暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

「違い」こそ最大の長所【ダンボ(1941年)】感想

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77点

 

 

 

 3月に公開された、ティム・バートン版『ダンボ』の予習の意味で鑑賞。実写版のほうは結局観なかったのですが、かといって本作を観たことが無駄になったかといえばそんなことはなく、名作とされているだけあってとてもいい作品でしたし、70年以上前とは思えないくらい現代にも十分通じる普遍的な内容が込められていた作品でした。

 

 本作については、まずダンボの可愛さにつきます。私は基本的に「かわいい」とかはあまり思わない性質で、むしろそれに群がっている連中に背を向けたがる男なのですが、ダンボにはやられましたね。やっぱり、生まれたばっかりだから反応が素直で、そこが刺さったのか、はたまた単純に造形的な面が刺さったのか・・・。ちょっと自分でも説明できません。まぁ可愛さなんてそんなものですよね。

 

 そしてもう1つは、アニメーションの素晴らしさ。キャラクターの動きは恐ろしいくらいヌルヌル動き、CGが入っているのかと錯覚するレベルです。ここはさすがディズニー、といったところでしょうか。さらに、キャラの動きだけでなく、アニメーションならではの自由自在な映像表現も健在で、よりにもよってダンボが酔っぱらって見る幻覚に使われています(これ、子供に向けられた映画だよな)。観てるとクラクラしてきます。

 

 本作で描かれていることは、実際はかなりシビアです。しかし、先述の通り、そこから発生するメッセージは、非常に現代的なものです。

 

 ダンボは見た目は可愛らしく、最初こそ他の象たちにも祝福されます。しかし、「耳が大きい」という「奇形」を持って生まれたがために、不当に差別されるのです。本作は可愛らしいダンボが繰り広げる大冒険的な話ではなく、「差別」と「奇形」の話だということが分かります。ダンボは「みんなと違う」からいじめを受け、みんなができることができないのです。中盤のサーカスで、その大きな耳に足を取られ大失敗を犯すシーンは、この点を強調していると思います。

 

 本作はマイノリティの話でもあります。マジョリティであるおばさん象連中にはいじめられているダンボですが、寄り添ってくれる者が現れます。それがネズミのティモシーです。彼は雄弁なネズミですが、物陰から出てきたり、ダンボと同じくおばさん象たちから毛嫌いされています。彼ものけ者なのです。そして、さらに加え、終盤で出てくるカラスもそうです。カラスの色は黒です。これはひょっとして・・・と考えてしまいます。

 

 そんな「除け者たち」の鼓舞を経て、ダンボは自身の欠点であった耳を以て、誰にもできなかった「空を飛ぶ」という偉業を成し遂げます。ここから、本作は、「誰にでも個性があり、それらを認め、伸ばしてやる」という当たり前の内容を読み取ることができます。割と物事を単純化させ、差別的なイメージを植え付けていた感のあるこの頃のディズニー作品の中でも(これは偏見かな)、かなり好きな作品です。

 

 

同じくディズニー作品。こっちは「レリゴー」する話でしたね。

inosuken.hatenablog.com

 

 ティム・バートンの代表作。

inosuken.hatenablog.com

 

2019年春アニメ感想①【さらざんまい】

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 「少女革命ウテナ」「輪るピングドラム」など、独特すぎる作品で知られる幾原邦彦。本作は、2015年に放送された「ユリ熊嵐」から4年振りとなる彼の最新作です。彼の作品はとりあえず見ますし、「少女革命ウテナ」と「輪るピングドラム」は好きなので視聴した次第です。

 

 幾原邦彦さんは、作風自体はとても独特です。バンクシステムを流用や、演劇を模したかのような演出、ハッタリ、ケレン、メタを駆使した構成など、作品は「幾原印」とも言える要素がたくさんあり、全体としてはキッチュな感じすらあります。しかし、その印象とは裏腹に、そこで描かれていたことは、中々普遍的なものだったと思います。だからこそ、私は彼の作品が変でも最後には感動してしまえるのでしょう。

 

 

 本作で描かれていることは、「人と人のつながり」です。普通ですね。しかし、幾原監督にかかれば、一筋縄では理解しがたいものになります。

 

 まず、本作の基本的な流れを書いてみます。「欲望搾取」からの「カワウソイヤァ」でカパゾンビが出現。一希をはじめとする3人の男どもは誰か1人の尻子玉を抜いてもらうことでカッパになり、「さらざんまいのうた」でカパゾンビの欲望をカッパらいます。そしてさらざんまいを発動させ、自信の秘密を漏洩させることで、「銀の皿」を獲得していきます。

 

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 基本的に各話の後半はこれをバンクで使い回していきます。本作はこれを繰り返して話が進んでいくのですが、話が進むにつれて、どんどん皆の秘密が漏洩していくのです。そして、この「漏洩」こそがつながりを描く上で必要なものなのだと思います。

 

 我々は、皆大なり小なり他人には言えない秘密を抱えています。本作の登場人物もそうです。一希はアイドルに女装して弟を欺いているし、燕太は一希に性的な意味で好意を抱いています。また、悠は殺し屋家業の手伝いとかしてるわけです。彼らは、これらの秘密=欲望を持っています。そして、各々がそれぞれ特別な人と「つながりたい」と考えています。でも、これらがバレたら「つながれない」から隠しているわけです。

 

 さらざんまいの漏洩は、これらの秘密を暴き、秘密を共有させることで、互いの真意を知り合うという機能を果たしているわけです。そして、その秘密を知った上で交流を結ぶことこそが、本当の意味での「つながり」であり、アイツらにとっての「成長」なのだと思います。

 

 この「つながり」については、具体的には、中盤の山場である、一希のエピソードが印象的です。家族とつながれず、疎外感を抱いていた彼が、「つながり」を友人と共に獲得するあの下りはとてもいいものでした。個人主義だ何だとか言われている現代人的には、この「つながりたいけどつながれない」は非常に普遍的なテーマだと思います。

 

 テーマは普遍的でありながら、外見は幾原節全開。まずはバンク。このバンクがもう、見ていて実に楽しい。何が起こっているかはよく分からないのですが、アニメーションがダイナミックな感じで、しかも過去作と同じく、歌もそれぞれが妙に中毒性があるもので、何回同じものが流れても飽きません。他にも、モブとか、キャラの設定が次から次へと明らかになる展開など、過去作と似ている要素はかなり多いです。

 

 しかし、本作には、過去の幾原作品とは決定的に違う点があります。それは、本作が「男の物語」である点。これまでの幾原作品では、男というのは、女の野望や、望みを叶えるための障害、若しくは犠牲でしかありませんでした。しかし、本作において男は、犠牲になるでもなく、最後に「つながり」を獲得します。さらに、女性キャラもほぼ出てこず、BLがメイン。玲央と真武の2人は泣かせましたね。この点は新しいのではないでしょうか。

 

 このように、本作はキッチュなもので普遍的な「つながり」を描くという幾原作品的な内容でありながら、男キャラが救済されるという、過去の作品とは少し違う内容も持つ作品でした。

まっすぐな思いが、人々をつなぐ【バジュランギおじさんと、小さな迷子】感想

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75点

 

 観たのは2月の始め。それなのに何故感想を書くのがこんなに遅くなってしまったのかというと、あまり言葉が出てこなかったから。これは感動したというよりも、本作があまりにも「いい話」であり、「良かったね」以外の感想がなかなか出てこなかったのです。そのため、感想をまとめるのが延び延びになり、今に至る、というわけです。しかし、いつまでも先延ばしにするわけにはいかないので、感想を書きますよ。

 

 本作の存在を知ったのは、wowowぷらすとで紹介されていたから。パキスタンに住む少女、シャヒーダーが、インドで母親とはぐれ、インドに住むパワンと出会うところから物語は始まります。ここからシャヒーダーをパキスタンに帰すロード・ムービーとなっていきます。

 

 本作はこのようにロード・ムービーの形式をとっていますが、そこに内包されているテーマは、インドとパキスタンの分断の歴史です。その分断を乗り越え、分かり合うことを、本作は主演2人に託しています。

 

 1人はパワン。ハヌマーンの熱心な信者であり、真っ直ぐな男です。演じるのは監督でもあるカビール・カーン。この男、一応「一般人」のはずなのですが、醸し出している雰囲気は完全にスターのそれ。いきなりスローモーションを使っためちゃくちゃケレン味のある演出で登場し、周囲の人間とダンスを披露、シャヒーダーと心を通わした後は、彼女を付け狙う奴ら相手に大立ち回りを繰り広げます。その姿はもはや「王」のそれ。バーフバリ!

 

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 一方、パキスタン側はまだ子供のシャヒーダー。この娘は幼いだけではなく、言葉を話せないという、庇護欲を掻き立てる要素の塊みたいな娘で、それはそれでズルいなぁと思うのですが、まぁ仕方ない。ただ、この「子供」ということは結構重要で、そこには「子供だからこそしがらみ抜きで付き合える」という点もあります。

 

 パワンは、純粋で真っ直ぐな男です。そんな男の行動が、ネットを通じて人々を動かし、国境を突破するラストはとても感動的です。しかも、しっかりと国境の間でパワンとシャヒーダーの2人が抱き合って終わるという、非常に綺麗な終わり方をします。

 

 本作は、パワンが持っているような「願い」をそのまま体現したような、非常に真っ直ぐで、純粋な映画だと思いました。

 

 

 同じくインドで記録的ヒットを記録した作品。

inosuken.hatenablog.com

 

 融和という点で似ているかと。

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前作をさらにスケールアップさせた2作目【ジョン・ウィック:チャプター2】感想

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88点

 

 

 キアヌ・リーヴスが素晴らしいガン・フーアクションを見せ、ロシアンマフィアを壊滅させた快作『ジョン・ウィック』の続編。10月に3作目となる『ジョン・ウィック パラベラム』の公開が控えていることもあり、遂に鑑賞しました。

 

 鑑賞してみると、本作は1作目にあった要素はほぼそのままに、スケール感を増大させた作品であり、「前作のパワーアップ」という意味では実に正しい2作目でした。

 

 

 前作は、キアヌが体を張って演じていたガン・フーが特に素晴らしかったです。ただ銃を撃つのではなく、体術を上手く絡めながら相手の動きを封じ、確実にヘッドショットを決めるという戦い方は、観ていてとても新鮮でした。前作はこれを軸にシチュエーションを幾つか設け、バリエーションに富んだ戦いを見せてくれました。

 

 本作でもこのスタイルは健在。ただ、1作目の二番煎じにならないよう、それぞれがきちんとパワーアップしているのです。例えば、ジョンが追っ手から逃げるときの銃を換えながらの戦い方とか、駅構内での敵と並行に歩きながら一般人に気付かれないように撃ち合うとか、ラストの鏡に囲まれた空間での撃ち合いとか、前作より更に進化しているところが見受けられます。

 

 これに加え、本作では体術もパワーアップ。鉛筆1本で敵を倒すとか、電車内のナイフでの戦いとか、バリエーションが豊富。総じて、本作は戦い方のバリエーションが多彩で、それが次から次へと出てくるので、観ていてとても楽しい。

 

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 また、本作では、前作ではそこまで描写されなかった殺し屋の世界がたっぷりと描かれます。ルールもそうですし、「中立地帯」での殺し屋達の会話やそこから感じられる彼らの美学、そして全世界にいる殺し屋の登場など、前作では語られるだけだったものがどんどん出てきて、世界観を広げています。さらに、本作ではコンチネンタルもフルで活用します。その準備の過程で、ジョンの普段の仕事を垣間見れた気がしますし、実に中二っぽいので、ここも観ていて楽しい。中二っぽいと言えば、あのダサい字幕も健在で、出てきたときは笑っちまいました。

 

 ストーリーについては、ぶっちゃけ前作以上にありません。妻との思い出の家を破壊されたジョンが、イタリアマフィアにはめられ殺し屋に追われるという、本当にただそれだけ。一応、復讐していくにつれてジョンが何かを失っていくという大まかなものはありますが、やっていることはアクションの連続です。しかし、そのアクションが新鮮で楽しいので、全く気にならん。

 

 以上のように、本作は前作の要素をさらにパワーアップさせた、正統派な続編でした。つーか、2作目でこれなら3作目はどうなるんだ。

 

 

前作。こっちも面白い作品でした。

inosuken.hatenablog.com

 

 とても良い続篇ということで。

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1人の男の罪と罰【ペパーミント・キャンディー】感想

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97点

 

 

 現在、『バーニング 劇場版』が公開中のイ・チャンドン監督の作品。私は存在は前から知っていて、観たいと思っていました。しかし、あいにくソフトは現在絶版でAmazonでは値段が高騰しておりとても手が出せず、しかも近場レンタル店では取り扱ってないという状況なので、観たくても観れないという状況が続いていました。そんな中、上映が決まった今回の4Kレストア版。絶対に観たいと思い、時間を何とか作って鑑賞してきました。

 

 鑑賞して、噂に違わずかなり重い作品で、1人の男の「罪」と「罰」を描いたものであり、人生についての話であり、魂の救済の話でもあります。観終わった後はしばし呆然とするくらい、素晴らしい映画でした。

 

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 本作は、キム・ヨンホが人生に絶望し自殺を図り、電車に向かって「あの頃に戻りたい!」と叫ぶところから始まります。この彼が自殺を図ろうとした理由を、彼の人生を切り取った7つのエピソードを遡っていき、オムニバス的につないで解き明かしていくというのが、本作の大まかな内容です。

 

 本作を「上手いなぁ」と思ったのは、このエピソードを観ていくにつれ、この主人公のキム・ヨンホに対する印象がどんどん変わっていく点。最初こそ、惨め極まりない状態でずっと泣いているので、私としても同情し、「さぞ辛い目に遭ってきたのだろう」と思わずにはいられませんでした。

 

 しかし、3つ目の〈人生は美しい 1994年〉からガラッと印象が変わります。コイツがかなりのクズ男だということが判明するのです。家具店を経営し金回りはいいものの、探偵を雇って浮気現場に強襲し、相手をボコボコニします。しかもそれだけでは飽き足らず、自分の妻にまで暴力を振るいます。そのくせ自分は別の女と浮気しているのです。控えめに言って最低で、奥さんに捨てられても文句など言えるわけないと思わせられます。また、途中で出てくる旧知の仲っぽい人間に対しても非常に高圧的な態度で接しています。「人生は美しい、だろ?」とヨンホが彼に言った台詞が、非常に傲慢なものに感じられます。

 

 さらに強烈なのが4つ目の〈告白 1987年春〉。ヨンホは家具店を経営する前、何と警察に身を置き、民主化運動を取り締まっていたことが判明するのです。『1987 ある闘いの真実』でも描かれた、権力側の人間だったわけです。コイツは。なので、普通に一般市民を拷問したりしています。しかもその拷問されている人間が前のエピソードで出てきた人。ヨンホ自身は奥さんと暮らし、赤ん坊も生まれそうというだけに、余計に行いがおぞましく感じられます。というか、そもそも1994年でもしっかり家具店かなんかを経営しているということは、コイツは上手いこと自分が犯した罪から逃げたことになります。ここまで考えると、余計に胸糞が悪い。

 

1987、ある闘いの真実 [Blu-ray]

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 しかし、終わりの方で、ちょっとした変化があります。ヨンホは行きずりの女性を関係を持つのですが、「初恋の女性を思い出して」と言われ、抱かれた時、彼その女性の名前を呼び、泣くのです。そしてその後は、我を失ったように彷徨い、「思想犯」逮捕の時もボーっとして何もしないのです。

 

 これはどうしたことかと思いながら次の〈祈り 1984年秋〉を観て、またヨンホへの印象が変わります。彼はこの時は新米刑事で、まだあどけなさを残しています。拷問にも非常に消極的で、警察の上司に対してちょっとした抵抗も見せたりします。しかし、あの「手の汚れ」から、彼が変容していくのです。上述の「初恋の人」スニムが会いに来ても、別の女性に手を出しているところを見せつけ、彼女が持ってきた「彼の夢」であるカメラの受け取りを拒否します。

 

 なぜスニムを拒絶するのか。その全ての答えが明かされるのが〈面会 1980年5月〉です。ここでの彼は、兵役中で、まだ足の怪我もなく、1984年よりもさらに純朴そうな人間です。そんな彼ですが、光州事件下で殺人を犯してしまいます。ここで全てがつながるわけです。要はヨンホは、この殺人の罪を、自身をダークサイドに落とすことで贖っていたのです。こう考えると、本作は「時代に翻弄された人間の話」と捉えることもできます。

 

 また、ここから、彼が自殺を決心した理由も、おそらく最愛の人であるスニムが危篤になったからだろうと想像できます。彼にとって、彼女は綺麗な思い出であり、だからこそ自分から遠ざけていたし、危篤となったから自分の生きる意味もなくなったと考えたのだと思います。軍のトラックが次第にスニムから離れていくシーンが非常に印象的です。

 

 そして映画は〈ピクニック 1979年秋〉へ。このシーンでは、ひょっとしたら、ペパーミント・キャンディーで味消しできるように、一巡してヨンホが人生を「やり直せる」可能性が示唆されています。もしそうだとしたら、今度こそは、彼の人生が幸せであるように祈らずにはいられません。

 

 

 1987年の民主化運動を題材にした作品。

inosuken.hatenablog.com

 

 光州事件を題材にした作品。

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ある意味で湯浅監督の到達点【きみと、波にのれたら】感想

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87点

 

 

 昨年、アヌシー国際アニメーション映画祭において、宮崎駿高畑勲以来、日本人監督として最高賞であるクリスタル賞を獲得した鬼才、湯浅政明。興行的な成功はまだありませんが、制作本数、そして各国の評価に関していえば、アニメーション監督としては、おそらく日本で最も勢いのある方だといえます。そんな方が次に放ったのは、何と正統派ラブコメ作品でした。おいおい大丈夫なのか?と思いながら劇場に足を運んで鑑賞した次第です。

 

 鑑賞してみると、想像以上に「普通の」ラブコメであり、それ故に湯浅監督「ぽくない」作品に見えるものでした。しかし、それはあくまでも「表面上」の印象であり、中身を観てみれば何てことはない、いつもの湯浅作品の要素がぎっしり詰まっている作品でした。そして、表面上は「ぽくなく」見えるからこそ、これまで湯浅監督が目指してきたことが形になっている作品であり、その点では彼の到達点かもしれないです。

 

 湯浅政明監督と言えば、長編デビュー作『マインドゲーム』からその濃厚すぎる特色が前面に出ていた方でした。エッジの効きまくった演出、ドラッギーなアニメーション表現、独特のパースなど、観れば一発で彼の作品だと分かるものばかりです。しかし、その作品の中身とは裏腹に、彼自身は常に「大衆受け」を考えていたそうです。でも作っていたのは食人鬼とハンターの恋を「タイガーマスク」の絵でやったバイオレンス・ラブストーリー「ケモノヅメ」とか、キャラクターはポップだけど観念的な「カイバ」とかなのです。「四畳半神話大系」以降は原作付きのものを手掛け、ある程度の大衆性を獲得していき、その果てに作ったのが『夜明け告げるルーのうた』だったのです。

 

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 この変遷を辿っていけば、本作は、ティーンエイジャーの子たちが好むような超王道のラブコメ作品となっており、湯浅作品史上、最も「普通」な作品となっており、それ故に1つの「到達点」と言えると思うのです。

 

 本作を観て感心したのがキャラのチューニングぶり。『DEVILMAN cry baby』でも組んだ小島崇史さんのキャラデザはアニメよりと言えばそうなのですが、しっかりと一般層でも観られるものにしています。また、各々のキャラクターもかなり一般層寄りにしています。でも、その中でもひな子のかわいさや洋子のツンデレぶりはきちんと描かれていて、魅力あるキャラになっています。この一般層とオタク層へのバランス感覚がとても良かったです。

 

 内容も「普通」。ひな子が港と知り合って恋に落ちるも死に別れるという、徹底して王道ラブコメの道を行きます。普段ならば「くっだらねぇ」と100%の偏見を持って観ない内容なのですが、そこはさすが湯浅政明。2人の突き抜けたバカップルぶり(多分、アニメ史に残るレベル)を見せつけてくるも、「下らない」とは思わず、寧ろ2人の姿が本当に良いもので、気恥ずかしさがあまりなく見られるのです。

 

 この2人の交流のBGMに流れるのは思い出の曲である「Brand New Story」。洗脳レベルで何回もかかるので耳に残りますし、印象付けられたおかげでEDにかかってきたときには、2人の思い出が思い出され、ちょっと泣けるくらいにはなっていました。

 

 このように、表面上は「普通」すぎる本作ですが、その中身はきちんとした湯浅政明印で、人と人の「つながり」の話でした。これは、湯浅監督が一貫して描いてきたことだと思います。映画で言えば、『マインドゲーム』と『夜は短し歩けよ乙女』、アニメシリーズでは最近の『DEVILMAN cry baby』はモロに「つながり」と「継承」の話でした。

 

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 本作のタイトルである「波にのれたら」の波は人生の波です。湯浅監督はこれまでの作品で、「心の持ちようで、世界は変わる」と訴えていました。ひな子は自分に自信が持てず、それ故に何でもできる港に惚れるわけですが、その港はひな子に救われたことで今の自分になったことが分かり、自分の道を決めていく、つまり、恋人を失った悲しみを乗り越え、「波にのる」わけです。だからこそラストのひな子の姿は感動的であり、同時に前向きになれるものでした。

 

 他には、やはりアニメーションの素晴らしさですね。特に、「水」の表現が最高です。ラストの波の表現に至っては、湯浅監督恒例のアニメーションの爆発シーンが素晴らしく、ひたすら心地よい、快楽漬けみたいな気分になりました。また、オムライスやコーヒーなどに現れている飯テロシーンも素晴らしく、上映中、劇場内にいた子どもが「美味しそう」と言っていたのが印象的でした。

 

 このように、本作は一見「湯浅っぽくない」作品ですが、きちんと観ればいつもの湯浅印であるという、作家性と大衆性を獲得した作品だと感じました。

 

 

 昨年湯浅監督が送り出した傑作。

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 水と、ラブ・ストーリーってことで。

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1人の女性の、人生のはじまり【旅のおわり 世界のはじまり】感想

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88点

 

 

 日本人監督として、おそらく世界で最も評価されている監督の1人、黒沢清。これまでホラー、サスペンス、SF、ヒューマン・ドラマなど、実に多彩な作品を作り続けてきた彼が次に放ったのは、ウズベキスタンで自分探しをする女性の話でした。私は黒沢作品はとりあえず観るようにしているので今回鑑賞したのですが、本作はとにかくこれまでのどの黒沢作品とも違う雰囲気を持った作品であり、タイトル通り、人生の迷子になった1人の女性の「旅のおわり」と、彼女にとっての「世界のはじまり」を描いた、個人的には素晴らしい作品でした。

 

 黒沢監督は、これまでの多くの映画で女優を映してきました。『回路』では麻生久美子、『岸辺の旅』では深津絵里、『散歩する侵略者』では長澤まさみといった具合に(『贖罪』は観れてない。すみません)。しかし、それらの作品では、彼女たちは中心ではあっても、まだ外部が描かれていたと思います。そこにいくと本作は、前田敦子が出ずっぱりの作品で、それは比喩ではなく、彼女がいない画面は無いと断言してもいいくらいの出ずっぱりぶりです。この点で、本作は上記のどの作品とも一線を画していると思います。

 

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 この前田敦子演じる葉子は、徹底して他者とのコミュニケーションを拒否する人物として描かれています。愛想よく笑って喋るのはリポートをしているとき、カメラの前だけです。それ以外は徹底して無表情で、会話をしようとしません。本作では、この葉子と他者との隔絶を、『回路』や『岸辺の旅』でも見せた、黒沢監督お得意の画面の層を重ねる手法で描いています。上記の2作品で見せた手前(=生者の世界)と奥(=死者の世界)という画面の層の使い方を応用し、葉子が1人でポツンと立っている様子を撮るとき、手前の彼女と奥のクルーたちとはまるで「違う世界」にいるかのように撮っています。これによって、ディスコミュニケーションぶりを強調しています。

 

 そんな、まるで「違う世界」にいるかのように心を閉ざしている彼女が、唯一心を許しているのが日本にいる彼氏です。本編にはまったく出てこないのですが、LINEでやり取りをするときにだけ見せる彼女の笑顔を見る度、「本当に辛いんだな」と何とも切ない気持ちにさせられますし、同時に心を許せる人間が本当にいないのだなと思わせられます。これにより、葉子がより「向こう側」の人間に思えてきます。

 

 では、何故彼女がそこまで心を閉ざしているのかというと、現実と理想とのギャップで、人生の迷子になっているから。彼女は本当は歌手になりたいらしいのですが、実際にやっているのは過酷なリポート。このギャップにやるせない気持ちになり、「私何やってんだろ」という気持ちになっているのです。多分。そんな「迷っている」からこそ、どこにも行けない、自分と同じような山羊を解放したくもなるのです。

 

 

 精神的に迷子な彼女ですが、それを体現するように、現実でも都合3回、ウズベキスタンの街を彷徨います。そしてその度に、新しい「何か」を発見するのです。1回目は自分と同じように、どこにも行けない山羊、2回目は「理想の自分」、そして3回目の迷子で、署長の言葉から、「分かろうとしなければ、分かり合えない」ことに気付きます。

 

 3回の彷徨の末、少しだけ自分の思う通りに映像を撮り始めた彼女ですが、ここからのラストが圧巻。撮影クルーから離れ、1人で山中を散策していたとき、山羊(=自分自身)にもう一度出会い、突然「愛の讃歌」を歌い出します。ここはもう『サウンド・オブ・ミュージック』みたいな感じで素晴らしいのですが、このシーンで、彼女は「歌手志望である」ことをもう1度ハッキリさせ、この現実と折り合いをつけ、夢を追う決心をしたことを示唆しているのです。ここで、彼女の長い「旅」がおわり、ようやく新しい「世界」がはじまったのです。

 

 ここで、前田敦子さんについて書いてみます。彼女は、ご存知の通り、元AKB48のセンターでした。そして引退後は、女優志望だったこともあり、今は目覚ましい活躍をしています。この前田さんの経歴そのものが、劇中の葉子と被るところが多いのです。だから、葉子の苦労とか悲しみが非常にリアリティのあるものとして映り、それ故に本作は、私には前田敦子のプライベート・フィルムとしても観ることができました。

 

 誰しも、生きていれば迷うときもあると思います。そしてそんなときは、本作の葉子のように、周りとの関係が煩わしくなる時もあります。そんなときでも、現実と折り合いをつけて頑張っていこうとすることは、非常に普遍的な内容だと思います。故に、私にとって、本作は素晴らしい作品でした。

 

 

サイコサスペンス。こっちも好きです。

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 こちらの方が本作に近いかな。

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