暇人の感想日記

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本当に「終わらせる」だけの、へっぴり腰映画【スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け】感想

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55点

 

 

 1977年に『新たなる希望』が公開されてから42年。旧三部作、プリクエル・トリロジー、そして2015年の『フォースの覚醒』より始まった今回のシークエル・トリロジーを経て、『スター・ウォーズ』という映画史における「神話」が遂に完結します。『最後のジェダイ』の感想でも書きましたが、私の『スター・ウォーズ』に対する熱は程々でして、今回鑑賞したのも、伝説的な作品の完結をリアルタイムで味わいたいと思ったからです。

 

 『最後のジェダイ』以後のゴタゴタもあり、そこまで期待していなかったのですが、実際に鑑賞してみると「期待値以下」を通り越し、ディズニーの志の低さに「失望」を感じさせる作品でした。

 

 

 『フォースの覚醒』は奇跡的な作品でした。展開こそは旧3部作と似通っていますし、謎や伏線を次作に丸投げにした「ズルい」作品でもあります。しかし、この作品の白眉は新しい物語を紡ぐ、「新キャラの紹介」をし、新たなトリロジーの始まりを完璧にやってのけた点です。このハードルの高さは尋常ではありません。『スター・ウォーズ』は世界でも有数の「うるさがた」のファンがいる映画。ジョージ・ルーカスという強力な免罪符をなくした以上、彼らを如何に納得させるか、がトリロジー継続のために必要不可欠でした。更に、『スター・ウォーズ』に馴染みのない人にとっても楽しめるものにする必要がありました。『フォースの覚醒』はこれらの難題を見事にクリアしてみせた作品だったのです。「接待」と言われるほどの過剰なファンサービスも、謎をぶん投げた作りも、これらの条件のもとならば納得です。

 

 続く『最後のジェダイ』は、このぶん投げた謎と、魅力的な新キャラをどう発展させるかという、勝負の作品でした。が、結果はご存じの通り、革新的すぎるが故に既存のファンから猛反発をくらいました。それもそのはずで、『最後のジェダイ』は『スター・ウォーズ』という作品の定番をひっくり返しまくった作品だからです。スカイウォーカー家という「血」を否定し、ジェダイを否定し、スノークはラスボスではなかったと判明し、まさしく「全く新しい、普通の人々」のための『スター・ウォーズ』が始まるのだと思わせる作品でした。まぁストーリー的には非常に歪であり、明らかにいらない内容も多く、「定番の破壊」だけやって、話が全く前に進まなかった映画なことも事実なのですが。

 

 以上のように、やや歪ながらも積み上げられ、渡されたバトンを受け取った本作は、ファンの顔色をビクビクと窺いながら作られた、非常に保守的な、「へっぴり腰な」作品でした。

 

 

 本作では、『最後のジェダイ』で行われ、ファンの逆鱗に触れた数々の「逆張り」を丁寧に丁寧に「修正」していきます。カイロ・レンのマスクは修復され、「カビの生えた本」をレイは熟読し、スカイウォーカーの血や、ジェダイには敬意が払われ、ルークは「ライトセイバーには敬意を払え」と前作と全く逆のことを言い、スノークの代わりにパルパティーンが復活します。また、『最後のジェダイ』で仲間になったポーグはちょっとしか映らないし、フィンとのロマンスを見せてくれたローズは背景と化しました。まるで『最後のジェダイ』など存在していなかったようです(J.Jは「無視してない」って言ってるけど)。無視するならするで良いのですが、ムカつくのは、『最後のジェダイ』と似たような内容を形を変えてもう1回やっている点。ポーがリーダーを継ぎ、「どうすればいいのか分かりません」とか言ってるシーンでは、「お前、それもうやっただろ!」と突っ込みながら観ていました。

 

 翻って、『スター・ウォーズ』らしさは倍増しています。ストーリーは旧3部作のようなアドベンチャーであり、ルーカスが『スター・ウォーズ』のもとにしたされる『ガンガ・ディン』を彷彿とさせるものです。このストーリーがお使いの連続で回りくどくて『最後のジェダイ』とは違う意味でグダグダであるというのは、この際置いておきます。また、終盤の「アッセンブル」は「民衆が自由を求めて立ち上がる」という、これまたルーカスが『隠し砦の三悪人』や『七人の侍』から引用し、構想したものです。故に、『最後のジェダイ』と比べれば『スター・ウォーズ』っぽさはあります。ただ、2時間22分の間にこれらの事を詰め込んでいるため、話の展開が急で、1つ1つの要素の処理が事務的な印象を受けます。

 

 

 そして話の内容も、パルパティーンの血筋を引くレイとスカイウォーカーの血を引くベンが共に協力してダークサイドの誘惑を克服し、全ての元凶であるパルパティーンを倒して和解し、レイがスカイウォーカーの意思を継ぐ、というラストは成る程、「家族の物語」としてまとまっているように見えます。ご丁寧に『ジェダイの帰還』と構造を同じにし、ベンがレイに対し、ルークがアナキンに出来なかったことをしたり、「フォースの導き」を使うというのもその「まとまってる感」を助けています。

 

 しかしこれにより、更なる問題が生じています。それは『フォースの覚醒』からあった、「シークエルは旧3部作の焼き直し」という点です。『フォースの覚醒』の時点で元の木阿弥感が強く、内容も『新たなる希望』のようなものでした。しかし上述のように『フォースの覚醒』はシークエルの最初、掴みだからこそこの内容が許されていました。ここから新たな物語を紡げばよかったものの、結局最後は保守的な路線に走り、『ジェダイの帰還』よろしくパルパティーンを倒して終わりですからね。「焼き直し」という評価は避けられないと思います。というか、パルパティーンがあんなにも簡単に復活してしまっては、いよいよルークとアナキンがやったことが無駄になってしまっています。別の意味で過去の作品を否定してしまいましたね。

 

 つまり本作は、ファンを怒らせないように細心の注意を払って作られた映画で、極めて無難な作りになっています。だから、シークエル・トリロジー自体に「現代で『スター・ウォーズ』を作り直す意義」がまるでなくなっています。そしてスタッフの「早く『スター・ウォーズ』を終わらせたい!」という悲痛な叫びが聞こえてくる作品でもあります。こんな映画、観てて不憫になるだけです。

 

スター・ウォーズ C-3PO 1/12スケール プラモデル

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  • 発売日: 2015/04/25
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

 結局、新しい物語であるはずのシークエル・トリロジーは、旧3部作の焼き直しで終わりました。何故ディズニーは、こんなものを作ったのでしょうか。それは簡単ですね。儲かるからです。ディズニーが自らの帝国をより強固にするために40億ドルでルーカスフィルムを買収し、コンテンツの強度に甘え、見切り発射で始めたのです。J.Jやライアン・ジョンソンは寧ろよくやりました。問題はプロデューサー陣で、ちゃんと手綱を握って、コントロールするべきでした。出来なかったから、本作でこのような醜態を晒してしまったのです。

 

 以上のように、本作は2時間22分かけた撤退戦であり、映画から製作陣の焦りが透けて見えてしまう作品でした。私はここから、『スター・ウォーズ』という映画界において重要な「神話」がディズニーという巨大資本の「商品」に成り下がってしまったように感じ、虚しくなってしまいました。でも同時に、こうした事態を作ったディズニーとルーカスフィルムに対して、怒りも感じます。志の低さという意味では、今年ワーストレベルです。あぁ、C-3POがシークエル史上最もコメディ・リリーフやっていた点は良かったです。そんだけ。

 

 

シリーズ前作。色々あるけど、嫌いではないです。

inosuken.hatenablog.com

 

 スピン・オフ。これは微妙。

inosuken.hatenablog.com