93点
1956年の東ドイツを舞台にした作品。非常に評判が良いので鑑賞しました。鑑賞したのは実は5月の末。忙しさにかまけて感想を書くことができず、ここまで延び延びになってしまいました。いい加減書かないと内容とか、映画を鑑賞したの感想が消えてしまいますので、遂に重い腰を上げた次第です。
本作の主要な登場人物は、当時スターリンシュタットの高校に通っていた、特進クラスの高校生たち。彼らのリーダー格である秀才、テオとクルトの提案で、ハンガリーの独立運動の犠牲者に対して2分間の黙祷をささげたことが物語の発端となっています。この行為自体は全く咎められるものではありません。民主主義をきちんと機能させている国家であれば、何の問題にもしません。しかし、本作の舞台は1956年、ソ連の支配下にあった東ドイツ。当時のソ連を考えれば、この、共産主義に対する反抗ともとられかねない行為は、大問題になります。最初は軽い気持ちで行った行為によって、事態がどんどん悪化していき、遂には国家レベルの事態になっていく。何の力も持っていない高校生にとっては、恐怖以外の何物でもありません。
沈黙する教室 1956年東ドイツ?自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語
- 作者: ディートリッヒ・ガルスカ,大川珠季
- 出版社/メーカー: アルファベータブックス
- 発売日: 2019/05/21
- メディア: 単行本
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国家レベルの事態になった際に出てくる権力者側の追及が本当にえげつない。高校生たちの浅知恵を情報操作や言葉によって疑心暗鬼にさせたり、西側に対して不信感を募らせるように誘導し、彼らを追い詰めていく様は巧みながら、演じている女優さんの力量も相まって、非常に恐ろしい。
さらに、権力者側でなくとも、高校生たちの両親も彼らへの追及や、追い込みに一役買ってしまっています。もちろんこれは悪意があってのことではなく、子供の将来を考えての事。高校生たちは、20歳にもならないうちに、人生の選択を迫られてしまうのです。
多分に政治的な内容をはらんでいる本作ですが、それと同じくらいウェイトを占めているのが2つあります。その1つは、高校生たちの友情物語としての側面。権力者側の追及によって疑心暗鬼になりながらも、友だちのために最後まで抵抗を続け、また友だちのために自分の将来を諦めるという選択は、観ていて胸が熱くなりました。最後の「握手」がこれまた最高です。
もう1つは世代間の対立という側面。上記のように、大人は高校生たちを思いとどまらせようと権力に協力する形になってしまいますが、同時に、これには自分たちのやってきたことを否定されたくないからでもあります。本作で出てくる大人は、西暦から考えて、ナチスと戦っていた世代でしょう。彼らはナチスの独裁に立ち向かい、今の国家を作り上げたのです。まぁそれが似たような体制になっているのは皮肉でしかないのですが、この点を肯定してしまうと、彼らはナチスと同じであると認めてしまうようなものなのです。
大人に対して、高校生たちにとっては、ナチス時代など遠い記憶。むしろ印象に残っているのは、今の大人が作り出した、この不自由な国家なのです。だからこそ、ラストのもう1つの「握手」は印象的でした。「自分たちは、親世代とは違う決断をする」という意思表示に思えたからです。
そして映画は、その後に続いて「列車」に乗った高校生、中でもテオの表情を映して終わります。その表情は、これから待つ明るい「希望」への期待や、それでもこの先に何があるかは分からないという不安、しかし、それを乗り越えて生きていこうという意思に満ちているものだったと思います。素晴らしい作品でした。
まったく作風は違いますが、本作は米ソ冷戦下のベルリンが舞台です。
ナチス・ドイツの物語。こっちもこっちで怖い。