暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

「特盛!」これがニコラス・ケイジ映画か!【マンディ 地獄のロード・ウォーリアー】感想

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70点

 

 

 ニコラス・ケイジ。この名前を聞いて思い出すのは、どんな映画に出ても崩れることのないオーバー・アクト。必要以上に怒り、泣き、笑う。必要以上に力を入れて演技をするため、普通の映画に出るとそれが浮いてしまい、それがギャグに見えてしまうことすらあります。本作は、そんなオーバー・アクトが持ち味の彼を最大限活かした今年イチの「過剰な」映画でした。

 

 本作の大筋は、山奥で愛する妻とひっそりと幸せに暮らすレッドが、ある日、突然カルト教団に妻を殺され、その復讐として自前の武器で教団の連中を血祭りにあげていく、という、単純極まりない復讐劇です。普通に撮っていれば、本作はまだ何てことのない作品でした。本作を異常な映画たらしめている特徴は、大きく2つあります。

 

 まず、1つ目は、主演のニコラス・ケイジと同じく、作品全体が雰囲気を「盛っている」点。画面は終始、登場人物が感じているようなトリップ映像に満ち、何てことのないシーンでもヨハン・ヨハンソンの荘厳な音楽が流れ、出てくる敵は『マッド・マックス』『北斗の拳』の適役。こうした過度な装飾が、単純な復讐劇を、さも「悪魔を狩る聖戦」であるかのように飾り立てます。しかも、シーン毎の芝居と演出が一々重く、「盛る」ことに一役買っています。この盛られまくった世界にニコラス・ケイジはばっちりハマっています。

 

 そして、「盛る」と言えば、ニコラス・ケイジが使う武器もそうです。刃物は当たり前。ボウガンはまだ分かります。チェーンソーも無くはない。しかし、彼が自作した戦斧は問題です。普通の戦斧ではなく、その形状は二次元のキャラがよく使いそうな、バトル・アックス。ニコラス・ケイジは、これを片手に、顔を血まみれにして、目を見開き、1人、また1人と敵を血祭りにあげていくのです。その他で素晴らしいのが、中盤のチェーンソーのチャンバラ。想像してみてください。燃え盛る炎をバックに、顔を血まみれにして目を剝いている男と『北斗の拳』の適役ががチェーンソーを振り回し、それにヨハン・ヨハンソンのBGMがかかっているのです。私はこのシーンを観て、映画館で爆笑していました。

 

 2つ目の特徴は、トリップ映像。前述のように、本作はほぼ全編に亘って登場人物のトリップしている感覚が表現されていて、それを観客にも体験させているのです。白眉は中盤のニコラス・ケイジの「ぶっ飛び」演出と教祖の「洗脳」シーン。これは映画館の中でしか味わえない体験です。私は観ていてクラクラしてきました。

 

 映画は、撮り方で大きく印象を変えることができます。そういう意味で本作は、内容はC級も良いところなのに、全編に亘って使われているトリップ映像と音楽、演出によってその印象を大きく変えているという、非常に映画的な作品なのではないかと思います。まぁ、正直、長すぎて睡魔と戦ってましたけどね。かなり人を選びます。

世界観はさすが。でも、話の前半部分は必要ない気が・・・【ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅】感想

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55点

 

 

 実は私、『ハリー・ポッター』は直撃世代でして、原作はもちろん全巻読みましたし、映画も全て観ました。ポッタリアンほどではないにせよ、人並みにはファンのつもりです。しかし、本作は上映当時鑑賞しませんでした。理由は大きく2つあって、1つは単純に時間がなく、それなら別に観なくても良いかなと思ったこと、2つ目は、無い時間の間を縫って同時期に公開された『この世界の片隅に』を観るのに忙しかったためです。

 

 あれから2年経ちました。上映当時は大ヒットしていた本作も、今やソフトがレンタルされています。続篇も近々公開されるというし、11月は観たい映画もそこまで多くないので、続篇の予習として本作を鑑賞しました。

 

 感想としては、正直、「微妙」といったところです。魔法を使ったシーンは迫力があって素晴らしかったのですが、肝心のストーリーが微妙なのです。

 

 『ハリー・ポッター』シリーズの見所は、VFXを駆使して再現されるあの魔法世界です。小説で描かれていたアイディア溢れる魔法を実際に見せてくれるため、その憧れの世界に浸ることができるのです。第1作が公開された2001年にしても当時の技術をフルに使っていましたが、あれから時は経ちました。17年を経て、VFXも驚異的な進歩を遂げました。それを使って描かれる魔法は、やはり素晴らしい。「アロホモラ」や「アクシオ」など、懐かしの呪文が出てくるとそれだけでテンションが上がります。さらに、お馴染みのスペクタクルな映像も進歩しています。やっぱりここは素晴らしいです。

 

 また、『ハリー・ポッター』シリーズとの差別化も面白いです。主人公が「子供」から「大人」へ移ったことから、物語の舞台はホグワーツという狭い空間から世界という広い空間へ、そしてその世界も魔法の世界から「ノーマジ(普通の人間)」の世界に変化しています。そしてそこには「人間と魔法使いの対立」があるらしく、「X-MEN」よろしく魔法使いがマイノリティの象徴になっていて、今の時代にふさわしい要素が揃っているように見えます。

 

 ただ、それらはただ提示されるだけで、大して活かされず終わります。まぁ、これは続編が決定しているそうなので、これから深まっていくのかなと思うので、そこに期待します。しかし、それを見逃しても、肝心のストーリーが問題なのです。

 

 本作の大筋は2つあります。1つは予告でも流れていたように、ニュートの鞄から逃げ出した魔法動物を回収する下り、そしてもう1つは、「オブスキュラス」を巡る悪の魔法使いとの攻防です。これ事態は良いのです。問題は、この2つが全く関係が無く、ストーリー上で絡み合わないのです。魔法動物を回収し終えたニュートは、いつの間にかオブスキュラスを止めなければという使命感に目覚めます。

 

 また、魔法動物回収の下りとかはニュートが蒔いた種なので、あまり応援できない。これなら、ニュートが来た理由を「凶悪な魔法動物が逃げ出したかもしれない(=オブスキュラス)からその回収のオブザーバーとして来た」とかにした方がよかったんじゃないの?

 

 「魔法動物回収」の下りも大して面白くないのも問題だなぁと。ここでニュートの「スペシャリスト」感を出してほしいと思っていたのですが、捜索も結構場当たり的だし、捕獲の下りも全く緊張感が無いです。

 

 キャラクターも問題です。魅力的になりそうな要素はあるのですけど、彼らの行動理由がよく分かりません。ヒロインは初期対応でミスってると思うし、男子禁制の寮に男を連れ込む理由もよく分かりません。ジェイコブは私たちと同じ視点を持った存在として登場させているのは分かるのですが、そんなに活躍していないのでいる意味あるのかと思ってしまいます。だからクイニーに惚れられる理由もよく分かりません。まぁ、上述の「魔法使いと人間」のテーマから考えると、今後重要な役を担うのだと思いますけど。そうだよ、な?故に、彼らが今何を思ってそれをしているのかが分からず、全体的に展開が場当たり的な気がします。彼らは通り一遍のことしかしていないので、心情がよく分からず、感情移入できないのです。

 

 このように、本作は、VFXは素晴らしいのですが、ストーリーは微妙でした。それでも観れたのは、やはりこの世界感が好きだからだと思います。次回はしっかりとした筋があるそうなので、期待したいと思います。

 

 

 

2018年夏アニメ感想⑦【はねバド!】

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 バドミントンを扱ったスポーツアニメ。当初は視聴する気が全くなかったのですが、Twitterのタイムラインに1話の試合シーンのGIF画像が流れてきましてね。目を見張りました。急いでAmazon Primeで1話を視聴してみたところ、試合シーンはもちろんですが、それ以外も相当面白い。遅ればせながら視聴決定した次第です。

 

 本作は講談社から出版されている雑誌good!アフタヌーンに掲載されている漫画「はねバド!」をアニメ化したものになります。私は原作未読ですが、アニメ化した本作は他のスポーツアニメとは違う魅力があり、とても面白かったです。

 

 本作の特筆すべき点は、やはり試合シーン。近年は「黒子のバスケ」以降、過去のスポーツアニメからは考えられないくらい試合中に躍動感をもって「動く」作品が増えてきました。私が見ている範囲では、今期だと「風が強く吹いている」が該当します。本作も大変よく動いています。本作では縦横無尽に動きまくるキャラクターもそうですが、手首の動きとか、次の動きまで置く一呼吸とか、ちょっとした筋肉の動きまで表現しています。そしてさらにそれを撮るカメラワークも見事で、やや引いた視点やで撮ったり、かと思ったら寄ったりダイナミックに動いたりします。これだけで見ていられるレベルです。

 

 肝心のストーリーも他のスポーツアニメとは違っています。この手のアニメでよくあるのは、それまで何の取り柄もなかった主人公がひょんなことから部活に入り、才能を開花させ、活躍するというものです。

 

 しかし、本作で描かれるのはそこではなく、「1人1人が何故、バドミントンをやるのか」です。主人公は羽崎綾乃と荒垣なぎさの2人です。

 

 なぎさは王道の主人公です。中学時代の綾乃との試合でグレてしまうのですが、かなり早い段階で立ち直り、「バドミントンが好き」という気持ちを取り戻します。それ以降は他の部員たちと信頼し合い、自らの努力で勝利を掴み取っていきます。本作は彼女のトラウマ(=綾乃)を克服する話でもあります。

 

 対する綾乃は真性の天才。バドミントン女子シングルス全日本総合優勝10連覇を成し遂げた母を持ち、自身も身体的にバドミントンに恵まれているという、週刊少年ジャンプ的主人公です。本作の真の主人公でもあります。

 

 ただ、見続けると、この綾乃というキャラクターは、どんどん変貌していきます。ストーリーが進むにつれて、成長していくなぎさとは対照的に人間味が無くなり、対戦相手に対する敬意すら欠いた冷徹な存在となっていきます。ぶっちゃけラスボス。

 

 何故このようになるのかと言えば、彼女の母親が原因。母親に褒められたくてバドミントンをやっていたのに、突然いなくなり、向こうで別の選手のコーチになっていたのを知ったことで、「捨てられる」ことへの強い恐怖があるのです。だから彼女は「勝たなければならない」と思い、冷徹な性格となっていくのです。しかし、それによってどんどん孤独になっていきます。

 

 この流れと並行して語られるのが「才能がない」人たちです。1人1人丁寧に描かれているので、見ていると胸が締め付けられる思いでしたよ。

 

 本作の上手い点は、この「何故それをやるのか」と「主人公の成長」という2つの流れが最終的に綺麗に結実するという点です。それが12話だったと思います。これまで描いてきた綾乃が背負ってきた気持ちと軌跡を見せたあの演出は本当に素晴らしくて、一気に綾乃に感情移入させられました。

 

 そして、2人の成長も、なぎさは全力で過去のトラウマに打ち勝ち、綾乃は負けたにも拘らず、母と一緒には行かず、チームに残ることを決めます。彼女たちの「スタート地点」が定まったのです。余談ですが、こう考えると、コニーはいち早く成長したのでしょうね。

 

 このように、本作は試合だけではなく、キャラクターのドラマもしっかりと描き切った作品でした。個人的には良作。見てよかったです。

今、世界で起こっていること。まさに今観るべき映画【判決、ふたつの希望】感想

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93点

 

 

 公開当初は観るつもりはなかったのですが、評判を耳にしたので観る気になった作品。時間もできたので鑑賞してきました。

 映画を探す場合、自分のアンテナだけだと限界があるため、他の人の意見を聞いて観た映画が素晴らしいものだと何故だか得した気分になれます。この点で言えば、本作は今年最も得した作品でした。

 

 レバノンの首都、ベイルート。その一角で住宅の補修工事を行っていたヤーセルと、街で自動車工場を営んでいるトニーが、アパートのバルコニーから漏れてくる水漏れで諍いを起こす。最初はただ謝罪すれば済んだのに、諍いは次第に大きくなり、最終的には国家を巻き込んだ問題へとなっていく、というストーリー。

 

 これだけ読めば、本作はコメディ作品な気がしてきます。しかし、ここに宗教と歴史が絡み合うことで、どんどん複雑になっていき、最終的に現在の世界で起こっている問題をそのまま描き出す作品になっていました。

 

 本作の核になっているのは、パレスチナ問題です。ご存知の通り、中東の歴史は血塗られています。ややこしくしたのはイギリスなのですが、エルサレムを巡って、イスラエルと周辺のアラブ諸国との間で幾度も戦争が起こっています。本作の主人公の1人、ヤーセルは、この戦争によって、パレスチナから追われた難民なのです。

 

 もう1人の主人公であるトニーはレバノンに住んでいる人間です。しかし、自身の思想的な立場から、パレスチナ人へ偏見を持ち、無意識のうちに差別しています。彼のこの意識が謝罪を拒ませ、事態を悪化させる原因を作ったのです。

 

 本作はこの、事態がどんどん悪化してくテンポが非常に良く、裁判になだれ込んでからは法廷劇としての面白さも出てきます。しかもこの法廷劇で出てくる弁護士が両極端で、ヤーセル側はリベラルなのですが、トニー側は対立を煽るタカ派で、彼らがより事態を悪化させていきます。

 

 この悪化した事態に、現在、世界で起こっている事が凝縮されています。他の民族、国家への一方的な偏見と、そこから生まれる差別意識。中にはパレスチナ人に対して、「職を奪っている」とか、「支配しようとしている」と言い出す人間もいます。どっかで聞いた台詞。

 

 ただ、本作の上手い点は、バランス感覚が非常にしっかりしている点。複雑な中東問題を描く点で、これは非常に神経を使ったのではないでしょうか。まず、主人公2人ですが、善悪に分けるのではなく、等身大の人間として描いています。原因を作ったトニーにはある過去がありますし、それ抜きでも彼に降りかかる事は観ていて不憫に感じます。ヤーセルもヤーセルで、「難民」ということで肩身が狭い思いをしていることが強調されます。他にも、PLOがしてきたこと、その報復といったことも語られ、どうにもならない泥沼感が感じられます。

 

 しかし、彼らはその国民と対等に付き合ったのかと言えば、答えはNOです。ここに出てくるトニーとヤーセルは、個人として付き合ったことはないのです。彼らは国の歴史に縛られ、その過去を基にした印象しか持っていないのです。当然ですが、国家と個人は違います。国家があくどいことをしても、個人は善良で誠実な人かもしれない。ヤーセルとトニーのように。本作では、一瞬だけ、2人は「個人」として付き合います。その時だけは、しがらみも何も無いのです。目の前の人間を判断するために必要なのは「国家」ではないのです。排外的な主張が叫ばれている今の時代に観られるべき作品でした。日本も必見です。

ストーリーは雑。でも観れてしまうくらいには面白い【ヴェノム】感想

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67点

 

 

 「スパイダーマン」に登場する人気ヴィラン、ヴェノム。本作は彼を主人公にしたスピン・オフ作品です。予告では散々「悪」であることを強調し、『デッドプール』よろしくダーク・ヒーローもののような雰囲気を醸し出していました。ただ、デッドプールは規格外ヒーローですが、本作のヴェノムは真性の悪(サム・ライミ版『スパイダーマン3』にちょろっと出てきました)。なので、「悪」である彼をどのようにして描くのか、が気になったので鑑賞しました。

 

 本作はアメリカでも大ヒットを飛ばしています。ですが、公開直後に米批評サイトRotten Tomatoにおいて、批評家と観客で評価が真っ二つに割れたことも記憶に新しいです。もちろん一般の観客と批評家では作品を観る視点が違いますから、これは観てみないと何とも言えないと思いました。で、鑑賞してみたところ、この評価の別れ方が大変納得できる作品でした。

 

 本作は所謂「バディもの」のオリジン的な内容です。社会的な正義に燃える記者エディ・ブロックが、宇宙から来たシンビオートのヴェノムと一体化し、世界の危機を救うというものです。しかし、本作ではそれが上手くいっていません。全ての描写が浅く、ストーリーが雑なのです。

 

 まず、主人公のエディです。彼は正義に燃えていますが、実は私たちのような人間と同じ側面があります。目の前で犯罪が起こってもただ見ていることしかできないし、マナーを守らない隣人に苦情を言うこともできません。さらに真実を追求する過程で、権力によって職を、自身の自業自得で恋人を失います。

 

 無職になった彼が出会うのがヴェノム。予告では散々「悪」であると強調されていましたが、観てみると「悪」というよりは「ワル」になりきれないヤンチャ坊主といった感じです。ただ、どうやら彼はシンビオートの中では「負け犬」らしいのです。

 

 本作はこのような2人の負け犬が力を合わせ、世界を救うという本来なら私が大好物な題材なのです。しかし、この2人の負け犬描写が浅いのです。エディは確かに職を失いましたけど、観ていると勇み足な感じは否めないし、恋人を無くしたのに至っては自業自得です。なので、彼の怒りが逆恨みにしか感じられません。まぁ、原作のヴェノム自体もスパイダーマンへの逆恨みから生まれたので、ひょっとしたらこれはそのオマージュなのかも?とか考えましたが、それじゃヒーロー誕生譚としてまずいと思います。

 

 でも、エディはまだいいです。具体的な描写がありますから。問題はヴェノムです。彼には「負け犬」描写が一切ありません。台詞での説明すらありません。自分で「俺は負け犬だった」と言っているだけなのです。これでは感情移入もへったくれもありません。また、コイツに関して問題なのは、ちょっとエディと付き合っただけなのに、地球を守る側についていること。「俺はここが気に入った」って、いや、アンタが地球に来てやったことってバイクで街を疾走したり少し飯食っただけじゃん。どこらへんが気に入ったんだよ!と突っ込みたくなります。さらに、シンビオート側のドラマは一切描かれないため、ヴェノムが敵とどういう関係だったのかも分からず、それがヴェノムの描写の浅さに繋がっています。そしてそれにより、バディものとしてのカタルシスも無いです。何の障壁も乗り越えてないし。こいつら。

 

 他にも突っ込みどころはあって、例えばあの研究所ですが、あのような重要機密を扱っているのに監視カメラ1つないのかよとか、最後の決め台詞の下りも、同じところを2回も襲うのかなとか、ヴェノムを捕獲しようとする際も弱点が分かっているのに何故その対策をしてこないのかとかです。

 

 このように、本作は全体としてはあまり出来がいいとは言えないと思います。おそらくこれが批評家受けが悪かった理由なのではないでしょうか。

 

 しかし、私は本作を「面白い」か「つまらない」かどちらか選べと言われたら、「面白い」を選びます。というのも、観ていると2人のコンビが息ピッタリであり、そのやりとりが面白いのです。これはもうキャラクターの勝利なのではないでしょうか。だってこのヴェノムは見た目に反して超いいヤツで、エディに恋のアドバイスをしたり、食欲を抑えられず何度もエディに止められ、それについてブー垂れています。完全にギャップ萌えキャラです。この「ヴェノムに愛着を持たせる」という意味では、本作は成功だと思います。

 

 大ヒットしているので続篇は確実にあると思われます。ラストからすると、続篇の敵は「アイツ」だと思われますが、だとすれば、スパイダーマンの参戦は本格的に必要になってくるのではないでしょうか。

 

 最後に。本作を観た次の日にスタン・リー氏が逝去されました。本作にも元気そうなお姿を見せていたため、訃報を耳にしたときは驚きました。素晴らしい作品をありがとうございました。

圧倒的アニメーションクオリティ!ストーリーは微妙【ムタフカズ】感想

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65点

 

 

 スタジオ4℃制作の日本とフランスの合作映画。スタジオ4℃は以前制作した『鉄コン筋クリート』が大変素晴らしい出来だったため、本作は制作を知った時から楽しみにしていました。鑑賞してみると、確かにアニメーションは素晴らしかったです。しかし、肝心のストーリーは消化不良な点もあり、総合的には「普通」な印象の作品でした。

 

 本作は上述の通り、アニメーションが素晴らしいです。まずはアンジェリーノたちが住むDMC(ダーク・ミート・シティ)です。治安が悪そうなゴチャゴチャした街並みや、アンジェリーノとヴィンスが住んでいる部屋の散らかっている感じなど、かなり緻密に描かれており、画面の情報量が多いです。また、キャラクターの芝居も細かくて観ていて楽しいです。

 

 中でも私が感動したのがアクション・シーン。本作には路地裏での逃走劇、部屋や開けた道での多彩な銃撃戦といったアクション・シーンが多くあります。それらが一々空間を上手く使って見せ方をし、なおかつアンジェリーノ達もあるものと知恵を使って戦うため、ここはアニメーションもそうですが、1つのアクションとしても観ていて楽しいものでした。しかも、銃で撃たれた人の倒れ方とかも良いですね。

 

 このように、本作はアニメーションは素晴らしかったです。これだけでも元は十分にとれると思います。ただ、ストーリーは微妙です。話の筋はアンジェリーノの「自分」を確立するまでの話だと思います。一応それはやっていたと思います。しかし、これとストーリー上で起こる大規模な戦いとが交わらず、別個で完結していた気がして、故にまとまりが悪い気がします。何より、ヒロインの存在が消化不良でした。何を狙っていて、どういう心境の変化をしたのか、が分かり辛く、モヤモヤが残ります。また、主要3人以外のキャラもよく分からなかったです。

 

 このように、本作はアニメーションは本当に素晴らしかったのですが、ストーリーは微妙な作品でした。

「全編PC画面」の設定をフルに活かした秀作ミステリー【search/サーチ】感想

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92点

 

 

 『クレイジー・リッチ』と同じく、キャストの大半がアジア系で占められている本作。キャストがほとんどアジア系。これだけでも大変画期的な作品ですが、本作のそれ以上に画期的な点は、「全編PC画面のみで進む」という点でしょう。最初にこの映画の存在を知ったときは確かに意欲的な作品だと思いました。しかし、正直に言えばそこまで期待はしていませんでした。この手の作品は手法こそキャッチーですが、大抵はそれは「手法」だけで終わっていて、その作品のテーマやストーリーと上手くリンクしていないケースが多いからです(若しくは時が経つにつれて陳腐なものになっていく)。ただ、予告編で町山智浩さんが褒めていたし、評判も良いので鑑賞した次第です。

 

 とても面白かったです。観る前に危惧していた「設定とストーリーの乖離」は全く感じず、与えられた設定をフル活用して作品のテーマを描いていました。

 

 「作品のテーマ」としては、父と娘の絆の回復です。それを失踪事件を追う流れで見せていきます。何故、この2人の絆が途切れ気味なのか。それは母親の死です。冒頭に映される、家族のモンタージュが本当に素晴らしいです。必要最小限の情報で我々に彼らがこれまでどのように過ごしてきたのか、そして、母親の死からの映像が無いことで、それ以降は交流が途切れ気味であることがはっきりと示されます。素晴らしい出だしです。

 

 この親子の絆が途切れがちなことも、「PC画面」をフルに使って描きます。代表的なのは会話です。PCなのでTV電話とかがあるのですが、それ以上に使われるメッセージが効果的です。「発進した文章」と「書きかけて削除した文章」を両方映すことで、「本音」と「建前」を視覚的に我々に理解させています。しかもこの行為そのものがラストで感動ポイントとして効いてくるという抜け目のなさ。そしてこの2人の絆の結末を、冒頭から出ていたデスクトップの壁紙の変更で表現するという確かにPCならでは、且つ映画的な演出で表現しています。ここは舌を巻きました。

 

 さて、本作は失踪した娘を探すというミステリーです。ミステリーと聞けば、聞き込みや現場検証など、足を使って操作をする姿が思い浮かびます。本作は、この「捜査」も、PCならではの手法で描きます。具体的には、マウス、クリック、google検索を丁寧に見せることで捜査の「過程」を分かりやすく見せています。そして、どれだけ調べたかという「結果」がデスクトップ上に貼られた量で視覚的に一発で分かるようにしているところも凄いなと。

 

 しかもこの設定上、映るのは主人公視点のみのため、真犯人の状況が一切映らないことの理由になっています。これは少しズルい気がしますけど、よくよく考えてみれば真犯人は画面上に何回か出てきたのでこのアンフェア感を中和しようとはしていたのだろうなぁと思わせられます。

 

 また、ミステリーとしての情報の出し方も結構フェアで、真犯人に繋がるものもしっかりと画面上に出てきています。なので、画面に気を配れば、主人公よりも先に真犯人に辿り着けるかもしれません。ただ、これによって、中盤のあの事件によって真犯人が危機に陥らなかったことに少し違和感が生じるのですけど。観ている間は気になりませんでした。

 

 さらに、PC画面によってサスペンス性も強まっています。中盤、主人公がある人物と対峙しているときにかかってくる電話も、PCにかかってきているため、主人公が気付かないのも納得がいきますし、画面上に着信が出るので、視覚的に「電話がかかってきている」ことが分かり、「早く出ろ」と観客の不安を煽るのです。これはPC以外だと難しい演出だと思います。

 

 このように、本作は「全編PC画面」という奇抜な設定をストーリーに上手く馴染ませた作品だと思います。ミステリーとしてもフェアだと思いますし、私はかなり面白かったです。疑問に思ったこととしては、話が中盤大きく動くのですが、そこで「全編PC画面」という設定に少し無理が生じてきたことですかね。でも許容範囲です。面白かった。