暇人の感想日記

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「権力」の恐ろしさ【バイス】感想

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93点

 

 

 2001年の9.11テロ当時、ブッシュ政権において副大統領を務めた男、ディック・チェイニーを取り上げた評伝映画。過去、様々な評伝映画が制作されましたが、それらはどれも大統領や、名は成さなかったにしても知名度はある人物のものでした。しかし、本作は、これまでその地味すぎる立ち位置から全く注目されたことがなかった副大統領を題材にした作品。私はアメリカの政治史にはそこまで詳しくはないのですが、町山智浩さんも薦めていらしたし、アカデミー賞にもノミネートされたので鑑賞した次第です。

 

 政治家の評伝映画と聞いて、まず思い浮かべるのは重厚な演出や、難解な政治的駆け引きです。ここが魅力であると同時に、少しだけとっつき辛くしている要素でもあると思います。しかし、本作は全く違っていて、内容はコメディチックなものに終始しています。作劇もかなり自由であり、ナレーションがメタなことを言い、第4の壁を破って観客に話しかけたり、登場人物の心境を説明するためにいきなりシェイクスピア調の話し方になったり、映画の途中でいきなりエンドロールが流れたりします。近年の作品で一番近いのは『アイ・トーニャ 史上最大のスキャンダル』ですかね。この点は、さすが、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のアダム・マッケイです。

 

 

 このように、内容は自由ですが、その反面登場人物は皆そっくりさん。特にブッシュとパウエルは異常なくらい似ています。クリスチャン・ベールは安定のデ・ニーロアプローチぶりですし、この点は役者の凄さを感じました。

 

 このように、本作はそっくりさんがコメディ作品に出ているような風体ですが、描かれていることは、前作『マネー・ショート』と同じく、かなりえげつないものです。本作は要するに、「非常に官僚的ながら、機に乗じることだけは上手い男が、権力を握ってしまった」というブラック・コメディなのです。

 

 映画を観ていると、このディック・チェイニーという男は思想など無く、ひたすら場当たり的に動きます。特に前半はそうで、政治家になったのも奥さんにせっつかれたからだし、共和党に入ったのもラムズフェルドが面白そうな人だったから。ただ、周りにいる奴らも問題で、ラムズフェルドはチェイニーが結構真面目に聞いた「そこに理念はあるんですか」という質問に対して爆笑して答えません。

 

 そんな「何も思想が無い」まま権力を握ってしまったチェイニー。そんな彼が国民のために公僕となるわけもなく、ひたすらその権力を行使しまくります。そのやり方はかなり周到で、まず、憲法を解釈だけで捻じ曲げ、一元的執政府理論なる謎の理論を掲げて事実上の独裁体制をしいたり、憲法に照らし合わせれば違法なことも解釈して平気でやっています。また、自分たちにとその支持者(主に金持ち連中)に有利な法律を通すために世論操作をしまくったり(この時も実に巧妙で、税金を呼び方1つで印象を変えるようしむけたり、「民主党は批判しかしていない!」とマスコミに報道させ、敵対組織の無責任ぶりを印象付けたりしています。どっかで見た光景ですね)、「アリバイ工作」も平気でやります。作中で何度もチェイニーが釣りをしているシーンが出てくるのですが、これはチェイニーがアメリカという国に対してやっていることの明確なメタファーでしょう。

 

 そして、それが極まるのが9.11テロ事件。それがきっかけでイラク戦争が始まるわけですが、それから10年間、チェイニーがCEOを務めている石油会社ハリバートン社は、アメリカから多大なイラク関連の受注をしたらしいですよ。「テロとの戦い」とか勇ましいことを言っていましたが、状況証拠を並べてみれば、誰がどういう得をしたのか、丸わかりなわけです。しかも、その個人的な利益のために、あまりにも膨大な人間を死に追いやり、今でもその禍根を残しているわけです。

 

 そして、最後に彼はとんでもないものを盗んでいきました。ナレーションをしていた男から心臓を譲り受け、延命するのです。彼は多くの命を奪ったくせに、自分は生き延びたのです。しかも、自分の国の国民の命を使って。これには、どこまでも国民からものを毟り取ろうという浅ましさを感じましたし、何より、「心が無い」と言われてきた男が本当に「心を失くし」、その代わりに国民から心を奪うという、とんでもなくブラックなラストになっています。

 

 好き放題やった政治家が国民の心を盗んでいった。何というブラック内容なのかと思います。しかし、本作はこれを「政治家の話」として終わらせません。エンドロール後、再び講習会が映されます。そこで映されるのは現代の国民の縮図。保守系は「この映画リベラルくせぇ」と言い、それに怒ったリベラルが突っかかって喧嘩になり、その横で「如何にも(失礼)」な感じの女の子が「ワイルドスピードの新作楽しみ~」とか言っているわけです。ここで、映画は我々にも問いかけてきます。「君たちにも責任はあるよね?」と。そう、私たちも、政治に関心を持ち、チェイニーみたいな奴をのさばらせないように意志を表明しなければならない。とりあえず選挙行くか。そんなことを考えた映画でした。

 

 

監督の前作。こちらも似たような作品でした。

inosuken.hatenablog.com

 

 似たような作品その2.

inosuken.hatenablog.com