暇人の感想日記

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清算と救済とオリジン【スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム】感想

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92点
 
 
 2017年の『スパイダーマン ホームカミング』から続く、MCU版『スパイダーマン』の第3作にして、完結編。監督は全2作から引き続きジョン・ワッツが担当。脚本にはクリス・マッケナとエリック・ソマーズらが続投。本作は、予告編が公開されたときからマルチバース化、歴代ヴィランが総登場することが示唆され、大いに話題を呼んでいました。その話題性も相まって、公開直後からは北米では驚異的な興行を維持し、歴代の興行成績ランキングでも上位にくる成績を残しています。私も予告を観たときから楽しみにしており、鑑賞してきました。
 
 ミステリオに正体をばらされたピーターは、何とかしようとドクター・ストレンジを頼る。ストレンジの魔術によりみんなの記憶からスパイダーマン=ピーターの記憶を消してもらおうと考えたものの失敗し、マルチ・バースからヴィランがやってきてしまう。今、彼らとピーターの激闘が始まる・・・。
 
 映画『スパイダーマン』シリーズは、SONYとMarvelスタジオとの間にある、「大人の事情」の歴史でした。Marvel、いや、全アメコミヒーローの中でも屈指の人気と知名度を誇っているにもかかわらず、映像化権をSONYが持っているため、MCUへの参加が『シビル・ウォー』になってしまったということはMCUファンならば皆知っている事でしょうし、過去のサム・ライミ版やマーク・ウェブ版『スパイダーマン』は、興行的、もしくは制作陣の意見の相違といった理由でシリーズが打ち切りの憂き目に遭っています。本作はこれら過去に製作されながらも打ち捨てられていた映画作品にMarvel自身が1つの決着を用意してみせるという作品でした。この点でいちばん近いのは2019年に公開された『スパイダーマン:スパイダー・バース』ですが、あちらは膨大な数にのぼるコミックからそれぞれのスパイダーマンが参戦し、全てを肯定してみせるという作品でした。翻って、本作が肯定してみせるのは「映画」であるという点が違う点です。
 スパイダーマンとは、「マスク」のヒーローです。ピーター・パーカーは「人間」としての側面と「ヒーロー」としての側面を持ち、それをマスクをつけることで分けていました。それはそのまま本作に出てくるヴィランにも言えます。本作に出てくるヴィランは、元々は善良な人間だったのですが、意図せずに「力」を手に入れてしまったことで「悪」の道に入ってしまいます。グリーン・ゴブリンは、ノーマンが自ら作った装置によって二重人格が増幅された結果生まれた存在ですし、ドック・オックは、高潔な科学者でありながらも、やはり自ら作成したアームに乗っ取られ、悪になります。リザード、エレクトロ、サンドマンも同じで、本作に出てくるヴィランは、「力を持ってしまったが故に悪になってしまった」という点で、「大いなる力には大いなる責任が伴う」という自覚を持ったピーターの合わせ鏡であると言えます。そして彼らとの戦いは必ず悲劇で終わります。ピーターは、彼らを「倒す」ことはできましたが、「救う」ことはできていませんでした。そしてそれ故に、「スパイダーマン」としての責任を背負うこととなります。
 
 本作は、このような「悪」の道に入ってしまったヴィランを「治癒」することで、彼らに人生をやり直す機会を与え、同時にピーターが背負ってきた「責任」の十字架を幾分か降ろさせたのだと思います。そしてこれは、ヴィランスパイダーマンだけではなく、過去に製作された映画たちの清算にもなっています。「完結」しなかった過去作のその後のピーター・パーカーを召喚させることで彼らのその後を示唆し、その上で未回収だった部分を救済させます。大きく救済されたのは何と言ってもアンドリュー・ガーフィールド版だったかと思います。MJが自由の女神から落下したとき、彼女を「キャッチ」したときの感動は格別なものでしたし、彼のその後を聞いた後だと、余計に彼の救済になれたのかと思います。トビー・マグワイア版においても、『3』で有耶無耶になっていた点に決着をつけさせます。
 
 本作は上述の「清算」の側面を強く持った作品ですが、同時に「トム・ホランドスパイダーマン」のオリジンでもあります。この点も多分に『スパイダー・バース』と同じ構成です。あちらもマイルス・モラレスのオリジンでした。マイルズは他のバースから来た先輩スパイダーマンの力を借り、「スパイダーマン」として成長しますが、本作のトム・ホランドも同じです。本作の後半は、サム・ライミ版、マーク・ウェブ版『スパイダーマン』1作目と構造が似ています。特にメイおばさんの下りは、ベンおじさんがメイおばさんに代わっただけで、彼女を殺されたピーターが復讐にかられる点など、要素だけ見れば酷似しています。しかし、憎しみにかられたトムホをトビー、アンドリューの2人が諭すことで「悪」の道に逸れることを回避させます。
 トムホ版『スパイダーマン』は、基本的にアイアンマン/トニー・スタークの尻拭い的な話ばかりでした。完全に巻き込まれる形で活躍をしていたトムホピーターでしたが、ここで遂に自らが起こしたことの責任を背負ってみせます。それがラストであり、皆の記憶からトムホピーターの記憶が消えても、「スパイダーマン」は消えない。トムホピーターは最後に新たな「ホーム」に辿り着くわけですが、そこからのスウィングは、哀しさはあれど、非常に感動的でした。というのも、あのシーンは「責任」を自覚したピーターが、「スパイダーマン」として生きることを覚悟したシーンだからであり、「マスク」のヒーローであるスパイダーマンのオリジンの帰結として、圧倒的に「正しい」と思ったからです。確かに、これでSONYとの契約が切れることを考えれば、後でどうとでもできるようなこの結末には「大人の事情」を察してしまいますが、それはそれです。
 
 斯様に本作は、「スパイダーマンの過去作の清算を利用してトムホ版スパイダーマンのオリジンをやってしまう」という非常にエクストリームな内容で、しかもそれがちゃんとできているという、奇跡的なバランスの作品でした。これはこれで「大人の事情」を察してしまうし、最後のアクションが観にくいという欠点もあるし、そもそもこれは映画なのか?という疑問ありますが、ひとまずは全てのスパイダーマンに、ありがとうと言いたいと思います。
 
 

トムホ版過去2作。

inosuken.hatenablog.com

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要はこれの実写版という話。

inosuken.hatenablog.com

 

最後にちょっとだけ出てたよね。

inosuken.hatenablog.com