暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

2人の青春と心の距離を濃密に描いた傑作【リズと青い鳥】感想 ※ネタバレあり

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98点

 

 GW中は諸事情により、映画が観られないという拷問のような日々を送っていました。6日にその諸事情も一段落して、少しは楽になりましたので、ようやくずっと観たかった本作を鑑賞しました。

 

 今年もちまちまと映画を観続けてまいりましたが、1年の折り返し点に近づいたこの時期にきて、ちょっととんでもないのが出てきてしまいました。エンドロールが終わっても、しばし茫然としてしまい、動けない自分がいました。現状、私の今年ベストかもしれません。

 

 本作は2015年と2016年で2回TVアニメ化された『響け!ユーフォニアム』のスピンオフ作品です。しかし、TVシリーズを見ていなくても独立した作品として楽しめます。内容はTVシリーズの2期に出てきた鎧塚みぞれと傘木希美の2人に焦点を当てたもので、「リズと青い鳥」という童話を挿入しつつ、彼女たちの心の機微を繊細な演出で映し出しています。そちらがメインであるため、劇中でストーリーらしいものは特にありません。

 

 監督はTVシリーズでシリーズ演出を務め、長編作品では『映画 けいおん!』『たまこラブストーリー』『聲の形』を務めた山田尚子さん。前々から凝った画作りと、キャラクターの心の機微を客観的に捉える作品作りに定評があった彼女ですが、本作ではそれが1つの頂点に達した感があります。また、同時に本作で、前作からあった彼女の持つ作家性もはっきりしてきた気がします。振り返って、『聲の形』がどれほど彼女に合っていた作品だったのか、が分かります。

 

 本作は、童話の内容を通って、学校に登校したみぞれが希美を待つシーンから始まります。この冒頭から既に鳥肌が立ちます。観た方全員が気付くと思うのですが、2人の動きとBGMが完全にシンクロしているのです。具体的に言うと、『ベイビー・ドライバー』状態です。しかもこのシークエンスはそれだけではなく、上履きの出し方、歩き方、話し方、2人の位置取りなど、2人を対比的に描くことで、両者の性格と互いの立ち位置を完璧に表現しているのです。インタビューによれば、ここは監督と牛尾さんでかなり綿密に打ち合わせたみたいですね。

 

www.lisani.jp

 

 それだけではありません。ここでは、2人の「距離」も明確に示されています。TV2期の第4話でとりあえずのわだがまりが解け、関係を修復したかに見えましたが、このシークエンスでの2人の歩いているときや椅子に座ったときに生じる僅かな物理的距離や、歩行速度の違い、そして上履きが床を叩く音の微妙なズレから、まだ2人の心には大きな隔たりがあると感じられます。そしてそれを裏付けるように出てくる dis joint の文字。この2人だけの空間に夏妃と優子が入ってきて、静謐さが消え、ついでに私もこれが『響け!ユーフォニアム』のスピンオフなのだと思い出しました。久美子と麗奈も出てきてテンションが上がりました。

 

 ここまでで15分です。このように、本作は全編に亘って台詞が少なく、代わりに画面の密度が異様に濃いです。1カット1カット、台詞の1つ1つに意味があり、世界の全てが彼女たちの感情を表現しています。故に観ている間は相当な集中力を要求され、90分という上映時間としては不釣り合いな体力を持っていかれます。しかしその分、濃密な時間を過ごすことができます。

 

 そこから話はみぞれにフォーカスを当てて進んでいきます。なので、観客は前半は「みぞれ視点」で希美との距離を感じていきます。希美の周りにはいつも人がいますが、みぞれは常に1人。みぞれにとって希美が世界の全てで、それ以外はどうでもいいと思っているのに、希美はどうやらそうでもないらしいということが、映像で示唆されます。それは別校舎で窓越しになされる光の反射を利用した遊びや、1人でフグに餌をやっているみぞれの姿、他の友人と一緒に帰る希美、といったものです。

 

 また、みぞれにとっての「世界」の認識も秀逸です。彼女にとって、希美が全てですから、どことなく周囲がぼやけていたり、周りに人がいないカットが多かった印象があります。

 

 そんなATフィールド全開な彼女に風穴を開けるのが、剣崎梨々花。彼女は何度かみぞれにアタックし、遂に普通に会話をするまでになります。この過程が後述する希美のターンのときに挿入されていきます。

 

 ここまで、みぞれにフォーカスを当てていました。そこで我々観客は、徐々に違和感を抱き始めます。それは「リズ」と「青い鳥」がどちらなのか、についてです。最初は、我々はみぞれがリズで、希美が「青い鳥」だと思っていました。しかし、観ていくうちに、後輩に囲まれている希美の姿が冒頭のリズとダブるのです。この違和感を抱き始めたとき、物語に転換期が訪れます。みぞれが音大の受験を勧められるのです。ここから、カメラは希美に寄っていきます。

 

 希美から見たみぞれは、才能あふれる存在でした。それを形として意識させられたとき、希美は無意識かどうかは知りませんが、みぞれに多く接してきます。まるで「みぞれとは対等でなければならない」と思っているように。しかし、接してきましたが、それと並行し、今度は梨々花を通して、みぞれにとっての世界が広がっていく過程が描かれていきます。ここで、実はリズと青い鳥のキャスティングは、実は逆なのではないか、と思えてきます。

 

 表面上は友達として接しているけど、どこかずれている2人。それは演奏にも表れています。この2人のずれを際立たせるように、本作には後2組の2人組が出てきます。1組は夏妃と優子。この2人は表面上は憎まれ口ばかり叩いていますが、中では互いのことを大切に想っています。もう1組は本家主人公コンビ、久美子と麗奈。彼女らはTV版の交流もあり、ある意味で互いのことを理解しあっています。このように、異なりながらも、互いのことを信頼しあっている2人組を置くことで、希美とみぞれの関係の違和感を増大させています。

 

 そしてその違和感が極に達したとき、2人の本音がカットバックで語られていき、我々は彼女たちは、彼女達自身がリズであり、相手が青い鳥だったのだと気づくのです。その時の演出で印象深いのが、中央を線で割って2人の顔を映す、というもの。上のインタビューを読むと、このシーンは、この答えを具体的に示したシーンだと思います。上のインタビューから引用します。

 

 コンセプトにあるものを言葉にするのは、少しはしたない部分もあるのかなとは思うのですが、ひとつ挙げると山田さんは「デカルコマニー(転写画)」という単語をおっしゃってて。これは心理学にあるロールシャッハテストのような手法を指す言葉で、その手法で描かれた図形は(中央の線を挟んだ)右と左が似ているけど違う形になるんです。たぶんそれがみぞれと希美の関係性に繋がっていくコンセプトだと思うんです

 

あのシーンは、まさにこれを表現したものだったのかなぁと。

 

 「青い鳥」を突き放すという愛を理解したみぞれは、ソロパートで全力を出し、希美を突き放します。その時の演奏がまぁ素晴らしい。魂持っていかれます。ここで示されたことは、2人の愛ゆえの決別という、TV2期第4話のさらに先にいったものです。そこから、それまで決して交わらなかった2人が「物理的」に密着し、想いの丈を打ち明けたシーンは感動ものです。しかし、決してエモーショナルな演出にはしておらず、むしろここにおいてさえ、俯瞰した映像を貫いていた気がします。ここら辺には、『聲の形』のラストを彷彿とさせられます。

 

 お互いに気持ちを伝えあった2人。その変化を示したラストが本当に素晴らしいです。基本的に、冒頭と同じことをしていますが、やっていることや立ち位置が全く逆で、冒頭の対比になっているのです。BGMにのせて、冒頭では同じ方向に進んでいた2人が、違う場所に行き、それぞれ違った未来へと向かっていくのです。

 

 本作の重要な要素として、「2人の未来」があると思います。冒頭とラストで彼女たちが進んでいる方向が違います。冒頭は「左から右」へ進んでいた彼女たちですが、ラストでは「右から左」へ進んでいます(違ってたらすまん)。さらに、場所が重要で、彼女たちは学校の「外」にいます。思えば劇中では、「学校の中」で物語が展開されていました。つまり本作は、まさしく学校という「箱庭」で生きる青い鳥が、自らの力で羽ばたく話でもあるのです。ラストで彼女たちが進む先にあるのは、これまでの学校ではありません。彼女たちがどこへ向かうのか。それは観客には分かりません。彼女たちにとっての「未来」が無限に開かれているという素晴らしいラストです。

 

 噛み合わなかった会話も一瞬ハモッて、 joint の文字。完全にノックアウトですわ。本作は非常に実写的な内容ですが、表現はアニメ的だと思います。だからこそ、こんなに心揺さぶられるのかもしれません。このように、本作は2人の少女の心の機微を繊細に演出し、2人の青春を完璧に描いた傑作でした。繰り返しますが、今年ベストです。

「英雄」を批評的に描いた作品。ただのチャーチル礼賛映画ではないと思う【ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男】感想

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85点

 

 原題は『DARKEST HOUR』。日本語訳すると、「最も暗い時間」。この題名の通り、主人公であるチャーチル、そしてイギリスにとっての、最も苦しい時間を描いています。それ故か、映画全体を通して、「闇」が強調された画作りになっています。チャーチルの初登場のシーンも、闇の中から光を伴って現れる、という今後の展開を示唆するものでした。この示唆というのは、つまりチャーチル自身がこの出口の見えない闇からイギリスを救う光であるということ。ここまで書くと、本作は伝記映画によくある「偉人凄い」映画ですけど、観終わった後、どうにもモヤモヤが残る作品でした。

 

 本作の最大の注目点は、やはりゲイリー・オールドマンでしょう。『レオン』のスタンスフィールドのキレた役、『ダークナイト3部作』のゴードンのような善人役など、役によって自らを豹変させる徹底した役作りで知られている名優です。そんな彼が今回演じるのは、ウィンストン・チャーチル。本作でも抜群の演技力を見せてくれます。最初こそ、「ゲイリー・オールドマンだ」と思っていましたけど、後半になると、もうチャーチル本人にしか見えません。ちょいちょい本人の写真とか出るのですが、違和感は全く無くなっています。本作は彼の豹変ぶりを観るだけでも価値ありです。

 

 目を見張るのはゲイリー・オールドマンの演技だけではありません。上述の闇を多用した演出、チャーチルの心情の変化と共に変化するよう計算されたカメラワーク、当時を再現した美術など、片時も気を抜くことが許されない濃密な映画となっています。

 

 中でも素晴らしいのは、本作をエンタメ作品へと仕上げた監督の手腕。というのも、本編のほとんどが男が突っ立って喋っているだけなので、下手な人が撮ると退屈極まりないところを、チャーチルの成長物語として魅せる内容にしているのはさすが。地下鉄にすら乗らず、国民の声も聴かず、ヒロイズムを振りかざしていた人間が終盤に地下鉄に乗って国民と同じ立場に立つシーンは、為政者に必要なものを彼が得たようで、非常に感動的です。

 

 このように、本作はチャーチルを今求められている理想のリーダーとして描いた作品のように見えます。しかし、そう感じると同時に、どこかモヤモヤが残る作品でもあります。というのも、彼が劇中で成したこと1つ1つを見ると、胡散臭さを感じるためです。

 

 まず、「決して降伏しない」と息巻いて「これ以上国民を死なせないため」和平へ持ち込もうとするハリファックスと対立しますが、チャーチルは無策なんですよね。無策なのに、ただただ「屈服してはならない」と言っているわけです。まぁ侵略者が来ていたら自分の大切な人を護るために戦いますが、ハリファックスの考えも十分理解できます。しかも、自分は演説してるだけ。これは俗に言うヒロイズムじゃないですか。また、キャッチコピーで「ダンケルクの戦いを制した」とありますが、劇中彼がやったことは案を思いついて電話しただけです。

 

 こう穿った視点で見ると、上述の感動シーンも違った意味を持って見えてきます。彼はあの行動の後、「国民の総意だ!」と言って議会を沸かせますが、聞いた人数は数人です。あの人数で「国民の総意」と言われてもな・・・。そしてここから、ひょっとしてあの行動は、議会で演説するため「国民の声を聴いたよ」というアリバイ作りだったんじゃないか、と思ってしまいます。つまり、「世論を上手く誘導した」感があります。

 

 しかし、考えてみると、本作はこの「モヤモヤ」こそが重要なのかもしれません。上のように考えて、私は1人の人間を思い出しました。そう、劇中何回も台詞で登場し、本物も一瞬だけ映るアドルフ・ヒトラーです。彼も国民をうまく誘導しましたし、チャーチルとは「演説が上手い」という共通点があります。ヒトラーは、チャーチルにとっての合わせ鏡だったのかもしれません。

 

 つまり本作は、英雄を批評的に見た作品かもしれないのです。伝記モノは、英雄の正の面ばかり取り上げ、負の面は描かれず、描写されても正の面を強調するために使われます。しかし、本作は正の面を描きつつ、チャーチルの持つ危うさも同時に描いていると思うのです。パンフレットには、「等身大のチャーチルを描きたかった」と何度か出てきます。正と負を両面併せ持つのが人間です。そして、「英雄」は見方を変えれば悪魔にでもなります。これを描くことは、まさしく「等身大」の姿を映していると思います。

より一般向けにした結果、前作が持っていた最大の特色が失われた作品【パシフィック・リム アップライジング】感想

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55点

 

 「もし、日本のロボットアニメ、特撮をハリウッドが本気で作ってくれたら」

 これは世界中にいる大きな男の子の夢でした。しかし、所詮は夢。叶わないものと多くの人間は諦めていました。しかし、ただ1人、諦めていない男がいました。男の名はギレルモ・デル・トロアカデミー賞で作品賞を獲るほどの腕前を持つ実力を持つ監督ですが、同時に筋金入りのオタクでもあります。そんな彼が自らのオタク魂を存分に注いで制作したのが前作『パシフィック・リム』でした。彼の夢を詰め込んだこの作品は、公開されるやいなや大きな男の子の心を鷲掴みにし、全世界を熱狂させ、未だにカルト的な人気を誇っています。

 

 何故この作品がここまでのカルト的人気を得たのか?それは、我々が求めていたアニメ、特撮的な「ツボ」を完璧におさえていたためだと思います。発進までのプロセス、技名をちゃんと言う、チェーン・ソード、音楽、主人公の機体が活躍する理由、そしてそれをストーリー的に違和感なく、カッコよく見せる演出など、特撮的な様式美を踏まえられていました。さらにそれが表面上の「オマージュ」に終わっていません。「巨大ロボ作品」が観たいのならば、マイケル・ベイ監督の『トランスフォーマー』シリーズを観ればよいのです。しかし、本作があちらと一線を画す点は、「オマージュ」が映画の中に自然に溶け込み、シーン毎に既視感があるにも拘らず、きちんとオリジナルの作品として昇華されている点です。しかもそれを190億円という目玉が飛び出るほどの予算を使って大真面目にやっているのです。

 

 そして5年という歳月が流れ、遂に公開された本作。禁断症状を起こしつつあったファンにとっては、待望の続篇でしょう。私も例外ではなく、気合を入れてIMAX3D字幕で鑑賞してきました。・・・しかし、観終わった今は、どこか落ち着いた気持ちがありました。というか、言いたいことがたくさんある微妙な作品となっていました。その理由を考えながら書いていきたいと思います。

 

 本作が前作と比べ、大きく魅力が削がれてしまった主な要因として、前作にあったツボが押さえられていないことが挙げられます。例えば、メインであるロボットアクション。前作は上述のように、監督の日本のロボットアニメ、特撮への愛が溢れていて、そこにフェティッシュすら感じました。ですが、本作ではその感じがごっそり抜かれ、ただただ東京をぶっ壊しているだけの展開が続きます。この監督がロボットと怪獣がただ暴れている姿が好きなのか、上の人間の意向の結果こうなったのかは知りませんが、ただただ残念です。この結果、本作はただの『トランスフォーマー』となってしまいました。いや、『トランスフォーマー』でも良いんです。でも、私が観たいのは『パシフィック・リム』なんですよ!

 

 また、戦闘の最中に微妙な外しギャグを入れている点にも疑問が残ります。せっかくシーンとして決まっても、そこはカッコいいままでいいと思うの。

 

 さらに、ロボットの登場シーン、稼働シーンにカタルシスがあまり無い気がします。これも大問題です。造形は前作よりも洗練されていて、それはとてもカッコいい。素晴らしい。色々なタイプのロボットを揃え、多方面に満足感を与える作りも良い。ですが、上述の要素が微妙。前作は出動までのシークエンスを1回は丁寧に描いていました。それが非常に細かく、監督のフェティッシュを感じ、我々のツボを直撃しました。しかし、本作はこの過程があまり描写されてない。しかも、初出動のときは、もうちょっと劇的にやろうよと言いたいなぁ。ジプシー・アベンジャーの初戦闘は襲撃の迎撃ですからね。そこはピンチの時にやってくるぐらいの展開は欲しいですよ。

 

 次に、ストーリーの微妙さを挙げておきたいです。宇多丸さんはご自身のラジオで、前作のストーリーを「50話あるロボットアニメの1話と2話と最終話を繋げただけ」と評していました。それになぞらえて書くならば、本作は「全25話くらいあるロボットアニメの総集編」だと思います。妄想すると、「起動篇」「シャオ社篇」「怪獣再来篇」の3篇を新規カットを用いて無理やり繋げた感じ。で、TVシリーズではシャオの社長は悪役だったんだけど、編集で繋げて善人にし、「彼」を悪役にストーリーを作り直したって感じです。

 

 故に、大きな問題が生まれました。本作は「新世代」がフィーチャーされていますが、そのキャラ全員の描き方が浅いのです。浅いのは主人公たちも例外ではありません。あまり描かれていないです。ジェイクは何故、戦う決意をしたのか。マコが死んだから、というのは分かります。しかし、それは無人機のせいであり、「イェーガーとして」戦うことの決意に直結しないと思います。しかも、「前の世代へのコンプレックス」みたいなものを抱えているのはジェイクぐらいな気がして、テーマが薄まっている気がします。

 

 テーマ的にも微妙ですが、ストーリーそのものも微妙です。彼女は何故技術者ではなく、パイロットとして採用されたのかとか、マコの死がほとんど無駄死にだったとかですね。

 

 このように微妙な点が多いくせに、妙に監督の趣味が入ってきます。ガンダム壊さなかったり。それが、前作で我々が大変危惧した「日本のロボットアニメの表面上のオマージュ」に近いもののような気がして、少しゲンナリしました。

 

 このように、本作は、「次世代へ繋ぐために、フェティッシュな要素を減らし、全世代向けにした」結果、前作が持っていた最大の特色を失ってしまった作品だと思います。ただ、白昼のバトルは良かったよ。

テロに遭遇した「普通の人々」の話【15時17分、パリ行き】感想

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90点

 

 近年、実話を撮り続けているクリント・イーストウッド監督。『ハドソン川の奇跡』以来2年振りとなる彼の最新作は、2015年にヨーロッパで発生した、若者3人が無差別テロを未然に防いだという実話でした。しかし、イーストウッド監督は、前作までとは違い、1人の「英雄」の話ではなく、我々のような「普通の人々」の話にしていました。本作はこれを様々な要素から成立させています。

 

 まず1つ目は、テロを阻止した「本人」をキャスティングしたこと。本作ではこれが非常に上手く機能していると思います。『ハドソン川の奇跡』ではトム・ハンクスを、『アメリカン・スナイパー』ではブラッドリー・クーパーというスターを使っていました。彼らにはオーラがありますから、1人の英雄の話なら良いと思います。ですが、「普通の人々」の話にするには、オーラがありすぎて説得力が無い気がします。そこで、役者でもない本人をキャスティングすることで、「普通」感を出そうとしたのかなぁと。

 

 次に構成です。話は3人が小さいころに知り合って、共に成長する姿を描いています。中でもフィーチャーされているのがスペンサー・ストーン。彼の半生を中心として物語は進んでいきます。しかし、この物語は、我々が考えているものとは少し違います。スペンサーの人生の1場面が映されていくのですが、その場面が物語的に繋がっていないのです。しかも、大した波も無い。リュック失くしたり、スペンサーが挫折したり、寝坊したり、ヨーロッパ旅行したりしています。映画って、普通はある1点に向かって伏線が張り巡らされて進んでいくものだと思っていますが、本作はそれらに物語的な関連性が低いのです。なので、本当に人生の1場面を切り取って映しているように見えます。

 しかし、これが実にいいです。これによって、まさに本作は普通の人々の「運命」の話になっていると思います。つまり、それまで意図せず積み上げてきたものが偶然結実する構造が出来上がっていると思います。こう考えると、本作の「列車」という舞台も自分の意志とは無関係に進んでいく「運命」を象徴しているようですね。

 

 この構成により、私は本作を観て、個人的に生きる希望をもらった気がします。スペンサーは、「人を救いたい」という想いのもと、生きていました。そして、曲道もありつつも、1つの結果を生みます。ここから、私は「今していることは、今は無駄かもしれないけれど、いつか何かの形で実を結ぶかも」と感じることができたためです。

 

 イーストウッドは過去の実話を基にした映画の中で、英雄を主に描いていました。ですが、彼は英雄と同時に、「アメリカ」という国を描いていたと思います。本作は「名も無き普通の人々」ですが、「アメリカ」という枠を超えて、世界のあるべき姿を描いていると思います。

 それは、「各国の協調」だと思います。スペンサーら3人はテロを未然に防ぎました。しかし、完全に彼らだけで防いだわけではありません。列車に乗っていた乗客全てが協力して事態にあたりました。彼らの国籍は様々です。ここから、メッセージを読み取ることができなくもないです。

 このように、本作は、テロを描きながら、世界へ向けたメッセージすら内包させている「映画」にしてしまうイーストウッドの手腕に感服させられる1本でした。

まさに「今」観るべき映画【ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書】感想

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80点

 

 アメリカ国防省ベトナム戦争に関する経過や客観的な分析を記録し、トップ・シークレットとなっていた文書、通称「ペンタゴン・ペーパーズ」。これを政府の圧力と戦いながらも公表しようとしたワシントン・ポストの面々を描いた作品。作中の舞台設定は1971年ですが、現在、日本でも似たような出来事が起こっているため、図らずもタイムリーな作品となってしまいました。

 本作は『大統領の陰謀』のような作品ではありません。『大統領の陰謀』等といった、ジャーナリズムを用いたエンタメ作品は、スクープをとる過程を重点的に描き、そこにカタルシスを見出します。しかし、本作は、その過程は描かれはしてもドラマチックではなく、どことなく淡々と進みます。そのかわり重点を置かれているのが、「この記事を公表するかしないか」という個人の葛藤です。その代表がキャサリン・グラハム。彼女はそれまで父と夫が作り上げてきたポストを護るために、記事を公開するかしないのか、という決断を迫られます。演じるのは名優メリル・ストリープ。周りの意見に振り回されていた女性が自立した存在になる過程を、抜群の演技力で演じています。彼女の決断によって新聞社各社が動き始めるシーンは大変なカタルシスを生みます。ちなみに、この「女性の決断によって世の中が動く」という展開も非常に現代的です。

 この個人の葛藤に焦点を当てることで、本作のテーマも見えてきてます。それは「ジャーナリズムってこういうものだよね」ということだと思います。というのも、キャサリンやポストの記者たちの原動力となったのは、ジャーナリズムの本分である「民主主義を機能させるための、権力の監視機関」という自負だったと思います。そして、情報を漏洩した役人も、理由は似たところがあったと思います。そして今、アメリカはもちろん、世界各地でフェイクニュースがはびこり、排外的な思想を持った勢力が力を伸ばしてきています。こんな時だからこそ、ジャーナリズムがしっかりして権力を監視し、国民に正確な情報を与えることが重要なのだ、と言いたかったのではないでしょうか。確かに、報道の自由から有名人の不倫とか相撲のニュースばっかりやられたらうんざりもしますけど、責務を果たしてくれれば、国民ももっと政治について考えることができると思うのです。もちろん新聞を盲信することは禁物ですけど。これは全世界的に通用するものでしょう。

 ストーリーばっかり書きましたが、ここで私が素晴らしいと思ったシーンについて。まず、活版印刷の下りです。映画的に撮られていて、めちゃくちゃ興奮しました。また、本作の「敵」の描写も秀逸でした。スピルバーグお得意の「見えないからこそ際立つ」恐怖演出。さすがですね。本作ではホワイトハウスがトラックであり、ジョーズでした。

 本作は、所謂「名作」ではないと思います。スピルバーグはこう述べています。「これは僕のツイートのようなものだ」と。事実、彼は本作を9カ月で撮ったそうです。ツイートとは、情報の波に吞まれ、一瞬で消えてなくなります。本作は、後世に残るような普遍性よりも、「今」に特化した内容となっています。故に、本作はまさに「今」映画館で見るべきスピルバーグ渾身のツイートなのですね。

一応【リメンバー・ミー】とリンクしたテーマだけど、長すぎ【アナと雪の女王/家族の思い出】感想

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40点

 

 『リメンバー・ミー』と同時上映の短編。ピクサー映画についてくる短編は毎回実験的なもので、結構楽しみにしてたりします。しかし、本国ではあまりのつまらなさと時間の長さから映画館のスタッフが対応に追われ、途中から上映を止めたとか。そんな情報を入れてから観てみましたが、なるほど、これは微妙です。

 内容は簡単で、オラフが伝統が無い姉妹のために、他の家の伝統を探すというもの。これは同時上映の『リメンバー・ミー』と似たような内容です。あちらも断絶した家族の記憶を蘇らせる話でした。

 これが短ければいいのですが、長いのです。その時間、約22分。TVアニメ1話分です。しかも内容も上記のようなオーソドックスなものなので、新鮮味も無く、『アナと雪の女王』の宣伝感が拭えない・・・。こちとら『アナ雪』にはそれほど思い入れも無いので、退屈でしたね。

「忘れない」ことで、人は生き続ける【リメンバー・ミー】感想

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80点

 

 国民的漫画『ONE PIECE』。この作品には、今なお語り継がれている名台詞があります。16巻に掲載されているDr.ヒルルクの最期の言葉です。

 

 「人はいつ死ぬと思う?心臓を銃で胸を撃ち抜かれた時・・・違う。不治の病に侵された時・・・違う。猛毒キノコのスープを飲んだ時・・・違う!!!」

 

 「人に忘れられたときさ」

 

 私が本作を観て最初に思い出したのが上記の台詞でした。これを読んだときは小学校低学年だったと思うのですが、それから10年以上経った今、ほぼ同じ内容の映画を観て号泣させられるとは思いませんでした。しかもそれを作ったのがあのピクサー。もちろん『ONE PIECE』に影響されたわけではなく、題材としたのはメキシコにある実在の風習「死者の日」。これは日本でいう「お盆」に非常に近いもので、こんなものを題材にして一級のエンターテイメント作品にしてしまうピクサーの実力には脱帽です。

 アニメーションのクオリティはもはや言及不要の素晴らしさ。もはや実写と見間違えても無理はないレベルまで達していると思います。特に本作で目を見張ったのが、英題にもなっているココさんです。皺とかリアルすぎて本物としか思えません。他にも背景とか素晴らしいですね。

 しかし、本作で最も素晴らしかったのが「死者の国」です。こう聞くと、我々はどこか悲しげな国を想像しがちですが、本作はその正反対。カラフルで陽気な国です。しかもそこには苦しみはありません。皆幸せに暮らしています。本作は、もうこの発想だけでもフィクションとして「勝ち」だと思います。

 また、その設定にも唸らされます。写真が無ければ生者の国と行き来できないとか、我々が普段していることを作品の中にスッと落とし込んでいます。しかもそれがテーマとも直結してるのですね。

 そしてやはりピクサーですから、シナリオも安定の完成度。最初に提示された要素が、後でパズルのピースが埋まっていくように進んでいくストーリーはさすがです。ミスリードもとても上手かったし(私は中盤まで完全に騙されました)、中盤でミゲルの正体がバレるくだりもきちんとした理屈があったりして、こういう点では隙が無い。

 こうして進むストーリーは、最後に普遍的なメッセージへと辿り着きます。それは我々は誰かから生まれ、そしてその誰かはまた誰かから生まれる。こういう積み重ねが確かにあったということです。そして、だからこそ、私たちは今ここに存在しているのです。そして、たとえ死んでも誰かが自分のことを覚えてくれれば、その人の中に永遠に生き続けられるのです。しかし、よほどの有名人でもない限り大抵の人はすぐ忘れるでしょう。だからこそ、家族が大切なのです。

 エンドロールも素晴らしかったですね。終わった後に出てくるアレです。アレにより、本作はより普遍性のある作品となったと思います。今の我々が生きているのは、先人が積み上げてきたものがあるからですよね(負債もありますけど)。こう考えると、ピクサーなんて、まさにそうですよね。技術を継承し、ブラッシュ・アップを重ねて今の地位にいるわけですから。

 しかし、気になったことがあったのも確か。まず、終わってみれば、ストーリーが完全に「ラストありき」になっていた気がします。これまでのストーリーも全てラストの「ため」で、それに従ってキャラを動かしていた気がしたのです。そしてそのせいか、中盤以降、どうにも展開が読めてしまった気がします(まぁそれでも面白いんですけど)。

 後、ココさんについて。何というか、証拠全部持ってたのね。これが分かったとき、どうにも遠まわり感が出てしまったというか。何というか。まぁ、ココに思い出させることが目的ですから、これは良いのかな。後は家族ですね。最初はイライラしてました。ダンテにも。最初足引っ張ってばっかだったし、覚醒してからも大して役に立ってない気がする。

 このように、言いたいことはあります。ですが、やっぱり面白いし、日本でも十分通じるテーマなので、観てよかったなぁと思います。