暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

『I.W』の後に丁度いいライトな作品【アントマン&ワスプ】感想

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78点

 

 

 MCUの前作『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(以後、『I.W』)』は大変な作品でした。見事な交通整理力によって、膨大な数のヒーローが出ているにも関わらず、その全員に見せ場がある理想的なお祭り映画なのもそうですが、やはりラストシーンです。あれでショックを受けた人は大勢いたのではないでしょうか。かくいう私もその1人で、今でこそ「まぁどうせ復活するんだろうな」とは思いながらも、観たときは衝撃のあまり空いた口が塞がりませんでした。

 

 そんなファンの気持ちをどん底に落とした『I.W』の後にやってきたのは、『シビルウォーキャプテン・アメリカ』でキャップに味方して以後、何故か行方知れずだったアントマン。思えば初めて映画が公開されたときもそこそこ深刻だった『エイジ・オブ・ウルトロン』の後でした。この一致は偶然でも何でもなく、作品の特性的に必然だったのだと思います。というのも、『アントマン』シリーズは、他のヒーローと比べれば、内容がはっきり言って地味なのです。主人公は天才エンジニアでも博士でも神でもなく、冴えない中年のおっさんですし、「小さくなれる」という能力と合わせてか知りませんが、話の規模も小さく、全体的にコメディタッチ。しかしこの「地味さ」は大きな規模のアクションが起こる作品の後で公開されることで、大きな意味を持ちます。シリーズに大きな規模の作品だけではないというバリエーションも持たせることもできますし、この多様性によって、ファンを飽きさせません。こう考えると、MCUは本当によく考えて公開作品を選んでいるなぁと思います。本作も、前作と同じく、とてもライトな作品となっています。

 

 本作の話は、前作で示唆された初代ワスプ、つまりピム博士の奥さんの救出がメインです。登場勢力は3つで、主人公一行、ゴースト、そして研究を横取りしようとしている勢力です。これらの3つの勢力が、ピム博士の研究所の争奪戦を繰り広げます。勢力だけ見ると入り組んでいますが、「研究所の争奪戦」に焦点が当てられることで、だいぶ観やすくなってるなぁと思いました。

 

 また、本作のウリである縮小・拡大のアクションも観ていて新鮮でした。MCUは既に多彩なアクションを見せてくれているので、どのようにして他と差別化していくかが大切だと思っているのですが、これは上手くいっていて、全体的に創意工夫に富んでいて、観ていてとても面白かったです。

 

 最近のMCUは相互の関連性が入り組んでいるので、単体ではあまり楽しめない傾向にあると思うのですが、本作はその中でも独立して楽しめる久しぶりのMCU作品だったと思います。まぁ最後にアレがあるけど。

 

 『アントマン』シリーズは「家族」を形成していく話でもあると思っています。前作で娘や前妻との関係を改善したスコット。本作では娘との関係も順調に回復していっているようです。新たに「家族」を得るのも近いと思います。その日まで、頑張れスコット。負けるなスコット。家族を得る前に大役が待ってるぞ。多分。

 

 

前作の感想です。こっちも好き。

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地獄巡りで外した人の道【野火】感想

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98点

 

 

 感想を挙げるのは9月になりましたが、鑑賞したのは8月15日です。鑑賞理由はこの月日から察せられるように、終戦の日だからです。去年は岡本喜八監督の名作『日本のいちばん長い日』を鑑賞しました。あちらは、昭和天皇鈴木貫太郎内閣が御前会議でポツダム宣言受諾を決定した8月14日正午から宮城事件、そして国民にこの決定を伝える玉音放送までの24時間を描いた、東宝オールスター作品でした。

 

 対して、本作は戦地において極限まで追い詰められた1兵士・田村に焦点を当て、そのような状態下で人間性を保てるのかを描きます。原作は大岡昇平で、2度目の映画化です。ちなみに、東宝オールスターだった『日本のいちばん長い日』と比べ、本作は超低予算で制作された作品になります。

 

 壮絶な映画でした。本作を観て思い出したのは、水木しげる先生の「総員玉砕せよ!」です。この本の最後のページに描かれている死体の山の絵が、本作の死体が積み重なっているシーンと非常に似ています。

 

 また、内容的にも似ていて、「総員玉砕せよ!」は特定の主人公がいたわけではないですが、もう機能していない組織で、本部から見放された部隊が玉砕していく様を描いた作品でした。

 

 対して、本作も冒頭から主人公・田村が属している組織がもう全く機能していないことが示されます。主人公が遭う理不尽な仕打ちがまさにそれです。これは何回も同じ感じで繰り返されるので、ちょっとギャグっぽく見えます。そして組織から見放された主人公は、合流地を目指して戦地を彷徨うのです。

 

 本作は、この田村という1兵士の地獄巡りを描いた作品です。出てくる兵士は皆飢えに苦しみ、空と陸からの攻撃にはなす術もない。ここで描かれる兵士の死は、「名誉の戦死」とは程遠い「飢え死に」です。もしくは原住民からの報復としての殺害か、敵の兵士による一方的な殺戮です。

 

 こうやって死んでいった兵士の死体や気がふれた兵士を横目に、田村は歩を進めていきます。さらに一筋の希望だった合流地に関しても、途中からその存在自体が怪しくなってきて、最後には自分がどこに向かっているのかすら分からなくなります。つまり、彼らは飢えに苦しみ、いつ襲ってくるか分からない攻撃に精神を疲弊させ、降伏しようにも許されないのです。まさに八方塞がりの地獄です。ここから、彼らにとっては「敵を倒す」ことなどもはや目的ではなく、ただ「生き残る」ことが目的になってゆくのです。

 

 本作には、およそ「戦闘」と呼べるものがありません。あるのは上記の一方的な殺戮です。これも状況の八方塞がり感を高めています。攻撃のときの演出も秀逸で、例えば中盤の空襲ですが、気付いたら攻撃が近づいていて、不意に仲間が死ぬのです。劇中の登場人物たちと同様の驚きを味わえます。

 

 いつ死ぬか分からない、でも抜け出せない地獄。この中で、田村はどんどんおかしくなっていきます。そして(おそらく)人間として境界線を越えたところで舞台は戦後の日本へ戻ります。

 

 帰ってきても、悪夢は終わりません。本作の恐ろしいところは、「この先」を描いたことです。つまり、「境界を越えた」主人公は、帰ってきて(おそらく)だいぶ経った後でも、それに苦しめられているのです。境界を越えた者は、容易に戻ってこれないのです。彼は決定的に変わってしまったのです。終戦の日に観るには、うってつけの作品でした。

『透明人間』は素晴らしい!でもポノックはこのままでいいのかな?【ちいさな英雄 カニとタマゴと透明人間】感想

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60点

 

 

 スタジオジブリから独立した西村義明Pと米林宏昌監督が設立したスタジオポノック。2作目の公開作品。前作『メアリと魔女の花』は「魔法」をジブリに例え、「魔法なんていらない!」と言ってジブリからの決別を図った内容になっていたと思います。しかし、その割には全編に亘ってジブリ感満載で、志とは全く逆にジブリっぽさ」に全面的に依存した作品となっていて、それがとても歪な感じがして、いまいち好きになれない作品でした。

 

 そんな前作から1年経ってポノックが放った本作は、まさかの短編集。作品は米林監督の『カニーニカニーノ』、『ギブリーズ』の百瀬義行監督の『サムライエッグ』、そして山下明彦監督の『透明人間』でした。ぶっちゃけ、『メアリと魔女の花』の影響で、『カニーニカニーノ』はそれほど期待してなく、百瀬監督と山下監督の新作が観られるということで鑑賞しました。短編集なので、個々の作品について個別に感想を書いていきたいと思います。

 

カニーニカニーノ】40点

  米林宏昌監督作。知名度的に看板作品でしょうが、残念ながら一番つまらなかったです。川に住んでいる蟹の兄妹を擬人化して、とある事故によってはぐれた父親を捜す小さな冒険を描きます。台詞は無く、観客は動きと表情のみでキャラの感情を読み取る必要があります。また、蟹というミクロ視点から世界を描いていることも特徴です。

 

 こういった設定だけは面白いです。しかし、ストーリーの展開がやや緩慢で、最後の危機については、おそらく見せ方の問題か、全くハラハラしません。あそこは距離感が分かるように撮らないといけないのではないのでしょうか。3作目の『透明人間』を見習った方がいいんじゃないかなぁなんて思ったり。また、中盤の川の外のシークエンスは必要だったのでしょうか。こんな疑問も出てきます。

 

 こんなことを思いましたが、それ以上に私が問題だと思ったことは、米林監督自身についてです。前作『メアリと魔女の花』に続いて、また「ジブリっぽい」絵の作品を作っているのです。内容も(おそらく偶然でしょうが)宮崎駿監督の短編『毛虫のボロ』っぽいし。早くジブリの呪縛から解き放たれないと、彼はまた「劣化ジブリ」を作ることになる気がして、心配になりました。

 

【サムライエッグ】75点

 米林監督には申し訳ないですが、本命の1人目。百瀬義行監督作品。絵は米林監督とは違い、同じ百瀬監督作品『ギブリーズ episode2』を彷彿とさせるもので、全体的にクレヨンで描いたような柔らかいタッチです。しかし、内容はそれとは逆に結構深刻なものでした。カニーニカニーノ』は呑み込み辛いストーリーでしたが、こちらはシンプルで面白かったです。

 

 本作の「敵」は卵アレルギーです。アレルギーが発生した時の恐怖演出が中々エグいです。普段は何気なく生きているけど、アレルギーによって彼らの生活がどれだけ恐怖に満ちているのかがヒシヒシと伝わってきます。絵柄と対照的であることも相まって、これが余計に観客の恐怖を煽ります。

 

 しかし、そのような恐怖の中で、最後にアレルギーに負けることなく生きていこうとするシュン君を観て、彼の中にある「生きる」ことへの強い意志を感じました。つまり本作は、卵アレルギーという非常にミニマムな題材を扱っていますが、描いていることは「生きようとする意志」だったのかなぁと思います。だからこそ「サムライ」なんでしょうね。

 

【透明人間】80点

 3作目。監督は山下明彦さん。本命その2。3作の中で一番面白かったです。個人的には、これだけでも料金分の元が取れたと思っています。それぐらい素晴らしかったです。

 

 始まって驚くのは、およそジブリ感」とはかけ離れた絵と画面構成。風景は灰色でどんよりしていて、カメラとかもエッジが効いたものが多々あります。こういうのが観たかった!

 

 本作の主人公は「透明人間」です。しかし、我々が普段考えている存在とは違って、我々と同じように日常を送っています。つまり、仕事もしているし、隠れることもなく生活しています。この時に、透明にも拘らず、細かい日常芝居をしている点に感心しました。ただ、違うのは「世界から存在を認知されていない」点です。普通に仕事をしているにもかかわらず、目の前の人間からはまるで存在していないかのように扱われるのです。目の前の女性が落としたボールペンをとってあげてもお礼1つ言われないし、コンビニで何か買っても気付いてもらえない。ATMにも存在を拒否られ、最後には重力にすら見放されます。

 

 こう考えると、「透明人間」とは「存在感ない奴」の象徴であり、彼が持っている消火器は自身をその場所に留めておくための「重り」だったことが分かります。本作はそんな「存在していない」彼が老人に存在を認められ、「赤ん坊を救う」という「偉業」を達成することで自己の存在を獲得していく姿を描きます。この終盤の救出シーンが素晴らしいですね。観ていて本当にハラハラします。

 

 終わり方もキレ味がよく、良い余韻を以て終わります。これで私は満足していました。しかし・・・

 

【OPとED】

 EDで台無しです。本作は短編が始まる前と後に主題歌が流れるのですが、それがメチャクチャ子供向けで、聴いていて居心地が悪くなります。しかもこれによって、この短編集がどこの層に向けて作られたのかがさっぱり分からなくなります。上記のように「子供向け」な内容はあまりないので。しかも最後はおよそ子供向けではない作品なので、余韻が台無しです。これで若干評価が下がりました。

 

【まとめ】

 正直、スタジオポノックの先行きが不安になりました。1作目がジブリ全面依存で、2作目はパンチがある作品が1つだけ。このままジブリの呪縛の中で作るのだとしたら、未来は無いのではないのかぁと偉そうなことを思いました。

 

 

 まさかの(興行収入的な意味で)ネクスト・宮崎。

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同じくジブリ出身である高坂希太郎さんが制作した映画。こっちは傑作でした。

 

同じく2018年に公開された作品。こちらは傑作でした。ジブリとは違う意味で、アニメーションを極めた形なんじゃないかと思いました。

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チーム全員最高にカッコいい【オーシャンズ8】感想

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72点

 

 

 ジョージ・クルーニー主演の『オーシャンズ』シリーズ最新作。前作は男性役者オールスターでしたが、本作はようやく出てきた女性オールスター。私自身は『オーシャンズ』シリーズは1作目しか観たことがないニワカなので、本作を観ようか迷っていたのですが、時間もできたので鑑賞しました。

 

 感想として、久しぶりにこういう「普通に楽しい映画」を観たなぁと思いました。本作は王道のケイパーものです。王道といえば聞こえはいいかもしれませんが、要はこれまで何百回とやられてきた内容を繰り返しているだけで、新鮮な個所はあまりないです。それなのになぜ楽しめたのかといえば、やはり、偏にキャラクターなのかなぁと思います。

 

 こういった「複数人でミッションを成功させる」モノに欠かせないリクルーティングですが、そこで紹介されている個々のキャラの魅力が半端じゃないのです。司令塔デビー。刑務所を出てからすぐにやる手口が鮮やかでした。なるほど、そういう手段があったのかと。現実だと難しそうですが、感心しました。そしてその相棒、ルー。観ていると完全にルーはデビーの恋人ですが、これは完全に『ルパン三世』に於ける次元大介ポジションですね。だからデビーの男ができたとき、真っ先に反対したんじゃないですかね、ルーは。そしてハッカーに落ち目のデザイナー、そして同性の友達が少ないアン・ハサウェイダフネ、そして従来の「アジア人」描写から全く外れたオークワフィナ演じるコンスタンス、といった具合に、多種多様なキャラが出てきます。この多様ぶりは現在ならではかなぁと思います。こういったキャラが全員でミッションを完成させるわけですから、そりゃ楽しいわね。

 

 ただ、野暮だと思いますが、言いたいこともあります。デビーは「完璧な計画よ」とドヤ顔で言っていましたが、実際やってみるとかなりの運ゲーだったり、イエンのカメオ出演はファンサービスだったのでしょうけど、それによって本作の「8」は「9」なのでは?と突っ込みたくなったり、ミッション完了からが長くてダレるとかですけど、まぁこんなことはどうでもいいんですよ。楽しんだ者勝ちです。

2018年冬アニメ感想①【ダーリン・イン・ザ・フランキス】

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 トリガーとA-1Pictures共同制作の作品。監督は『THE IDOLM@STER』の錦織敦史さん。『THE IDOLM@STER』において、見事な群像劇を見せてくれた錦織さんですが、そんな彼が今度はガイナックスの系譜をひくロボットアニメを監督する。この組み合わせがどのような化学反応を生むのかと興味をそそられ、視聴しました。

 結論から書くと、とても面白かったです。トリガーの色が存分に出たアクションシーンはもちろんですが、それに思春期の少年少女の成長を上手く絡ませていて、トリガーと錦織さんの強みが存分に活かされた作品だったなと思います。

 

 1話から作品の世界観に放り込まれます。いきなりバンバン出てくる作品用語、唐突に始まる謎の敵との戦い、そして主人公とヒロインの搭乗からのロボットアクション。勢いがあって面白かったのですが、1話が終わった時点では、頭の中に?マークが出てきます。それらの設定は2話以降徐々に明かされていきます。ここから判明するのは、本作の主人公たちは、普段はプランテーションという箱庭で暮らし、「コドモ」として番号で呼ばれ、「オトナ」のために叫竜なる敵と戦っていること。そして彼らには、叫竜と戦う以上の知識を与えられておらず、「オトナのために戦う」ことが彼らにとっての全てだということです。

 

 中盤に明らかにされるオトナの生活は、無機質なものです。他のコドモもオトナのように無機質な感じなキャラが多いです。ですが、主人公が所属する13部隊は違います。彼らは個別の自我を有しているのです。その差は名前。名前があることで自我が芽生えているのです。他のコドモは無機質です。これは大人によって自由を奪われ、抑圧されている子供という構図なのでしょうし、本作はそこからのコドモの飛翔を描きます。そのためか、本作には至る所に「鳥」のモチーフが入ります。

 

 本作の「オトナがコドモの意志を奪い戦わせる」設定は、あるアニメを彷彿とさせます。ガイナックス制作の名作『新世紀エヴァンゲリオン』です。本作はこういった設定が非常に似通っています。叫竜は視聴者から使徒だと散々言われていたし、私もそう思うし、フランクスの操縦席とか、スーツとか、ビジュアル的にも似てる。極めつけは19話「人ならざるモノたち」。完全に「ネルフ、誕生」でした。しかも、その後の20話で明かされる真実も、「使徒は元々地球にいたアダムの子」という設定に似ている気がしないでもないような。ただ、この「敵だと思っていたものが敵ではなかった」展開は、どちらかといえば『トップをねらえ!2』っぽさを感じました。つまり、どちらにせよ、本作は、過去のガイナックス作品の要素を盛り込んでいるわけですね。

 

 そして、本作のロボ、フランクスについても特異な設定が明らかになります。男女が二人一組で操縦席に座り、機体に同調するのですが、その姿は完全にセックス。この形態を知ると、この互いの「相性」も恋愛のメタファーのように思えます。そしてこう考えると、それぞれのコンビの性格が分かってきます。それは大きく分けて2つで、1つは自然体で上手くいってるコンビ(ゾロメとミク)、2つ目は表面上で上手く合わせられているコンビ(ミツルとイクノ)。機体の設定がこれですから、フランクスの性能上、この心情や関係性の変化がアクションに直結しています。4話の心を解放し、思いっきり戦うストレリチア等、こういった爽快感あるアクションを以て、心情を表現してくれます。

 

 番号だけの存在だったコドモが固有名詞を持ち、他人と触れ合うことで自我を獲得し、オトナに反発して自立する。これは思春期に特有の現象であり、誰もが通ってきた道です。しかも、それだけに終わらず、最後に未来へ進んでいくコドモの姿も描いています。本作はこれをSF的な設定を使ってやってのけているのです。最終話「わたしを離さないで」で、最終決戦と並行して、地球の営みを同じくらい力を入れて描いていた点は本当に素晴らしいと思いました。こういった「思春期の子供の群像劇」的な要素は、錦織さんだからこそ、ここまで存分に描けたのだろうと思います。

 

 このように、本作は、トリガーが得意とする躍動感あるロボアクションを全力でやりつつ、それを少年少女が大人に抗い、自我を獲得する群像劇と上手くマッチさせた作品なのです。各回も手抜き回が一切なく、毎回濃密な演出と作画も楽しめるため、非常に楽しんで見ることができました。

フェミニズムを盛り込んだ娯楽時代劇【駆込み女と駆出し男】感想

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81点

 

 

 原田眞人監督作品。『検察側の罪人』に合わせて、監督の作品をいくつか観ておこうと思い、評判のいい本作を鑑賞しました。井上ひさしの『東慶寺花だより』を原案に、縁切寺に駆け込んだ女性たちと、医者になったばかりで、戯作者にも憧れている「駆け出し男」信次郎を描いた作品。率直な感想として、とても面白かったです。

 

 本作の舞台は幕府公認の縁切寺東慶寺。なので、話は離縁を持ち出してきた女性たちをどうやって旦那と別れさせるかがメインの1つとなります。こう書くと、女性は「護られる立場」なのではないかと思うかもしれません。ですが、本作の秀逸な点は、「ヒーローが女性を救う」話ではなく、「救われた女性が自立する姿」までをしっかり描いている作品だという点です。

 

 東慶寺に駆け込む女性の中で、主に3名の女性に焦点が当てられます。じょこと、お吟、そして戸賀崎ゆうの3人です。それぞれには三者三葉の事情があり、その違いが物語に厚みをもたらしています。それぞれについて見ていきましょう。

 

 まず、戸田恵梨香演じるじょごですが、彼女は本作においてメインヒロイン的な役を見せ、大泉洋演じる信次郎と徐々に絆を深めていく様子が本作の芯になっています。彼女はDV夫から逃れてきた女性で、顔に火傷の跡があり、「醜い」と言われ、それがコンプレックスとなっています。この「顔」のコンプレックスの克服が自己肯定に繋がり、最後には恩人である信次郎と対等の立場となります。このじょごの心境の変化による男女の力関係の変動(夫に着いて行くしかなかったじょごが、最後には信次郎を引っ張る存在となる)は、本作の女性の自立をそのまま体現していると思います。

 

 また、元夫も最初こそ最悪な人間でしたが、最後には更生して復縁を申し出たりします。この一面的に人間を描かないあたりも好感を持てます。そして、だからこそ、じょごが「自分で決める」面が強調され、より自立の面が強まります。

 

 次に、満島ひかり演じるお吟。彼女も夫から逃げてきた1人ですが、その事情はじょごやゆうとは正反対です。この両者の違いが、本作の「男性」を一面的な悪にせず、かなりフラットな描き方にしています。

 

 最後に、内山理名演じる戸賀崎ゆう。彼女の場合は、本当に夫が最低な奴で、この夫が「悪」的な側面を一手に引き受けています。

 

 このように、本作は男性を単純に悪として描かず、多面的に描き、それでも女性自身が自らの力で未来を掴んでいく様を描いているのです。

 

 また、本作は時代こそ江戸ですが、内容的には現代と符合する点も多くあります。上述の女性の自立もそうですが、質素倹約令が出され、全体的に不寛容な雰囲気が醸成されている感じとかもそうです。時代劇とは、「時代を過去に移し、そこに現代的な問題を反映させる」ものだといいます。だとすれば、本作は真の意味での時代劇だといえます。娯楽作品としてもとても面白いで作品でした。

過去は消せない。【手紙は憶えている】感想

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90点

 

 

 ずっと観たかった本作。劇場公開時は時間の関係で観逃がしていたので、Netflixに登録されたことを機に鑑賞しました。ナチスに家族を殺された老人の悲しい復讐を描きます。

 

 本作で復讐を実行するのは2人。車椅子で動けないながらも、頭はハッキリしているマックス。そして、体は動くものの、認知症を患っているセヴ。体の関係で、復讐はセヴが行います。復讐モノといえば、怒りに燃えた主人公が悪党どもをなぎ倒していく展開が売りだと思っていますが、本作の主人公は認知症持ちの90歳の老人という、歴代で最も頼りない主人公です。本作では、この認知症の使い方がとても上手いと思います。何てことない道中でも、この設定のおかげで、「上手くいくのか?」とハラハラしつつ観れます。

 

 また、緊張感を出すためにも使われている認知症ですが、それがラストの展開に非常に効果的に使われています。道中、セヴは4人の容疑者に出会います。1人、また1人と出会うことでエピソードが生まれ、「歴史の側面」が浮かび上がっていきます。ナチスに属していた人間は、今でも生きていて、普通の暮らしを得ています。そこに罪悪感を覚える人間もいれば、開き直っている人間もいます。そして、中には、ナチス党員の子孫がその思想に染まっているケースもあります。しかしその一方、マックスたちのような逃亡者は、今でもその記憶に苦しめられています。この道中は、復讐への旅であると同時に、過去の歴史が及ぼした傷跡を辿る旅でもあるのです。

 

 こうして、歴史の負の側面を辿っていく本作ですが、途中から、観客は徐々に違和感を抱き始めるのです。この点が非常に周到です。観ていると、「何故?」と思う箇所がいくつか出てきます。そしてこれらのピースがキチッとハマったとき、本作は「個人の復讐の話」から、「過去の歴史に端を発する悲劇」に変わっていくのです。この転換もそうですが、これまでの伏線を違和感なく張っていく脚本も素晴らしいです。

 

 このように、本作は、「90歳の認知症を患った老人の復讐劇」として観ても面白いです。ただ、それ以上に、観終わった後に、過去の歴史の傷跡についてやるせない気持ちになる作品でした。