatenablog.com

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