暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

『未知との遭遇』の裏返し的作品【E.T.】感想

f:id:inosuken:20190423213730j:plain

 

95点

 

 

 実は観ていなかった名作映画。公開当時は空前の大ヒットを飛ばし、興行収入は当時の歴代最高記録を叩き出したそう。今でもポスターは超有名だし、指と指を合わせるあの仕草は観ていない私でも知っていました。「有名な箇所は知ってるけど、ちゃんと観たいなぁ」と思い始め、NETFLIXのマイリストに登録してはや幾月。この度、午前十時の映画祭で上映してくれるという事で、喜び勇んで鑑賞した次第です。

 

 スピルバーグの監督作に、『未知との遭遇』という作品があります。これは簡単に言うと宇宙船に取り憑かれた男が、周囲に気が変になったと思われながらも宇宙船を追い求め、最後には宇宙人に迎え入れられるという内容です。この作品も当時は大ヒットしたそうです。

 

 何故『未知との遭遇』のことを書いたかというと、本作は『未知との遭遇』の裏返しと言える作品だと思うからです。「未知との遭遇」を果たしたのが、もし子供だったならどうなったのだろうか?という視点で作られており、それ故に本作は、『未知との遭遇』を補完するような作品でした。

 

 どこが裏返しなのかと言えば、まずは視点です。『未知との遭遇』では、ロイ(リチャード・ドレイファス)という大人が宇宙人を追い求める話でした。しかし、翻って本作は、徹底して「子供視点」を貫いています。本作の主人公であるエリオットは、両親が別居中という現実に納得できず、そこにはいない父親を求めています。そんな彼はE.T.と出会い、心を通わせていくことで、その心の空白を埋めていきます。ちなみに、この「両親がいない」という点は、スピルバーグ作品には頻繁に出てくる要素です。これは恐らくスピルバーグ自身の経験がもとでしょう。彼の両親は離婚していますから。

 

 そしてこの「父親の不在」を考えると、『未知との遭遇』の補完的な意味が見えてきます。すなわち、エリオットの姿は、ロイが宇宙船に乗った後の、ロイの子供達の姿なのではないかと思えるのです。

 

 本作は、エリオットが父親の不在を埋めるために、E.T.と交流し、絆を深める様子が描かれます。これがメインですから、視点は当然子供。それを強調するように、本作の「大人」は母親以外はほとんど顔が見えず、不気味で、よくわからない存在として描かれています。これは『JAWS』でも使われていた、スピルバーグの十八番ですね。見せないことで恐怖を煽るという。そして、極めつけは終盤です。E.T.を追ってきた大人がエリオットの家に押し入ろうとするシーンで、宇宙服に身を包み、ダース・ベイダーみたいな音を出しながら出てきたときは、演出が完全にホラーで軽く笑ってしまいました。

 

 そして、この「大人」は「宇宙人を追い求める人」であり、『未知との遭遇』のロイみたいな人達と言えないこともないです。このように、本作は『未知との遭遇』と視点を完全にひっくり返しているのです。

 

 このように、私には本作が『未知との遭遇』の裏返しに思えたのですが、もちろんそれだけではこんなに評価され、ヒットするわけはない。少年の成長を描いたジュブナイルものとして、ちゃんと面白いのです。E.T.と交流し、互いに大切な存在となった2人ですが、最後には自分たちがいるべき場所に帰ります。その時に、中盤で出た「イタイ」という言葉が効いてくるのがとても上手い。そしてここで「イツモ ココニ イルヨ」とE.T.に言わせ、彼との別れがエリオットが両親の離婚を受け入れる事に重ねられて見せられていて、この瞬間でもう号泣ですよ。

 

 このようにテーマ的に良くできているのですが、それを補強するのが展開と音楽。終盤で、E.T.の存在を信じてなかった奴らがE.T.を見て、「丘に来い」と言われてからの「いっちょやってやっか」な感じや、やっぱり空を飛ぶシーンも異常なくらい良い。そしてそこからだめ押しとばかりに鳴り響くジョン・ウィリアムズの音楽。いやぁ、盛りすぎててちょっとムカついてくるな。

 

 このように、私には本作は、『未知との遭遇』の裏返し的要素をジュブナイルとして完璧な展開と音楽で作り上げた作品だと思えました。

 

 

E.T.』的な作品の中でも屈指の名作かと。

inosuken.hatenablog.com

 

 スピルバーグ最新監督作。こっちはこっちで面白かったです。

inosuken.hatenablog.com

 

2019年冬アニメ感想④【かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~】

f:id:inosuken:20190418221015j:plain

 

 

 現在、週刊ヤングジャンプにて連載中であり、累計発行部数も500万部を越える人気漫画のアニメ化作品。例のごとく私は以前から存在は知っていて、このアニメ化を機に視聴してみました。

 

 見てみると、本作は実に「見やすい」作品であり、それ故に毎週楽しく見ることができました。

 

 本作は、ジャンルに分けるならば「ラブコメ」に該当すると思います。このジャンルは古くから存在し、多くの人間に親しまれている、人気も歴史もあるものです。しかし、だからこそ、そこに一工夫がなければ数多の作品の中に埋もれかねません。というわけで、本作がとった一工夫は「恋愛頭脳戦」という作劇方法。主人公とヒロインを秀才と天才設定にして、思春期にありがちな男女の心の探りあいを相手の裏の裏を読んでいく頭脳戦として描くことで、ただのラブコメから脱却を図っています。

 

 

 本作の主人公は2人。超大企業の令嬢、四宮かぐやと平民出でありながら努力で入学した白銀御行。それぞれ、生徒会に所属しているわけですが、主人公とヒロインですから、物語が始まった当初から両想いなんですね。ただ、そのまま付き合わせると物語が終わってしまいますから、両者にはプライドが高い設定が付いています。2人は互いに想い合いながらも、それを言い出せない。それは何故なのかと言えば、どちらかが告白してしまえば、「告白した方」と「承諾して付き合った方」という関係が構築され、付き合い始めたときから上下関係が生まれてしまうから。そんな事はプライドの高い2人は許せるはずもなく、「付き合って有利になるため」に日々「好き」の言質取り合戦をしている訳です。

 

 で、その「頭脳戦」はどんなものかと言えば、それっぽい大掛かりな仕掛けをしたり、心理戦を展開したりしていますが、やってることは上述のように思春期の男女の探りあいですよ。皆さんもやったことがあるんじゃないですか?相手の好きなタイプをそれとなく聞き出そうとしたり、好きな子と話すために試行錯誤したり。本作はそんな誰にでもあることをそれっぽく見せているのです。しかも、最初こそ頭脳戦やってましたが、だんだんただのラブコメになっていったりしてますし。

 

 

 タイトルに「恋愛頭脳戦」と付いていますが、やっていることは何て事はないもの。では、本作はつまらないかと言われればそんなことは全くないです。この「恋愛頭脳戦」を題材にしたことで、非常に見やすくなっていると思いました。というのも、本作はAパート、Bパート、Cパートの3パートに別れていて、それぞれに「恋愛頭脳戦」の題材となる何らかの「お題」があり、話はそれ1本に絞られています。そして、その題材についての頭脳戦を10分弱という時間の中で、非常にテンポの良い掛け合いと演出で見せてくれるのです。しかも最後にはしっかりと勝敗も出る。これにより、非常にサクッと楽しめる作品になっていたと思います。

 

 また、この頭脳戦を行うキャラクターも魅力的で、藤原書記の狙ってるのが分かるけどやっぱり可愛さ全快な感じとか、かぐや様の毎回の「お可愛いこと」とか、堪らんものがありました。

 

 ストーリーはあって無きようなものでしたが、最後で2人が「会わない」エピソードを入れ、かぐやの孤独を強調させ、「今は仲間がいるよ!」的な内容で締めたのは綺麗でした。2期待ってます。

 

 

同じくヤングジャンプで連載されている作品。でもここまで違うものか・・・。

inosuken.hatenablog.com

 

全てを受け止め、「解放」されるヒーロー【キャプテン・マーベル】感想

f:id:inosuken:20190417214925j:plain

 

80点

 

 

 サノスの野望が成就し、宇宙の全生命体の半数が消滅した『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のラスト。誰もが絶望に包まれる中、ニック・フューリーは端末で何者かにメッセージを送っていました。この状況を打破できるとは一体どんなヒーローなのか?と当初から大きな期待を寄せられていたキャプテン・マーベル。小休止的な『アントマン&ワスプ』を挟み、いよいよ本作でデビューを飾りました。

 

 鑑賞してみると、MCU初の単独女性ヒーロー映画という点を十分に活かしつつ、キャプテン・マーベルというヒーローのオリジンを描いた作品で、非常に楽しめました。

 

 

 本作は、「アベンジャーズ」誕生のきっかけが描かれる点や、上述の端末、そして過去のMCU作品との繋がりを見せるという点で、「過去の答え合わせ」な展開がやや多めです。実際、感想をいくつか読んでみるとそこが気になった方も多いようでした。私もその点はちょっと感じましたが、その提示の仕方がこれ見よがしではないし、何より本筋の話が面白かったので、気になりませんでした。『ハン・ソロスター・ウォーズストーリー』のように、答え合わせの要素「だけ」で成立していた作品に比べれば、これ1本でも楽しめるという点で、本作はとちも良い作品だと思います。

 

 さて、本作の内容は、ヒーローもの第1作の定番「オリジン」です。本作はそこを「女性である」点を存分に活かして描いています。

 

 本作の主人公はクリー人であるヴァース(ブリー・ラーソン)。彼女はスクラルと戦う戦士として、ヨン・ロッグ(ジュード・ロウ)育てられてきました。ただ、彼女には「失われた記憶」があり、本作はその記憶の謎を明らかにしていくことがメインになっていきます。彼女はスクラルを追い、1980年代の地球に降り立ちます。そこからは、スクラル人の能力をフルに使った、サスペンス・アクションが繰り広げられます。ここら辺のアクションはさすがMCUといえる安定のものでした。

 

 また、本作はこの過程で出会った我らがニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)と彼女とのバディものとしての面白さも見せてくれます。彼らが互いに協力しあい、謎を明らかにしていく過程はとても良いです。

 

キャプテン・マーベル (ShoPro Books)

キャプテン・マーベル (ShoPro Books)

 

 

 そしてヴァースの記憶が全て戻った時、これまでの価値観が一気に覆され、ヴァースの本名はキャロルで、自分は地球人だと知るのです。そして、自分の味方だと思っていたクリー人こそが悪である事が分かるのです。

 

 ここから、男女関係のメタファーを読み解くことができます。キャロルはヨンに育てられましたが、その実はヨンが自分の良いようにキャロルをコントロールしようとしていただけでした。これは現実の男女関係である、「男が女をコントロールしようとする」という構図と同じであると言えます。そして、このコントロール下から「キャロル」として解き放たれた彼女は、自らの内にある強大な力を以て敵を次から次へと倒していきます(その時にかかっている音楽がNo Doubtの「Just A Girl」ってのがまた何とも)。

 

 男のコントロール下にあった女性が、そこから解き放たれ、自分でなすべき事を見定め、戦う。本作は、ヒーローのオリジンであると同時に、女性の自立の話でもあるのです。

 

 また、キャロルが「ヒーロー」である由縁も素晴らしいと感じました。彼女はアイアンマンやキャプテン・アメリカスパイダーマンと同じく、突然超人になった「普通の人」です。では何が彼女をヒーローたらしめているのか。本作はそこを明快に示します。何度倒れても、倒れても、何度だって立ち上がる強い意志。それが、彼女がヒーローである由縁なのです。これは同じく3月に公開された『スパイダーマン スパイダーバース』と同じですね。

 

スパイダーマン:スパイダーバース オリジナル・サウンドトラック

スパイダーマン:スパイダーバース オリジナル・サウンドトラック

  • アーティスト: サントラ,ヴィンス・ステイプルズ,デイビット・ビラル,デンゼル・バプティスト,アンドレ・ジョーンズ,ダニエル・シーフ,ディディーアー・コーエン,トレバー・リッチ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2019/02/27
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る
 

 

 キャプテン・アメリカは、『アベンジャーズ』の前に公開されました。そして、本作はアベンジャーズ最終章の『アベンジャーズ/エンドゲーム』の前に公開されました。名前に同じく「キャプテン」が付いていること、そして公開のタイミングから、これからは彼女がリーダーになるのかもしれません。そうしたら、それは「男の時代の終わり」ともとれるはずです。「アベンジャーズ」の終わりと共に、もう1つの時代が終わり、始まる。そういうターニングポイントとしても、本作は機能しているのかもしれないと思いました。

 

 最後に。本作で1番泣いたのはオープニング。観た人ならこれが分かると思います。ありがとう、スタン・リー。

 

 

ほぼ同じヒーロー像を提示した作品。こっちは傑作です。

inosuken.hatenablog.com

 

 観客全員を絶望のどん底に落とした作品。『エンドゲーム』待ってます。

inosuken.hatenablog.com

 

 

2019年冬アニメ感想③【モブサイコ100Ⅱ】

f:id:inosuken:20190415212945j:plain

 

 

 2016年に第1シーズンが放送された『モブサイコ100』の続編。私は原作は読んでいませんが、第1期は大変面白く見ていたし、2期にあたってスタッフの大幅な変更も無かったので、続編の本作も楽しみにしていました。

 

 見てみると、本作は第1期で描いたことをさらに深化させ、モブの精神的な成長をしっかりと描いたもので、「前作の積み上げをさらに発展させる」という意味ならば、理想的な続編だったと思います。

 

 

 原作の構造は、基本的には原作者ONEのもう1つの代表作『ワンパンマン』と同じ。主人公は見た目は完全に「モブキャラ」のそれなのにも関わらず、他を圧倒するほどの力を有しているというもの。所謂「俺TUEEE」や、「舐めてた相手が超強かった」ものであるとも言えますが、どちらかと言えば『ワンパンマン』と同じく、作風はややコメディ寄り。ただ、『ワンパンマン』と違う点があるとすれば、それは「強い力があることは、イコールで幸せなのか?」という問いかけをしている点でした。主人公である影山茂夫(通称モブ)は強大な力を持ちながらも、それに頼ろうとせず、自分を成長させようとします。そのために肉体改造部に入ったりして、交遊関係を広めていっていました。

 

 今回の第2期では、そこをさらに掘り下げた内容になっています。そのために、霊幻からの自立を描きましたし、2人の男と相対しました。それは中ボスの最上啓司と、ラスボスの鈴木統一郎です。彼らはそれぞれがモブの裏返しです。最上は「人の縁に恵まれなかったモブ」であり、鈴木は「力に奢ってしまったモブ」なのです。本作では、この自身の2つのダークサイドと向き合い、打ち克つことでモブというキャラクターの成長を見せていきます。ここで強調されるのは、「どんなに力を持っていても、それを使う者の心が正しくなければならない」事であり、そして同時に、それらを育むのは、「その人間の周囲との関わり方なのだ」ということです(最上は人の縁に恵まれなかったし、鈴木は人を見下し、交流を持とうとしなかった)。

 

 これは、1つのヒーロー論としても素晴らしいものだと思っています。昨今公開されているMCU作品等に代表されるアメコミ映画のヒーローは、力だけではなく、そこに自分なりの正義の心があるからヒーローになれるのだし、「仮面ライダー」だって改造人間ながら、正義の心を持っているからこそヒーロー足り得ているのです。本作におけるモブは、これらのヒーローと同じだと思います。

 

アベンジャーズ (字幕版)
 

 

 また、本作を語る上で欠かせないのがボンズがガチでやっているアクションシーン。超能力バトルがメインなので多彩なアクションが展開され、そのどれもが圧巻のクオリティなのです。

 

 例えば、第1話のような枚数を使いまくったアクションシーンや、5話で見せた縦横無尽に動き回るカメラを用いた劇場版レベルのダイナミックな戦闘、かと思えば島崎戦で見せた背景を次々に変え、5話とは違って体術を存分に使い、それを多彩なカメラワークで追ったアクション等、本作そのものがアニメーションにおけるアクションの見本市のように多様なアクションを見せてくれます。島崎戦に関しては『劇場版ドラゴンボール超 ブロリー』レベルだと思っています。

 

ドラゴンボール超 ブロリー [Blu-ray]

ドラゴンボール超 ブロリー [Blu-ray]

 

 

 このように本作は、1つの「主人公論」としても素晴らしく、さらに眼福極まりないアクションを見せてくれるという、満足度がめちゃくちゃ高い作品でした。

 

 

超絶バトルを見せてくれる映画。『ドラゴンボール』最高傑作でしょう。

inosuken.hatenablog.com

 

 同じくボンズ制作の作品。こっちは最後以外は良かったです。

inosuken.hatenablog.com

 

 

目を覚ませ。正しいことをしろ。【ブラック・クランズマン】感想

f:id:inosuken:20190412225644j:plain

 

95点

 

 

 『ドゥ・ザ・ライトシング』、『マルコムX』を監督したスパイク・リーの最新作。内容は「黒人警察官がKKKに潜入捜査する」というウソのようなホントの話。私は彼の作品を観たことがなく、今回鑑賞したのは、まぁぶっちゃけアカデミー賞という話題性ですよ。それにプラスして、観た方の評価が高いというのもありました。

 

 このような不純な動機で観た本作ですが、本当に面白かった。監督が持っている、差別への怒りを描いた映画でありながら、バディものとして、潜入捜査ものとしても素晴らしいものでした。また、『ドゥ・ザ・ライトシング』を踏まえると、スパイク・リーが全くぶれていない監督であることも分かります。

 

ドゥ・ザ・ライト・シング [DVD]

ドゥ・ザ・ライト・シング [DVD]

 

 

 冒頭に映されるのは名作『風と共に去りぬ』のラストシーン。日本では「名作」とされていますが、アメリカでは白人至上主義的だと批判され続けていました。というのも、この映画は黒人奴隷を推奨していた南部側の話なのですから。そんな作品のラストシーンを使い、南北戦争終結を描いているのです。ここから本作は、黒人が奴隷から解放され、権利を得ていくまでを描きます。映画を使って。ここで映されるのはかの「名作」『国民の創世』。映画史に残る歴史的名作ですが、KKKをヒーローのように描いている作品です。

 

 「黒人の歴史」をこのような映画を使って描くという何とも皮肉に満ちた演出の後に始まるのは、ボーリガード医師による、白人至上主義的な演説。演じるのはアレック・ボールドウィン。彼は今、アメリカのTV番組「サタデーナイトライブ」でトランプのモノマネをやっている人。これによって、この主張をトランプが言っているような錯覚を覚えます。

 

 このような皮肉と遊びに満ちた演出の後、ようやくロンの物語が始まります。ここからは「正体がバレるのか?」という潜入捜査モノ特有のサスペンス、そして黒人のロンとユダヤ人のフィリップのバディもの的な面白さもありつつ、それらを全体的にコメディタッチに描いていきます。

 

 ここで出てくるKKKの面子も最高で、皆揃いも揃って根拠もないことを信じ込んでいて、ことごとくバカっぽく描かれています。ただ、そこで出てくる台詞が「アメリカファースト」だったり、「ホロコーストは捏造なんだよ、記録映像だってアイツらが作ったんだよ」とかは(どこまで創作かは分かりませんが)、現代でも似たようなことが言われているあたりちょっとゾッとしますね。

 

風と共に去りぬ [Blu-ray]

風と共に去りぬ [Blu-ray]

 

 

 映画は「潜入捜査もの」として、そして黒人への差別意識を描いた映画として、非常に後味の良いラストを迎えます。ここで終わればただの「良い映画」です。しかし、この映画は我々を気持ちよく帰してはくれません。不意に鳴るノック音から、我々に「現実」を突きつけてくるのです。

 

 その「現実」とは、ここで痛快に成敗してやったはずのKKKの思想が生み出し、今にも続いている「差別との戦い」です。

 

 私はパンフレットで知ったのですが、KKKは、1度は無くなっているのです。では何故復活し、今も存続しているのか。その原因は、前述した『国民の創世』です。あの映画は公開当時大ヒットを記録し、KKKを復活させました。公開の翌年、どんなことを引き起こしたのかは、あの黒人の老人が語っていた通りです。そして、その思想は今にも続いています。

 

國民の創生 D・W・グリフィス Blu-ray

國民の創生 D・W・グリフィス Blu-ray

 

 

 そしてあの映画は、今に通じる映画の技法をほぼ全て確立した作品とされ、監督のD.W.グリフィスは、「アメリカ映画の父」とまで呼ばれています。1本の映画が、今のアメリカの現状を作った。アメリカ映画には、誕生の瞬間から「罪」がある。そう言えなくもないような脚本です。

 

 だからこそ、スパイク・リーは戦うのです。同じ「映画」で。ノックの後、我々に向けられた銃口は、スパイク・リーの「俺は戦い続けてやる」という意志の表れに思えました。

 

 そしてこれは、『ドゥ・ザ・ライトシング』から変わらない、スパイク・リーの信念でもあります。彼は『ドゥ・ザ・ライトシング』においてこう言っていました。「Wake up!(目を覚ませ!)」と。劇中でロンもフィリップも、それぞれ黒人として、ユダヤ人として「目覚め」ます。

 

 Wake up. Do the right thing(目を覚ませ。正しいことをしろ).

 

 本作は、この「目覚めた」2人が「正しいことをした」映画であり、同時に、この混沌とした時代だからこそ、「目覚め」正しいことをしなければならない。そんなことを考えた映画でした。最高です。

 

 

同じく人種差別を題材としている作品ですが、本作とはまるで違うアプローチでした。 

inosuken.hatenablog.com

 

 黒人監督の作品。こちらは非常に美しい作品でした。

inosuken.hatenablog.com

 

 

メチャクチャだけど、俺は好きだよ【麻雀放浪記2020】感想

f:id:inosuken:20190412224550j:plain

 

53点

 

 

 ピエール瀧が麻薬所持で逮捕されてしまったため、出演作が続々公開延期になっている中、ノーカットで公開するという大英断をした本作。この姿勢だけでも応援したくなりますし、白石和彌監督の新作なので鑑賞しました。ちなみに原作未読です。

 

 観てみると、完全に勢いだけで作られていて、中身があるようで無い作品でした。ただ、観ることで、ピエール瀧の事件があったにも関わらず公開された理由が分かりましたし、また、公開することで映画の内容的によりタイムリーというか、メタ的な視点で完成された気もします。

 

 

 本作は、主人公の哲が1945年から2020年にタイムスリップすることから始まります。このタイムスリップのタイミングは、伊武雅刀のナレーションにより、舞台説明がされてすぐ。場所を説明されたすぐ後に哲は「ここはどこだ…」とか言ってるわけです。完全に笑わせにきてると思いましたね。

 

 本作の大筋は、この哲が1945年に帰るという点だけです。それだけでこの映画は出来ています。確かに、哲の時代(=1945年)と2020年を同じく「終戦」で括ったりしたり、2020年のディストピアぶりは今の政権がやっていることの延長に見えなくもないし、それっぽい設定、展開もあります。しかし、それらが何か物語上で機能しているかと言えばそんなことはなく、ただの要素で終わっています。

 

 また、肝心の麻雀についても、面白味はあまり感じられません。役満ばっかり出しまくってますし、緊張感の欠片もないです。正直、「麻雀」が観たければ、TVアニメですが、「闘牌伝説アカギ」の中学生篇でも見てた方が時間を有意義に使えます。

 

闘牌伝説アカギDVD-BOX 1 覚醒の章

闘牌伝説アカギDVD-BOX 1 覚醒の章

 

 

 では、残った「元の時代に戻る」点はどうかというと、かなり無茶苦茶。1945年に帰る方法も九蓮宝燈を揃えれば雷が落ちて帰れるという、「遊☆戯☆王」レベルのトンデモ理論。しかもそれは強敵とじゃないと発動しない模様。なので、哲は麻雀五輪に参加することとなります(麻雀五輪をやる理由もかなり適当)。そしてそこまでのプロセスもかなりのもので、哲がタイムスリップして時代のギャップに驚くまでは良いのですが、そこから物語は、哲がふんどし麻雀アイドルとして国民的人気を得る、哲が麻雀アプリの廃人になる、あげく賭博麻雀で逮捕されるという超展開の数々を迎えます。

 

 ただ、逮捕されてから哲が謝罪会見をして麻雀五輪に出るという展開には、ピエール瀧のことがあったにも関わらず公開された理由が分かるものになっており、不祥事があると何かと自粛したがるメディア界に挑戦しているような気がしました。それを考えれば、本作にベッキーが出ているのも納得です。

 

 麻雀五輪も、前述したように麻雀の迫力やスリルは「アカギ」に遠く及ばないわけですが、対決の構図がAI対昭和という、2つの「戦後」を経た先に出てきた存在同士の戦いになっているのは面白いと思いました。まぁこれも、だからなんだって感じですが。

 

 このように、本作は終始勢いで作られていて、中身はあって無きようなもの。作品の評価が荒れるのも分かります。しかし、私はそこそこ楽しめました。というのも、コンディションが良かったのです。私は本作を観たときは仕事でかなり疲れており、脳ミソの機能が落ちていました。そんなボケーッとした頭なので、荒唐無稽、適当であればあるほど、何も考えず楽しめたのです。なので、本作は頭が疲れている人にお薦めです。真面目に観なくていいです。

 

 

同じく白石監督の傑作。

inosuken.hatenablog.com

 

 同じく白石監督作品。こちらも好きです。

inosuken.hatenablog.com

 

何が「権力」に力を与えるのか?【ちいさな独裁者】感想

f:id:inosuken:20190328144411j:plain

 

78点

 

 

 ナチス・ドイツの敗戦が濃厚になっていた第二次世界大戦の末期、部隊を脱走した上等兵が、偶然空軍将校の軍服を手にしたことから、独裁者に変貌していくという、ウソのようなホントの話。監督は『RED/レッド』『ダイバージェント』シリーズのロベルト・シュヴェンケ。私は、偶然にも『RED/レッド』は観ていて、だからこそ驚きました。あんな荒唐無稽なバカアクション映画(でも楽しい映画ですよ)を作っていた人が、こんなシリアスな題材の映画を撮るなんて。ぴあの水先案内人で春日太一さんも絶賛されてたし、時間もできたので、鑑賞してきました。

 

RED/レッド [Blu-ray]

RED/レッド [Blu-ray]

 

 

 本作の主人公、ヴィリー・ヘロイトは最初はしがない上等兵でした。そんな彼が、軍服を身に纏い、偶然とハッタリだけで味方を増やしていき、信頼を得てヘロルト戦闘団を作っていく過程は、「正体がバレるのでは?」というスリリングさとどこか「成り上がりもの」に近い要素もあって、正直、最初は応援すらしてしまいました。しかし、それに調子づいたヘロルトは、次第に傲慢な態度を表面化させ、脱走兵収容所で虐殺を行います。

 

 ここでゾッとするわけです。主人公の残虐性もそうですが、それ以上に、周囲の人間達にです。彼らは、将校の軍服を身に纏っただけの上等兵の「命令」の下に虐殺や略奪を行います。形だけの「権力」が人々の思考を停止させてしまったあの瞬間は、同じ人間として、恐怖を感じずにはいられませんでした。何故なら、あのシーンで、盲従した者、分かっていて行った者は、我々と同じ普通の人間だからです。よく映画や漫画とかで、「人間はどこまでも残酷になれる」という台詞がありますが、本作はそれを端的に提示しています。そしてそれは外から見れば滑稽でしかないのだけど、その当事者になったら、自分はどうなるかなんてさっぱり分かりません。ひょっとしたら、中盤の役者2人のように、屈する人間になるだろうし、他の兵士のように、「分かっていて」着いて行く側になるかもしれません。あそこで、役者の1人のように自殺できる人間なんてそうはいません。

 

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)

 

 

 本作を観ると、権力を与えるものは何か、と考えてしまいます。普通は法律とか規則、民衆の支持なのでしょうが、本作では法律は無視されます。法律家が小屋の中に押し込められ、ヘロイトの暴走をなす術もなく見ているしかない、という、法律家が手出しできない状況を画的に見せたシーンに顕著で、独裁というものがどんなふうに始まっていくのかが分かるものになっていました。

 

 ただ、「権力を与えるものは何か」という問いには、一種皮肉めいた回答も本作で示されていると思っています。ナチス・ドイツ関連で言えば、ヒトラーは選挙で選ばれました。ヒトラーは自身は落ちこぼれな人間であったにもかかわらず、話術とゲッペルスをはじめとした優秀なブレーンの協力で成り上がり、ワイマール憲法を骨抜きにし、独裁を推し進めました。ヒトラーは民衆が力を与えたわけです。完全に本作と同じことをしているわけです。そこで、民衆は「まぁこの人の言っていることだし」な感じでユダヤ人を迫害もしたでしょうし、独裁に協力もしたでしょう。

 

 そしてこれは、世界中で、当時もそして今も起こっています。「この役職の人が言っているのだから」「世間が言っているから」とか、そんな理由で付いていき、支持する民衆とか大衆という構図は未だに終わっておらず、終わることはないのだと思います(これは私自身にも言えます)。だからこそ、自分でしっかり考え、行動することが大切なのだと思います。世界中で排外的で、扇動的な言動が飛び交っている今こそ、踏みとどまって考えなければならない。そんなことを考えた作品でした。