暇人の感想日記

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まさしく11年の集大成。これまでの全ての作品に感謝します【アベンジャーズ/エンドゲーム(IMAX3D字幕)】感想 ※ネタバレあり

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100点

 

 

  遂にやってきた、MCU11年間の集大成。私は『アイアンマン』1作目から映画館で追いかけている!という長年のファンではなく、むしろ積極的に追い始めたのは2年前からというぺえぺえ。しかし、そんなことはどうでもよく、本作については昨年の『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー(以下IW)』が終わった瞬間から楽しみにしていました。

 

 鑑賞してみると、確かに本作はMCUが歩んできたこれまでの足跡の集大成であり、映像的にも感情的にも空前絶後の映画体験をすることができました。

 

 

 本作では、個々のヒーローは「死」と向き合います。本編が始まってすぐ映されるのは、前作では戦いに参加していなかったホークアイの家族との日常です。最初は幸せそうな彼ですが、サノスの指パッチンの影響で、家族が突然消滅してしまいます。そしてその後に出てくるアントマン/スコット・ラングは、ずっと量子空間に取り残されていた関係で浦島太郎状態であり、同じく突然の事態に戸惑い、家族の生存を必死になって確認します。この2者のように、前作で参戦していなかった者を使い、当事者でない側からの被害や苦しみをまず見せているのです。私たちはこの光景をこれまでに何度か見ています。災害や事故などで大量の人間が死んだときは、その家族は何とか生き残ってくれ、と思うはずです。具体的にはアメリカでは9.11テロ、そして日本では東日本大震災を始めとする災害を挙げることができると思います。

 

 本作でヒーロー達が立ち向かわなければならないのは、こうした「死」なのです。突発的な災害やテロで死んでしまった人間に対して、ヒーローは何ができるのか?結論から言えば、何もできません。『IW』のラストでニック・フューリーはキャプテン・マーベルに信号を送っていました。我々はこれでサノスに勝てる、と思っていました。しかし、その思いはすぐに覆されます。冒頭20分でアベンジャーズはサノスに逆襲(アベンジ)するのですが、その様はさながらリンチ。弱り切ったサノスをヒーロー達が寄ってたかってボコボコにするというものです。しかもそれで何か何か解決するのかと言えば全くそんなことはなく、余計にヒーロー達の行動が痛々しく映ります。ここで、もう力ではどうにもならないことがはっきりしてしまうのです。

 

 もはや力ではどうにもならず、そこからの5年間、ヒーロー達は各々の活動を続けていきます。キャップは被害者のメンタルケアをしたり、ブラック・ウィドウは取りまとめ役として他のヒーロー達を指揮し、ホークアイに至っては自分で半ば八つ当たりをしています。もうあの悲劇を回復することはできないのです。

 

 てらさわホーク氏は、自身の著作「マーベル映画究極批評」において、『アベンジャーズ』の批評でこう記述していました。「MCUは9.11で何もできなかったヒーローの復権をしようとしている」と。サノスの指パッチンをホロコースト、9.11テロと読み替えれば、その後のヒーロー達の姿は、9.11の現場で、瓦礫の撤去しかできなかったヒーロー達の姿と重なります。本作で描かれていることは、まさしくこれだと思いました。思えば、MCU作品は『アベンジャーズ』以降も、『シビルウォーキャプテン・アメリカ』等でずっとこの「死」と向き合い続けてきました。

 

マーベル映画究極批評 アベンジャーズはいかにして世界を征服したのか?

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 このような陰鬱な展開に一筋の光明をもたらすのが、我らがアントマンアントマンの参戦により、中盤以降はタイムトラベルを利用したケイパーものになります。ここまでは事前予想通りでしたね。

 

 また、このタイムトラベルに対する描き方も非常に誠実だと思っています。というのも、しばしばこれらのタイムトラベルに対しては、批判が噴出する要素に、「個人の勝手な思いで他人の運命を左右していいのか」というものがあります。それこそ、サノスと同じです。しかも、こういう言い方は何ですが、タイムトラベルをして、サノスの指パッチンを無しにしてしまえば、トニーの娘は生まれていない可能性があるわけです。ここで、あの出来事を無しにしてしまえば、失われる命もあるのではということをきちんと見せています。そしてその上で、「失われた命だけを元に戻す」という選択をするのです。過去は変えず、現在だけを変えるのです。

 

 しかも、本作はここで驚くべきことをしています。何とここで、各々のドラマを補完し、さらに過去作を別の側面から捉え直しているのです。

 

 一番グッときたのは『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』。あの作品、というか、『ソー』シリーズに言えた、「ソーの母親の存在感の薄さ」をここで払拭し、さらにソーを前に進める理由付けにしているのです。

 

 また、別の側面からとらえ直したギャグとしても機能しています。それが一番出たのが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のあの冒頭。我々はピーターが感じている世界をそのまま観ているため、最初に観たときは「何てイカしてるんだ!カッコいいなぁ」とか思っていましたが、よくよく考えてみればあの曲はピーターにしか聞こえていないわけで、外から見れば、そりゃあ、アホにしか見えないだろと。あのシーンは最高でした。

 

 

 

 

 さらに、過去に遡ることで、トニー・スタークとスティーブ・ロジャースの後悔すら清算しています。いや本当に、隙のない展開だなと。

 

 一番大切なケイパーものとしての面白さも完備されていて、入念に準備をして、1つ1つ計画を実行していくも、予定外の事態に迅速に対応していくスリリングな展開は観ていてハラハラしましたね。

 

 ここで一番語らなければならないのがナターシャ/ブラック・ウィドウ。家族も何もなかった彼女が、他者のため、人類の未来のためにその身を捧げる下りは彼女の生い立ちを考えれば泣けてきますよ。

 

 そして全ての石を揃え、願いを成就させた後は、サノスとの最終決戦に突入します。ここからの各々の特性を活かしたバトルは素晴らしいですし、何よりサノスの軍団が来て絶体絶命のときに駆け付けたヒーロー達という超王道かつ上がりまくりな展開と、そこからBGMがピタッと止まって「アベンジャーズ、アッセンブル!」のキャップの掛け声で私のテンションは天井を突き抜けました。そこからのガントレットのリレーも最高だし、女性ヒーローたち勢揃いも最高だし、ピーターは相変わらずだし、見せたいものをすべて見せてくれます。

 

 と、ここまで観ていくと、あることに気が付きます。それは、本作が『IW』をそのまま裏返した作品だと言うことです。『IW』はサノス視点で石を集め、願いを成就させましたが、今回はヒーロー視点で願いを成就させました。そして『IW』で集まらなかったヒーローも集まり、全員で協力してサノスと戦います。

 

 そしてこの「裏返し」な点はラストもそうです。ラストで、サノスはこう言います。「私は絶対なのだ」と。これは自分の考えこそが宇宙のためになるのだという、非常に独善的な考え。前作では、ヒーロー達はこの思想に完敗してしまいました。

 

 

 対して、アイアンマンは、自らガントレットを取り、指パッチンを以てサノスたちを消滅させます。「私はアイアンマンだ」と言いながら。ここが本作の最大のポイントだと思っていて、この点が故に私は本作を素晴らしいと思います。というのも、トニー・スタークは以前は独善的な男でした。自らが兵器を売り、それで犠牲者が出てもどこ吹く風。MCU第1作『アイアンマン』はそんな自己中だった彼が正義に目覚め、自身がやったことに落とし前をつける話でした。その後もアイアンマンは数々のMCU作品に出演し、『アベンジャーズ』で自己犠牲の精神を身に付けたかと思いきや、『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』では成長してなかったりを繰り返してきました。そんな彼が、「自らの幸せを犠牲にして宇宙を救う」というというのは、『アイアンマン』サーガの完結として完璧な着地であり、それはサノスの「全体を救うためならば個々の幸せなどどうでもいい」とは対極の思想です。この点で、アイアンマンはサノスに「勝った」と言えるのだと思います。

 

 

 そして、アイアンマンとは対照的に、キャップは自らの幸せを全うし、キャプテン・アメリカを引退します。ここもキャプテン・アメリカ第1作のラスト、「ダンスに行く約束」を回収している点にもう泣きます。また、キャプテン・アメリカの象徴である盾を白人であるスティーブから、黒人であるサムに手渡す=継承させるというのも何だか『グラン・トリノ』のようなラストで(年老いたスティーブは、クリント・イーストウッドに見えなくもない)、時代の流れを象徴しているものだと思いました。

 

 このように、本作はヒーローものとして、そしてMCUの集大成として、最高の作品でした。本当にありがとう。

 

 

 前作です。

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 MCU第1作目。まさか本作そのものが伏線になっていようとは。

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 キャプテン・アメリカ1作目。

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