暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

「現実の世界」をそのまま切り取った映画【スリー・ビルボード】感想

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94点

 

 今月の頭に発表されたアカデミー賞において、最後まで作品賞本命の1つと言われていた作品。その評判の良さは公開前から聞いていまして、2月中に鑑賞していました。しかし、最近どうにも時間が取れず、感想を書くのがこんなに遅くなってしまいました。

 感想として、凄まじい映画でした。観ていくうちに映画の印象が二転、三転どころか四転、五転していき、最終的に映画の内容は観始めたときは全く想像していなかったものになっていました。

 まず本作は、タイトルにもある3枚の看板から始まります。鑑賞後に考えれてみれば、この時点で、作品の根幹である「人間の多面性」がこれらの看板の表裏が映されることによって端的に示されていたのだと思います。

 この後に始まるのは、フランシス・マクドーマンド演じるミルドレッドが、この看板を持っている会社に使用許可を迫るシーン。ここで、自然なやり取りによって事態を観客に把握させる脚本は見事だなぁと思います。これによると、彼女は娘をレイプし、惨殺した犯人を未だに捕まえられない警察に業を煮やしているらしく、ハッパをかけるために看板を使いたいのだとか。最初は、この彼女視点で話が進み、話も「田舎町で腐敗した警察と孤高に戦う」という、どことなく西部劇テイストです。彼女自身も表情を崩さず、常に繋ぎを着ているなど、どことなくクリント・イーストウッドっぽいなぁ、と思っていたら、本人はジョン・ウェインを意識したとか。さいですか。ただ、この彼女の行動も、ある人物たちの見え方が変わるにつれて、どんどん過激に映っていきます。

 その人物の1人がウディ・ハレルソン演じるウィロビー署長。最初こそ作品全体のラスボス感を漂わせている彼ですが、実は末期癌で、捜査についても決して手を抜いていたわけではないことが明らかになります。そして彼の取ったある行動が、さらにある人物を変えていきます。

 それがサム・ロックウェル演じるディクソン。最初こそ差別的で高圧的、最低な奴でしたが、ウィロビーにより、変わっていきます。そして、作中で最も重要な要素である、「対立するのではなく、愛を以て接する」ことを体現する存在となります。また、彼にもある秘密があることが明らかになり、常に高圧的だったのも、それが原因となっていたことも明らかになります。

 このように、本作は主要3人の印象がコロコロと変わっていきます。これによって、我々には、登場人物を型通りの「キャラクター」ではなく、1人の「人間」として見ることができます。そしてそれ故に、何が正義か分からない、というか、決まった正義があるのかも分からない、という混沌が生まれ、まさにこの世界のどこかで起こっていてもおかしくないような話になっているのです。

 このように展開は二転、三転し、最終的には正義の話になるのかなぁと思います。ミルドレッドは以前教会に通っていましたが、事件の後は通うのを止めました。そして、劇中では混沌とした出来事が起こっていますが、事態を打開できるようなことは何も起こりません。むしろ、話が進むにつれてややこしくなり、不条理極まりない。この世に神はいないのか。ラスト、ミルドレッドはとある決断をします。それは本当に正しいのか?この疑問に対し、彼女はこう答えます。「道々考えるわ」。我々はどう考えるのか。それを語りかけてきた気がしました。

 また、恐ろしいのはこの映画、ここまで登場人物の印象をグチャグチャにしているのに、話が全く破綻していないのです。脚本が素晴らしいことがあるでしょうが、この点についてはそれ以上に、役者さんの力量の高さがあるでしょうね。アカデミー賞でも主要なところは獲ったし。

 しかも本作は、それらを非常に高い水準の技術で撮っています。よく言われている長回しもそうですが、画面にも情報が張り巡らされていて、ミルドレッドが看板の下のかざる花とか、ブランコとかですね。つまり本作は、非常に高いクオリティの脚本を一流の役者とスタッフが形にした良作だと言えると思います。