暇人の感想日記

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日常の下にある意識をあぶりだす【ドゥ・ザ・ライト・シング】感想

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91点

 

 

 スパイク・リー監督の代表的な作品。監督はこれでアカデミー賞脚本賞にノミネートされたそうです。作品は有名なので、私も以前よりずっと観たかったのですが、例によって暇がなくずっと後回しにしていました。しかし、今年の3月、スパイク・リー監督の最新監督作『ブラック・クランズマン』が公開。ようやく観る時がやってきたかと思い、遂に鑑賞した次第です。

 

 冒頭、プエルトリコ系の女性がパブリック・エネミーズの「Fight Power」に乗せ、激しく踊り、拳を高く突き上げるという鮮烈なオープニングから、一気に映画に引き込まれます。拳を高く突き上げるというのは、『ブラック・クランズマン』でもやっていたような、ブラック・パワーの象徴のようなものだと思っています。そんな仕草を「Fight Power(権力と戦え)」に乗せてやるということに、現在の『ブラック・クランズマン』まで続くスパイク・リーの姿勢が感じられます。

 

 しかし、そんな鮮烈かつ強烈なメッセージのこもったオープニングとは裏腹に、映画で映されるのは、ムーキー(スパイク・リー)のボンクラな日常。子供もいる若者なのに、ピザ屋でサル(ダニー・アイエロ)に雇われ、文句を言いながら日銭を稼いでいます。

 

 ムーキーが住んでいるのはニューヨークのブルックリン。多種多様な人種が共生しているこの街では、個性豊かな面々が暮らしています。奥さんに愛想を尽かされたダメダメな爺さん、徒党を組むチンピラ、アジア系の店主、いつも「Fight Power」を大音量で流している男etc,etc・・・。序盤はこいつらの非常に楽しそうな、生き生きとした描写が続きます。

 

 個性豊かな面々と、ボンクラな主人公。これだけ聞けば、本作は何てことない作品かと思うかもしれません。ですが、大切なのはオープニングです。これを思い出してほしい。「Fight Power」=権力と戦え。しかも監督はスパイク・リーなのです。彼は『ブラック・クランズマン』において、「差別」というものに対し、銃口を向けた男なのです。何てことないわけがない。

 

Fight The Power

 

 

 そう思って観ていくと、このブルックリンの街には、「火種」が燻っていることが分かります。それは互いへの不信感です。映画を観ていると、黒人とサルの一家に徐々に徐々に入る亀裂を感じ、緊張感がヒリヒリと上がっていくのを感じます。そして、そのギリギリの線が切れ、状況は一気に最悪な展開へと進んでいきます。お互いにアメリカに流れてきた者同士のはずなのに、ちょっとした不信感から取り返しのつかない事態になる。本作は、これを着実に不安を積み上げていって見せていきます。

 

 この脚本の流れも見事ですが、それ以上に本作を素晴らしいと感じたのは、ラストの展開です。眠っていたムーキーを、ラブ・ダディ(サミュエル・L・ジャクソン)が叩き起こします。Wake Up!と。これまでボンクラでしかなかったムーキーが、黒人として「目覚めた」ところで、本作は日常に戻り、終わります。

 

 ここで、もう一度、冒頭を思い出しましょう。「Fight Power」です。ここでいう「権力」とは何かを考えてみたいと思います。終盤で、互いの不信感から、街は取り返しのつかない事態に陥ります。しかし、この不信感を醸成したのは一体どこの誰なのでしょう。それは多分、これまでの歴史なのではないかなと思います。これまでの歴史で、黒人は酷い目に遭ってきた。その積み重ねが不信感を生み、新たな事件へとつながっていったのではないかと思えます。そしてそれをやってきたのは誰か。白人もそうですが、国家ぐるみで差別をしていました。差別は不信感を生み、新たな悲劇を生む。だからこそ、それがたとえ権力であっても、目覚め、差別そのものと戦っていかなくてはならない。そんなことを考えた映画でした。

 

 

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 こちらも、「ちょっとしたことがとんでもないことになる」系の映画。

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