暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

私の就活を語る~失敗篇~

 現在、世の中は新型コロナウィルスの影響で大混乱なわけですけど、大学4年生にとっては現在は就職活動中です。4月なんて、本来なら一番活発に活動している時期なのではないでしょうか。経済的にはリーマン・ショッククラスの不況みたいなので、下手したら第3の就職氷河期世代が生まれる可能性すらあります。こんな時期にこんなことになって、今の就活生には同情を禁じ得ません。私も今は社会人をやっているので、もちろん就職活動をやった経験はあります。しかしその時に私はこの社会の無慈悲さを痛いほど思い知りました。

 

 今回は、私の就活をざっと書き、そこで経験した社会の無慈悲ぶりと私の恨みの念を書きたいと思います。初めに書いておくと、この記事は巷に溢れている「就職成功体験記」ではありません。1人の馬鹿な大学生が、就活に挑んだ結果、自尊心をズタズタにされた挙句に失敗する記録です。なので身になる事は何もありません。強いて言うなら反面教師にしてください。

 

 私はリーマン・ショックの影響から立ち直りつつあった時期が就活でした。私が就活を始めたのは、就活解禁の半年前でした。私は大分ボンヤリしており、まずは大学の中で開かれている就活講座に参加したのです。そこで色々なマナーなり知識なり面接テクなりを聞いて、その後は1dayインターンに参加したりしました。私は解禁してから最初の1カ月はとにかく説明会に出ようと思い、マイナビリクナビ、大学内の合説に出まくり、そこで絞った企業の説明会に参加していきました。まぁここまではよかったと思います。

 

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 最初に見ていたのは金融、商社、メーカーでした。これらの説明会に出て、選考に進んだはいいのですが、いつも面接に落とされる。いや、就活において、(面接だけカウントして)10~20社くらいに落ちるのは普通です。しかし、私は受ける企業に落ち続け、年を越したときには全選考(ES、SPIなど)を合わせますと、100社くらいに落ちました。リーマン・ショック期ならともかく、立ち直りつつあり、「売り手市場」と言われた時期にこれですからね。どうしようもない。

 

 落ち続けると、面接官が自分に興味を失くしたタイミングというのが分かってきます。面接中、急に質問が事務的になったり、面接官の顔が呆れ顔になって瞬間。「こいつは俺に興味なくしたな」と分かるのです。そりゃ10社くらいなら全然良いんですけど、それが何十社にも続いた日にはもう自尊心はズタズタですよ。この辺までくると考えが「この企業は俺には合っていない」から「俺は社会に必要ない?」になってくるから面白い。

 

 しかし社会に必要とされなければ生きていけないのが人間。私は自分の面接を治すべく、大学や企業の面接対策講座に足を運んだりしました。そこで実感したのが各就活生とのレベルの違い。もちろんそれはピンからキリまでなのですが、そこで「面接が上手い奴」の面接練習を見てしまうと、実感してしまうのです。「ああ、こういう奴が企業から必要とされるんだな」と。そしてそいつの技を盗むべくメモを取り、真似をしてみるのですが、猿真似は看破されるもの。全く状況は良くならない。ここで私は気付くのです。「ああ、俺はコイツとは人間的なレベルが違うのだ」と。企業には「欲しい人材」がおり、自分は絶対に違う。そして頑張っても、付け焼刃ではそんな差は埋まらない。就活は、部活や勉強とはまた違った形で個人の人としての優劣が決定的に出てしまうものだと知るのです。

 

 そんな私なので面接練習でも評価は散々。練習した後にボロカスに言われるか、気を遣われて対して内容のない慰めを言われるかの2択でした。前者は別にいいのですが、後者は「手の施しよう無し」と言われているみたいで本当にきつかった。何度帰り道で泣いたことか。

 

 「真似してダメなら自分なりにやってみよう」と開き直ってもやっぱり意味がない。状況が全く良くならない。そんな風にしていると周りの人間はどんどん就職を決め、ゼミでも気まずくなっていきました。今思い出しても、周りが卒論とか遊びに行く計画とか立てているのを尻目にリクルートサイトを巡るのは中々の屈辱的な行為でしたよ。

 

 

 個人で相談してみても、だいたい聞かれることは決まっていて、「何でそこに入ろうと思ったの?」とか、「頑張ろうね」とか、「努力不足だよ」とかでした。しかも話していても結局は「頑張るしかないよね」という結論に陥る。就活は個人でやるものなので当たり前なのですが、当時は八方塞がりな状況を強く実感するだけで、理不尽だと思っていました。

 

 まぁ今にして思えば、私がここまで受からなかった理由も分かります。当時の私には、仕事に対して、明確なビジョンを全く持っていなかったのです。就活っぽく言うと「何がやりたいのか分からない」状況だった。やりたいこともないし、文系だしで「じゃあメーカーや商社の営業やれば潰しも効くだろ」という短絡極まりない思考で就活をしていたわけです。

 

 当時からこのようなふんわりとした思考は良くないと分かってはいました。でも、就活を決めた先輩も周りで決まっていく知人も似たような感じだったし、「皆同じじゃねーか」と開き直って就活を継続。しかし、私には致命的に足りないものがありました。それは、今思えば「雰囲気」というか、「仕事をちゃんとやってくれそう」という感じがなかったのです。就活の面接なんて30分くらいしかないので最終的には印象だとよく言われています。私はその印象がすでに駄目だったわけです。それに気づいた後も就活をやめるわけにもいかずにダラダラ続け、上手くいかず、どんどん「何をしてもダメだ」と諦めていく。でも就活をやめたら心が折れたら人生が詰むという強迫観念にも似た心境で無理やり続けていました。

 

 面接は通らず、改善も出来ず、相談しても「頑張ろうよ」「努力不足だよ」と言われ、卒業だけが近づいていく。お先は真っ暗闇で、さらに追い打ちをかけるように面接官からは「何でここに来たの?」と言われてしまうダメっぷり。とある企業の面接で、面接してたら関連企業を紹介され、終了後に扉越しに面接官(男1人、女1人)の会話を聞いてたら、俺の話の感想を言い合ってて、「分かった?」「分からなかったです(笑)」って会話が聞こえたときはマジで殺してやろうかと思った。

 

 こうして精神的に疲弊していた時、12月の後半、決定的なことを言われます。とあるベンチャー企業だったのですが、そこで面接官(意識高め。説明会のときに中学生時代に勉強に疑問を持ってて、それを教師にぶつけたと自慢げに語っていたのが印象的)に、「就活は、君の両親が、君の育て方は間違ってなかったって証明する機会なんだよ」と言われたのです。そこで全てが終わりました。12月の後半、内定ゼロ。この状況をこの言葉に照らし合わせると、つまり、俺の22年の人生は間違っていたのだ。そう言われた気がしました。そこに気付いてからは就活をやる気が失せ、現実逃避としてひたすら卒業論文に取り組んでいました。おかげで卒論はAもらえました。

 

 そして私は無職で卒業しました。私が就活で知ったことは、自分が社会人どころか、人間失格な人生を送っていたこと、そしてそれ故に自分が人として「失敗作」なのだということでした。それから私は公務員試験を目指すことを決め、勉強を始めたのですが、それが新たな泥沼の始まりだったのです。この記事でここまで書くと(当ブログ比的に)量が多くなってしまうので、別の機会に書きます。