暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

映画オールタイムベストテン:2017に参加しましたよという話

 私も映画を観始めて何年か経ちました。本数を重ねてくると、自分の中で大切な作品にも巡り合えるものです。そういった作品がオールタイムベストというやつなのか、じゃあそろそろ私もベストテンなんていうものが選べるのかなぁとか考えていたところに下のような企画を見つけましてね。いい機会だと思いましたので、参加させていただこうと思った次第です。

 

d.hatena.ne.jp

 

 しかし、実際選ぼうとすると非常に難しい。何本か厳選してみたのですが、入る作品がその日によって変わったり、順位が違ってきたりします。ここら辺を考えまくっていたため、何と2週間かかっちゃいました。でも、「これが結論」というわけではなくて、あくまで「今の気分」のランキングです。もうこうするしかないと思い、開き直りました。では、発表します。

 形式として、まず一気に発表して、それから各々の作品について書いていきたいと思います。なお、選考の基準は適当です。自分の好き度でもあるし、映画の見方を変えたかでもあります。年数は日本公開日を参照にしています。

 

 私的映画オールタイムベスト10(2017年版)

 

 1位「ロッキー(1977年)」

 2位「桐島、部活やめるってよ(2012年)」

 3位「この世界の片隅に(2016年)」

 4位「トイ・ストーリー3(2010年)」

 5位「ゴジラ(1954年)」

 6位「ルパン三世 カリオストロの城(1979年)」

 7位「男はつらいよ(1969年)」

 8位「ゴッドファーザー PARTⅠ(1972年)」

 9位「スパイダーマン2(2004年)」

10位「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊(1995年)」

 

10位「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊

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 はい、10位は攻殻機動隊です。選出理由は簡単で、私が初めて見たジブリ以外の劇場用アニメだからです。だから観たときは衝撃でしたね。細かい動きとか描写もリアルなんだけど現実路線で、ジブリとは全く違う世界観が構築されていました。

 内容的にもこれまで見たことのなかったSFで(今考えると完全にブレードランナーなんですけど)、「自分とは何か」という哲学的なテーマを語っていたことも私の中では新鮮でした。要はジブリとは全く違ったアニメに圧倒されたっていう話ですね。そしてこれをきっかけの1つにして、「他にはどんなアニメ映画があるのだろうか」と思い、今敏細田守原恵一と入っていきました。はい。

 

9位「スパイダーマン2」

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 9位はライミ版「スパイダーマン2」です。これは数多くあるヒーロー映画で、「ヒーローとは何か」という問題に、個人的に最も共感できる回答を示しているためです。ピーターが1個人として「ヒーローである」ために悩み、最終的に自らの勇気だけで巨悪に立ち向かう姿はいつ見ても感動します。

 

8位「ゴッドファーザー PARTⅠ」

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 不朽の名作。これは私に「映画館で映画を観る喜び」を教えてくれた作品だからです。この作品は何度も見てますが、初めて見たときはDVDででした。その時も面白いなと思いました。ですが、そこまで記憶には刻まれませんでした。そして、しばらく後に「午前十時の映画祭」で鑑賞しました。そして、圧倒されました。いくつか映画を観ていたからかもしれませんが、映画館で観て、テレビで観たときとは違い、とんでもない映画だと思いました。テレビで見るのと映画館で観るのは、ここまで違うのかと思った次第でした。

 

7位「男はつらいよ

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 7位はこちら。寅さん。学生時代に観て、ハマってしまい全作見てしまいました。何故これが7位なのかというと、まぁ好きだからです。まぁおとぎ話みたいな映画なんですけど、でもこういうのっていいじゃないですか。確かに大切なものってあると思うし、それを重視する映画もいいじゃないですか。こういう価値観もいいと思います。また、とにかく渥美清さんですね。彼が凄まじい。観ているだけで癒されるし、元気が出てきます。あんな風に人間と関われたらいいかもなと思います。

 

6位「ルパン三世 カリオストロの城

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 6位はこれ。何というベタな。でも私にとっては最高の映画の1つです。何度見ても面白いですね。また、宮崎駿氏が余計な事を考えず、混ざりっ気のない彼の原液ともいえる内容なのも面白いですね。

 

5位「ゴジラ(1954年版)」

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 ゴジラシリーズの原点。幼少のころに観て大いにハマりまして。今も現役でファンです。「GODZILLA 怪獣惑星」も見ました。ゴジラが無ければ今の私はないかもしれないので、全作品を代表してこちらの作品で。

 

4位「トイ・ストーリー3」

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 「バズ!あんた飛んでるぜ」「飛んでるんじゃない。落ちてるんだ。カッコつけてな」このような2人のやり取りに痺れます。もうね、子どものときに観てオモチャを捨てられなくなって、大人になって3を見てみたら、ラストのアンディで「あぁ、これ俺だわ」と思い、泣いてやっぱりオモチャを捨てられなくなるという始末。思い出の一本としては3です。

 

3位「この世界の片隅に

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 3位。去年見たのにもうオールタイムベスト。タイミングの問題もあると思いますが、今は3位です。過去、彼女たちが生きていたという事実を実感させてくれる作品で、とにかく普遍的な「生きる」ことの素晴らしさを感じさせてくれる作品でした。多分、これからも何回も観ることになるでしょう。

 

2位「桐島、部活やめるってよ

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 桐島、オールタイムベスト2位だってよ。私が考えていることをズバリ描いていた作品。ここまで共感したことはなかったです。きつい現実を描いた作品ですが、「それでも生きていくしかない」というテーマも勇気づけられるものがあります。また、映画的表現というやつを意識するキッカケにもなった作品でした。

 

1位「ロッキー」

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 1位はこちら。とにかく、今の私の指針となっている映画。辛い時とか、「ロッキーならリングから降りるか」とか考えて頑張ったりします。「最後までリングに立っていられたら、俺は生まれて初めてクズじゃなくなる」この言葉は、いつも私を鼓舞してくれていると思います。

 

 以上、オールタイムベストでした。何年後かには変わるかもしれませんね。

【あゝ、荒野 後篇】感想

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90点

 

 「あゝ、荒野」後篇です。前篇の感想はこちら。

inosuken.hatenablog.com

 

  映画館で観ようと思っていたのですが、中々予定が合わず、そうこうしてるうちにDVDがレンタルされてしまいまして。近いところで電車で40分くらいのところでしかやってないので、すいません。日酔っちゃいました。

 劇中、寺山修司の詩が引用されます。「人は中途半端な死体として生まれ、完全な死体となる」と。本作はこの詩の体現だったと思います。この意味において、本作は正真正銘あしたのジョー」でした。

 前篇のラストから1年。しかし、世の中は良くなるどころか悪くなる一方。この閉塞的な世界で新次と健二、2人の人間が命を燃やす、というのは同じです。ですが、本作はよりテーマが明快になっていたと思います。

 それは冒頭から明らかで、競馬場で片目が新次に言う台詞から察せられます。競馬での逆転に対し、「カウンターだよ!」というやつ。つまり、逆境でも戦うことを諦めるなということですね。本作には「戦うことを諦めた人」が出てきます。新次の兄貴分的存在だった劉輝さんがその代表的な人です。彼は下半身不随になったことで戦うことを諦め、裕二を許しています。しかしそれは諦めにも似た感情で、新次は劉輝さんを突き放します。

 また、本作には「死」に雰囲気が蔓延していることは前篇に書きました。本作はそれがより色濃くなっています。老人介護施設をはじめ、孤独な死が積み重ねられています。

 このような閉塞的で、希望も無い世界で生きるためにはどうすればよいのか。戦うしかないのです。そして、その1つとして、ボクシングがあるのです。ラストのボクシングがデモ行進に重なるのもその1つだと思います。デモは、本作では、まさしく「社会に抗う」ことを体現しているものとして描写されていました。これは前篇で自殺防止フェスのときに敬二が言った「自殺こそが弱者の最後の抵抗だ」と全く反対のことです。

 これは寺山修司あゝ、荒野」の原作を執筆した時期と似通っています。原作が執筆されたのが1966年。60年代と言えば、安保闘争学生運動真っ盛りです。本作はまさしく現代の荒野を映しているのでしょう。

 そして、この「戦う」ことにはもう1つの意味があると思います。ここを考えるには、もう1人の主人公・建二について書く必要があります。後篇は彼の物語であるとも言えます。彼は吃音で、過去のトラウマもあり、人と上手くコミュニケーションが取れません。そんな彼が「つながる」方法がボクシングなのです。ここから、本作においては、ボクシングはコミュニケーションに似た意味を持つと思います。

 そう考えると、最後の新次とのボクシングでは、彼と新次の言葉を超えたつながりが生まれているのです。その証拠かどうかわかりませんが、新次は最後のボクシングだけ、真剣にやっているのです。これまで憎しみでしかボクシングをしていなかった彼が、初めてそれ以外の感情を以てボクシングに臨んでいるのです。戦って、「つながって」いるときだけ、生を実感しているのです。そして、この試合の最後。あの一瞬だけですが、これまでバラバラだった彼らが新次と建二の試合を通して「つながって」いたと思います。建二は、あの試合を通して、「完全な死体」となったのです。ここが少し「あしたのジョー」っぽい。

 ラスト、新次の「これが俺だ」と言わんばかりの視線。確かにそこには、最悪な社会でも、戦い続けた1人の人間がいたと思います。

【悦楽交差点】感想:「女性の自立」の話

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93点

 

 昨年、映画評論家の方々が大絶賛していたピンク映画。「皆殺し映画評論家」柳下毅一郎氏に至っては、2016年のベストにまでしていました。そうなると気になるのが人情というものです。そしてつい最近、「キングスマン」をレンタルしようとTSUTAYAまで行ったら、偶然にもレンタルされているのを発見。キングスマン」を後回しにして、本作をレンタルしました。

 

 「ピンク映画」というものは、映画的にも評価されているものも多々ありますが、AVがライバルと言われるように、多くの観客は、自らの性欲を満たすために観ています。そして、そう作ってもあります。それがピンク映画ですから。ですが、本作「悦楽交差点」は、そのような「画面の中の女優を欲望の対象として見ている」我々のような男性の顔面をぶん殴る、完全「女性上位」映画でした。

 

 「千人目の女を俺の嫁にする」そう誓って通行量調査をしているフリーターの春夫。そんな中、彼は交差点で運命の女性・真琴と出会う。五年後。春夫は人妻(ちなみに旦那は大手会社の部長)である真琴の家の隣に引っ越し、彼女をストーキングしていた・・・。

 

 序盤はこのストーカーのように、女性を欲望の対象としか見ていない男たちが多く登場します。春夫の同僚2人の会話は「デリヘル女がブスだった」とか、「あれとはやれんわ」とかそんな会話ばかりしていますし、春夫は春夫でストーカーですから。読唇術とか勉強しちゃって、真琴との仮想夫婦生活を満喫しています。真琴がセックスするときなんてわざわざデリヘル嬢呼んで同じプレイまでさせているんですよ。このデリヘル嬢も序盤は男にすがる描写が多いのです。

 

 ですが、この真琴という女は実は腹に一物持っていて、「自分はセックスしてりゃいい生活ができる勝ち組」と思ってるのです。「夫婦」という関係性を持ってるとはいえ、本質的には先ほどのデリヘル嬢と同じです。

 

 このように、序盤は圧倒的「男性優位」の世界です。しかし、中盤、この構図が一気に逆転します。ストーカーされる側とする側が逆転し、最終的には女が男を性的に支配し、自立する話になるのです。あることを機に、浮気してる旦那を尻目に、真琴は春夫とのセックスに明け暮れるのです。ここから伝わってくるのが「相手を選ぶのは自分」という彼女の考え。ここで、もう女性は「欲望の対象」としてではなく、1人の自立した人間として、セックスしてるわけです。 

 

 ここで、「見ている」のは我々観客も同じです。春夫は、ある意味で我々自身でもあるのです。つまり、本作は春夫を通して我々自身を映し出すことで、我々自身を批評的に見せているのです。そんなときにこの逆転劇ですから、我々、男としては、何も言えないわけです

 

 さらに止めと言わんばかりに終盤、春夫は真琴にプロポーズします。そのためにダイヤまで買って。「これでこのストーカーはハッピーエンドに行くのか」と思わせておいて、そうはならない。あのシーンからは、「ダイヤ買えば女が靡くなんて幻想は捨てろ。そんな安くねぇよ」という声が聞こえます。本作を観ると、男など、ラストのように女を追いかけることしかできない存在なんだなと思わされます。唯一の救いは、ラストの「頑張れ~」ですかね。

 

 本作の特徴的なこととして、映画としても、とても面白いということが挙げられます。シーンの省略とか、見る・見られる関係の逆転とか、伏線の張り方とかですね。城定秀夫。恐ろしい監督。

 

 

悦楽交差点 [DVD]

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「人生の選択」の話だと思う。トム・フォード恐るべし。【ノクターナル・アニマルズ】感想

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95点

 

 映画が始まった瞬間。私の少ない映画体験の中で、おそらく最も鮮烈なオープニングに圧倒されます。ここから本作がファッション界のカリスマが道楽で作ったものではない事が感じ取れます。

 アートギャラリーのオーナー、スーザン。彼女は社会的に成功し、夫と共に何不自由ない生活を送っていながらも、心は満たされない日々を送っていた。ある週末、元夫・エドワードからスーザンのもとに小説が送られてくる。題名は「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣たち)」。スーザンに捧げられたものらしいが、内容は非常に暴力的なものだった。何故元夫は小説を送ってきたのか。それは復讐なのか、それとも愛なのか・・・。

 本作は3つの話に分かれています。スーザンが小説を読む「現在」「小説の世界」そしてスーザンとエドワードが出会う「過去」です。本作は元夫が送ってきた小説に込められたメッセージを解くことが主題です。3つの話が複雑に絡み合って、最終的に1つの答えに辿り着くのです。愛なのか。復讐なのか。本作には全体的に意味深なシーンに満ちています。分かりやすく答えを明示してはいません。ですが、トム・フォードのパンフレットの発言をもとに考えていくと、それら意味深なシーンにも意味を見出せると思います。そして、個人的な見解を書くと、問いの答えは愛と復讐、どちらでもあると思いました。

 スーザンは社会的には大変な成功を納めています。性格的にも計算高い女です。ですが、エドワードの小説を読み進めていくにつれ、少しずつ彼女の心のメッキが剥がされていきます。

 中盤、彼女は子持ちの同僚に言います。「子どもを信じてないの?」と。これはスーザン自身がエドワードから言われた台詞と同じです。そして、過去にスーザンがエドワードに求めた「自分を信じる強さ」でもあります。

 スーザンは家の中にある保守的な考えを嫌っていました。故にエドワードのような野心とは関係ない「自分の道を行く」人間に惹かれたのです。ですが、物質的な成功至上主義の権化みたいな母親に言われます。「お前は私と同じよ」と。そして「いずれ彼を傷つける。彼は弱いから」とも言います。

 その言葉の通り、スーザンは中々結果を出せないエドワードを信じられなくなり、遂には偶然出会った現夫(イケメン)に乗り換えます。

 この「自分を信じる」ことは劇中で繰り返し語られます。それは主にスーザンに対してです。彼女は自身を規定しているのです。つまり、「計算高い女だ」と。エドワードはそれに対し、「違う」と言いますが、それでも彼女は無意識のうちに母の考えに囚われているのです。

 そして、こうして生きてきた結果が、「満たされない」現在なのです。本作は全体的に非常にアーティスティックで美しい美術ですが、役者の演技も相まって、どうにも無機質で、人工的な印象を与えます。多分これは意図的で、彼女の満たされない心を表しているのか?とも思います。

 一方、小説の内容は家の中で妻に主導権を握られている「弱い」男・トニーが、テキサスで妻子の復讐を果たす、という西部劇。このトニーが弱く、何もかも失いながらも復讐という目的に向かって進んでいくというストーリーは、さながら離婚した後も(おそらく)孤独に小説を書き続けていたエドワードと重なります。小説はエドワードの心境の表明だったのかもしれません。

 小説を読み、エドワードの才能に惹かれ、また彼に会おうと思うスーザン。指定した時間に指定した席へ座り、ただ彼が来るのを待つ。しかし、彼は一向にやってこない。そこで彼女は彼の言葉を思い出したのではないでしょうか。

 「失ってしまったものは取り戻せない」

 このことに気付いたからこそのラストの表情だったのではないのでしょうか。スーザンはもうエドワードとの関係を取り戻すことはできない。故にこの心の空白は永遠に埋まらない。これは彼女の「選択」の結果です。これを気付かせた、という意味ではこれは「復讐」と言えます。ですがこの気付きは、同時に彼女をこれまで縛っていた概念(母親)からの「解放」でもあったと思います。この1点においては、間違いなくエドワードからの「愛」があったと思うのです。

【KUBO/クボ 二本の弦の秘密】感想:超ハイクオリティな映像で描かれる「日本昔話」

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85点

 

 「コララインとボタンの魔女3D」「パラノーマン ブライス・ホローの謎」などで知られるストップモーションアニメ制作会社、スタジオライカ最新作。何と今度は日本が舞台。「海外の映画で日本が舞台」と聞くと、思い出されるのはトンデモ日本描写の作品。しかし、本作にはトンデモな描写は全くなく、むしろ日本の伝統的な慣習を違和感なく物語に組み込み、そしてそれを圧倒的なアニメーションで魅せている大冒険活劇でした。

 本作を見て真っ先に心奪われるのはストップモーション・アニメのクオリティ。コマ撮りとは信じられないくらい良く動きます。そして日本リスペクトの塊。もう最初の神奈川沖浪裏から鳥肌立ちまくりでしたが、クボが三味線で折り紙を操りだしたとき、その素晴らしさに目を見張りました。他にも町の家1つの1つや、売り物、着物など、その1つ1つが丁寧に作り込まれている。ここからこのスタッフたちの「本気度」そして、日本への深い敬意が伝わってきます。

 また、物語も日本的なものに満ちています。内容は親に先立たれたクボが、自らの身を護るため、そして月の帝と戦うために途中で出会ったお供、猿、クワガタと共に「三つの武具」を探す、といったもの。完全に古事記」や「桃太郎」、「竹取物語」といった日本の伝承・昔話がモデルです。しかし、本作はこの模倣で終わらず、「家族の物語」という普遍的な話にまとめ上げていました。

 本作の最重要アイテムは三味線。クボは冒険を通して、クワガタ、猿と疑似家族とも呼べる関係を築いていきます。そして家族から受け継いだ「あるもの」を合わせ、帝を撃退します。二本の弦の秘密なわけです。

 ライカは、本作のテーマを「わび・さびの心」としています。クボは自身の手で物語を終わらせることができません。いつも途中で終わってしまいます。それは彼が母から物語を最後まで聞いていないからなのですが。しかし、本作の冒険は、この「物語」をなぞったものになっています。クボは、この冒険で「自身が終わらせられなかった」両親の物語を終わらせるのです。そしてその物語とは、人生そのものな気もします。人生が物語だとしたら、死を持ってしか完結しません。

  本作には非常に仏教的な思想もあり、敵の月の帝は、極楽浄土の世界こそ完璧な世界だとしています。それ故、ラストで帝を拒否することで、「未完」である生命そのものこそ美しい、という讃歌にまで押し上げているのは素晴らしいと思います。

 そして、最初と最後に出てくるのが灯篭流し。本作では重要な役目です。ラストのこれにより、本作はクボが「両親の物語」を終わらせ、そしてまだ未完である「自身の物語」へ向かっていく話となったと思います。

 ここまで褒めましたけど、微妙なところがあったのも事実。序盤は本当に素晴らしかったのですが、中盤から、物事が上手くいきすぎな感じがしました。その最たるのがクワガタ関連です。ちょっと都合良すぎじゃないか、あれ。後、最後の武具があるところがあそこってのも何か引っかかります。折り紙の半蔵は知らなかったのかな。でも、最後は最初の場所ってのも面白いとは思いましたけど。

 とまぁこんな疑問も抱いたのですが、エンドロールでどうでもよくなりました。何という忠実な浮世絵リスペクト。最後まで目を釘付けにさせる作品でしたね。でも、最後のアレは「見せちゃうんだ・・・」と思ったり。クボたちが「本当に生きてる」と思い込んでしまっていただけに少し残念だった。でも、些細な問題ですよ。

【ゲット・アウト】感想:サスペンスであり、社会派作品でもある。

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86点

 

 全米で大ヒットしたサスペンス・ホラー。サスペンスとしてももちろん面白いですが、それ以上に本作は現代のアメリカの中にある差別意識を風刺し、最終的にそれを全てぶっ飛ばすという痛快な娯楽作品となっていました。

 アフリカ系アメリカ人である青年・クリスは、週末に白人の彼女の家へ泊まりに行く。しかし、さすがに彼女の家に1人で行くのは辛いものです。周りは彼女の家族だけ。何とか馴染もうとしますが、結局「よそ者」であるクリスは気まずい気分を味わいます。そんな中でもやっぱり彼女は優しいわけですが、徐々に違和感を抱き始めます。不気味なメイド、木こり。そして彼らがとる奇怪な行動・・・。そこでクリスは気まずさ以上の不気味さを感じます。本作はこの序盤の積み重ねがめちゃくちゃ上手い。この奇怪な行動を小出しにしていき、クリスの、そして観客の不安を煽ってきます。しかし、本作がとても上手いのは、緊張ばかりではなく、きちんと観客目線のキャラを入れ、そいつを使って合間にコメディシーンを入れていることです。これで緊張が緩和されるわけです。他にもちゃんと必要になる伏線は張ってあって、よく出来てるなと。

 ここで監督について書くと、監督であるジョーダン・ピールは、コンビで黒人差別ネタをやっていた人だそうです。これを踏まえると、本作は黒人差別を風刺した内容ととれます。パンフレットのコラムによれば、監督はDVDの副音声でこう述べているそうです。「この映画は表から見えない奥深いところで煮えたぎっている差別意識を暴こうとした。」と。

 ここで、彼女の家をアメリカと例えれば面白い構図が見えます。クリスは黒人ですが、「白人一家」である彼女の家に馴染もうとします。これは黒人が白人社会・アメリカに馴染もうとする構図そっくりだということです。そしてこの家族は、自らを「黒人は差別しない」一家だと表面上では言っています。しかし、裏ではとんでもないことをしているわけです。この裏にあるとんでもないことが監督の言う「奥深いところで煮えたぎっている」ものなのだと思います。こう見ると、作中には黒人差別的な台詞が所々に見え隠れしている気がします。ジョージナの台詞とか。

 中盤、この不穏さが一気に表出し、白人が黒人に対して持つ差別意識がむき出しになります。あれも白人が黒人を乗っ取るということを非常に即物的に描いていたと思います。クリスもその餌食になるのかと思いきや、最後に大反撃を繰り広げ、ここまで溜めに溜めた鬱憤を晴らしまくる。ここは正に黒人の反逆で、本当に痛快そのもの。故に、ラストで家を出ていく姿は印象的です。

 また、役者も素晴らしかったですね。特にベッティ・ガブリエルですね。泣き笑いのシーンは素晴らしかった。

 このように本作は、白人の中にある黒人への差別意識を剥き出しにさせ、そしてその上でそれらをぶっ飛ばし、そこを後にする、という痛快な娯楽作品でした。

【密偵】感想:祖国か、服従か

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80点

 

 大日本帝国占領下時代の韓国を舞台にしたスパイ映画。こういう舞台でこのジャンルだと必然的に抗日的な内容になりそうなものですが、本作は祖国と統治国の間で揺れ動く主人公の心情に焦点を当てることで、むしろ民族主義的な内容になっていると思いました。ですが、こちらもそれほど露骨でもなく、結果的には図式としては抗日映画ですが、内容的には骨太なエンターテイメント作となっていました。

 本作は「親日派」であり、生きるために犬になった男・ジョンチュルが、祖国を取り戻そうとするキムらと関わることで感化され、最終的には祖国のために立ち上がる話です。

 「お前はどちらの国に名を遺す」の言葉にある通り、ジョンチュルはこの当時の朝鮮人を代表していたのかもしれません。劇中のように創氏改名で名を日本名に改め、日本に服従している親日派もいれば、義烈団のように祖国を奪回しようとしている人もいる。この2国の相克の中にいたのかもしれません。

 こう書くと単なる抗日映画のようですが、本作の抗日的要素は、全て話を盛り上げるのための要素にしか過ぎないと思います。そして、描き方も中々フラットだと思いました。そのフラットさを支えている要素の1つのが鶴見辰吾さんだと思います。彼が事実上の「悪役」を演じたことで、東という人物が記号的な悪ではなく、もっと奥行きを持った人物に感じました。まぁ、それ故に凶悪さも増しましたが。キムは東と対照的に結構良い奴に描かれていたのは仕方ないですね。

 また、さすがはキム・ジウン。アクション・シーンはやっぱりすごい。冒頭もそうですが、突発的に起こる銃撃戦とかも見ものでしたね。