暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

「人生の選択」の話だと思う。トム・フォード恐るべし。【ノクターナル・アニマルズ】感想

f:id:inosuken:20171204000736j:plain

 

95点

 

 映画が始まった瞬間。私の少ない映画体験の中で、おそらく最も鮮烈なオープニングに圧倒されます。ここから本作がファッション界のカリスマが道楽で作ったものではない事が感じ取れます。

 アートギャラリーのオーナー、スーザン。彼女は社会的に成功し、夫と共に何不自由ない生活を送っていながらも、心は満たされない日々を送っていた。ある週末、元夫・エドワードからスーザンのもとに小説が送られてくる。題名は「ノクターナル・アニマルズ(夜の獣たち)」。スーザンに捧げられたものらしいが、内容は非常に暴力的なものだった。何故元夫は小説を送ってきたのか。それは復讐なのか、それとも愛なのか・・・。

 本作は3つの話に分かれています。スーザンが小説を読む「現在」「小説の世界」そしてスーザンとエドワードが出会う「過去」です。本作は元夫が送ってきた小説に込められたメッセージを解くことが主題です。3つの話が複雑に絡み合って、最終的に1つの答えに辿り着くのです。愛なのか。復讐なのか。本作には全体的に意味深なシーンに満ちています。分かりやすく答えを明示してはいません。ですが、トム・フォードのパンフレットの発言をもとに考えていくと、それら意味深なシーンにも意味を見出せると思います。そして、個人的な見解を書くと、問いの答えは愛と復讐、どちらでもあると思いました。

 スーザンは社会的には大変な成功を納めています。性格的にも計算高い女です。ですが、エドワードの小説を読み進めていくにつれ、少しずつ彼女の心のメッキが剥がされていきます。

 中盤、彼女は子持ちの同僚に言います。「子どもを信じてないの?」と。これはスーザン自身がエドワードから言われた台詞と同じです。そして、過去にスーザンがエドワードに求めた「自分を信じる強さ」でもあります。

 スーザンは家の中にある保守的な考えを嫌っていました。故にエドワードのような野心とは関係ない「自分の道を行く」人間に惹かれたのです。ですが、物質的な成功至上主義の権化みたいな母親に言われます。「お前は私と同じよ」と。そして「いずれ彼を傷つける。彼は弱いから」とも言います。

 その言葉の通り、スーザンは中々結果を出せないエドワードを信じられなくなり、遂には偶然出会った現夫(イケメン)に乗り換えます。

 この「自分を信じる」ことは劇中で繰り返し語られます。それは主にスーザンに対してです。彼女は自身を規定しているのです。つまり、「計算高い女だ」と。エドワードはそれに対し、「違う」と言いますが、それでも彼女は無意識のうちに母の考えに囚われているのです。

 そして、こうして生きてきた結果が、「満たされない」現在なのです。本作は全体的に非常にアーティスティックで美しい美術ですが、役者の演技も相まって、どうにも無機質で、人工的な印象を与えます。多分これは意図的で、彼女の満たされない心を表しているのか?とも思います。

 一方、小説の内容は家の中で妻に主導権を握られている「弱い」男・トニーが、テキサスで妻子の復讐を果たす、という西部劇。このトニーが弱く、何もかも失いながらも復讐という目的に向かって進んでいくというストーリーは、さながら離婚した後も(おそらく)孤独に小説を書き続けていたエドワードと重なります。小説はエドワードの心境の表明だったのかもしれません。

 小説を読み、エドワードの才能に惹かれ、また彼に会おうと思うスーザン。指定した時間に指定した席へ座り、ただ彼が来るのを待つ。しかし、彼は一向にやってこない。そこで彼女は彼の言葉を思い出したのではないでしょうか。

 「失ってしまったものは取り戻せない」

 このことに気付いたからこそのラストの表情だったのではないのでしょうか。スーザンはもうエドワードとの関係を取り戻すことはできない。故にこの心の空白は永遠に埋まらない。これは彼女の「選択」の結果です。これを気付かせた、という意味ではこれは「復讐」と言えます。ですがこの気付きは、同時に彼女をこれまで縛っていた概念(母親)からの「解放」でもあったと思います。この1点においては、間違いなくエドワードからの「愛」があったと思うのです。