80点
初めてのスウェーデン映画。監督は本作が長篇2作目の監督作となるアリ・アッバシ。公開前から随所で話題だったので気になり、公開初日に有楽町で鑑賞してきました。ちなみに、劇場はかなり埋まっていました。
本作に関する情報はなるべく入れずに観たので、最初の1時間は困惑しました。何の映画か、よく分からなかったからです。税関で働いているティーナは、その容姿故か、孤独を感じて生きているということは何となく分かりましたけど、そんなティーナの日常を淡々と映していくだけなので、物語がどこに向かっているのかがさっぱり分からなかったのです。
しかし、中盤で、ティーナはドワーフであるという衝撃的な真実が明らかになり、視界が一気に開けた気がしました。つまり本作は、超リアル志向のファンタジーであると同時に、今年に世の中を席巻した『ジョーカー』や、その反転的作品『すみっコぐらし』と似たテーマを扱った寓話的な作品なのです。
寓意性としては、孤独と、ドワーフがたどった歴史に見出すことができます。ティーナは体のつくりが人間とは違い、容姿も醜い。それ故、「自分の居場所がどこにもない」という孤独を抱えています。だからこそ、自分と本当の意味での「同族」を見つけたあの瞬間に彼女は自身のアイデンティティを獲得するのです。
そして歴史。ドワーフは過去に人間に迫害されていた事実があり、今では少数がひっそりと暮らしているのみらしい。彼女は人間に育てられましたから、自身の種族の敵に育てられていたわけです。ここでも、彼女の「孤独」が見えます。余談ですが、この点を考えると、タイトルの「ボーダー」の意味するところが分かってきますし、ティーナが税関という「境界」で働いているという点も示唆的です。
さて、これら2つは、現実世界にも置き換えることができます。1つ目の「孤独」は先にあげた『ジョーカー』や『すみっコぐらし』と同じものです。「自分はこの世界で1人かもしれない」という漠然とした不安に対し、1人でも「仲間」と思える存在がいれば希望になるものです。ティーナにとっては、ヴォーレ、及びどこかにいる同胞がそうだったのだと思います。
2つ目の差別と迫害については言わずもがなです。近世以降、世界各地で起こった歴史とまるで同じです。本作はそれをドワーフという空想上の存在に託し、迫害の被害者がそこで生きる孤独や、生き残りの子孫の復讐といった負の連鎖、葛藤を描き出しているのです。
ラストでは、「人間」を選択したティーナですが、ヴォーレから送られてきたものから、彼女は希望を得たはずです。「この世界には、自分と同じ存在がいる。私は1人じゃない」と、そう思えただろうから。
似たようなテーマの作品。アーサーにも仲間がいれば・・・。
『ジョーカー』ハッピーエンド版。