暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

面白いけど、「設定ありき」感が強い気が。【クワイエット・プレイス】感想

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65点

 

 

 アメリカで公開され、ホラー映画として記録的な大ヒットを飛ばしている本作。私は去年から「ホラーで怖い目に遭いたい」という欲望にかられていまして。なので、それまであまりホラーは観なかったのですが、ちょこちょこ気になった作品は観るようにしました。でも『アナベル』とかは観てない。そんな中公開された本作。「音を立てたら、即死」という設定がとても面白いと思ったため、鑑賞しました。

 

 感想としては、基本設定を十二分に活かした作品で、面白かったです。ただ、同時に「設定だけ」な作品である気がしたことも事実です。

 

 まず、本作はその設定上、映画館で観た方がいい作品です。映画館の徹底して静かな空間は、あの世界にとてもマッチしていて、作品を存分に楽しむことができます。また、その見せ方が私でも分かるくらいにホラー映画の定番的なもので、堅実で単純にびっくりします。さらに奥さんが妊娠しているという「時限爆弾」を抱えさせていたりして、緊張感を高めています。ここで叫び声を出せないことが効いていて、あの叫び声が余計に痛々しく感じられます。

 

 しかも、本作はこれだけではなく、他のストーリーもきちんと盛り込まれています。それは家族のトラウマの克服と、絆の再生です。それらが基本設定と上手く交わっています。あの「弱点」を見つけたのは、父親の愛がなした業ですからね。しかもそれによって、コソコソ隠れていた人類がもう一度立ち上がるという展開にもつながっていて、あのラストにはメチャクチャ上がりました。

 

 ただ、これは私の見方の問題かもしれませんが、どうにも本作は、「設定ありき」の部分が強く感じられてしまって、素直に楽しめなかったのですよね。全ての恐怖シーンが「恐怖のための」ものに見えてしまったのです。まず恐怖展開が考えられて、そのためにシーンが組み立てられたんだろうなぁとか考えてしまいます。

 

 さらに、言いたいこともあるのも事実。1番はあの「弱点」ですよね。あれが弱点なら、人類はかなり早い段階で対策を打てているだろうし、あそこまで追い詰められないと思いました。そこを感じてしまったため、最後の展開も乗れなかったのかなぁ。後、息子ですね。母と娘はきちんとトラウマを克服し、前に進んだという明確な描写がありましたが、臆病者の息子は最終的に放っとかれてる感があったのも気になりました。あの子も成長しないといけないのではないだろうか。

 

 このように、設定は映画館向きだし、面白いことは面白いです。ただ、気になる点も多かったので、そこまでのめり込んで楽しめませんでした。続篇が決まっているそうですが、あのラストだとどう考えても「今度は戦争」でしょうね。

2018年夏アニメ感想⑥【天狼(シリウス) Sirius the jaeger】

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 P.A.WORKS制作、安藤真裕監督のアクションアニメ。人類を襲う吸血鬼と、それと戦う主人公たち「狩人」の戦いを描きます。

 

 本作を見ようと思ったのは、制作がP.A.WORKSで、監督が安藤さんだったから。彼の作品は『ストレンヂア 無皇刃譚』は大好きですし、彼がP.A.WORKSと組んだ『花咲くいろは』も面白かったです。そんな感じで、「信頼している制作会社と監督」が組んだ本作は、見逃す手はないだろうと思うのが人情です。しかし、本作は、正直いって微妙な出来の作品でした。

 

 まず、本作の良かった点は、ウリであるアクションシーンです。各々持っている武器が違い、それに合わせたアクションを披露してくれます。まずはその動きだけで楽しいです。さらに、良いシーンでは空間に合わせた戦い方も見せてくれますので、そこもとても良いです。さらに、P.A.WORKSの持ち味であるクオリティが尋常でなく高い背景も素晴らしいです。

 

 しかし、これらの良い点をかき消してしまうレベルで、ストーリーが弱すぎます。どことなく事務的な印象を受けるのです。というのも、普通の作品ならば、ストーリーラインがあったとしても、画面上でキャラクターが行動し、その結果、物語が動くという印象を持ちます。ですが、本作の場合は、まずストーリーがあって、それに則って「キャラクターが動かされている」感じがするのです。

 

 この事務的であることで発生している問題は、一部のキャラを除いて、キャラクターの描写があまり掘り下げられていない点。ユーリーの仲間である教授を除いた3人は後半空気になるし、吸血鬼たちも表面的で、あっさり消えます。

 

 しかし、この最大の被害者は、ヒロインである涼子ですね。よく分からないままユーリーについて行き、勝手に好意を抱き、ちょっと戦ったりしますけど、やはりよく分からないまま「成長」します。お前らそんなに交流なかったよね。いなくても話が成立するため、彼女は本当に事務的に置いてただけな感じがするキャラでした。「普通の人視点」を入れたかったのかな。でもあまり上手くいってない気が。

 

 さらに、本作は最終的に「人類と異種の共存」的な話になってきます。これは早い段階から要素があったのでなるほどなぁと思いました。ただ、世界規模で壮大な話の割に、出てくるキャラが限られていて、しかも舞台が日本に限定されているため、語られている規模に反してこぢんまりとした印象を受けてしまいます。話が途中からユーリーの家族の話になってくるのも、この印象を助長する要因かもしれません。

 

 このように、画面のクオリティはとても高いと思うのですけど、本作はストーリーが事務的過ぎるが故にいまいち楽しめないという作品でした。

誰もが誰かを愛したいし、誰かに愛されたい【愛しのアイリーン】感想

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89点

 

 

 原作は未読です。本作を観ようと思った理由は、監督が吉田恵補さんだったため。今年の2月に観た『犬猿』がかなり面白かったので、彼の作品はとりあえず追っていこうと思いました。

 

 本作はさながら、登場人物全員の強すぎる気持ちをグチャグチャに混ぜた闇鍋のような映画で、大変強烈でした。登場人物全員が「愛されたい」若しくは「愛したい」と思っているのですが、それらの気持ちが見事にすれ違い、暴走する様を見事に描いています。

 

 「気持ちがすれ違う」要素は前作『犬猿』にもあったのですが、前作は兄弟姉妹の確執だったのに対し、本作のそれは愛、憎しみ、差別意識、保守的な思考など、人間の負の感情が入り混じるものです。ただ、程度の差こそあれ、根底の「すれ違う人々」の部分は同じです。例えば、アイリーンと岩男の母が互いの言葉が分からないだろうと踏んでお互いに表面上は取り繕って罵り合っていたり、岩男の気持ちがすれ違いまくったりするところは、兄弟姉妹でありながら複雑な気持ちがあり、すれ違ってしまう前作と似ています。オリジナル脚本の『犬猿』と原作付きの本作で、ここまで似通った部分があるのです。吉田監督が、「これは自分がやらなければならない」と思った理由も分かります。また、舞台が寒村で、どことなく閉塞的な雰囲気を持っているのも作品全体の行き場のない感じを出しています。

 

 主な登場人物は4人。恋愛経験なしの40男、岩男。家族を養うために岩男の嫁になったアイリーン。岩男の母、ツル。ヤクザ男の塩崎の4人です。

 

 岩男は40年間恋愛と無縁で生きてきた男です。だから愛情に関して非常に純粋かつ少し歪んだ想いを持っています。愛を求めているのですが、これまでの経験から、愛なんて待っても来ないと考え、少しでも裏があると「裏切られた」と思ってしまいます。要は純粋なんです。

 

 そんな彼が300万円で「買う」のがアイリーン。彼女は家が貧しく、家族を養うために岩男に買われます。彼女は出てきたときは頭空っぽな感じで、正直観ていてムカついたのですが、母国語で喋るときは非常にしっかりとした考えを持っている女性だと分かります。彼女も愛に関しては純粋で、初めては愛する人に捧げたい、と言います。なので、金だけの関係である岩男とは交わろうとしません。

 

 岩男はヤリたい、愛されたい。でもアイリーンにはその気がなく、運命の人を待っている。このどうしようもなくすれ違っていた2人ですが、徐々に心の距離を詰めてく様子が非常に丁寧に描かれていて、遂にキスまでいったときは中々感動します。

 

 そんな2人にとって、最大の障壁が岩男の母親、ツル。彼女は息子をそれこそ愛していて、岩男の幸せのみを考えています。これだけ書くと良い母親な気がしますが、問題は彼女が超保守的な考えの持ち主で、かつ差別意識を剥き出しにしている人間だということ。ただ、彼女が何故そうなったのかを知ると、少しだけ同情できるのですが。彼女の義理の母も超保守的な人間で、だいぶ酷い目にあったようです。そこから続く考えだったのですね。だから、彼女も愛されたかったし、息子をただ愛したかったのです。

 

 この3人を引っ掻き回す存在が塩崎。彼が介入したことで、ある決定的な大事件が起こってしまいます。しかし、その事件がきっかけで、岩男とアイリーンの心が繋がるのは皮肉な話です。ただ、同時にこの事件で悲劇が起こってしまうのですが。

 

 本作を観ていると、「愛」について様々な感情が渦巻いていることが分かります。岩男とアイリーンが求めている「愛」。そして、ツルが欲している「愛」。そして、背後にある日本の超保守的な結婚についての考え等です。そして金で買った愛が気持ちが通じ合った愛に変わる瞬間を見ると、「人を愛する」ことの愛とは、一体何なのかなぁと思いました。

 

 観ていると、人間の剥き出しの気持ちが映っている作品で、強烈な映画でしたが、同時にこれは映画館でしか観られない題材だよなとも思い、大変満足しました。

「YELLOW」は美しい色【クレイジー・リッチ!】感想

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80点

 

 

 ハリウッド初のキャストが全てアジア系である本作。これまで、ハリウッドの中でのアジア人とは、ごく一部の例外を除き、型通りの存在としてしか描かれてきませんでした。

 

 しかし、時代は変わりました。人種差別、性差別的な風潮は律されるようになり、その影響で従来では考えられないような作品(『オーシャンズ8』『ムーンライト』等)も生まれました。そんな中制作された本作は、我々アジア系としては、「待ってました!」と言うしかない映画でした。

 

 まず、冒頭から長い間感じていた留飲を下げることができます。所謂「欧米人が占有していた世界を、アジア系の人間が塗り替える」というものです。本作はここから始まり、近年存在感を増してきたアジア諸国のように、金持ちなアジア人たちの世界が繰り広げられます。出てくる衣装、美術が大変ゴージャスで、それらを観ていても楽しいのですが、やはりシンガポールの美しさ、そして出てくる食べ物の美味そうな感じと言ったらありません。これだけでシンガポールに興味が湧き、行ってみたくなります。

 

 また、登場人物たちは全員が金持ちです。そしてタイトルが『クレイジー・リッチ』なので、『ウルフ・オブ・ウォールストリート』的なクレイジーな豪遊なのかと思うかもしれませんが、結構違います。「全然」と書かなかったのは、似たようなことをしている人もいるからです。連想されるのは『こち亀』の中川みたいな感じですね。ただ、ここで出てくる金持ちたちは、由緒正しく、先祖代々続き、積み上げてきた結果金持ちになった人たちであり、決して「小金持ち」ではなく、むしろ富豪と言った方がしっくりきます。この辺の描写の誠実さも新鮮です。

 

 このように、本作は「金持ちなアジア系」を偏見を持って描くのではなく、きちんと彼らにも歴史と伝統があるということを誠実に描き、尚且つそれがアメリカで大ヒットを飛ばしているという記念碑的な作品なのです。日本ではあまり話題になっていませんが。

 

 とまぁこんなことを書きましたが、話は非常に単純。庶民の女性がスーパー金持ちと恋に落ち、様々な嫌がらせを受けるも、それに必死に戦い最後には幸せをつかむという、要は王道のシンデレラストーリーです。ただ、本作ではそれを現代的にアップデートしています。

 

 まず、ラストのプロポーズからして良いです。「上流階級」が上から申し込むのではなく、きちんと対等な立場に立って申し込むというもので、冒頭とラストの見事な対比も素晴らしいですが、やはり「王子様が救ってくれる」ではなく、「王子様が対等になろうとする」姿勢は現代的です。また、それ以外でも、主人公以外にも複数の女性にフォーカスを当て、それぞれ別の結末を見せるも、それがきちんと自立している女性として描いています。そして、そのラストで流れる「YELLOW」これは「卑怯」など、マイナスなイメージで語られることが多い(『デトロイト』のシーンが最近では印象的)「YELLOW」を肯定的に描いたもの。これが流れることで、本作の歴史的な意義が再認識され、とても感動できます。

 

 このように、本作はアジア系、女性など、これまで映画の中で軽く扱われがちだった存在をきちんと描いた歴史的な作品だったと思います。

大画面で観るべき、体感する傑作映画【2001年宇宙の旅(IMAX2D字幕版)】感想

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95点

 

 

 スタンリー・キューブリックアーサー・C・クラークが1968年に制作した不朽の名作にして、映画史上最も難解と言われる作品。私も昔DVDで観たのですが、御多分に漏れずさっぱり理解できず、当時の感想ノートにも、「訳分からん」と書かれています。しかし、年月が経ち、私も当時よりかは映画の知識もつき、何より町山智浩さんの名著「映画の見方がわかる本」や、小説版も少し読んだので内容もある程度理解できています。

 

 

 

 

 そのような状態で発表されたIMAX版の公開。70mm版のチケットが取れなかったため、その腹いせも兼ねて鑑賞しました。

 

 最初に観た時とは打って変わって、大変感動しました。内容は映画の中だけではさっぱりなのですが、本作に注ぎ込まれた技術力、そしてIMAXだからこそ体験できる臨場感溢れる映像体験、さらに序曲、休憩、終曲という昔ながらの上映形式といった体験そのものに感動しました。

 

 まず、IMAXで観て確信したことが、本作は家の小さいTVで観るのではなく、出来るだけでかいスクリーンで観るために作られた、「体感型」作品だということです。それもそのはずで、本作は元々シネラマ形式で上映されており、作りじたいもシネラマを最大限に生かすようになっているのです。今ではもうシネラマは観られないのですが、IMAXは今の環境では最もシネラマに近いため、本来の感動を味わえます。具体的にシーンを挙げると、最初の「ツァラトゥストラはかく語りき」には本当に感動しましたし、後は何回か出てくる主観ショットや、冒頭の広大な風景をバチっと映した画面、そして何より終盤のスターゲイトです。以前観た時は何が何やらだったのですが、IMAXで大きい画面いっぱいに観ると、ボーマン船長の体験をそのまま経験できるのです。

 

 次に、撮影技術について。本作が制作されたのは1968年です。なので、当然CGはありません。なので、劇中の宇宙描写は、人間が手作りして、若しくは撮影テクニックを駆使しているのです。それを考えるだけでも楽しかったです。それが気になって調べたのですが、無重力を表現するためにカメラを置く位置を工夫したり、実物大のセットを作ったりと異様な努力が伺えました。

 

 映画とは、画面の中に「嘘」を作り出すことです。最近はCGでそれは大分楽になりましたが、昔はテクニックが全てでした。そこに人間の工夫が垣間見えます。だからこんなに感動するのだと思います。

 

 さて、肝心の内容ですが、映画を観ただけではさっぱりです。これはキューブリック自身が脚本にあったナレーションを抜いたからだというのは有名な話です。ただ、それも本作を「体感型」にするために必要なことだったのだと思います。

 

 しかし、内容はもちろんあります。それは人類の進化の話です。月に辿り着けるほどの科学力を身に付けた人類が、HAL9000という「人間に近い存在」との対立を経て、モノリス(=神?)と会い、より高次の存在「スターチャイルド」になる、というもの。「メイキング・オブ・2001年宇宙の旅」によれば、本作には元々本編前に物理学や宗教の教祖といった有識者たちから得たインタビューが入る予定だったとのこと。それは「地球外生命体はいるか、機械が人間を乗り越えることはあるのか」といった内容でした。これがあれば一発で分かったのだろうなぁ。

 

 このように、本作はIMAXで観る価値がある作品でした。本当に観てよかった。

 

 

メイキング・オブ・2001年宇宙の旅

メイキング・オブ・2001年宇宙の旅

 

 

ポップカルチャーにまみれた煉獄【アンダー・ザ・シルバーレイク】感想

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77点

 

 

 インディーズ映画『アメリカン・スリープオーバー』で注目され、『イット・フォローズ』の大ヒットにより、一躍ヒットメーカー的な存在となったデビット・ロバート・ミッチェル。順調にホップ・ステップをし、今最も注目されている監督である彼がジャンプとして次に放ったのは、古典的なフィルム・ノワールを彼が好きなポップカルチャーで埋め尽くした頭がおかしいとしか言えない映画でした。

 

 本作は、とりあえずはフィルム・ノワールに分類されると思います。無職で家賃も払えない青年サムが、失踪した女性、サラを探していくうちに、シルバーレイクにある陰謀を突き止めてしまう、というものです。

 

 しかし、本作を異様なものしているのは、劇中に出てくる膨大な数量の引用です。冒頭はヒッチコックの『裏窓』ですし、筋立ては『ロング・グッドバイ』、そして『めまい』です。『めまい』に関しては中盤でサムが女性3人組を車で追跡するシーンが『めまい』のそれと酷似していたり、作品を象徴する「めまいショット」も1回使われます(←使いどころが最悪(笑)!)。また、劇中で映される映画も過去の名作ですし、サラがプールで泳ぐのはマリリン・モンローの映画『女房は生きていた』です。さらに、引用は映画だけに止まらず、音楽、都市伝説、同人誌、ゲーム等、多岐にわたります。ちなみに、劇中の音楽もヒッチコックっぽいです。これだけで頭がクラクラしてきます。

 

 ただ、ポップカルチャーにまみれた世界は、この映画だけではありません。現実だってそうです。本作がそうであるように、今、世界で上映されている映画は、必ず過去の何らかの2次、3次、4次創作的なものですし、他のカルチャーも同じです。中盤で出てくる「ソングライター」が言っていたように、ひょっとしたら「自分」なんてものはなく、今自分が感じている「自分らしさ」とは、周りのカルチャーによって操作された結果なのかもしれないのです。

 

 「煉獄へようこそ」サムが訪れたパーティで言われる台詞です。煉獄とはダンテの神曲にあるカトリックの教理で、小さな罪を犯した霊魂が天国に入る前に魂を浄化される場所であり、天国と地獄の間にあるものです。終盤で明らかになる「陰謀」を絡めて考えると、この台詞は意味を持ってくる気がします。彼らは、「天に召される」のを待っていました。しかも、それらは全て富豪とか成功者です。天が煉獄で魂が浄化された後、辿り着く場所だとすれば、煉獄はあの世界そのものではないでしょうか。カルチャーにまみれ、自分も定かでない世界。これを煉獄と言わずに何といえるでしょう。金持ちは、こんな煉獄とおさらばできるのです。

 

 しかし、サムは、この煉獄の中で、「生きること」を決意します。事実を知ったサムは、ホームレス王に連れられ、地下に監禁され、秘密を口外しない約束で解放されます。解放された彼は、家賃対策として、何と冒頭で覗き見ていた部屋に転がり込みます。そしてそこで、彼が元居た部屋に管理人を警官がやってくるのですが、そこにはホーボーのあの暗号が。もちろん、彼らには分かりません。しかし、サムには分かってます。サムはシルバーレイクの秘密を知り、この世界が煉獄であることにも気づきました。そんな彼が、以前覗き見ていた部屋から「何も分かってない」人を見る。サムが少しだけ「あっち側」にいったということを示すシーンだと思いました。

 

 タイトルは、『アンダー・ザ・シルバーレイク』です。翻訳すると、「シルバーレイクの下」。サムは、「この街の下には陰謀がある」と信じ、実際にホームレス王に連れられて地下に潜ります。ですが、サムが部屋で最後に観た『第七天国』で、ジャネット・ゲイナーは言います。「上を見なきゃね」と。「気づき」を得たサムは、「上を見て」これからこの煉獄を生きていくのだと思えるラストでした。

 

 このように、本作は相当カオスな作品でしたが、「ポップカルチャーにまみれた自分」が生きていくことを肯定するような映画だったと思います。それに気づくことが、サムの奇妙な道中のゴールだったのでしょうね。

『オルタナ』よりも「劣化版」感が強い【フリクリ プログレ】感想

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45点

 

 

 『フリクリ』の続篇2部作の2作目。前作『オルタナ』は『フリクリ』である意味がない、と書きましたが、本作は『オルタナ』と比べれば、前作と直接つながっているだけあって、まだ『フリクリ』らしさがある作品でした。ただ、それだけに、前作とは違った意味で残念な出来になってしまったことも事実です。

 

 というのは、似ているだけに前作との制作陣の力量とセンスの差がはっきりと出てしまい、『オルタナ』よりも前作の劣化版な感じが際立ってしまっていることです。

 

 本作はハル子が分裂した存在、ジンユとラハルが、ヒドミの「当たり前」の日常を破壊していく様を描きます。本作では、『オルタナ』と違い、ラハルとジンユには明確に目的があり、ラハルは同じくアトムスクと会うこと、そしてジンユはそんなラハルを止めることです。この相反する2人は元の存在であるハル子の相反する面であり、序盤こそ、私はこうすることで、ハル子というキャラをもう一度客観的に捉え直そうとしているのかな、と思いました。しかし、全編観てみるとそんなことはなく、2人は争っているだけです。この要素に代表されるように、本作には使えそうでありながらも、それらが全く活かされないままになっている設定が数多く存在します。他には例えば、井出の貧民設定や、アイコと吾郎の関係などです。勢いの上出したのかもしれませんが、前作は勢いはありながらも、こういう設定は必要最小限だったと思います。

 

 作画は、各回によって担当者が変わったためか、それぞれに若干の個性が見えたりしてまだ面白かったです。また、多くの方が指摘しているように、第5話の作画は素晴らしかったです。どの話とも異なる質感を持った絵で、観ていて唯一惹きつけられました。

 

 ただ、良かったのはこれくらいで、後は『オルタナ』と同じく、前作の持ち味を徹底して薄めただけの演出が続きます。本当になんとかしてくれと思ったのはやはりThe Pillowsの使い方。やっぱりSEで聞き取れません。しかも同じく垂れ流しだし。また、ハチャメチャな展開もやはり「形だけ」で、表面上でそれっぽいアクションをしているだけです。

 

 さらに、前作との「繋がり」の面でも、形だけの中途半端なものになっていました。分裂した状態なら分かるのですが、何故戻ってもハル子の声は林原めぐみさんのままなのか。これでラハルを新谷さんと全く違う演技をしていたら違いが出たかもしれませんが、林原さんは新谷さんの演技を完コピしているのですよね。それなら戻ったら新谷さんでもいいのではと思ってしまいます。というか、ラストのラハルは何ですか。あんな女々しいシーンは観たくなかったです。また、マスラオが本当にファンサービスレベルの活躍しかしなかったのも何か残念。

 

 このように、本作は『オルタナ』と同じく、制作陣の力量の違いから何とも言えない作品となってしまっていました。まぁこれは比較対象が全盛期のGAINAXなので致し方がない気がしますが。つまり、鑑賞前の不安「アレに匹敵する映画ができるのか?できないのではないかな」が的中してしまった作品でした。

 

 

 『オルタナ』の感想です。こっちは『フリクリ』である意味がない作品でした。
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