暇人の感想日記

映画、アニメ、本などの感想をつらつらと書くブログです。更新は不定期です。

【ありがとう、トニ・エルドマン】感想 ※ネタバレあり

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89点
 
 親の心、子知らずという諺があります。親が心配していても、子どもはそのありがたみが分からないものです。ですが、行き過ぎた心配は、子どもにとっては「ウザい」だけです。特に本作のように、成人してまで職場に押しかけられ、人生について説かれた日には、堪忍袋の緒も切れます。
 
 本作、「ありがとう、トニ・エルドマン」は、そんな娘を心配してる父親と、それをウザがっている娘の気まずいやり取りを見事に笑いにしつつ、同時に普遍的なメッセージ、現代のヨーロッパの社会問題など、多様なテーマを含みつつも、最後にはそれが1つのテーマに収斂する作品でした。「家族という社会の最小単位から社会を描く」という点では、「セールスマン」とも似ていると感じました(結末は真逆ですが)。
 
 田舎で音楽の教師をやっていたヴィンフリートは、悪ふざけが好きな男で、金は無いけどそれなりに自由に暮らしています。しかし、その一人娘、イネスはバリバリのキャリアウーマンで、ドイツの大手コンサルタント会社に勤めています。ある日、ヴィンフリートは、一緒に暮らしていた猫を亡くします。そしてその寂しさから、突発的に娘の家に押し掛けるのです。
 
 本作の笑いは、非常に気まずい状況から生み出されています。ヴィンフリートが繰り出すギャグは、正直、全く笑えませんでした。というか、ウザかったです。だって、父親は女子会に押し掛けるわ、会社の上司と話してるところに割り込んでくるわ、迷惑そのものです。そしてギャグも寒い。なので、ギャグそのものより、2人の何とも言えない気まずさで可笑しくなることが多かったです。
 
 しかし、父親をウザいと思って映画を観ていると、彼の気持ちや、イネスの抱えている気持ちがだんだんと見えてくるのです。これは主演2人の演技が滅茶苦茶上手いことが非常に大きいでしょう。2人がそれぞれ抱えている気持ちを言葉に依らず、表情としぐさのみで表現しています。
 
 イネスが抱える気持ちについては、社会問題が関わってきます。本作では、貧富の差がはっきりと描かれています。イネスやその周辺の人間は富裕層で、高いスーツを着て、良い暮らしをしています。しかし、本作では、画面の隅のほうに、さりげなくルーマニア貧困層の人間を映しているのです。そして、イネスの仕事は業務効率化による従業員解雇のコンサルティングです。その現地調査として、石油採掘の現場に行くのですが、そこの住人は、イネスたちとは全く違う生活をしていて、別の国かと思ったくらいです。
 
 イネスはドイツ人です。そして、石油会社もドイツのものです。しかし、現地で生活している人たちは石油採掘をさせられ、貧しい暮らしをしています。つまり、完全に大企業が貧困層から搾取しているのです。イネスが高いビルから貧困層の家を見下ろすシーンがありますが、あれは貧富の差を表す象徴的なシーンでしょう。また、イネスが現地調査に行くシーンでは、その階層が、トップ、中間職、下層と段階的に描かれていて、凄く上手いな、と思いました。
 
 そして、イネスはそんな現状を理解しつつ、目を逸らしています。どうなんだと言ってきたヴィンフリートに「きれいごとを言わないで」と「正論」を言ったりもします。しかし、その表情からは、明らかに彼女が内心苦しんでいることが分かるんです。そんな中で熱唱した「Greatest Love Of All」。人が生きていく中で、一番最初の愛。自分を愛してやることを彼女が歌い上げるシーンでは、これまで塞ぎ込んでいた彼女の心が解放された気がして、涙が出てきました。
 
 熱唱した彼女は、ここから少しずつ心を開放していきます。まず、誕生日パーティーのとき、フックが下げられず、ヤケクソになって全裸で応対するあの爆笑シーンです。文字通り「ありのままな」姿で人と接したシーンだと思います。そして、それぞれの人物の反応も面白かったです。あの上司はいい人だと思う。
 
 しかし、それだけでは終わりません。ラストのアレです。出てきた時も驚きましたが、その後の展開には泣きっぱなしでした。何故なら、心を解放したイネスが、着飾らない姿で、童心に帰ったように戯れるからです。ヴィンフリートとイネスの気持ちが通じ合った気がしました。
 
 ラストのやり取りも良かったですね。時間は戻せない。生きる意味を考える必要はあるけど、人生はその時はその出来事の素晴らしさは分からない。分かるのは過ぎ去ってからです。自分が嫌いだった人も、かつての自分のことを誇れる日が必ず来る。今の自分を肯定できなくて苦しんでいる人全てに観てほしい作品でした。ありがとう、トニ・エルドマン。