暇人の感想日記

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不誠実極まりない映画【Fukushima50】感想

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30点

 

 

 2011年3月11日。東日本大震災が起こったその日、福島第一原子力発電所で未曽有の事態が起こった。本作は、そこで事態の収束のために奮闘し、世界で「フクシマ50」と呼ばれた人たちの物語です。原作はノンフィクション作家の門田隆将さんで、監督は『沈まぬ太陽』や『空母いぶき』などの若松節朗さん。今年は日本映画をなるべく観たいと思っていたため、本作に関しては観るかどうか迷っていました。しかし、キネマ旬報で大酷評されたらしいこと、SNS上で賛否両論の論争を呼んでいることを知り、「ちょっとこれは自分の目で観なければならないぞ」と思ったので、鑑賞しました。ただ、新型コロナウイルスの影響で緊急事態宣言が発令され、その影響で映画館が閉まってしまったため、Youtubeでのストリーミング配信にて鑑賞しました。

 

 鑑賞してみると、確かにこれは酷評されても仕方がない内容だと思いました。描き甲斐のある、そして同時に描くべき題材であり、これをエンタメ映画として上手く撮ることができれば、まだまだ日本映画にも希望はあると思えました。しかし、出来上がったものは、ぶっちゃけ政府が原発で奮闘した方々をダシに使ったオリンピック推進のためのプロパガンダ映画になっており、それを抜きにしても映画としての出来もあまり良くないものでした。あ、お涙頂戴映画としては良いんじゃないですか。

 

 

 まず良い点を書きます。それは実際に取材して作ったという福島第一原子力発電所や、事故当時を再現したセットです。細部までこだわって作ったそうで、これで少なくとも視覚的な意味での現場の再現はできていたと思います。私も初めて観た時はその作り込みに感心してしまいました。

 

 また、ストーリー的にも、序盤は素晴らしかったです。地震が発生し、津波が押し寄せ、原発が呑み込まれてしまうという下りをいきなりやっており、我々観客を一気に劇中の状況に引きずり込みます。そしてそこから、訳も分からずにとにかく未曽有の事態に対処する現場の人々の姿を描いていきます。この展開は日本映画ならば『シン・ゴジラ』を彷彿とさせられ、とても良い選択だったと思います。

 

 そして原発の状況と、何がどうしたら危険なのか、という解説を総理へ説明するという形で観客に説明している下りもスマートだなと思いました。そしてその総理も、少なくとも最初の30分くらいはSNS上で言われているような描かれ方ではなく、東電の無能采配と現場との「報・連・相」が全く出来ていないが故のテンパりなのだと解釈できました。

 

 このように、少なくとも序盤は「悪くないじゃん」と思えるくらいには楽しんで観ることができていました。しかし、中盤以降、どんどん失速し、同時にキナ臭くなっていきます。

 

 まずはストーリー面での失速。中盤、現場だけでは話を回せなくなったためか、『シン・ゴジラ』がやらず、それ故に評価された「主人公の家族の物語」を入れてしまうのです。しかもそれが明らかに「吉岡里帆のために用意した」としか思えない心底どうでもいいシーンで辟易しました。あのシーンが何か後で効いてくるかと言えばそこまで重要なものでもなく、あれでは吉岡さんがかわいそうです。まぁ市井の人々も、ぶっちゃけアメリカ軍を活躍させるためだけにいた感ありますしね。

 

 そして同時に、話も「現場と上層部」がいがみ合っているだけという展開が続くため飽きてきます。この「現場とそれを理解しない上層部」の軋轢という描き方も、テンプレートが過ぎ、申し訳ないですが『踊る大捜査線』の頃と何も変わっていません。さらに、「総理」の描かれ方もどんどん雑になっていき、ただの「悪」としてしか描かれません。

 

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 話の焦点を「上層部VS現場」にし、そして「総理」を悪のように見える描き方にしたおかげで、本作における「責任の所在」が極めて曖昧になってしまっている印象を受けます。確かに、現場で本当に命を懸けている人たちに命令しているのは安全な場所にいる上層部です。しかしその描かれ方は上述のようなテンプレートで、『踊る大捜査線』でしかなく、本質的なところ、つまり、「現場の人たちに「死ね」と言っているに等しい」という点がかなり希薄なのです。これは現場側のヒロイックな描き方にも問題がありますけど。言っては何ですが、この状況下では、彼らの命は上層部ら言えば捨て駒と言ってもいい。その面を総理の安っぽい演説とか台詞じゃなくて上層部にも持たせてほしかったです。HBOの『チェルノブイリ』は出来てたぞ。

 

 そしてこの「責任に所在の曖昧化」は、ラストの吉田所長の手紙にも表れています。事故が起こった原因を「自然を舐めていた」とし、だから「2度と起こしてはならない」としています。確かにそれは、抽象的な意味ではそうでしょう。でも、大切なのは、「自然を舐めていた」から「誰(or組織)が、何をして」その結果「事故が起こったか」ではないでしょうか。本作ではこの点が抜け落ちていて、不誠実極まりない。少なくとも、吉田所長は津波の危険性や東電のザルな調査(この辺は添田孝史さん著の「原発と大津波 警告を葬った人々」に詳しい)も知ってた可能性が高いわけですし。こんな風に物事の原因を抽象的なもののせいにして「2度と起こしません!」と言うのって、反省してない人間の常套句ですよ。私も使ってたからわかる。

 

 しかも、原発に対する批評的な視点もない。『チェルノブイリ』では放射能をあれだけ「恐ろしいもの」と描いてみせたのに、こちらはまだ「未来のエネルギー」と言ってはばからない。

 

原発と大津波 警告を葬った人々 (岩波新書)
 

 

 かくして責任は「自然のせい」になり、ラストではまるで復興が完了したor未来は明るいと言わんばかりに桜が咲き、日本の国土が映されます。ここまでは私も呆れつつも観ていました。しかし、そこで「2020年東京オリンピックの聖火は、福島からスタートします(うろ覚え)」の文言が。そしてエンドクレジットでは美し~い日の丸ですよ。要はこの映画、「Fukushima50」という「英雄」にちょうどいい人たちをダシにした政府主導のオリンピックプロパガンダ映画だったのです。真剣に震災のことを考えているなら、未だに『シン・ゴジラ』的なラストの方がいいと思いますよ。いや本当、最低です。

 

 本作を好意的に解釈すれば、「フクシマ50」のおかげで日本は守られた。復興もした。だから、オリンピックが開催されるんだととれます・・・って、好意的に解釈しても最低だった。一応、キネマ旬報の監督インタビューを読めば、監督なりに原発へのメッセージを込めてはいるようです。終盤の「原発は未来のエネルギー」の文字が空虚に見える演出とか。でもそれは抽象的で、やはり上述の「誰(or組織)が悪いのか」が曖昧になっています。ただ、それにしても、我々のような、東北にも住んでおらず、当事者でもなく、原発のエネルギーを享受している人間が、このような出来事を事実の検証を抜きにしたお涙頂戴の物語として享受し、「良かったね」って涙するって、凄く醜悪だと思う。『永遠の0』と何が違うんだろう。

 

 最後に。感想の中で何度も引用してきましたけど、これとほぼ同じテーマを扱った『チェルノブイリ』について。あのドラマを見ていると、あそこで起きていることのほとんど全てが日本でも起こっています。組織の隠蔽、対応の遅さ、そして被害に遭う人々、権力者の恣意的な思惑で犠牲になる人々。あのドラマはそれらを極めて誠実に描いていました。本作ではこの視点が圧倒的に足りてない。『パラサイト』がアカデミー賞を獲ったとき、「日本映画はダメだ」と言われました。そこで、「いや、そんなことはない」という自己肯定感に溢れた声が上がりましたが、こういう点がダメなんだよ。描き甲斐のある題材でも、どうしても情緒の方に軸が行ってしまったり、多方面に配慮し、政府のプロパガンダを作ってしまう。大作はこれで、小規模作品でも出てくるのは『新聞記者』ですからね。色々と絶望した次第です。本作を観て感動した人、観ようと思っている人は、悪いことは言わないのでHBOの『チェルノブイリ』観てください。私からは以上です。

 

 

同じく東日本大震災の映画。こちらは道半ばの復興に寄り添った物語。

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 アメリカの方が原発事故の驚異をキッチリ描けてるってどういうことだ。

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