暇人の感想日記

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NETFLIXオリジナルアニメ【攻殻機動隊SAC_2045】感想

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☆☆☆★(3.5/5)

 

 

はじめに

 神山健治監督が、『APPLESEED』の荒牧伸志監督とコンビを組んで、NETFLIXでもう一度「攻殻機動隊SAC」を作る。これを聞いたとき、喜びを期待を感じたことを覚えています。神山監督が制作した「SAC」はTVシリーズ2作、長編アニメーション作品1作が作られており、3作とも超がつく名作です。10年以上前の作品でありながら今見ても古臭さは全くなく、寧ろテーマの先見性や、アニメーションとしての純粋なクオリティの高さなどは、今放送されている作品と比べても全く見劣りしません。というか、未だにこの作品レベルのTVアニメだってそうそう出てこない。それは「攻殻」シリーズでも同じで、「ARISE」シリーズは見るべき箇所はあるにはあるのですけど、全体として「惜しい」作品でした。そんな中、神山監督が再び「攻殻」を作る。しかも声優が同じ。これは嬉しいニュースでした。特報で公開されたCGの出来を残念に思いながらも、視聴した次第です。

 

 全体の感想として、本作は「普通」です。まだシーズン1ということで、話が思いっきり途中で終わっていて、何とも評価しづらいのですが、今放送されている分だけならば「普通」です。しかも、この評価は特報のCGのクオリティと、既に視聴を終えた方々からの感想を見たりした後で期待値を下げた上での評価で、「「SAC」を作った神山監督の最新作」として見てしまうと、肩透かしもいいとこでした。

 

 「攻殻機動隊SAC」が素晴らしかった点は、非常に先見性のある未来を舞台にして、そこに現代的な問題をブチ込み、1話ごとの圧倒的な情報量と、エンタメとして非常に完成度の高いストーリー・演出で見せた点だと思っています。ですが、本作にはその先見性やスマートさは皆無。よく言えば「分かりやすく、スッキリした」、悪く言えば「薄い」作品です。

 

サスティナブル・ウォー

 本作における重要な要素は「サスティナブル・ウォー」です。これは作中で解説された通りだと、「死にゆく経済を持続させていくための、必要悪としての戦争」です。神山監督と荒牧監督のインタビューによると、このサスティナブル・ウォーというのは現実のメタファーなのだそう。神山監督の発言を引用します。

 

「今って弾が飛んでこないだけで、戦争状態だよね」って話してたんですよ。今の日本は戦争をしているわけでもないし、日常的に武器を目にすることもないけど、軍事費はどんどん上がってるじゃないですか。つまり、われわれも戦争産業には相当加担しているわけです。税金という形で。

(中略)

今は見えないその戦争を可視化した世界が、この『SAC_2045』の舞台ですよ。*1

 

  この意味だと、前半の6話は、このサスティナブル・ウォーを直接見せるためのパートということになります。確かに、日本をメインの舞台にして「サスティナブル・ウォー云々」の話をしていても実感がわいてこないため、この構成はありということにしておきましょう。しかし、それにしても、話が回りくどく、薄い。このパートは基本的に素子達が傭兵をしている下りがメインで、本作の核となる「ポスト・ヒューマン」が出てきて、その内容が明かされるのが6話なのです。そしてそこから「ポスト・ヒューマン対策のため」9課が再編されるため、ものすごく回りくどく感じます。

 

CG

 本作は全編フルCGです。この姿勢は応援したいですが、クオリティが初期のプレステレベルなんですよね。これは慣れればいいですが、問題はこれで何かプラスに働いた点があまり無いんですよ。モーションキャプチャーをしてるから、アクションが現実的なものになっているのが特に問題です。一応、2Dのアニメでは見れないカメラワークとかはあるのですけど、それにしたって「SAC」のスタイリッシュさやカッコよさの足元にも及ばない。インタビューで荒牧監督が「神山監督の作品は実写寄りだからモーションキャプチャーにしたら相性がいいのでは」と語られていましたが、そういうことじゃないんだよ!「アニメで実写の海外ドラマみたいな作品を作った」ことが重要なんだよ。

 

全体的な「薄さ」

 さらに問題なのは、本作には「SAC」3作にあった「チーム感」も全くない点。前半の傭兵にしても、後半の公安9課としての捜査としてもです。TVシリーズは「10の力で1の事件を捜査する」を地で行く内容で、このチーム感が魅力でした。特に「SAC」の最初の3話は今見ても素晴らしい。しかし、本作ではこれが希薄。前半はまだ良かったのですが、後半に入ってからが酷い。基本的に「個」の力で捜査しているのです。若しくは捜査しているキャラの描写を入れない(特にパズは今回ほとんど台詞すらない)。基本的に描かれるのが素子、荒巻、バトー、トグサなので、チーム感が無いのです。特に問題なのは後半に出てくる江崎プリンで、彼女が出しゃばって捜査をするのですけど、それによって9課メンバーの活躍の場を奪ってるのです。特にイシカワとボーマの。というか、あのような勝手な行動を荒巻は許すのかな?

 

 さらに、作中全体の問題提起もありきたりです。バトー回である7話の年金問題を基にしたと思われる話や、「シンクポリ」での「民主的な」リンチなどは、他の作品で結構扱われた題材です。本作はそれを「ありきたり」なまま描いていて、しかも核となるのがよりにもよって「PSYCHO-PASS サイコパス」と同じ「1984年」ですからね。既視感しかない。

 

「1984年」

 ただ、「PSYCHO-PASS サイコパス」と違う点は、本作では「1984年」をそのまま現実世界にリンクさせようとしている点。特に「サスティナブル・ウォー」は作中で言及されている、「世界を維持させるための戦争」そのままの理屈です。そして「1984年」は「全体と個」の話で、オセアニアに住んでいるウィンストン・スミスが「ビッグ・ブラザー=(体制)」という全体に疑問を持ち始め、「個」として目覚めていくものの、最終的に「全体」と同化させられてしまうという内容です。

 

 この点に注目すると、面白い点に気付きます。それは、本作では「1984年」におけるウィンストン・スミスと体制側の立ち位置が逆転しているという点です。

 

 本作におけるポスト・ヒューマンとは、スミス曰く「既存の社会を破壊するために生まれた」とされ、更には「彼らのせいで全世界同時デフォルトは起こった」と言われています。これはどこまで真実かは分かりませんが、1984年を下敷きにしているのであれば、「既存の社会を破壊する」というポスト・ヒューマンは、「1984年」における「ウィンストン・スミス」の役割になります。そしてポスト・ヒューマンを追っている9課は「体制側」なのです。

 

 「全体と個」は、「SAC」シリーズにおいて重要なテーマです。本作は「1984年」の体裁を借りて、同じ内容を描こうとしているのだと思います。こう考えると、ラストでトグサが失踪したのも、「普通の人」代表であるトグサに、「全体」から独立した「個」であるシマムラタカシか「全体」かという選択を迫る展開につなげるためなのか、とか考察できます。ちなみに、あの下りも「1984年」っぽい。

 

結論

 結論として本作は、「1984年」の体裁を借りて「攻殻機動隊」を描こうという姿勢があって、それは買いたいし、成功すれば別の側面から「攻殻」を描けると思います。しかし、本作は全体的に「それありき」であって、全体的に過去作にあった密度はすっかり無くなり、かなりあっさりとした作品になってしまいました。現時点では、全体としては「普通」ですが、「攻殻」としてはかなりイマイチな内容です。こんな薄くなって、私は悲しい。これが「攻殻」初見という方は悪いことは言わないから「SAC」見て。NETFLIXにあるから。

 

 

同じく「1984年」モチーフの作品。「同じ題材」と書いてしまうのが少し悲しい。

inosuken.hatenablog.com

 

 同じタッグの作品。

inosuken.hatenablog.com