暇人の感想日記

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「特盛!」これがニコラス・ケイジ映画か!【マンディ 地獄のロード・ウォーリアー】感想

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70点

 

 

 ニコラス・ケイジ。この名前を聞いて思い出すのは、どんな映画に出ても崩れることのないオーバー・アクト。必要以上に怒り、泣き、笑う。必要以上に力を入れて演技をするため、普通の映画に出るとそれが浮いてしまい、それがギャグに見えてしまうことすらあります。本作は、そんなオーバー・アクトが持ち味の彼を最大限活かした今年イチの「過剰な」映画でした。

 

 本作の大筋は、山奥で愛する妻とひっそりと幸せに暮らすレッドが、ある日、突然カルト教団に妻を殺され、その復讐として自前の武器で教団の連中を血祭りにあげていく、という、単純極まりない復讐劇です。普通に撮っていれば、本作はまだ何てことのない作品でした。本作を異常な映画たらしめている特徴は、大きく2つあります。

 

 まず、1つ目は、主演のニコラス・ケイジと同じく、作品全体が雰囲気を「盛っている」点。画面は終始、登場人物が感じているようなトリップ映像に満ち、何てことのないシーンでもヨハン・ヨハンソンの荘厳な音楽が流れ、出てくる敵は『マッド・マックス』『北斗の拳』の適役。こうした過度な装飾が、単純な復讐劇を、さも「悪魔を狩る聖戦」であるかのように飾り立てます。しかも、シーン毎の芝居と演出が一々重く、「盛る」ことに一役買っています。この盛られまくった世界にニコラス・ケイジはばっちりハマっています。

 

 そして、「盛る」と言えば、ニコラス・ケイジが使う武器もそうです。刃物は当たり前。ボウガンはまだ分かります。チェーンソーも無くはない。しかし、彼が自作した戦斧は問題です。普通の戦斧ではなく、その形状は二次元のキャラがよく使いそうな、バトル・アックス。ニコラス・ケイジは、これを片手に、顔を血まみれにして、目を見開き、1人、また1人と敵を血祭りにあげていくのです。その他で素晴らしいのが、中盤のチェーンソーのチャンバラ。想像してみてください。燃え盛る炎をバックに、顔を血まみれにして目を剝いている男と『北斗の拳』の適役ががチェーンソーを振り回し、それにヨハン・ヨハンソンのBGMがかかっているのです。私はこのシーンを観て、映画館で爆笑していました。

 

 2つ目の特徴は、トリップ映像。前述のように、本作はほぼ全編に亘って登場人物のトリップしている感覚が表現されていて、それを観客にも体験させているのです。白眉は中盤のニコラス・ケイジの「ぶっ飛び」演出と教祖の「洗脳」シーン。これは映画館の中でしか味わえない体験です。私は観ていてクラクラしてきました。

 

 映画は、撮り方で大きく印象を変えることができます。そういう意味で本作は、内容はC級も良いところなのに、全編に亘って使われているトリップ映像と音楽、演出によってその印象を大きく変えているという、非常に映画的な作品なのではないかと思います。まぁ、正直、長すぎて睡魔と戦ってましたけどね。かなり人を選びます。