暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

【散歩する侵略者】感想:人を人たらしめているものとは ※ネタバレあり

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78点

 

 初めて題名を聞いたときは、ウルトラセブンのタイトルみたいだな」と思いましたが、観てみたら本当にセブンのような話でした。原作者である前川知大さんも「セブンには影響を受けた」とインタビューで仰っていました。でも、内容は「散歩する惑星」よりも、「狙われた街」のようなものです。というか、「セカイ系」っぽいですね。

 映画は金魚すくいのシーンから始まります。もう、このシーンそのものが宇宙人が人類を狙ってる暗示のようで不気味です。そしてそれを手にした女子高生が家に帰ったら起こる惨劇。直接には描かないで、おばさん1人が家に引きずり込まれるだけでそれ表しているあたりが上手いなぁと。そして、横転するトラックと、血まみれで道路の真ん中を歩いている少女。ここに、日常の中に何か異質な存在が入り込んだことが分かります。そして以後、じわじわと日常を侵食していきます。映画全体の、この侵食の過程がすごくいいです。

 最初は少しだけだった違和感がだんだん増大していき、終盤、街中で自衛隊を見たときにその違和感が爆発。一気に世界規模のストーリーになります。そしてラストの2人だけの空間における終末感。派手なエフェクトはほとんど使っていないのに、夫婦というものすごくミクロな世界から「侵略」そして「世界の終わり」を描いています。

 本作では2つのストーリーが対比的に描かれていきます。加瀬家は言わば日常代表で、徐々に侵略されていく側です。桜井はジャーナリズムから宇宙人と積極的に行動を共にします。結末も対照的で、桜井は人類に見切りをつけ、宇宙人の側に立ち、文字通り宇宙人と「一体化」するのに対し、真治は最初は歩くのもおぼつかなかったのに、最終的に人類と共存する道を選ぶなど、「人間」に近づいていきます。

 真治が何故、最後に天野とは違う行動をとったのか。それはやはり、最後に奪った概念が関係しているのでしょう。天野は最後に「邪魔、迷惑」という概念を得ました。一方、真治は鳴海から「愛」を受け取りました。この2つに共通していることは、思い浮かべるには他人が必要ということ。しかし、内容は全く違います。前者は言わば「負の感情」なのに対し、後者は「正の感情」と言えます。迷惑・邪魔を得た天野が最後まで戦い抜いたのに対し、愛を受けた真治はより人間らしくなり、「海綺麗だな~」とか言っています。最後の宇宙人の選択も、愛の概念を知ったからと考えると、納得できます。

 真治はより人間らしくなり、人類と「共存」しています。黒沢清監督はインタビューで、概念を「人を縛り付けている何か」と規定しています。そして、「愛」を奪われた鳴海は抜け殻のようになるわけです。ここから、人を人たらしめているものは愛である、みたいな解釈もできるわけです。何か宗教臭くなってきたな。だから、東出昌大さんの神父があんな胡散臭かったのか。

 後、ラストの愛を受ける側と与える側の逆転が素晴らしいですね。あそこで深い余韻が残ります。ただのSF作品ではなくて、夫婦愛が根底にある、一種セカイ系的な作品でした。