56点
言わずと知れたアガサ・クリスティーの代表作。ただでさえ事件の真相は有名なのに、日本では2015年に三谷幸喜さんがドラマ化しているため、余計に真相は知れ渡っています(映画のロビーで、おばさん達が予告を観ながら「これ、あれだよね」と盛大にネタバレしていたのが印象的でした)。しかも、映画版では1974年のシドニー・ルメット版が評価を得ていて、更に「ポアロのドラマ」といえばデヴィット・スーシェ版が決定版とされています。私的にはこちらのイメージが強いです。そんな中、「何故、今ポアロなのか?」という疑問を胸に抱き鑑賞しました。
結論として、上記の疑問にもあまり答えられていない作品でしたし、映画としても微妙な出来でした。
「ミステリー作品は映画には向かない」と言われることがあります。というのは、構造上どうしても観客の興味を持続させるものになるのが謎解きになるので、映画の大半はその捜査に費やされます。しかもその捜査は地道な聞き込みとか実況見分とかで、展開はとかく地味になりがち。更に人間関係の複雑さが観客を混乱させます。ここをどうクリアするか、が肝だと思います。
市川崑は、『犬神家の一族』において、ここら辺を物語の順序を入れ替えたり、コメディ・リリーフを置いたり、人間関係をいったん整理させたりして、かなり工夫をしています。ですが、本作ではそういった工夫はあまり見られず、ただ淡々とポアロが捜査して、真相を解明する姿のみ映しています。しかも伏線が周到に張ってあるだとかだったらまだ良かったのですが、明かされるのは犯人と被害者の過去のみで、それを以てポアロが力技で推理しているだけです。なので、観終わっても「あー、やっぱそうなんだ」という「原作の事実確認」だけで終わってしまっています。
しかし、工夫を凝らした個所もあるにはあって、具体的にはポアロの事情聴取シーンですね。毎回場所を変えるなど、絵的に観客を飽きさせない作りにしてはいました。さらに、合間にちょっとしたアクションシーンを入れたりしていましたね。でもさぁ、これは余計だったと思うよ。いらないし。
また、「最後の晩餐」の場面を挿入し、ポアロの最後の推理につなげるのとかは良かったですね。そこから、犯行シーンが映るのですが、それが犯人の持つ恨みを表現したかのような映像でしたね。
ここまで、ここまで、色々と不満を書きました。これらは映画としての不満です。ですが、個人的には本作はケネス・ブラナー主演の「ポアロ」シリーズ1作目としても、微妙だと思います。というのも、本作が「ポアロが変則的な行動をとる話」だからです。
冒頭、ポアロは言いました。「私の仕事は善と悪をはっきりさせること」だと。しかし、この事件は、それでは簡単に片づけられないものです。何故なら、被害者がどうしようもない人間だから。むしろ犯人の方に大義があります。しかし、殺人は許されるものではない・・・。これは上記のポアロの信念を揺るがすものです。そしてその先に、彼らしからぬ行動に出ます。これが良き余韻を残します。しかし、これって、「ケネス・ブラナーの」ポアロ像が確立されてからやる話のような気がします。あのラストも、「ポアロがこれをやるんだ」というサプライズが大きいと思いますし・・・。そんなことないのかな。
でも、映像は美しいし、工夫はあったので、次作あったらまた観るかも、しれないです。