暇人の感想日記

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細田守の新たな出発【竜とそばかすの姫】感想

竜とそばかすの姫

 
82点
 
 
 『時をかける少女』から、3年おきにコンスタンスに作品を発表し続けているアニメーション監督、細田守。本作は、コンスタンスに作品を発表し続けている成果が実り、今や名前だけで客を動員できる「国民的映画監督」となった彼の最新作です。彼の作品はエンタメ作品というよりは作家の作品として観ていくと面白く、前作にあたる『未来のミライ』では、それが前面に炸裂しまくっていて、賛否両論となりました。私としては、作品の内容は批判的なのですが、アニメーションの演出は本当に素晴らしかったこと、そして、「細田守」という作家の作品としては非常に興味深い内容だったので、「ありよりのなし」な立場です。あの作品の後に発表した本作は、ビジュアルから見ても分かる通り、『ぼくらのウォーゲーム!』『サマーウォーズ』の系譜をひく作品。作家「細田守」は何を見せてくれるのか、非常に興味があったので、鑑賞しました。
 
 細田作品におけるネット描写は、本作で大きく刷新されています。『ぼくらのウォー・ゲーム!』や『サマーウォーズ』においては、ネット空間というのは「皆が力を合わせることができる」空間であり、それによって巨悪を打ち倒していました。しかし、時代は大きく変わり、現実におけるネット空間というのは、罵詈雑言とデマと同調圧力と勝手な発言が飛び交う魔窟と化してしまいました。本作のネット空間「U」は、もはやカオスとなってしまったこのネット空間を可視化してみせます。ベルがデビューしたときの反応にあった冷笑的な意見や正体に関する根も葉もないデマ、「ジャスティン」というSNSによくいる正義ヅラして特定の人間を追い詰める存在、そしてベルの存在が拡散していく様子など、良くも悪くも現代のネット空間を思わせる描写です。これは、『ぼくらのウォー・ゲーム!』や『サマーウォーズ』の時代にはまだ一部の人間のものだった匿名性を利用したネット空間(5ちゃんねるとか)が、SNSスマホの普及によって我々の生活と不可分になってしまった故の変化だと思います。要は1億総ねらー時代を反映しているわけです。
 本作はこのネット空間を、圧倒的な情報量を以て描き出しています。「U」そのものの空間デザインは、ロンドン在住のイギリス人デザイナー、エリック・ウォンさんが制作し、しかもシーン毎に違うアニメーション手法を取り入れていたりします。そしてそこに3DCGで描かれたAsと呼ばれるアバターが無数に配されています。この空間のビジュアル的な面白さもそうですが、アバターの圧倒的な数、そしてカメラワークのダイナミックさも相まって、観ている間、この「U」の世界に本当に入り込んだかのような没入感を得られます。この情報を浴びるために、本作はIMAXスクリーンでの鑑賞を強く勧めます。
 
 この「U」の空間と対をなすように、リアルワールドでは、2Dで作画がされています。キャラクターの作画監督はお馴染みの青山浩行さんで、美術には上條安里さんと池信孝さんが担当。細田作品の特徴的な、「日本の風景」を美しく描きます。また、演出においても、リアルワールドでは、地に足の着いた丁寧な演出を施し、「U」の世界との差別化を図っています。この2つの世界の描写1つとっても、本作は映画館で観る価値があると思います。
 
 また、本作では歌にも非常に力が入っていて、世界各国のクリエイターを総動員して作り上げた楽曲が素晴らしいのはもちろん、やはり中村佳穂の存在が大きいです。彼女の歌唱力なくしては説得力がなく、成り立たなかったでしょう。このように本作は、世界各国のクリエイターを総動員して、「U」の世界を説得力を持って創り出しているのです。この点は、細田守監督というビッグネームだからこそできた芸当でしょう。
 
 本作における「敵」というか、問題は「同調圧力」だと思います。ネット、現実の双方で、この点を描き出していきます。ネットに関しては、竜を巡るジャスティンとか可視化された罵詈雑言などで一目瞭然ですが、現実においてもそれは存在していて、スクールカーストだったり、周囲の人間の心ない声だったりします。すずは過去のトラウマがあって歌うことができませんが、カラオケのシーンも凄かったですね。彼女は自分の身を以て少女を助けた母親が周囲の心ない声によって批判されたことを経験し、そのため、周囲の評価を気にし、「自分の気持ち」みたいなものを押し殺している節が見られます。だから「BELLE」という仮面をつけないと歌うことができないのです。直接批判されると、その声に押しつぶされてしまうから。この点は他のキャラクターでも描かれていて、カミシンはこの圧力に鈍感で、やりたいことをやろうしている男で、ルナちゃんは「可愛い」そして「リーダー」という役割を何とかして頑張ってこなしている、と見れます。要は『桐島、部活やめるってよ』的な側面もあるわけです。
 本作は、細田監督もインタビューで答えている通り、『美女と野獣』が大きなモチーフとなっています。すずのAsである「BELLE」なんてそのまんまですし、竜の城のシーンになると、手描き時代のディズニー作品のようなタッチになります(ここは、『ウルフウォーカー』等でお馴染みのカートゥーンサルーンが制作したそう)。また、『美女と野獣』の名シーンであるダンスシーンなんて臆面もなくそのままオマージュを捧げています。また、『美女と野獣』のテーマ(外見の奥にある心こそが大切)に関しても、それを「顔が見えない」匿名性の高い空間の物語に置き換える、という内容は、現代にふさわしい変換だと思います。しかも、『美女と野獣』も結局は「外見で危険だと思われていた存在を排除しようとする」存在がいる話でもあり、そこにはジャスティン的な「正義」の執行思想があり、それをネット空間における同調圧力と置き換えています。
 
 だからこそ、ラストですずが「仮面をとる」ことが重要になってきます。匿名ではなく、今困っている人間のために、同調圧力の恐怖を払いのけ、素顔で自分の声を届けることこそが、大切なのだと言うわけです。そしてこれはおそらく、作品内の主張とはまた別に、細田守監督にとっての宣言にもなっています。つまり、すず=細田守とすると、「作品に対する罵詈雑言とか批判とか、全部吞み込んで、それでも私は作りたいものを作る!」という宣言です。そしてその意志こそが、世界中の人間に勇気や感動を届ける方法である、とラストのすずの歌唱シーンで示してくれます。私は、この宣言を観たとき、不覚にも感動してしまいました。『未来のミライ』ほどではないにせよ、ここまでパーソナルな宣言を、東宝の夏休み大作でできるなんて。まぁ、自分の作品で感動している人がいる!点を映像にしてみせたあのシーンは、ちょっとキモいなと思いましたけど。
 とまぁ、ここまでは感動できたんですけど、かなり批判されている終盤はダメでしょう。やりたいことは分かります。すずの母がやったことの意図を理解したすずが、現実で「手を差しのべる」わけです。ここは、ネット上で言いたいことだけを言っているだけではなく、実際に行動に移し、人と人が結びつくことが重要、という点を体現したシーンですが、あまりにもフワッとしすぎている。解決方法はすずが毅然とした態度をとってDV父がビビって終わり。しかも、被害にあった恵に「強く生きる」と言わせているのです。これは、DVという犯罪を「個人のせい」に矮小化しかねないと思います。せめて、児相に連れて行ったとか描写があれば良かったんですけど、それもなく、最後はすずが満足してるだけで終わった感がありました。あれだけ「助けるって言うだけで助けてくれないだろ!」と言っていた恵君が(ちなみに、あの台詞は観客にも言ってたと思う)、最終的にあの台詞を言うのもモヤモヤします。
 
 すずの物語としては、ラストで皆で川を歩いていたシーンが示す通り、決着がつきます。細田守監督は繰り返しの人なので、これまで1人で川の土手を歩いていたすずが、皆で歩いている。そして、皆と一緒に歌い出す。これだけで、すずが人と繋がり、トラウマを克服したことが分かります。こういう描写力は本当に上手い。細田監督も、すずのように、仮面をつけず仲間と一緒に作品を作れるようになったのだなと思うと、『オマツリ男爵』の頃と比べると良かったなと思いますが、特大のモヤモヤは残りました。しかし、本作を経た細田監督が、次作で何を描くのかは気になります。
 

 

細田守監督作。

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 ちょっとだけ似てるなと思った。

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