暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

2018年春アニメ感想③【ソードアートオンライン オルタナティブ ガンゲイルオンライン】

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・はじめに

 大ヒットアニメ『ソードアートオンライン(以下SAO)』。そのスピン・オフ作品。実は、私は本家のSAOはTVアニメ1期しか見ていないニワカです。なので、この記事の中でSAOについての言及があった場合、基本的に1期までの知識でモノを言っています。すいませんね、何か。そんな私が何故本作を視聴したのか。それは『キノの旅』の原作者コンビ、時雨沢恵一先生と黒星紅白先生の作品だからです。原作も1巻だけ買って読んでいます。基本的に面白かったのですが、文体がですます調で非常に違和感を覚えたので続けて読むことを断念してしまいました。その程度には作品を知っていたので、作品を応援する意味も兼ねて視聴した次第です。

 

・本家『SAO』と本作

 本家のSAOは、最初のアインクラッド篇では「ゲーム内の死=本当の死」という文字通りのデス・ゲームが繰り広げられ、続くフェアリィ・ダンス篇ではデス・ゲームという設定が消え、緊張感こそ減りましたが、「囚われのアスナを奪還する」という目的がありました。さらに、これらの目的と並行して、ゲーム内で少年少女の葛藤やら何やらも語られていきます。このように、本家は舞台をゲームに移しただけで、やっていることはそれまで出てきた王道のエンタメ作品と変わりません。だからこそここまでヒットしたのかなぁなんて思います。後は俺TUEEEEか。

 

 本家はこんな感じでしたが、代わって、本作はどうかと言うと、「ゲームである」ことが本家以上に強調された作りだったと思います。本家のように複数のゲームを渡り歩いたりはせず、「ガンゲイル・オンライン」という1つのゲームの中で話が展開され、皆が戦う理由も「銃器マニアの作家」が用意したイベントですから、そのように感じるのだと思います。また、何回か1人称視点が出てきたのも印象的でした。まぁ、そもそも、銃マニアである時雨沢先生がSAOのGGO篇を読んで「本気でサバゲーができる」と思ったところから原作の企画がスタートしているので、それは当然の結果なのかもしれません。

 

・「ゲームである」ことを強調した功罪

 ただ、こうすると本家にあった緊張感が薄れてしまうと思います。いくら主人公たちがピンチに陥っても「まぁゲームだし」と思ってしまい、そこまでハラハラしないのです。そこらへんは時雨沢先生も分かっているようで、対策としてピトフーイを破滅願望を持つイカれたキャラにすることで、本家にもあったデス・ゲーム感と緊張感、レンが戦う理由を出そうとしていました。しかし、個人的な感想を書くと、これは結構無理くりな気がして、見ている間は最後までよく理解できませんでした。というのも、最後までキャラが良く分からなかったんですよね。

 

 以上の理由ではノレませんでしたが、レンが「今、何があり、どういう選択をすれば相手に勝てるのか」を考える戦いに勝つためのプロセスは見ていてそれなりに楽しめました。まぁ若干レンがチートすぎな感じがしなくもないのですが。

 

 また、「ゲームである」ことを強調したことでエンタメとしての面白さが薄れたと書きましたが、その代わりに、それを逆手に取った表現方法も見られました。肉体の損傷描写です。ゲームであることを良いことに、四肢が千切れる、首ちょんぱ、胴体真っ二つ等、リアルな世界だったら絶対に表現不可能なものに挑んでいます。スピルバーグ並の発明じゃないか(笑)。 

 

・ストーリー

 ストーリーも時雨沢先生が3の倍数ごとに一区切りつけるという法則が功を奏したのか、上手くまとまっていました。最初にレンがMとチームを組んで戦っていたことで、セカンド・スクワットジャムでのレンの指揮ぶりに説得力が出たり、序盤の要素が終盤で回収されて物語が動き出すところとか、最後にピトフーイの正体が分かるなど(まぁ大半の人は序盤で気付いてたと思うけど)、ちょうどよく終わっています。

 

 ただ、やはり時雨沢先生、盛り上がりの展開を作るのがあまり上手くない。第11話の自爆展開とか、直前のあのテンプレやりとりを聞いてて少し恥ずかしくなりましたし、第12話の仲間の行動も正直意味が分からん。しかもキャラクターの言動が妙に芝居がかっているor痛々しいのも何だかなぁ。

 

・おわりに

 このように、ストーリーは程よくまとまっていますが、「ゲームである」ことを強調した結果、今一つ乗り切れない作品だったかなと思います。ただ、『SAO』のスピン・オフと期待して見ると肩透かしを食らうかもしれません。

 

 

同じ原作者のアニメ化作品。こっちも言いたいことがたくさんありました。

inosuken.hatenablog.com

 

 

 原作小説。文体が本編と合っていない気がして、少し読み辛い。

 

2018年春アニメ感想②【ゴールデンカムイ】

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 『ヒナまつり』とは違い、こちらは原作既読。原作は自らが「闇鍋ウェスタン」と書いているように、「金塊を探す」という目的の下に様々な魅力的なキャラクターの思惑が交錯していくという王道の展開を軸とし、そこに豊富なアイヌ知識、アイヌグルメが挟まれるなど、多様なジャンルを取り込んでいます。なので、多角的な楽しみ方ができる作品で、よっぽどのことが無い限り失敗はしないだろうと思っていました。

 

 ただ、それ以外でどう処理するのか心配になった箇所もありまして。というのもこの漫画、相当ヤバいのです。出てくるのはサイコパスか変態ですし、下ネタやグロ描写も豊富。こんなBPO案件の塊のような漫画なのです。また、その他にも原作は見開きのショック演出とか、漫画ならではの表現も多用していて、そこをどうアニメに落とし込むのかも気になっていました。

 

 実際に見てみての感想ですが、素直に楽しめました。確かに、12話に収めるために端折った箇所も結構あったり、扉絵と次のページの動物ギャップが無かったりしたのは残念でしたが、これは読み返して分かったことで、忘れて見ている分にはテンポが良く、見やすかったと思います。楽しめたのは杉元とアシㇼパの信頼関係をしっかり描けていたからかな。ただ、杉元の梅ちゃんに対する気持ちは第1話の時点できちんと入れておくべきだったとは思う。あれがあると無いとでは動機が違って見えてしまうから。

 

 また、上述の漫画的表現については、カットの変わり目を使うことで処理するという堅実なものでしたね。さらに、雪山での動物がモロCGだったのも考えてみればよかったかもしれません。あれで「人間とは違う存在」感が出た気がします。

 

 ただ、全体的に気になったのは作画。ひどく崩れた回は無かったと思うのですが、その代わりに全体的に紙芝居な回が多かった気がします。動いても口だけとかね。多分、相当なファンだったらかなり気になってたかも。

 

 このように、思うところが無いわけではありませんが、全体的には楽しめました。

痛快娯楽時代劇をそのまま体現した作品【用心棒】感想

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94点
 

 ・はじめに

 巨匠・黒澤明監督の名作時代劇。午前十時の映画祭9にて鑑賞。私のような若い人間には、名画座ではなくシネコンでこういった名作を観られるというのは本当にありがたいです。朝起きるのが大変ですけど、感謝しかありません。

 

・痛快

 「時代劇」と聞いて真っ先に連想するのは、『水戸黄門』のようなワンパターンな連続シリーズか、往年の東映映画の様なチャンバラ。ですが、本作のメインはこのようなものとは違い、「力」を誇示している人間を三船敏郎演じる風来坊が翻弄し、終いには両方とも全滅させるという”痛快”という表現が本当にぴったりくる作品でした。

 

 本作で描かれていることはつまり、「力を誇示してばかりの人間は一皮むけば皆バカ」であり、それに群がる人間もバカ、ということだと思います。彼らは力を誇示し、宿場を牛耳っています。表面上はとても強そうです。ですが、そこに桑畑三十郎(仮名)がやってきて翻弄することで彼らの本性(=バカ)が見えてくるさまはまさしく痛快の一言。両者をそれぞれ画面の端に置き、真ん中の塔で高みの見物をしている風来坊がこの精神を端的に表しているようです。そう考えると、本作にはやたらと「実績」を自慢したがる連中がいます。序盤で腕を切り落とされた奴とか。外見の強さにだけ頼ろうとしているのです。でも、「外見上の強さ」しか見ていないから、藤田進演じる用心棒にコロッと騙されるのです。

 

 また、翻弄され、手玉に取られる一家を観ていると、何だか笑えてきます。序盤のいがみ合って互いに手出しできないさまはさながら中学生が喧嘩で先陣斬るのをビクついているようにしか観えません。このように、作中の半分くらいを翻弄される一家を描くことに使っているため、笑えるシーンが多く、全体的にコメディっぽくもあります。

 

・主人公

 本作で特筆すべきものとして、三船敏郎演じる主人公が挙げられます。卓越した実力を持ち、一家を翻弄するほどの頭脳を持っている。しかし、どこか情に厚く、困っている人間を見捨てられない面もあります。このような完璧超人な彼ですが、三船敏郎が演じることで、抜群の説得力を得ていると思います。このため、本作は三船敏郎のスター映画と言えます。本作が三船の背中で始まり背中で終わることからもそれを感じ取れます。

 

・娯楽時代劇

 上述のように、本作には偉ぶっている奴らが翻弄されている痛快さがあります。これに加えて、本作には観客を興奮させてくれる娯楽性も完璧に備えています。三船が要所要所で行う、当時としては画期的な、様式美に囚われないチャンバラはとてもカッコいい。そして何より、ラストが素晴らしい。あの最終決戦は本当にあがる。さらに全てが終わった後、三十郎(仮名)の「あばよ」とともに映画が終わる切れの良さ。興奮冷めやらぬ中終わるため、終了後もしばし余韻が残るのですよね。このキレの良さは今の映画には無いなぁと。いや、『リズと青い鳥』はあったか。

 

・おわりに

 本作は、まさしく”痛快”な娯楽時代劇です。細部の作りも大変凝っていて、観ている間は夢の様な時間を過ごすことができました。ありがとう、午前十時の映画祭。

体感時間は5分。傑作映画の完全版!本作をさらに称えよ!【バーフバリ 王の凱旋 《完全版【オリジナル・テルグ語完全版】》】感想

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95点

 

・はじめに

 願いは叶う。王を称えよ、仕掛け人を称えよ、監督を称えよ、そしてこの映画を称えよ。

 

バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!バーフバリ!

 

 全マヒシュマティ国民待望の『完全版』。私も上映決定の情報を知った時から大変楽しみにしていました。しかし、他にも観たい映画があるし、しかも時間が少ない。なので観たのはセカンド上映ででした。

 

・インターナショナル版との違い

 本作は先んじて公開された『インターナショナル版』に約26分の時間を足したものです。時間は足されているのですが、観てみると足された感じが全くないです。前作にあった次々と見せ場を出していくジェットコースターのような展開はそのままに、より各キャラの内面を深掘りした内容になっています。中でも最も深く描写されているのはデーヴァセーナ。『インターナショナル版』には無かったミュージカルシーンが追加されたことで、彼女がバーフバリに惹かれていっていることが分かり、より魅力が増しました。つーか、何故カットしてたんだ・・・。また、時間が足されたことでブツ切りカットがほとんど無くなったのはプラス評価。展開の余韻に浸れるようになっています。これは監督のインタビューの通りでした。

 

・全部盛りの内容

 また、改めて観てみると、本当に「全部盛り」だなと。王道の貴種流離譚を軸にし、宮廷もの、姑とのいざこざ、外連味溢れるアクション。それが1つにまとまっているからこそ、本作は名作だし、ここまで評価されているのだなぁと思います。

 

・おわりに

 『完全版』になり、本当に完成した『バーフバリ』。上映時間が増えたのも気にならないくらいの面白さ。体感時間は5分です。ココから観ても全然OKですね。

 

 

 

 『インターナショナル版』の感想です。

inosuken.hatenablog.com

 

 

2018年春アニメ感想①【ヒナまつり】

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 原作未読。それでも見始めた動機は単純で、公式サイトの『E.T』パロディとあらすじが面白かったから。こんな適当な動機で見始めたのに、終わってみれば今期の個人的ベストの作品と言えるくらいハマっているのだから、本当にアニメは見てみないと分からないものですね。


 ある日、インテリヤクザの新田義史の元にヒナという謎の超能力少女が現れる。どうやら彼女はある組織から使命を受けてやってきたらしい。脅迫されて色々あって新田は彼女と共同生活を始める。というギャグアニメ。


 「超能力少女が普通の人間と共同生活する」これだけ聞いて私が思い出したのは、昨年の4月から6月まで放送されたアリスと蔵六』。しかし、見てみると、本作はあれほどハートフルな成長の内容ではなく、描かれるのはとても生々しい「成長」です。作中最も感動的なエピソードが多いのはアンズだと思うのですが、彼女の場合、ホームレスに身をやつし、ホームレス生活を通してお金の大切さ、労働の大切さ、人間のかかわりの大切さを知っていくのです。しかしそこで描かれるのは地味にリアルでシビアな現実。ホームレス稼業で1日で稼げるお金が瞳ちゃんのバイトの時給の半分くらいだったり、段ボールハウスで生活したり、「もったいないから」という理由で水でシャワー浴びてたりします。後半のラーメン屋の店主の反応は我々視聴者の反応そのままです。


 他のヒロインもだいぶひどい。普通の人間の瞳ちゃんはヒナに関わったばっかりにゲスな大人に違法労働させられ、中学生にして社会の厳しさに直面し、マオは無人島の1人暮らしからの大陸横断という背負わされるわけで。


 一方、メインヒロインのヒナはどうかと言えば、こちらは別の意味でひどい。金持ちの新田の家にたまたま落ちただけで贅沢三昧の日々を送っています。そこで培われた人間性が他のヒロインたちと全く違うものになっているのがまた面白い。


 本作で凶悪なのは、これら全てをギャグで処理している点。基本的なボケと突っ込みのテンポがとても良かったり、独特のシュールなノリがあるので、それだけで笑えます。本作はそれに加えて、やっていることはシリアスなのに、演出がギャグなので、見終わって、泣いたらいいのか笑ったらいいのか深刻になればいいのか全く分からないという複雑な感情に襲われます。なので、いい話があっても、「こ、これはいい話、なのか?」とか考えてしまいます。また、作画も無駄に良いため、そこもツボです。

 

 このように、ギャグでありながらたまに感動的で、それが独特の空気を生んでいる作品で、毎週笑えたいい作品でした。2期あったら見たいなぁ。

 

 

 

 

 原作漫画。読んでみようにも時間と金が・・・。

ヒナまつり 1 (HARTA COMIX)

ヒナまつり 1 (HARTA COMIX)

 

 

 BD。これはどうすっかな。

 

三浦しをん、恐ろしい子!【ビロウな話で恐縮です日記】感想

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著:三浦しをん

発行所:株式会社 新潮社

 

・前置き

 三浦しをん先生がブログで公開していた日記をまとめ、単行本化したものの文庫版。最近、エッセイを読むことにハマっていまして、そんな中、本書がアトロクで紹介されており、興味を持ったので購入して読みました。

 

・本文

 本書も読んで、まず思うことは、「ビロウ」って何だ?という疑問です。タイトルにカタカナで書いてありますが、不勉強な私は全く知らず、また本書の中にも三浦先生本人による解説はありません。仕方がないので辞書を開きました。そこにはこう書いてありました。

 

 1.不潔であること。また、そのさま。

 2.わいせつであること。また、そのさま。

 

 なるほどな、つまり本書のタイトルを訳すと、『不潔、もしくはわいせつな話で恐縮です日記』ということですか。どんなタイトルだ。そう思って本を開きました。そしたら目に飛び込んでくるのはBLとか独創的な夢の話とか、誰も聞いていない著者の好みの話とか、「あぁ、これはメンドくさいノリだ」と思える文章のオンパレード。何という尾籠な日記なんだ。本書には「日記とは、自意識の表れだ」と書いてありますが、こりゃヤバいな。そう思えるほどの奔放な内容です。しかし、その尾籠すぎる日々の中にスッと出てくる彼女の観察力とか何かに対する集中力には「プロ」の力を感じます。

 

 ただ、読んでいて不快だったかと言えば全くそのようなことはなく、とても面白かったです。何よりこういうエッセイ風な本の醍醐味だと思っている「作家の本性」を垣間見ることができます。作家の普段の思考を知ることで、その人の作品を読んだ時に感じたことが分かったりして、作品を別の角度から楽しむことができます。私は三浦しをんさんの小説は『舟を編む』しか読んでいないニワカですが、本書を読んで、三浦先生は馬締と西岡を使って色々と妄想していたのだろうか、なんて思ってしまいましたね。エッセイ集としてとても面白く読みました。

 

 

ビロウな話で恐縮です日記 (新潮文庫)

ビロウな話で恐縮です日記 (新潮文庫)

 

 

普遍的な成長物語であり、フィクションが持っている力を再確認できる映画【ブリグズビー・ベア】感想

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74点

 

・はじめに

 最初は観る気が全くなかった作品。しかし、日曜日に用事が終わった後に『バーフバリ 王の凱旋 完全版』を観ようと思っていたのに、用事が長引いて時間的に観に行けず、それなら『焼肉ドラゴン』でも観るかと思ったのですが、何とこちらも良い時間が無いという悪夢。どうしようかと思っていたらTwitterでフォローさせていただいている方が激推ししていたので、たまには前情報を入れずに映画を観てみるかと思って本作を鑑賞した次第です。

 

・フィクションの力

 ポスターだけだとイロモノな印象を受けていましたが、実際に観てみると至極真っ当な青春映画であり、1人の青年が過去のしがらみと決別し、新たな人生へと歩き出すまでを描いた成長物語でした。そして同時に、我々が何故フィクションを求めるのか、を描き出し、フィクションが持っている力を再確認できる作品でした。

 

 何故、我々がフィクションを求めるのか。それは現実がクソだからです。現実では悪がのさばり、凡人は理不尽なことに日々直面し、鬱屈した気持ちを溜め込むだけです。誰かが言った名言に「事実は小説よりも奇なり」というものがありますが、これになぞらえて言うならば、「事実は小説よりもクソなり」なのです。フィクションはそんなクソみたいな現実を一時だけ忘れさせてくれ、没入させてくれるのです。そして、我々の生きる力になるのです。

 

・ストーリーと演出の素晴らしさ

 本作の主人公・ジェームスも同じです。冒頭、いきなり「外界は毒素があって出られない」と両親に言われ、両親とともに外に出ず暮らしている姿が映されます。この冒頭が非常に鮮やかだなと思いました。まず、「偽り」の日々の描写が最小限度の描写でできていて、「こんな日々をずっと送っていたんだな」と瞬時に納得します。あまりにも自然にこの描写に入るので、前情報なしだと、「これってSF?」と勘違いしてしまいそうなくらいです。

 

 そしてパトカーがやってきて、彼の「現実」が破壊され、取調室でカメラが引いて周りの風景(と言っても取調室ですけど)が映されることで、彼が知らない「外界」を彼が認識した瞬間を描きます。観ていて舌を巻きました。このように、映画製作を題材とした作品なだけあって、こういう表現が一々上手い作品です。この他にも、例えばジェームズが映画の魅力に魅せられた時(しかも観ている作品が何てことないB級っぽい作品なのがまたいい)に劇中の画面が途中から我々の観ている画面とシンクロしてジェームスの気持ちとシンクロさせる作りとかがありますね。

 

 こうして彼は何もかも偽物だったという辛い現実の中から、映画というフィクションの中に救いを見出し、未完の「ブリグズリー・ベア」を完成させると決意するのです。

 

・成長と自立の話

 本作の無駄のないところは、この映画製作が彼の自立へと繋がっている点です。彼は「ブリグズリー・ベア」の中にしか真実を見出せませんでした。つまり、「ブリグズリー・ベア」こそが彼の全てなのです。未完である本作を完成させる(=終わらせる)ことは、彼を縛り付けている物からの脱却につながっていくのです。

 

 また、この映画製作の過程で、ジェームスは周りの人間と信頼し合い、協力して行動することを学びます。ここから、これまで孤独だった人間が人と触れ合い、成長するという純粋な成長の物語にもなっています。

 

 本作は基本的にジェームスに寄り添って展開されますが、周りの人間も良かったです。真の両親の「想っているが故に空回ってしまう」感じとか、妹の最初の「何コイツ・・・」な態度からの終盤の態度とか。彼らが終盤で抱擁する姿は最初ぎこちない抱擁と対照的で、良かったですね。

 

・不満点

 ここまで「素晴らしい」「良い」って書いといて何ですが、不満点と言いますか、気になった点をいくつか。

 

 まず、ストーリーが都合良すぎだと思いました。周りの人間が早い段階でかなり好意的になったり、資金はどこから持ってきたのか分からないです。観ていて気になる私は心が狭いんだろうなぁ。

 

 また、劇中の「ブリグズリー・ベア」ですが、劇中では見た人はかなりの割合で「傑作」だとか「面白い」言っていますが、すみません、正直どうみてもそこまでの作品だと思えません。SFファンっぽい友人が「傑作」と言っていましたが、「マ、マジか・・・」と思いましたね。絶対「これつまんないよ」とつっ返されると思ってたので。

 

・おわりに

 このように、ストーリーは都合良くいきすぎなところがあるのですが、それを補えるくらい要素とか演出は素晴らしいと思いました。しかしこの点数なのは、単純に私の好みと合わなかっただけです。良い映画なんだろうけど。